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「あ、結坂さんだ!」
五階に着いた瞬間、駆け寄って来たのは四人の同級生だった。しかも全員がAランク。待ってましたと言わんばかりの勢いに思わず後退りそうになる。
「良かったー」
真っ先に駆け寄って来たのは笑みを浮かべる男子生徒。はしゃぐ女の子二人もそれに続いた。
「ここなら会えるかなって待ってたんだよ!」
「ここってSランクのフロアなんでしょ?」
「え、まぁ……」
「すごく豪華だよね! 赤絨毯ひいてあるし」
「ねえ、部屋見せてくれない!?」
四人の目的はSランクのお部屋見学らしい。友達でもない、話した事もない同級生に部屋を見せたいわけがない。でも上手い言い訳も見つからない。
「……部屋見ても先端技術科に入れる可能性は変わらないと思うよ?」
「私達Aランクだよ?」
「ランク関係なく声をかけた人しか入れないらしいから」
「じゃあどうしたら声かけられるの!?」
「誰のとこに行けば確実?」
「さぁ……」
当たり障りのない答えで引き下がってもらえないかと思ったけれど、それが反感を買ってしまった。
「何だよ、それくらい教えてくれたっていいじゃん」
「自分はもう声かけられたからって偉そうに……」
小学校で慣れてしまった中傷と非難の目。でも、何とも思わないわけじゃない。四人に囲まれ、一方には壁が立ちふさがっているこの状況では、逃げることもできない。しかも、ここはほとんど人がこない五階だ。残り二十分が散々なものになることを覚悟した。
でも、来てくれた。
「なに囲まれてんだよ」
「……どこいたの?」
助けに来てくれるなんて思ってもいなかった、その人が。
「あんた誰だよ?」
「もしかして……先端技術科の人?」
「先端技術科7年結坂康介。こいつの兄貴だ。妹に何か用か? 場合によっては寮長も連れてきてやるから言ってみろ」
「い、いや……」
「お話聞きたいなって思ったんですけど、もういいんで!」
「時間とらせちゃってごめんね!」
康介がひと睨みすれば、四人の態度はがらりと変わった。気に入られようと取り繕ってはみたものの、睨みをきかせたままの康介を前にして、無理だと悟ったらしい。結局は脱兎のごとく階段を駆け下りていった。
残されたのは兄妹二人の沈黙。
「……ありがと。今までどこにいたの?」
「バルコニーだよ、そこから出れる。部屋にいると合い鍵使って探しに来るからな」
「みんなどこかの喫茶店にでも隠れてるって思ってるよ」
「だろうな」
灯台下暗しとはこのことだ。
「今日はまだ暖かいし、お前も来てみろ」
康介はそれだけ言うとくるりと体の向きを変えた。
54号室と55号室の間にある細い通路。案内されるままについて行くと、そこには外に通じる扉があった。
「すごい……」
足を踏み入れた瞬間、思わず感嘆の声が漏れた。
長方形の形をした教室よりも広いそこは、開放的で過ごしやすそうな場所。可動式らしい屋根は全開で、夜空に散りばめられた星がよく見える。中央には長いソファーがいくつも置かれ、小さなテーブルと冷蔵庫まで置いてあった。
「ここは寮生でも一部のやつしか知らない。よく桜子が隠れ場所に使うが、流石に春先の夕方は来なかったみたいだな」
座れよ、と促されて康介の隣に腰掛けた。このソファーも柔らかく、座り心地がいい。
「特別な場所に私も来てよかったの?」
「代々五階に住むやつと寮長が認めたやつが使ってたらしいからな、お前と慧が使っても誰も何も言わないさ」
康介はそう言いながら、マグカップを渡してくれた。保温ポットに入っていた珈琲が湯気をたてている。
少しだけ沈黙が続いた。
それを破ったのは咲希。
「ねぇ、康介……どうして私だけなの?」
「あ?」
「だってさ、康介には妹三人に弟二人もいるんだよ? どうして由羅と玲央は先端技術科にいないの? 私のことは気にかけてくれてるのに、何で尚人には会おうともしないの?」
今日の玲央を見て考えてしまった。
一樹の異変にも気づいた康介が玲央の状況を知らないわけがない。なら何で玲央に何もしないのか。尚人にだって会おうと思えば会えるのに、何でその素振りすら見せないのか。
康介はソファーに身を沈めて、空を仰ぎ見た。
「この学園にいると色々見えてくんだよ」
「え?」
「最初は六人全員のこと、お前と同じように思ってたさ」
康介は静かに語りだした。
「子供への愛情に差があるのはわかってるだろ?」
「……気づかないわけないよ」
「まぁな。じゃあ、心菜の洋服がブランド物っていうのは知ってるか?」
「え……」
そんな話は初耳だった。厳しい家の経済状況で、そんなものを買えるわけがない。
「赤ん坊の頃からブランドものばかりだよ。園香に聞いたら一着一万近くするらしい」
「そんなお金があったら……」
「お古ばかり着ていた咲希や玲央の服が、一揃いずつは買えるな。お前や尚人はまだ小さかったから仕方ないけどな、俺達はみんな知ってた」
「嘘……」
信じられなかった。それに頭がついていかない。私には筆箱すらまともに買ってくれなかったのに? 尋ねると、康介は小さく頷いた。
「本当だ。それが原因だろうな、ここに入学してから由羅は買い物に取りつかれちまった。小遣いもらったら何か買わなきゃいられない。食費を削ってでも高いものを買いたがる。何を言っても止めないどころか、声をかけてくるのは金がなくなった時だけだ」
「それでも……玲央は? 玲央は絶対好きで普通科にいるわけじゃないよ!」
「咲希」
康介が静かに咲希の言葉を遮る。
「玲央は自分から普通科に入ったんだ。最初はAランクで、先輩にも命令して好き勝手してた。Cランクに落ちて形勢が逆転しただけだ」
その言葉を聞いて堪えきれずに泣いてしまった。頭を撫でてくれる康介の手が暖かくて、でも悔しくて悲しくて、何年かぶりに涙を流した。
「……由羅に懐いてたもんな」
「そうだよっ、ずっと会いたくて……会った時に褒めてほしくて勉強も頑張ったの! 由羅が入学してすぐにくれた手紙も、ずっと持ち歩いてた。学園は楽しいよって、待ってるねって、来たら美味しいものたくさん食べさせてあげるって……言ってたのに」
「でも、あいつは会いにも来ない」
「……うん」
「最近のことは知らないけどな、両親二人共、尚人と心菜にかかりきりだったんじゃないのか?」
「……そうだよ。だから、早くこの学園に来たかったの。一樹や由羅に会いたかった!」
「そんな中で尚人や心菜はお前のことを気にかけてたか? 咲希にも何か買ってあげて、なんて言ったことがあったか?」
「……ないよっ……」
一度も。自分で言ってショックだった。涙が止まらず嗚咽が漏れる。
「俺は自分のことしか考えない奴に何かしてやる気はない。それにな、兄弟だからって何ができる? 先端技術科にはB以上でないと入れない。この学園じゃ、自分で努力しなきゃどうにもならねえよ」
康介はそこで言葉を切り、冷めてしまった珈琲を口に含んだ。それを見て咲希も一口飲んでみたけれど、砂糖もミルクも入っていない珈琲はやっぱり苦い。
「努力し我慢してきたやつが幸せになるのは当然のことだろ。だから俺は咲希がSかAになって、先端技術科に来ることを願ってた。だけどな、他のやつはまず努力してからだ。勉強でもスポーツでも、何か努力してB以上にならない限り、何かしてやりたいとは思わない」
その後はお互い口を開かなかった。少しだけ康介に寄りかかり、二人で空を見ていた。
見学会が終わる時間になっても動く気がせず、たまに苦い珈琲を飲みながら、散らばった星達を見る。時間はゆっくり過ぎていき、咲希はいつの間にか眠っていた。