第115話 満月 【挿絵あり】
冷たい夜風が吹き抜ける中、ヨネシゲは長ズボンに肌着という薄着姿で、テントから出ていく。彼はテントから少し離れた場所まで歩みを進めると、足を止める。
村外れにあるこの場所は、少し高台になっており、南側に広がるトロイメライ南海を一望できる。ヨネシゲはその海と、夜空に浮かぶ大きな満月を一人眺めていた。
(綺麗な満月だ。ソフィアとルイスも……この満月を見ているかな?)
ヨネシゲが見上げる満月に映し出されるのは、愛する妻子の顔。その二人の表情は、この満月のように優しく穏やかなものだった。
「帰りたい……」
ヨネシゲは弱音を漏らす。
夜になると気が沈み、弱気になってしまう。そして、妻子の顔を思い浮かべる度に胸が締め付けられ、切ない気持ちになる。
(帰りたいのに帰れない……見ている月は同じだというのに、君たちからどんどんと離れてしまう……)
ヨネシゲは満月に向かって手を伸ばす。
(この満月のように……届きそうで……遠い存在だ……)
ヨネシゲは、伸ばしていた手をゆっくりと下ろす。
冷たい夜風が吹き抜ける中、彼は満月を眺め続けていた。すると突然、自分の名を呼ぶ声が耳に届く。
「ヨネさん。そんな格好で、風引くぞ……」
「オ、オスギさん!?」
ヨネシゲが背後に視線を向けると、微笑みを浮かべるオスギの姿があった。オスギはヨネシゲの元まで歩み寄ると、持っていた上着を手渡す。
「この冷たい夜風は体に悪い。初日から風邪を引いたら洒落にならんぞ? 上着くらい羽織っておけ」
「へへっ、すみません。ありがとうございます」
ヨネシゲは、オスギから受け取った上着に早速袖を通す。ヨネシゲは上着を羽織り終えると、オスギに声を掛ける。
「オスギさん。なんか起こしてしまったみたいで、すみませんでした」
「いいや。俺も寝付けなくてな……」
「オスギさんもですか?」
「ああ。色々と考えていたら目が冴えちまって……」
オスギから発せられた意外な言葉に、ヨネシゲは少々驚いた様子だ。と同時に、同じ心境の者が隣に居ると思うと、ヨネシゲの気持ちが幾分楽になる。そしてヨネシゲは胸の内をオスギに明かす。
「いや〜情けないですよね。覚悟を決めた筈なのに、夜になると不安で押し潰されそうになる……」
「それは皆同じさ。これから戦場に赴くっていうのに、不安を抱かない者のほうが少数だろう。軍人でもない俺たちみたいな素人なら尚更だ……」
ヨネシゲは満月を見上げる。
「この同じ月を妻と子供も見ていると思うと、切なくて胸が締め付けられます。頭に思い浮かぶのは、妻と子供との思い出ばかり。もしこれが、俺にとって最後の思い出だったとしたら……? そんなことを考えちゃうと眠れなくて……」
ヨネシゲは悲しそうな表情を見せる。するとオスギが彼の肩を叩く。
「ヨネさん。それはいかんな。その考え方は改めたほうがいいぞ」
「え? でも、そう言うオスギさんも、俺と同じこと考えてて眠れないんじゃ……?」
するとオスギはニヤッと笑みを見せる。
「フフッ。俺は違うぞ?」
「え? でも、さっき……」
「ああ。確かに、考え事をして眠れないのは本当さ。だけど、俺が考えていることはヨネさんと違っててな、楽しいことを考えているんだ」
「楽しいこと?」
オスギが口にした予想外の言葉に、ヨネシゲは不思議そうに首を傾げる。楽しいこととは一体何か? オスギは満月を見上げると、その楽しいことについて語り始める。
「実はな、帰ったらカミさんと旅行に行く約束をしているんだ。今からどこをどう巡ろうか考えているだけで、ワクワクして眠れんのだ。色々と候補はあるが、やはり、カルム各地の名湯を巡る旅が第一候補かな……」
オスギは子供のように目を輝かせながら、旅行の計画について語る。彼は不安ではなく、興奮して眠れなかったようだ。
オスギが語り終えると、ヨネシゲは羨ましそうに言葉を漏らす。
「流石ですね、オスギさん。帰ってからのことなんて何も考えて無かったですよ。今の俺には、妻や息子との思いでを振り返ることしか……」
オスギは、ヨネシゲの言葉を遮るようにして口を開く。
「思い出は、振り返るものではなく、振り返ってもらうもの。大切な人たちの心に残すものだ」
「大切な人たちの心に……?」
「そうだ。思い出は、自分一人のために残すものではない。時間を共有した大切な人たちのために残すものなのだ。それは自分が生きてきた証でもある。ヨネさんは大切な人たちに、自分の生きた証を余すことなく残せてきたか?」
「いえ、全然……」
「ハハッ。そうだろうな。ヨネさんより20年以上長く生きている俺ですら、大切な人たちに自分の生きた証を残しきれていない。だから今は、思い出を振り返るよりも、新しい思い出を作ることだけを考えている。それが生きて帰るという目標に繋がるからな。こんな所では終われん!」
「オスギさん……」
「だからヨネさん。今は前だけ向いていろ。きっとその先に、ヨネさんが望む未来が待っているさ。生きて帰って、奥さんや息子さんと新たな思い出を作るんだ! こんなところで死んだら俺が許さんからな!」
「ええ! こんなところでは終われませんよ! 必ず生きて帰ってみせます!」
「その言葉、忘れるなよ!」
オスギからの熱い言葉に、ヨネシゲは元気付けられたようだ。気付くとヨネシゲからは、いつもの明るい笑みが零れていた。
「ちなみにオスギさん。また弱音吐いても聞いてくれますか?」
「ハッハッハッ! それで気分が晴れるなら、いつでも聞いてやる!」
「ありがとうございます。それを聞いて安心しました!」
「そうか。さて、夜更かしは明日に響く。そろそろ寝ようぜ」
「はい! 気分もスッキリしたんで、ぐっすり寝れそうです」
会話を終え、2人がテントに戻ろうとした時である。突然、男たちの悲鳴が辺りに響き渡る。
「うわぁぁぁっ!! 助けてくれ〜!!」
「こ、殺されるっ!!」
「や、止めてくれ〜!!」
ヨネシゲとオスギの表情が青ざめる。
つづく……




