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学園計画   作者: 洋野留衣
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旅立ちの朝



 その日も少女は、鳴り響く機械音で目覚めた。二階の一番奥、一際小さな部屋の二段ベッドの下の段が少女、結坂咲希の寝場所だ。

 だが、上の段に人気はない。随分前からこの二段ベッドと小さな部屋は、咲希一人のものになった。


 ゆっくりと起き上った咲希は、枕元に置いてあったペンダントを首にかけた。《学園》に行ってしまった、優しい兄からの贈り物。大きめの鳥籠のデザインで、咲希が持つ唯一のアクセサリー。

 何度握りしめて眠っただろう、これが、兄姉がいなくなってからの心の支えだった。


「今日、卒業式だよ。もうすぐ会えるね……」

 それも、今日で終わりだ。



《これにて第四十回水崎市立たながわ小学校卒業式を終わります。卒業生退場》


 式は滞りなく終わった。教室に戻った卒業生はいつもの仲良しグループに分かれ、教室との最後の別れを惜しむ。その中で、咲希は当然の如く一人だった。


 みんな知っているのだ。結坂家は七人兄弟でお金がないことも、咲希は双子の弟と比べてあまり可愛がられていないことも、そして、中学からはどうせ《学園》に行ってしまうことも。


「結坂さん、あのさ……」

「何?」

「結坂さんもネデナ学園に行くの?」

「……まあ。上の兄弟全員そうだから」


 咲希が投げやりに答えると、ほとんど話したこともない女の子は、あからさまに溜息をついた。


「そっか、尚人くんも行っちゃうんだ」

 話しかけてくるのは大抵尚人目当てか頼みごとがある時、それか嫌みを言いにくる時くらいだ。


 その問に咲希は笑って応えた。

「うん、だからさよならだね」

 卒業の悲しみや辛みはない。あるのは兄姉に会える喜びと、久しぶりの再会への僅かな緊張だけだ。



 この日の夜、咲希は僅かな荷物を小さなボストンバッグに詰め込んだ。



 翌朝、咲希は生まれて初めての制服に身を包んだ。

 オレンジと黄色のチェックのスカートに、同じ柄のリボンが特徴的な可愛らしい制服。まだ肌寒いため、上に真っ白なブレザーを着用する。漆黒の前髪をヘアピンでとめ、最後にペンダントを制服の下につければ準備は完了。


 咲希は最後にぐるっと部屋を見回した。家にいる大半の時間を過ごしてきたこの部屋も、今日で見おさめだ。五畳の小さな部屋でも思い出はたくさんある。

 以前は姉が寝ていた上の段、一番上の兄が組み立ててくれた少し不格好な本棚、幼い頃兄弟と遊んだサッカーボール。一つ一つが大切で、学園への入学が決まって初めて寂しさを感じた。


 後ろ髪を引かれながら一階に下りると、そこには慌ただしく歩き回る母の姿があった。

「咲希、用意はちゃんと終わっているのよね? 後から送るなんて無理なんだから」

「うん、持っていくのは着替えぐらいだからね」

「そう。尚人にはこれ渡してあげないと。それでもう一回荷物を見なおしてくるわ。あ、もう少しお菓子を持っていかせた方がいいと思う?」


 奈津実は持病の心配性が出たようで、真新しいスニーカーにレジャーシート、とっておきのジャケットなど統一性のない荷物を腕いっぱいに抱えている。既に海外旅行用のトランクにぎっしり詰め込んでいるのに、どこに入れる気なんだろう。

 咲希は表情が引きつりそうになるのを、何とか抑えた。


「お腹をすかせたら可愛そうだから……。やっぱりもう少しお菓子とお小遣い渡しておきましょうか。咲希、急いで買ってきて」

「心配し過ぎだよ。お小遣いは学園から出るんでしょう?」

「でも……」


 なかなか納得してくれない母に思わずため息が漏れそうになる。昔からこうだ。家に余分なお金はないというのに、尚人と末っ子の心菜にだけはこうやって何かしら、不必要なお金を使おうとする。


 それに口を挟んだのは父の泰彦だった。

「ママ、学園が全て面倒を見てくれるんだから平気だよ。一樹達もいるしね」

「あなた……。でも、尚人まで行ってしまうのかと思うと寂しくて。来年には心菜まで行ってしまうし」

「その代わり、一樹が帰ってくるだろう?」

「……まあ……そうね」

 ようやく納得した奈津実は、尚人の準備が終わったか見てくると言って二階へ上がっていった。


「もう、ママはいつも心配性だな」

「そうだね」

 尚人と心菜限定でね、という言葉は寸でのところで飲み込んだ。尚人と同じで呑気すぎる父には、何を言っても仕方ない。それはこの十二年間で嫌という程学んできた。



「じゃあね。尚人、身体に気をつけてね」

「わかってるよ」

「咲希、お姉ちゃんなんだから、尚人のこと支えるのよ? 来年は心菜の面倒見てあげてね」

「お母さん、尚人は私と同い年なんだし、心菜だって来年には十二歳なんだから」

「それでも二人は少しおっちょこちょいでしょう! お姉ちゃんなんだから、しっかりしてね」

「……わかった」

 結局、見送りの時まで奈津実の過保護は止まらなかった。それどころか、迎えのバスが来る駅まで家族総出で見送りに来る始末。兄姉の時には私とお父さんだけだったのに。


 どうしようもない気持ちが湧き上がってきて、思わず心菜に視線を移した。



「じゃあね」

「お姉ちゃん、ネデナ学園がどんなところか手紙頂戴ね」

「うん。一樹と由羅からも一通しかきてないから、出せるのかわからないけど……でも出すからね!」

「待ってるね。みんなによろしくね。一樹や康介はもう顔も思いだせなけど」


 心菜の言葉に、咲希も兄姉の顔を思い浮かべた。咲希も上の兄二人の顔は朧気だ。何せ、一樹なんかは七年も会っていないのだ。それでも、会えば一目でわかる自信があった。


 大好きな、唯一自分に一番優しくしてくれた存在。


「早く会いたいな……」

 咲希は呟きながら、そっと制服の上からペンダントに触れた。その時だ。


「結坂咲希さんと尚人くんですか?」

 背後から声をかけてきたのは、色素の薄い髪色が特徴的な優しそうな若い男性だった。胸元に光るバッジには《NEDENA》の文字。


「はい」

「それじゃあ行こうか」

 その男性はにこやかに笑うと、咲希の荷物を自然に持ち上げた。


「ちょっと、尚人のは?」

「すぐそこにバスが停まっていますから、男の子には自分で運んでもらっているんです。しっかりお預かりしますから」

 まだ不満げな奈津実をよそに、そっと咲希の背を押す。咲希が歩き出せば尚人も自然と続いた。


「当分会えないんだから、最後にもう一度顔を見ておきなよ」

「え?」

 その言葉は消え入る程に小さくて、尚人には聞こえていないようだった。咲希はそっと振り返ったが、奈津実の視線は尚人に向いているし、心菜と泰彦は何か話をしている。誰とも目が合わなくて、すぐに顔を戻した。


 バスは見たことない程豪華なものだった。真っ黒で高級感ある外装もすごかったが、内装はもっとすごい。

 まず、入ってすぐに目に入ったのは小さな冷蔵庫だ。更に床には赤い絨毯が敷き詰められ、天井には輝くシャンデリア。奥には革張りのソファーとガラス製のテーブルまで見える。尚人に至っては思わず立ち尽くしたくらいだ。


「何だ、これ……」

「送迎専門のリムジンバスだよ。奥のソファーに座ってね。今、飲み物持ってきてあげるから」


 言われた通りソファーに座ると、そこは身体が沈み込む程に柔らかい。目の前のガラス張りのテーブルには細かな模様が彫られていて、よく見ると天井のシャンデリアも一つ一つのライトが動物の形をしているという凝りようだ。


 ――本当にこれが学校の送迎車?


 きょろきょろ見回していると、テーブルにジュースの入ったグラスが置かれた。


「あ、ありがとうございます」

「いいえ。僕は君達の担任になる工藤彼方。これからよろしくね」

「あ、え、はい」

「よろしくお願いします!」


 朗らかに笑う工藤先生からは、人の良さがにじみ出ている。見た目や年齢的にも先生というよりお兄さんと言った方がしっくりきそうで、二人の緊張もすぐにほぐれた。


「学園までどれくらいかかるんですか?」

 最初に質問したのは尚人だ。

「高速を使っても三時間くらいかな。眠ってていいよ」

「お兄ちゃん達が学園にいるんですけど、行ったら会えますよね?」

「……まあ、校舎は全学年同じだからね」

「よかった……」

 咲希も一番心配していたことが聞け、ほっと息をついた。兄姉に会えるなら、これ以上嬉しいことはない。


 だが、次の言葉で尚人は悲鳴に近い声をあげ、咲希も呆気にとられた。

「そうだ。学園内への私物の持ち込みは許可されてないから、悪いけど二人の荷物は預かるね。大切なものは卒業時や学園の認可が下りた時に返却するけど、基本的には処分っていう形になる」


「ええっ!?」

「荷物持っていけないって……着替えは? お財布とか本だって!」

「うん、着替えは向こうで用意されてるし、大半は制服。お金も学園内は特別な通貨しか使えないんだよ。お小遣いとして支給されるからね。本は大きな図書館で借りることもできるし、本屋もあるから」


「それでも……せっかく買ってきた服とかボールとか漫画とか……」

「うん、服もボールも漫画も遊び道具も学園内で売ってるから。本当に悪いけど諦めて」


 工藤は穏やかな口調で、だが、押し切るように言い切った。ここまではっきり言われてしまうと、もう反論の余地がない。二人して押し黙り、視線だけを工藤にやった。


「まあ心配しないで、優しい先輩達もたくさんいるから。まだかかるから、二人とも少し寝てるといいよ」

 工藤は運転手の方に行ってしまい、奥に残るのは咲希と尚人の二人だけ。二人は少しの間顔を見合わせたが、どっと押し寄せる眠気に身を任せることにした。



「二人とも、起きて!」

 揺らされる感覚で重い瞼を開けると、バスは既に停まっていて、窓からは夕日が差し込んでいた。彼方の腕時計の短針はピッタリ5を指しているから、二人して長い間爆睡していたらしい。


「おはようございます……」

「うん、よく寝てたね。ほら、尚人くんもしゃきっとして」

 バスを降りるとそこは別世界。

「すごい……」


 森に囲まれた広大な土地の奥に、西洋風の古城がそびえたっていた。



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