第146話 吉兆の予感
マロウータンの前に突如現れた、亡き父オジャウータンと兄ヨノウータン。睨みを利かす仁王像が如く、マロウータンを見下ろす。
荘厳な雰囲気が、この暗闇の空間を支配する。マロウータンは唾を飲み込んだ。
果たして彼らが亡霊なのか? 幻影なのか? 今のマロウータンには判別できない。だが彼は前者を信じた。何故ならば、つい先程まで天に居る父と兄に語り掛けていたのだから。
マロウータンは額から大量の汗を流しながら、2人に問い掛ける。
「本当に……父上と兄上なのですか!? お答えください!」
声を震わせるマロウータンに、オジャウータンが一喝する。
『馬鹿者っ!! 実の父と兄の顔を忘れる者が何処に居るかっ!?』
「も、申し訳御座いません!」
父の余りの気迫に、マロウータンは咄嗟に頭を下げる。しかし、彼は直ぐに頭を上げるとその瞳を潤ませた。
「父上……兄上……また、お会いできて……嬉しゅうございます……ウホッ……ウホホ……」
マロウータンは膝を落とすと、声を漏らしながら涙を流す。その息子の姿をオジャウータンとヨノウータンが静かに見つめる。
やがて、マロウータンは顔を上げると、見下ろす父と兄に再び尋ねる。
「父上……兄上……私の事を……迎えに来てくれたのですね?」
『迎えじゃと?』
眉を顰めるオジャウータンに、マロウータンが訴える。
「ええ。私は間もなく、この49年の人生に幕を閉じます。この命を捧げ、メテオ様の為に戦う事は、我らクボウの……我が人生最大の誇りです。十分、役目は果たしました。ですから、この戦いが終わったら……私も父上たちが住む世界へと連れていってください……!」
マロウータンが涙声で言葉を終えると、兄ヨノウータンの怒号が響き渡る。
『戯けっ! 勘違いするなよ、弟よっ! 死ぬ前提で物事を語るなっ! お前は父上が託された想いを踏みにじるつもりかっ!?』
悟ったように語る弟をヨノウータンが大喝。萎縮するマロウータンにオジャウータンが尋ねる。
『マロウータンよ。儂がそなたに託した夢……忘れたと申すか? 今ここで死んでもらっては困るのじゃ』
マロウータンは笑みを浮かべながら、ゆっくりと首を横に降る。
「いいえ……忘れる筈など……御座いません……」
『では、何故、斯様なことを申す?』
「私は……父上と兄上の前では、どうしても弱音を吐いてしまいます。この気弱な心は、子供の頃のまま。どんなに強がっても、父上と兄上の前では、その弱さを隠しきれませぬ……」
マロウータンは大粒の涙を流しながら、2人の顔を見つめる。
「父上……兄上……こんな腰抜けの私を……もっと叱ってくださいませ……」
オジャウータンは大きく息を吐いた後、優しい笑みを浮かべる。
『いつまで経っても……世話の焼ける息子じゃのう……』
「父上……」
オジャウータンが語る。
『マロウータンよ。そなたは、そなたのままでよい』
「私のままで……ですか?」
『左様。そなたは、クボウと、南都戦士の誇りに囚われ過ぎておるようじゃ。その誇りがそなたを縛り付けておる。まあ……それをそなたに押し付けたのは、儂らなのかもしれんがのう……』
オジャウータンは力強い声で息子に訴え掛ける。
『誇りに囚われるな! 自分を縛り付ける誇りなど、捨ててしまえ!』
父の予想外の言葉にマロウータンは目を丸くさせる。
「父上……誇りを捨ててしまったら……それこそ私は……」
オジャウータンに代わり、ヨノウータンが口を開く。
『よいか、弟よ。誇りの為だけに命を捨てるなど愚かなり。死んでしまったら、誇りなど何にもならんぞ?』
「しかし、誇りを捨てるなど、私には……」
『今のお前は、誇りを抱くよりも、恥を抱け』
「恥……ですか……?」
『そうだ。人は、恥をかいた分だけ、成長できる。恥は買ってでもかけ。その恥が、お前をより一層成長させる』
再びオジャウータンが言葉を口にする。
『頃合いを見計らい、皆を連れ、ブルームから撤退するのじゃ。腰抜けと笑い者にされても構わん。恥をかいてでも生き延びよ。生き延びた先に、必ず希望は見えてくる……』
マロウータンが問う。
「父上……この私に……父上と兄上の夢を叶える事が……できましょうか?」
オジャウータンは静かに頷く。
『できる。じゃから儂は、そなたに夢を託した……』
ここで突然、オジャウータンとヨノウータンの全身が発光する。2人の身体からは無数の光球が放たれ、その姿を徐々に消滅させていく。光球は天へと舞い上がり、無数の星となって、暗闇の空間を照らす。
マロウータンが叫ぶ。
「父上っ! 兄上っ!」
『必ず叶えるのじゃ。儂の夢、民の夢、そなたの夢を……!』
『弟よっ! お前の働き、天にて見守っているぞ!』
『儂らはいつでも……そなたの味方じゃ……』
「お待ちくだされっ!」
やがて、2人の身体の発光が弱まり、その姿は暗闇に飲み込まれようとしていた。
オジャウータンが最後に優しく微笑む。
『死に急ぐではないぞ……さらばじゃ……息子よ……!』
オジャウータンが言葉を終えると同時に、2人は完全に姿を消した。
――気付くと、マロウータンの視界には、ブルームの平原と満天の星が映し出されていた。そして真下から響き渡る蹄の音。彼は再び疾走する馬に跨っていた。
「頃合いを……見計らうか……」
マロウータンは遠くに見える戦火を見つめながら、独り言を漏らす。
「この負け戦……必ず生き延びてみせようぞ……!」
マロウータンは手綱を強く握りしめた。
ブルーム平原を死地と決めていたマロウータンであったが、今は生きる希望で満ち溢れていた。
――同じ頃、バンナイは満点の星を眺めながら独り言を漏らす。
「今頃……儂が仕込んだ幻影を見て驚いている頃だろう……儂が言うよりも、父と兄から説得された方が効果的だ……」
バンナイはニヤッと笑みを浮かべる。
「マロウータンよ。メテオ様をお支えするには、お前の力が必要だ。メテオ様と、アーロンやダンカンと共に、南都を立て直せ……!」
彼は儚げな表情を見せる。
「頃合いを見計らって……儂が全てを背負う……だからお前は……父と兄が言った通り生き延びよ……!」
マロウータンの目の前に現れた亡き父オジャウータンと兄ヨノウータン。その正体は、バンナイが事前に仕込んだ空想術によって生み出された幻影だった。
バンナイは幻影を使って、自身の考えや思いをマロウータンに伝えたのだ。
「ブルーム平原を死地に? それがお前の本心ではなかろう。お前に少しでも迷いがあるなら、儂の言葉、お前の心に届いた筈だ……」
バンナイはしたり顔を見せる。
全ては自分の思惑通り――そう思っていた。しかしそれは少し違っていたようだ。
突然、バンナイの側方を生暖かい風が吹き抜ける。
そして、バンナイは自分の耳を疑った。
『バンナイよ……礼を言おう……そなたのお陰で息子は救われた……』
「オ、オジャウータン殿!?」
バンナイの耳に届いてきたのは、聴こえてくる筈もないオジャウータンの声だった。彼は驚いた様子で辺りを見渡す。
「そ、空耳か……?」
バンナイは空耳だと自分に言い聞かすも、その疑心が確信に変わる。
『そなたも……生き延びよ……!』
「!!」
次の瞬間、ブルーム平原に強烈な突風が吹き抜ける。バンナイは立っていられず、尻餅をつく。
だが、その突風は直ぐに収まり、今は穏やかな風が平原を流れる。
バンナイは呆然と平原を眺める。
「こんな事が……あり得るのか……?」
動揺するバンナイ。そんな彼を更に驚愕させる出来事が発生する。
突如、天から射し込む光。
バンナイは夜空を見上げた途端、声を震わせる。
「まさか……儂は……幻でも見ているのか……?」
彼は自分の目を疑った。そこには黄金に輝く、一羽の鶴が羽ばたいていた。
「吹飛……鶴神……!」
バンナイが見たもの。それは、トロイメライ神話に登場し、クボウ家が崇拝する聖獣「吹飛鶴神」だった。
吹飛鶴神は、金色の粒子を振り撒きながら、東の上空へと姿を消す。
「これは……何かの吉兆か……!?」
夜明けにはまだ早い。しかし、バンナイが見つめる東の夜空は、徐々に明るさを増していく。
つづく……




