第105話 出立の朝(中編)
南都出征者は、これからカルム中央公園で行われる出陣式に参加する。その時間も刻々と迫ってきており、男たちは家族との別れを惜しみながら、自宅を後にする。そして、あの男たちも家族や仲間たちとの別れを惜しんでいた。
カルム市場の果物屋前には、角刈り頭の老け顔青年が、店主の女に別れの挨拶を行っていた。
「リサさん。早いとこ、いい旦那さん見つけて幸せになってくださいよ。リサさんみたいな人が、一生独身なんて勿体ないっすからね!」
「フッ! 生意気なこと言ってんじゃないよ」
突然、角刈り青年が改まった顔つきで、姿勢を正す。
「リサさん。短い間でしたけど、大変お世話になりました! リサさんに怒られたことは、一生の思い出でしたよ!」
「ドランカド! 最後の最後まで私を怒らすんじゃないよ! もう会えないような台詞、私は聞きたくないね!」
「ガッハッハッ! リサさんのその怒った顔が見たかったんですよ! 俺は湿っぽい別れ方よりも、千尋の谷に落とされるような別れ方が好きですからね!」
「人をからかうのも……いい加減にしなよっ! 私がどんな気持ちでアンタを見送っているのか、わかっているのかい!?」
「リ、リサさん……」
店主の女は、角刈り青年を怒鳴り散らすと、店の奥へと姿を消した。その瞳からは涙が零れ落ちていた。
その場に居合わせた酒屋店主の中年男が、呆れた様子で角刈り青年に声を掛ける。
「ドラちゃん。こんな時に冗談が過ぎるよ……」
「ヒラリーさん。いや、まさかあんなに怒るとは思いませんでしたよ……」
すると酒屋店主は角刈り青年に、ある事実を伝える。
「ドラちゃんは知らないと思うけど。彼女は元々他領の出身でね。そこで家族と幸せに暮らしていたらしいんだけど、ある日、旦那さんと息子さんが戦に駆り出されてしまって……帰らぬ人になってしまったんだ……」
「え? そ、そうだったんですか……」
「息子さんは、ドラちゃんと同じくらいの年齢だったそうだ。リサちゃんは君のことを実の息子のように思っているんだよ。君のことが可愛いくて可愛くて仕方ないって話してたからね……」
「お、俺っ! リサさんに謝ってきます!」
彼女の元へ向かおうとした角刈り青年の腕を酒屋店主が掴む。
「ドラちゃん。今はやめておきな。彼女は強い女だからね。君に泣いている姿は見せたくないだろう」
「け、けど……」
「ドラちゃん。ここは俺に任せて、出陣式に行ってきな。そろそろ始まっちゃうよ?」
「は、はい……」
酒屋店主は角刈り青年の背中を叩く。
「大丈夫だって! 出陣式が終わる頃には、リサちゃんを連れて大通りに向かうから。謝りたいことがあるなら、そこで謝るといい……」
角刈り青年は深々と頭を下げる。
「ヒラリーさん。最後の最後まで、ありがとうございます」
「こら『最後まで』なんて言うんじゃない。俺もリサちゃんと一緒にいじけちゃうよ?」
「すんません。つい……」
「ハハハッ! まあ、戻ってきたら、またカルム屋で一緒に飲もうね!」
「はい! その時は、ヒラリーさんの奢りで!」
「まったく。君には敵わないよ。冗談はさておき……さあ、行ってきな!」
角刈り青年は深々と一礼すると、カルム中央公園を目指し、歩みを進めた。
同じ頃、カルムタウン東部の民家でも、別れを惜しむ親子の姿があった。
父親は、熊のようなシルエットの、体格の良い、やや小太りの中年男。そして娘は、綺麗な黒髪ロングヘアの清楚な見た目の少女である。
熊男は、田舎から出てきた母親に娘の面倒を頼む。
「母ちゃん。わざわざ田舎から出てきてくれてありがとな! 悪いが、アリアをよろしく頼むぞ!」
「任せておけ! ワシは孫との一時を満喫させてもらうよ。それよりも、イワナリ。アンタは自分の心配をしなさい」
「ああ。わかってるよ」
熊男は娘に視線を移す。
「そんじゃ、アリア。父ちゃん、行ってくるよ。直ぐ帰るから、ばあちゃんと一緒に待っててくれ」
「うん……」
黒髪少女は小さく頷くと、静かに涙を流し、父親に抱きつく。
「お父さん……無事に帰ってきて……」
熊男も娘をそっと抱きしめる。
「安心しろって。父ちゃんは絶対、無事に帰ってきてやる! アリアのウエディングドレス姿を見るまでは死ねないよ」
「うん。約束だからね……」
黒髪少女は指で涙を拭うと、熊男にあるものを手渡す。
「はい、お父さん。お弁当。お腹が空いたら食べてね」
「へへっ、アリア。やめろって……いつも言っているだろ……?」
微笑む熊男の手には、可愛らしい熊の弁当箱が持たれていた。
そして、カルムタウン北部にある、古びた民家の玄関先には、とある老夫婦の姿があった。白髪頭と、口と顎に髪と同色の髭を生やした老年男が、妻の老年女に背を向けながら、別れを告げる。
「それじゃ、行ってくるぞ」
「あいよ。気を付けて行ってきな。怪我するんじゃないよ!」
「ハハッ。怪我で済めば良いがな……」
老年男は軽く笑った後、妻に体を向ける。
「それにしても、お前に見送ってもらうのは何十年ぶりだ? 慣れねえから、何か変な感じがするぜ……」
「何? 私に見送ってもらうのが、そんなに嫌だかい?」
老年男は、不機嫌そうに口を尖らせる妻に微笑みかけると、その体をそっと抱きしめる。
「アンタ……?」
「こうして抱きしめるのも……何十年ぶりだっけ……?」
老年男はそう言い終えると、妻から体を離す。
「戦から戻ったら、俺は守衛の仕事を辞めるつもりだ」
「辞めちゃうのかい?」
「ああ。俺はもう十分働いた。残りの余生は……お前と一緒に、ゆっくりと過ごしたい」
「アッハッハッ! このオヤジ! 柄にもないことを言いやがって……!」
「まあ、そう笑うな。戻ったら、カルム各地の名湯を巡る旅にでも行こうぜ。あの頃みたいにな……!」
「楽しみにしてるよ……!」
出征者たちは、それぞれの思いを胸に、出陣式に臨む。
つづく……




