第148話 絶体絶命
サラに股間を蹴られたヨネシゲ。瞳からは涙、鼻からは鼻水、口から涎を流しながら、悶絶の表情で地面を転げ回る。男なら、誰もが今のヨネシゲに同情することだろう。
「あの姉ちゃん、なんて酷い事しやがるっ!」
ドランカドは歯を食いしばりながら、サラを睨み付ける。
一方のサラは、転げ回るヨネシゲを眺めながら高笑いを上げる。
「アッハッハッ! いい気味ね、ヨネシゲ・クラフト! レディに手荒な真似をした報いよ!」
ヨネシゲは体を起こすと、サラに鋭い視線を向ける。
「何がレディだ!? このはしたない、お転婆娘がっ!」
サラは不機嫌そうな表情を見せた後、再び暴挙に出る。
彼女は、地面に座り込むヨネシゲの顔面に、強烈な蹴りを食らわす。
ヨネシゲの体は数メートル吹き飛ばされた。サラは、体を起こそうとするヨネシゲを押し倒し、馬乗りになる。
「ごめんね、ヨネシゲ・クラフト。私は押し倒されるより、押し倒すほうが好きなの。どう? 美女に押し倒されて嬉しいでしょ?」
ヨネシゲは鼻で笑う。
「悪くはねえが……そんな乱暴じゃ男は喜ばねえぞ?」
サラはニヤッと笑みを浮かべる。
「この状況で随分と余裕そうね? 数秒後に絶命するというのに……」
「何?」
サラは、紫色に発光させた右手をヨネシゲの顔面に構える。
「そのムカつく顔面、ぺしゃんこにしてあげるわ!」
「や、やめっ……!」
サラは、ヨネシゲの返事を待たずに、構えた右手を振り下ろす――しかし、それを阻む者が現れた。
「うおぉぉぉっ! 小娘っ! 覚悟しろっ!」
「!!」
一匹の熊がサラに向かって鋭い爪を突き出した。彼女はそれを容易く交わすと、熊と間合いを取る。
熊はヨネシゲを庇うようにして、サラの前に立ちはだかる。
ヨネシゲが熊の名を叫ぶ。
「イワナリっ!」
そう。この熊の正体は、空想術で巨大熊に変身したイワナリだった。
イワナリは視線をサラに向けたまま、背後のヨネシゲに行動を促す。
「ヨネシゲっ! ここは俺が時間を稼ぐ! お前は今のうちに体勢を立て直せ!」
「おう! わかった!」
ヨネシゲはイワナリに促されると、辛そうな表情を浮かべながら、所々に痛みが走る体を起こす。
「熊の分際で私と本気で喧嘩するつもり?」
「姉ちゃんも猛獣を相手にしてるんだから、もう少し警戒したらどうだ?」
「ザコ相手にその必要はないわ!」
サラは落としていたステッキを空想術で引き寄せる。やがてステッキが手元に戻ると、彼女はそれをイワナリに向ける。
イワナリは焦る。額から吹き出す多量の汗。しかし、彼は冷静を装う。
「何だい? 空想術っていうのは、そんな小道具を使わないと発動できねえのか?」
サラはステッキを紫色に発光させながら、淡々と語る。
「フフッ。こっちの方が格好が付くでしょ? それに指や棒の先端に想素を集中させれば、より強力な空想術を発動できる……これ、常識よ? まあ、低能な獣には理解できないでしょうけどね……」
「何をっ!?」
サラに小馬鹿にされ、イワナリが激昂する。
彼は牙を剥き出し、鋭い爪を構えながら、サラに向かって突進していく。
サラは、猛進する熊に冷たい眼差しを向けながら、呟く。
「チェックメイト……」
次の瞬間、サラのステッキから強烈な紫色の光線が放たれた。
光線はイワナリ目掛けて一直線に伸びていく。
青ざめるイワナリ。
万事休すか?
(もうダメだっ!)
イワナリが諦めかけたその時、光線の行く手を何かが阻む。行く手を失った光線は四方八方へと分散していく。
そしてイワナリの瞳には、光線の行く手を阻む、ある男の大きな背中が映り込んだ。
イワナリが男の名を叫ぶ。
「ドランカドっ!」
その男はドランカドだった。彼は空想術で発生させた光のシールドで、サラの強烈な光線を受け止めていた。
「高々光線の一発、なんぼのもんじゃいっ!」
ドランカドは絶叫すると、細目を見開き、歯を食いしばる。その表情は必死だ。
そんな彼をサラは嘲笑う。
「そんな子供騙しのバリアで、私の光線を受け止めきれると思っているの?」
ドランカドは口角を上げる。
「勿論だ。元・討伐保安隊員の名に懸けて、お前をここで制圧してみせるっ!」
サラが不敵に笑う。
「なら、この光線……耐え抜いてみなさい! さあ、さあ。さあ!」
サラは光線の威力を増大させる。
光のシールドを構えるドランカドは、姿勢を低くして踏ん張るも、その足は徐々に押し流されていく。
そして、シールドに衝突した光線が衝撃波を生み出し、カルム男児たちを襲う。
やがて、光線を受け止めるシールドにも亀裂が入り始める。
ドランカドは冷や汗を流す。
「クソッ! このままじゃマズイぞ。このシールドが破壊されたら……俺もイワナリさんもお陀仏だ……!」
サラは残念そうな表情で嘆く。
「これが、元・討伐保安隊員の実力? 王都保安局の特殊部隊も大した事ないのね。期待外れだったわ。もう結構よ……このまま消えなさい!」
サラは言葉を終えると、渾身の想素をステッキに送り込む。
光線は紫から白色に変わり、ジェット機エンジンの如く轟音を響かせる。
ドランカドは、シールドに入る無数の亀裂を見つめながら、喚く。
「畜生っ! 畜生っ! 畜生っ!」
間もなくシールドが破壊される――その時だった。
ヨネシゲの怒号が平原に轟く。
「いい加減にしろっ!」
「!!」
ヨネシゲは、渾身の鉄拳を地面に打ち付けた。
その瞬間、彼の拳を起点に大地が引き裂かれる。
地割れは、破竹の勢いでサラの足元に迫っていく。だが、彼女は余裕の笑みを浮かべる。
「地割れなんて、恐るるに足りないわ……」
サラはそう呟きながら、上空へ向かって浮遊する。
「アッハッハッハッ! 大技の無駄使いよ? 少しは戦い方を考えなさい、ヨネシゲ・クラフト!」
高笑いを上げながら、上昇を続けるサラ――その動きが突然止まる。
「な、何!?」
突然、浮遊していたサラの体が地上に向かって降下していく――いや、地割れに吸い寄せられていく。
今も尚、幅を広げる大地の亀裂は空中の空気を吸い込んでいく。その亀裂の上空を浮遊していたサラは、大地の奥底へと流れ込む気流に捕まってしまったのだ。
「やってくれるじゃないの!」
サラは咄嗟に衝撃波で空気を弾く。彼女は空気を押し返す反作用の力で、地割れへと流れ落ちる気流から脱した。
サラはホッとした表情を見せる。だがそれも束の間。金色に輝く針が彼女の頬を掠める。彼女の美貌にできた一筋の傷からは、少量の血液が溢れ出す。
サラは地上を見下ろす。
「ヨネシゲ……クラフト……!」
彼女の視線の先。そこには自慢の角刈り頭を金色に発光させる、ヨネシゲの姿があった。
サラが不機嫌そうにして尋ねる。
「一体……そのふざけた技は、どこで覚えたの?」
ヨネシゲはニヤリと笑う。
「これは……甥と、預かっている女の子に教えた、俺直伝の護身術だ! 誘拐されそうになったら、これで敵の目を……!」
「フッフッフッ……アッハッハッハッ!」
平原に木霊するサラの高笑い。
ヨネシゲたちは、険しい表情で上空の彼女を見つめる。
やがて、サラの笑いがピタリと止まる。
彼女は被っていた三角帽子を脱ぐと、前髪をゆっくりと掻き上げる。そして、大きく息を漏らした後、静かに言葉を口にする。
「どこまでも……ふざけた男ね、ヨネシゲ・クラフト。私をここまで怒らすとは……」
ヨネシゲは固唾を飲みながら、サラの次なる言葉を待つ。
サラは再び三角帽子を被ると、氷のような冷たい眼差しをヨネシゲたちに向ける。
「お遊びはもうお終いよ。貴様ら全員、このブルーム平原に沈めてやる!」
サラはそう言葉を吐き捨てると、天に向かって右手を伸ばす。
「――いでよ。破壊神オメガ……!」
サラの瞳、右手が青紫色に発光する。
突如、ブルーム平原に吹き荒れる不吉な風。その上空に現れた暗黒の雲は、稲光を発生させながら旋回を始める。暗黒の雲渦は次第に大きさを増し、その中央には大きな空洞が現れた――雲渦の目だ。
雲渦の目からは、サラの瞳と同じく、青紫色の光が溢れ出す。
ヨネシゲは、目の前で起きている非現実的な光景に、声を震わせる。
「まるで……この世の終わりを見ているようだ……」
稲光を帯び、青紫色の光を放つ暗黒の雲渦。地獄のような夜空を見つめるヨネシゲたちに、サラが言葉を放つ。
「空ばかり見ていないで、少しは足元を気にしたら?」
「!!」
ヨネシゲたちは咄嗟に足元を確認する。
彼らの足元には、解読不能な文字列で構成された方陣が、白い光となって浮かび上がっていた。
気付くと、ヨネシゲたちの身体は石のように硬直し、身動きを奪われていた。
困惑するヨネシゲたちにサラが促す。
「さあ、もう一度、空を見上げてご覧なさい」
ヨネシゲたちは、唯一動く瞳を天に向けた。
――そして、彼らは戦慄する。
ヨネシゲたちが目にした光景。
それは、雲渦の目から顔を覗かせる、謎の巨大生物の姿だった。
「悪魔だ……」
その姿はまさしく悪魔。
黒光りする体毛、鋭い牙、尖った角。赤く光る瞳を細めながら、地上のヨネシゲたちを睨みつける。
サラは不敵に笑う。
「悪魔? いいえ……破壊神オメガよ……」
サラがヨネシゲたちに人差し指を向ける。
「さあ、破壊神オメガ……地上の愚か者たちを八つ裂きにしなさい……!」
サラの言葉を合図に、破壊神オメガが地上に向かって手を伸ばした。
ヨネシゲ、絶体絶命。
つづく……




