第8話 まほーつかいのお弟子さん
凄い、凄い。
アレクサンドラは私の能力を見抜いただけでなく、この異世界で生きていく術も教えてくれるという。
私は転生後は独りぼっちで生きていかないといけない、と思っていた。
(今は)16歳の女の子にそんなこと出来るのだろうかと思っていた。
頼みの綱の能力は規模が大きすぎて自主的に封印中だし…。
「私って幸運だよね…。」
部屋に戻り天蓋付きのベッドに潜り込んだ私は、独り呟いた。そしてそのまま深い眠りについた。
――夢を見た。
夢を見るのなんて久しぶりだ。
前世での社畜生活時代は、いつの間にか寝ていて、寝たと思った瞬間に朝になっていたから。
夢の中にはお父さんとお母さんが出てきた。
二人とも私を見て、ニッコリ笑ってくれた。
それは私の記憶の中に残る、かけがえのない日々だ。
翌朝、小鳥の囀りで私は目を覚ました。
「いけない!遅刻!ち…あれ!?」
そうだ、ここは日本ではない、異世界。
「よく考えたら、あれからまだ1日しか経っていないんだよね。」
随分と時間が経った気もする。
それでも、立花由芽としての夢を見るのが、まだ時間が経っていない証左とも言える。
ただ…時間が経つとこの夢も見なくなるのだろうか…それは嫌だな、と思った。
――チリン・チリーン
部屋のハンドベルを鳴らす。
「おはようございます。お客様。」
メイドは思いのほか早く部屋に現れた。
もしかして隣の部屋が詰め所なのだろうか…?
メイドはラベンダー色の髪に栗色の瞳。年齢は10代後半くらい。そばかすの残る顔がとても可愛らしい。
「えっと、洗顔をしたいのですが、顔を洗う場所はありますか?あと私、貴族の方の作法には疎くて…。何かをする時間もよくわからないのですが…。」
「かしこまりました。」
メイドが恭しく頭を下げる。
「まず洗顔でございますが、部屋を出られて左奥のパウダールームで可能でございます。タオルは備え付けのものをご利用ください。私共におっしゃってくだされば、蒸しタオルのご用意もできます。」
「あ、ありがとうございます。それではパウダールームを利用させていただきますね。」
蒸しタオルとか、そんな至れり尽くせりをされては、緊張で身が持たない。
「かしこまりました。次に、作法でございますが、特にお気にされなくてよろしいかと思います。当屋敷のお客様には貴族以外の例えば商人様や神官様もいらっしゃいますので。最低限の節度があれば大丈夫かと。伯爵様もお気になされる方ではございません。」
「は、はい。」
良かった。昨日の夕食もうろ覚えのテーブルマナーで乗り切ったのだが、神経質になる必要はなさそうだ。
「それと時間についてですが、食事の時間などは私共がお声掛けに参ります。お客様は本日からアレクサンドラ様の講義をお受けになられると伺っております。こちらにつきましても、時間になりましたら私共がお声掛けに参ります。お声掛けの際にお返事がない場合は、安否確認のため、お部屋に入らせて頂くこともございますので、その点はご了承くださいませ。」
「はい。わかりました。それと…最後に一ついいですか?」
「何でございましょう?お客様。」
「えっとね、その…ユメって名前で呼んでもらえると嬉しいかな…?」
「かしこまりました。ユメ様。」
メイドはにっこりと笑い、もう一度恭しく頭を下げたのちに部屋を出た。
できれば「様」づけではなく「さん」づけの方が良いのだが、これ以上はメイドさんを困らせると思ったので、口には出せなかった。
朝の身支度を整えて、私は伯爵家の皆と一緒に朝食を食べた。
「ねぇ、ユメ!食後は何をして遊ぶ?お出かけするのもいいわね。あぁ、それと街を案内して差し上げたいのだけれど…」
レフィーナが無邪気な笑顔で私を誘った。
そうか、私がアレクサンドラのところで指導を受けることをレフィーナは知らない。
「ごめんね、レフィーナ。私はこの後、アレクサンドラ先生のところでお勉強をさせて頂く予定なの。」
「えぇ、そんなぁ…」
レフィーナは眉をひそめた。
「レフィーナ、ユメさんにも色々予定があるのだよ。我がままを言って困らせてはいけないよ?」
「そうですわ。」
オルデンブルグ伯爵夫婦が助け舟を出してくれた。
「あのね、レフィーナ。アレクサンドラ先生のところで勉強をさせて頂くことは、私にとって凄く大事なことなの。だから、ね。少しの間我慢してくれると私は嬉しいな。」
私は妹に接するようにレフィーナに話した。いや、前世では一人っ子だったのだが…妹がいたら、きっとこんな感じなんだろうなと思った。
「あぁでもね、レフィーナ。お勉強は昼過ぎには終わるの。それから夕方までは自由だから、その時間に街を案内してくれると嬉しいな。」
そう私が言うとレフィーナは目をキラキラさせた。
「ホント?約束よ⁉」
「うん。約束。じゃぁ指切りげんまんしようか?」
「なぁに、それ?」
あ。つい、言ってしまった。
さすがに異世界に指切りげんまんはないだろう。
「あ、えっとね。い、今急に思い出したんだけど、私の故郷で伝わる風習なの。お互いの小指を絡めて、約束を守りましょうねって誓うの。」
「わぁ、ユメ、記憶をひとつ思い出したのね!素敵な風習だわ。うん、指切りげんまんしましょう!」
食後、私はアレクサンドラの部屋に向かった。
「いらっしゃい、ユメさん。始めるにあたって弟子に『さん付け』というのはどうかと思うので、これからはユメと呼びたいのだけど、いいかしら?」
「はい、先生!」
その方が私も気兼ねせずに済むのでありがたい。
「よろしい。それではさっそく始めましょうか。」
「はい!」
「ユメ、まずは医療がどういうものか、その仕組みは分かっていますか?」
「いいえ。」
そのような知識を得ることなく転生したので、本当にわからない。
「簡単に言うと、病気やケガの人を魔法で治す、それが医療ですね。病気には風邪、頭痛、腹痛、関節痛、発熱などがあり、微生物や病原体が体内に入ることで発症するもの、毒や腐敗したものを経口摂取することで発症するものなど様々な種類があります。ケガは擦傷、打撲、骨折など。このケガが原因で発症する病気もあります。それら病気やケガの種類については、この部屋の書物に記載されていますが、ご覧のとおり数が多いので一つ一つの説明は省略しますね。」
ここまでは前世とさほど変わらない。しかし科学技術が乏しいこの世界で、微生物や病原体の認識があるというのは驚きだった。
「医療はまず、病気やケガの原因が何かを特定します。それから、治療魔法を使います。」
そういえば、私の時もアレクサンドラは2種類の魔法を使っていた。
「すぐに治療魔法を使うわけではないのですね。」
「はい。ユメは良いところに気づきましたね。なぜ、すぐに治療魔法を使わないのか、それは病気やケガの種類がたくさんあるように、治療魔法にも用途に応じていくつかの種類があるからです。微生物や病原体を除去する魔法、毒素を除去する魔法、損傷個所を修復する魔法、身体を活性化させて回復する魔法など。例えば、体内に病原体を残したまま、活性化の魔法を使ってしまうと、病原体まで活性化してしまうので、逆効果なのよ。」
なるほど、それは確かに原因が分からないと危険だ。
「私がユメに使った魔法、『スタータスプルフーン』は身体を全て調べることができる、レベル10の高等魔法です。状態異常、病気の有無、身体損傷の有無のほか、体内の循環器系の異常なども検知します。もう一つの『インスペクティオン』もレベル10の高等魔法で、毒や微生物、病原体を検知します。」
あれはそういう魔法だったのか。
それにしても、アレクサンドラ先生の説明は分かりやすい。
「それでは、今日はこの診察魔法を習得する修行から始めましょう。」
かくして、アレクサンドラ先生による魔法の実技指導が始まった。
「ユメ、緊張しているのかもしれないけど、毎回そんな高出力で診察魔法を使わなくていいわよ?疲れるでしょう?」
アレクサンドラが疑問を投げかける。
「いえ、その…疲れることはないのですけれど、出力ってなんですか?」
「え!?」
私の問いに、アレクサンドラはたいへん驚いた。
「ユメ、あなたその魔力値で魔力制御のスキルは持っていないの?記憶喪失で忘れてしまったのかしら…?」
私は何のことかさっぱりわからず、きょとんと立ち尽くした。
そしてアレクサンドラは眉間に手をあてて、考え込む。
――これは困ったわ…