第8話 再会
病室に姿を現したのは、亡くなった筈の妻ソフィアだった。彼女の手には一輪の花が持たれていた。
ソフィアはヨネシゲの顔を見るなり、急いでベッドの側まで駆け寄る。
「あなた、目覚めたのね! 本当に良かったわ。心配したのよ!」
「あ、あぁ……」
ヨネシゲは突然現れたソフィアの存在に、驚きを隠せずにいた。
ヨネシゲが呆然とソフィアの顔を見つめていると、彼女は目を涙ぐませながらヨネシゲの手をそっと握る。ソフィアの頬を伝っていた涙は、ヨネシゲの手の上に滴り落ちる。
(ソフィアの手、温かい。涙も流している。ソフィアが生きている。信じられん!)
ソフィアが生きていることを実感したヨネシゲは、込み上げてくるものを抑えきれなかった。突然号泣し始めたヨネシゲは、ソフィアを思いっきり抱きしめる。
「ソフィア……生きてる……良かった……!」
「ええ……本当に良かったわ」
「また、ソフィアに会えるなんて……! 死んでしまった君にまた会えるなんて……まるで、夢を見ているようだ!」
「え? 死んだですって? あなた……私はこの通り生きていますよ」
「ああ! 生きてる……生きてる……! こうして君を抱き締められる。温もりも感じる」
もう二度と会うことが叶わなかったソフィアを肌で感じることができたヨネシゲは、感激のあまり涙していた。一方のソフィアはヨネシゲの過剰な反応に困惑した様子であった。
その様子を見ていた医師がソフィアにあることを伝える。
「恐らくですね、奥さん」
「先生、どうしたのですか?」
「ヨネさんは、記憶の一部を欠落している可能性があります」
「欠落ですか!?」
「森で何があったか知りませんが、何らかの外的要因で記憶を失っている可能性があります」
ヨネシゲとソフィアは驚きの表情を見せる。
医師の説明ではヨネシゲの記憶は何らかの原因で一部失われているとのこと。しかし、ヨネシゲにはそのような実感はない。
確かに直近の記憶は曖昧であるが、話そうと思えば少年時代のことや青春時代の武勇伝も饒舌に話すことができる。
ヨネシゲは医師に反論する。
「先生、そんなはずはありません! 昔の事だってちゃんと覚えてますよ。何だったら今ここで話すこともできます!」
反論するヨネシゲに、医師は落ち着くよう促す。
「まあまあ。何も全ての記憶を失ったと言っている訳ではない。一部の記憶が失われている可能性があると言ってるのだよ。確認のため、質問するけど、ヨネさんの自宅住所を教えてほしい」
医師から現住所を尋ねられると、ヨネシゲはムッとした表情で答える。
「住所は、オヤスミ市オメザメ台3丁目の……」
自信満々で答えるヨネシゲ。しかし答えを聞いたソフィアと医師は、目を丸くさせながら、互いに顔を見合わせる。医師は更に質問を続ける
「えーとっ、君の職場は?」
医師から職場について尋ねられると、ヨネシゲは腕を組みながら、自慢げに答える。
「おう! 隣町のハリキリ区にある、株式会社熱血男重機部品製作所だ! 自慢じゃないが、一応大手企業だぞ?」
ドヤ顔のヨネシゲに、医師は諦めた様子でため息を吐く。
「駄目ですな、こりゃ」
ヨネシゲの答えを聞いた医師は2人に告知する。
「やはりヨネさんは、一部の記憶を失っているようだ。実際、私の存在や、自宅の住所なども記憶から消えているようだからね。おまけに、今ある記憶も何らかの記憶と紐付けされているようで、記憶が錯綜としている状態だ。故にヨネさんは、この様に意味不明なことを口にしているんだよ」
医師の説明を聞いたヨネシゲは、ムッとした表情を見せる。一方のソフィアは真剣な表情で医師の説明に耳を傾けていた。
「あの先生、夫は元に戻るのでしょうか?」
「それは、わかりません。もしかしたら、このまま戻らない可能性も考えられます……」
「そ、そんな……」
医師の言葉にソフィアはショックを受けた様子だ。一方のヨネシゲは納得いかない様子で口を噤んでいた。
(このオヤジ、勝手な事ばかり言いやがって! 俺の記憶は正しい! 住所も職場も忘れるはずがない! それだったら!)
するとヨネシゲは怒った口調で医師に質問する。
「先生! 俺の記憶は確かです! なら教えてくださいよ! 俺の本当の住所と職場を! そもそもこの病院は何て名前なんだ!?」
「ここはカルム病院だよ」
「聞いたことないな。どこの町医者だ? 病院の住所を教えてくれよ!」
「住所か? ここは、カルム領カルムタウン中央地区の……」
「え……? ちょっ!! ちょっと待ったっ!!!」
「え?」
ヨネシゲは医師の答えを遮り待ったをかける。
(ちょっと待てよ、冗談だろ!? 今起きてることは本当に現実なのか? こんな事があり得るのか? もしそうだとしたら!?)
ヨネシゲは驚きを隠せない様子だ。
病院の住所は確かに覚えがある。しかしその住所は、現実には存在しないものだった。
(カルム領、カルムタウンって、ソフィアの書いた物語に出てくる街の名前じゃないか!!)
ヨネシゲが今居る病院の所在地、それはソフィアが生前書いていたファンタジー小説に出てくる街の名前だった。
すなわちここは、ソフィアが想い描いた空想の世界だったのだ。
――ヨネシゲは夕焼けに染まった西洋風の街並みを病室の窓から眺めていた。
(信じられん……!)
ヨネシゲは自分の頬をつねる。
(痛い。やはりこれは夢ではないようだ)
まるで夢を見ているようだ。
既に亡くなっている妻ソフィアが目の前に姿を現した。現実的に考えてあり得ないことだ。だとしたら、この状況どう説明する? あのソフィアはそっくりさんだったのか? 或いは自分は幻を見ていたのか? はたまた彼女の亡霊だったのか? ヨネシゲは首を横に振る。
(そういう次元の話ではない……!)
確かにヨネシゲはこの肌で彼女の温もりと涙を感じた。これが夢であるはずがない。
口調や仕草、どれをとってもソフィアそのもの。彼女は間違いなくソフィア本人だ。
(だとしたら、ここは本当にソフィアの書いた物語の世界なのか?)
この世界がソフィアが書いた物語、すなわちソフィアの思い描いた空想世界だとすれば説明がつく。ソフィアの想いが息づいた世界に、彼女が現れても決して不思議ではない。
ソフィアと医師の話によると、この病院がある街はカルムタウンという名前の港町。トロイメライ王国という大国の南西部沿岸に位置する。
カルムタウンはソフィアの書いた物語の舞台であり、物語を読んでいたヨネシゲも当然その存在を知っていた。
判断材料に乏しいが、ヨネシゲはここがソフィアの描いた空想世界であると、思わずにはいられなかった。
では何故? ヨネシゲがこの世界に迷い込んでしまったのか? これを現代科学で証明しろと言っても無理がある。
(そもそも博識がない俺なんかが、証明するのは不可能だな)
考えるのをやめたヨネシゲは、先程までのことを振り返る。
(まさか、ソフィアにまた会えるなんて、話ができるなんて……こんなに嬉しくて幸せなことが他にあるか? 俺は罰でも当たるんじゃないか?)
僅かな面会時間であったがソフィアと過ごした一時はまるで夢のようだった。夢でも構わない、このまま時が止まってくれればと、ヨネシゲは本気でそう願っていた。
突然病室の外から数名の慌ただしい足音が聞こえてきた。その足音がヨネシゲの病室の前で止まると、勢いよく病室の扉が開かれた。
「シゲちゃんっ!!」
「ね、姉さんっ!?」
病室の扉を勢いよく開けるパワフルな中年女性。赤い瞳と茶色がかった黒髪のショートヘア。そして少々厚化粧の彼女の正体は、ヨネシゲの実姉、メアリー・エイドであった。
(何故姉さんがここに!?)
ヨネシゲが突然現れた姉メアリーに困惑していると、彼女の背後から一人の少年が姿を現す。少年の姿を見たヨネシゲはソフィアの時と同じように自分の目を疑った。
金色の髪と透き通った青い瞳を持つ、この長身美男子の正体は、ヨネシゲの息子ルイスであった。彼もまた、ソフィアと共に突然命を奪われ、3年前にこの世を去った。ヨネシゲはソフィアに続いてルイスとも奇跡的な再会を果すこととなる。
ルイスはヨネシゲの顔を見るなり、ベッドまで駆け寄ってくる。
「父さん! もう大丈夫なのか!? 本当に心配したんだぞ!」
「ルイス……本当にルイスなのか!?」
「良かった! 俺のこと覚えてるようだね! 母さんから父さんの記憶が一部失われてるって聞いたから……」
「ルイスっ!!」
次の瞬間、ヨネシゲは思いっきりルイスを抱きしめる。突然の父親の行動にルイスは困惑した様子だ。
「良かった、本当に良かったよ……またお前に会えるなんて……」
「父さん……」
ヨネシゲは静かに涙を流しながら、最愛の息子を抱きしめ続けるのであった。
つづく……