2. 月の光に照らされて
一週間後、使節団は出発した。そして二十日の旅を経てテイルズ帝国に到着した。
「ようこそいらっしゃいました」
皇城の前で出迎えてくれたのは、白いあごひげをたっぷりと蓄えた柔和そうな男性。宰相閣下だった。
「夜に歓迎パーティーを予定しておりますので、それまでは部屋で旅の疲れを癒してください」
人質とは思えない好待遇に驚く。
だが、考えてもみれば戦争に負けたのに帝国の完全な支配下には置かれていない。それ一つ見れば、帝国はかなり策士であり、そして良い国なのだろう。
王族が処刑されれば民からの反発は避けられない。それを避けるだけで政治はずっとしやすくなるのだから、当たり前といえば当たり前なのだ。
案内された部屋で第三王子殿下の身支度を手伝おうとしたその時だった。
「お前はいい。世話役というのも追放するための名目だろう。俺のそばに近寄るな」
嫌悪の眼差しに射抜かれる。私は第三王子殿下ーーレイフォーン・ド・ヘルディール殿下と関わったことはなく、この使節団で初めて殿下を見たが、殿下は私のことを知っていたらしい。
そばにいた他のメイドたちも早くいなくなってほしいという表情で私のことを見ていた。
「わかりました。失礼致します」
「ああ。あと王国の恥なのだから必要以上に部屋から出るなよ」
「かしこまりました」
頭をさげると足早に自分の部屋に戻る。
慣れていること。慣れていること。慣れていること。
そう言い聞かせる。世話役として来たのに、その役目すら果たさせてもらえないことが辛かった。
持ってきたドレスのうち、青と白のシンプルな、だが、所々にキラキラと宝石が輝くドレスを取り出して立ち尽くす。パーティーに出たくなかった。
ーーこのドレス、ダメにしてしまおうかしら。
悪魔の囁き。ドレスがダメになってしまえばパーティーに出ない理由になる。
「ダメね。お父様からも家の名を貶めないよう言われていたじゃない」
苦笑してその考えを振り払う。忌み子として生まれてしまったのだから、せめて家族に迷惑をかけないようにしなければ。
手早く準備をする。幼い頃から私付きの侍女はいなかったから自分のことは自分でできる。髪はゆるくまとめ、全体的に目立たないように仕上げた。
まぁ、この髪と瞳の色だからどんなに場に馴染もうとしても目立ってしまうのだが。
「そろそろ時間ね」
使節団の後ろの方に紛れて入場する。
しかし、玉座に座っている皇帝陛下の姿を見た瞬間、背筋に寒気が走った。
神々しいまでに美しい彫りの深い顔、輝く長い金髪、そこいるだけで威厳を感じさせる立ち姿。
だがそれ以上に、感情を感じられない冷たい金色の瞳が私を体の芯から震わせる。
「皆、今日は集まってくれてありがとう」
よく通る声。大広間は一瞬で静かになった。
「今日はヘルディール王国から使節団が見えている。よく交流し見聞を深めてくれ」
簡潔な挨拶。だが、陛下が玉座に腰を下ろすと同時にその場にいた全員が一斉に礼を取る。圧倒的な存在感と威圧感に、誰もが畏怖の念を感じたようだった。
***
「ふぅ、ここならきっと誰もこないわよね」
挨拶が終わり、立食形式のパーティーが始まると、私はさっと大広間の隅の暗がりに移動した。壁の花になりながら、手に持ったシャンパンを一口含む。ふんわりとぶどうの香りがしてザワザワしていた私の気持ちを落ち着かせた。
「あっ」
それはたまたまだった。目に入った窓から綺麗な月が見えて思わずバルコニーに出る。
「まぁ……」
そこには……美しい光景が広がっていた。バルコニーから眺められる庭園には美しい花々が咲き乱れ、それらを右上にかかった大きな月が淡く照らしている。
「ずっと見ていたい……」
そんなことを思った時だった。
「あぁ、先客がいたのか」
すぐ後ろから声がしてぎょっとして振り返ると、20代半ばくらいだろうか? 地味なスーツに身を包んだ茶髪の男が立っていた。
私はその瞳に目を奪われた。地味な見た目とは正反対な、力強い金色の瞳。心の奥底まで見透かすような眼差しが私を射抜く。
ーー蜂蜜みたい。
私は彼と少しの間見つめあった。
永遠にも感じる時。その時は私の冷え切った心をざわつかせた。
しかし、すぐにハッとする。
「あ、も、申し訳ありません。綺麗だな、と思ってつい……」
じっと見てしまったことに気づき、慌てて聞かれてもいないのに言い訳をしてしまった。彼に見られていると思うとなぜか落ち着かない。
そんな私の様子を見て、彼は面白そうに微笑んだ。
「あれを見てみろ」
「えっ」
戸惑いながら彼が指し示した方を見る。と。
「わぁ!」
思わず口から歓声が漏れる。それは、さっきまで右上にあった月が美しい花々の真上にかかり、月の光が庭園全体を照らしている光景だった。庭園が、花々が、銀色に発光しているよう。
「ここは夜になるととても美しい景色を見せてくれるんだ」
彼の声でハッとする。見とれてしまっていたようだ。淑女らしからぬ行為をしてしまったことに思わず頬が熱くなる。
だが、彼は気にした様子もなく、笑みを浮かべたままだった。
「あの、あなたは一体……?」
まるでこの光景を見慣れているような雰囲気に首をかしげる。王族に見えないし、だからと言って騎士にも見えない。でも確実に貴族然とした雰囲気。しかも、皇帝陛下と同じ金色の瞳。
「あぁ、まだ名乗っていなかったか。俺はヴァンという」
堂々と名乗るその様子は先ほどパーティーで挨拶した皇帝陛下の様子に驚くほど酷似している。瞳以外、見た目は全く似ていないが。
だが、それよりも家名を名乗らなかったことに意識がいった。
ーー訳あり、かしら。
そこに突っ込むほど野暮ではない。私は家名に関して何か問いただすことなく、笑みを浮かべて挨拶を返す。
「私はティアフレアと申します。使節団とともにきて今はここに滞在させてもらっております」
相手が家名を名乗らないなら自分も名乗らない方が良い。軽く頭をさげる。
「こんなところでどうしたんだ? 君のようなご令嬢が1人でいるような場所ではないが」
「い、いえ……この容姿ですのであまり皆様の視線の中にはいない方が良いかと……」
「容姿?」
ヴァン様が怪訝な表情を浮かべる。彼はこの容姿が気にならないのだろうか?
「とても美しいと思うが」
「えっ……?」
思わず間の抜けた声が漏れる。その様子に彼はいよいよ怪訝な表情になった。
だが、私はそれどころではなかった。
「私は、う、美しいのですか……?」
頬に冷たいものを感じる。彼の目を見ることができず思わず俯くと、地面に小さなシミができた。ようやく、私は自分が泣いていることに気がついた。
「なぜ、泣く」
頬に触れた冷たい手に驚く。気づくと彼がすぐ目の前にいて右手を私の頬に添えていた。
「わ、わかりません……」
彼が戸惑った表情を浮かべる。当たり前だ、自分でも戸惑っているのだから初めて会った彼がわかるわけがない。
ただ一つ言えるとするならば、嫌な気持ちではない、ということだ。
そこでハッとする。もしかしたらこの気持ちは……。
「嬉しい、のかも、しれません」
「嬉しい?」
「美しいと初めて言われたので……。こんな気持ち初めてなのでわかりませんが」
思わず苦笑する。嬉しいとか楽しいとか、今まで思ったことなかった。忌み子として生まれた私は誰からも嫌われてきたのだから。
だが……。
ーー美しい、そう言われるだけでこんなにも心地よいものなのね。
初めて知った感情。心地よいはずなのになぜか涙が止まらない。
彼はなぜか愕然とした表情を浮かべていた。しかし、すぐに表情を戻すと私の腰を引き寄せる。
「えっ」
「いいから」
頭を彼の胸元にくっつけるような姿勢。恥ずかしいが、それ以上に彼の温もりが私の中にまで入り込み、冷えた心を温めていく。
「ここにはお前を傷つける奴はいないから、存分に泣けばいい」
その言葉に私は思わず嗚咽する。涙が激しさを増した。
背中を撫でてくれる手は大きくて優しい。その手を感じながら私は彼に縋りつくようにして泣き続けた
「なぜ……」
その呟きは私には聞こえなかった。