第5話 能力の使い方
ウィリアム様!ウィリアム様!
御者が執事のウィリアムを呼ぶ。
レフィーナ、それと着替えを終えたユメはお互い顔を見合わせて、これはただ事ではないと思い、馬車から降りた。
御者とウィリアムが馬車の車輪部分を見ている。
どうやら馬車を止めた場所が悪かったらしく、車輪の1/3くらいが地面に埋まってしまったようだ。
「参ったなぁ。すみません、ウィリアム様、お嬢様。さっきの大雨ですっかりぬかるんでしまっていたようで。もっと早く気が付けばよかったんですが…。」
――ごめんなさい!ごめんなさい!
ユメは心の中で謝罪した。
元はと言えば自分の魔法が引き起こした大雨でぬかるみができたのに加えて、自分のところに立ち寄ってくれたばかりに、そのぬかるみに馬車が埋まってしまったのだ。
「今の誰も乗っていない状態で、馬車をぬかるみから出せるか?」
ウィリアムが御者に指示を出す
「や、やってみます!」
御者が掛け声とともに手綱を操った。
しかし、ぬかるみで馬も力が入らないのか、馬車はびくともしない。
そうこうしている間にも僅かながら馬車は沈んでいっているように見えた。
「むぅ…。それでは私が後ろから押すとしますかな。」
ウィリアムは上着を脱ぎ、シャツの袖をまくり、馬車を後ろから押し始めた。
初老だというのにウィリアムの腕は筋肉隆々で、ユメは思わず見惚れてしまった。
それでも馬車は動かない。
何とかしなきゃ…と思ったユメがふと閃いた。
(私、筋力値も最大だよね…)
神様に貰ったチート能力、全能力値最大には当然、筋力値も含まれる。
でも、さっきの水魔法みたいに最大の力を発揮したら、馬車を粉々にしてしまいかねない。
どうしよう…
こんなはずではなかった。能力値最大なら何でもできて楽々な異世界生活だと思っていた。使えないチート能力は、何もないのに等しい。
――あれ、でもおかしくない?
さっき私は雨に濡れたコルセットの紐を解くのに、とても苦労した。
筋力値最大なら、紐は簡単にブチっと切れたはずだ。
何か発動条件があるのかもしれない。
魔法の時はどうだったか…。私は水魔法を使った時を思い出した。
確か、最初念じただけでは水魔法は発動しなくて、その後口に出したら発動した…こうだった気がする。
もしかしたら、頭に描いているだけでは発動しないのかもしれない。
だって無意識に世界最大の能力を使うのだったら、それはただの破壊神だ。
きっとそうならないよう、安全装置がかけられているのだろう…やるじゃん、神様。
あいつ呼ばわりしてからまだ舌の根も乾いてはいないが、私は少し神様を見直した。
確証があるというほどではないが、おそらく発動条件は「声に出すこと」であっているだろう。
あとはタイミングと力加減だ。
例えば、小指の爪でつつくのはどうだろう?触れる程度なら、馬車が壊れることはないのでは?
私が考えを巡らせている間にも、刻一刻と馬車は沈んでいく。
躊躇している場合ではない。
「ウィリアムさん、私もお手伝いします!」
そう言って私は馬車に駆け寄った。
「いえ、見ず知らずの方にそこまでしていただくわけにはいきませぬ。」
額に球の汗を浮かべつつ、必死の形相のウィリアムはそう答えた。
「でも、その見ず知らずの私に服を貸して下さいました。恩には恩で報いないと、私が私を許せません!」
というか、全部私のせいだから!
と本当は叫びたかった。そこまで言うなら、とウィリアムは頷いてくれた。
さぁ、ここからは演技の時間だ。
残念ながら演技力という能力値はない。こんな時こそ最大値の演技力が欲しいのに!と私は思った。
「うーん!よいしょー!」
「腕に!力を!」
発動する言葉はよく分からないが、これでダメならまた試せばいい。
私は力いっぱい馬車を押すフリをして、自分の身体で死角をつくり、ウィリアムやレフィーナからは見えないように小指の爪で馬車に触れる。
――ちょんっ
ズズズズッ!
馬車がぬかるみから出てきた。大成功だ。
「おおお!」
御者とウィリアムが声をあげる。
「ユメ、すごい!」
レフィーナが無邪気な笑顔で喜んでくれた。
「これは驚きましたな、ユメ殿。まさか、ここまでの力の持ち主とは、このウィリアム敬服いたしましたぞ。」
ウィリアムは最大級の謝辞を述べた。
女の子に凄い力ですね!と褒めたたえるのはどうかと思うのだが、異世界ではこれが常識なのかもしれない。
「さぁ、また沈まないうちに、移動すると致しましょう。よろしければユメ殿も乗っていかれませぬか?」
「はい!ありがとうございます!」
ウィリアムの申し出を私は快諾した。
道中、レフィーナが目を輝かせながら、矢継ぎ早に質問をしてくる。
「ユメ、凄い!本当に凄いわ!ねぇ、ユメはどうしてそんなに強いの?どこかの国の騎士なの?どこまで一緒にいられるの?目的地はどちら?あぁ、ぜひ私の屋敷に立ち寄って頂きたいのだけど…」
「お嬢様、そんなに質問攻めをされては、ユメ殿が困ってしまいますぞ。」
ウィリアムが嗜めるように言った。
「しかしながら、この爺もユメ殿の力は気になるところですな。」
これは少し探りを入れてきたのだろう。おそらくだが興味半分、探り半分と言ったところ。
素性の分からない私だ。レフィーナを守る立場の執事としては、当然と言えば当然だ。
異世界から来たと言って、果たして信じてもらえるだろうか?
それこそ怪しくないか?私がそんなことを言われたら警戒最大だ。
いや、でもこの世界では転生者がいるのは当たり前かもしれない。
どうなんだろう?…この異世界の常識を調べてから打ち明ける、でもいいよね?
「すみません。実は私、記憶がないんです。気が付いたらあそこにいて…だから、なぜ力を持っているのか、さっぱり分からないんです。それと、ここがどこなのかも…。」
記憶喪失と力の秘密は嘘だが、気が付いたらあそこにいて、ここがどこか分からないのは本当だ。
そう言った私に、レフィーナがハグをしてきた。
「ああ、なんて可哀そうなの!それで最初にお会いした時の様子がおかしかったのね。合点がいきました。こんなに幼いのに野原で独りぼっちだなんて、さぞ怖かったでしょう!」
いや、最初に会った時は言葉が分からなかっただけで…と訂正したかったが、私にとって都合よく解釈してくれたのでそのままにしておいた。
レフィーナはハグをしながら泣きじゃくっている。
私のことを不憫に思ってくれているのだろう。
なんていい娘なんだ…。
思えば確かに不幸だった。
前世では人生を一度も謳歌した気分になったことはない。学生の頃に両親を亡くし、恋人もできず、社畜生活の日々の果てに過労死。
異世界に転生したとはいえ、身よりもなくどこで生きて行けばいいかも分からない。
気が付くと、私の両目からも大粒の涙がポロポロあふれ出していた。
この日私は、久しぶりに声を上げて泣いた。
さすがに演技でここまでは泣けないだろう、私の記憶喪失は本当なんだろう、そう信じたウィリアムは、ただただ横で温かく見守ってくれていた。
ひとしきり泣いた後、レフィーナが私の目を真っすぐ見つめてきた。
「ねぇ、ユメ。ユメさえ良ければ、私の…オルデンブルク家の屋敷に来て下さらない?その、記憶が戻るまでの間、生活するのも困るでしょう?屋敷にはお医者さまもいますから」
なんて願ったり叶ったりなのだろう。
雨露・夜風を凌げる場所で寝られるだけでも御の字なのに。
「ありがとう、レフィーナ。あの、でも、大丈夫ですか?素性の知れない私を屋敷に置くなんて…」
これ以上はない申し出だが、かえって迷惑になりはしないかと心配もする。
レフィーナは育ちの良いお嬢様特有の、他人を疑うことを知らないタイプの人間に見えた。
「それについては大丈夫でしょう。爺からもご当主様にお話ししておきますので。なぁにこの爺、他人を見る目はあると自負しておりますわい。」
そう言ってウィリアムはニッコリとほほ笑んだ。
私はこの笑顔にとても救われた気がした。
20分ほど馬車に揺られると景色はすっかり変わり、人家が増えてきた。さらに20分ほど経つと、馬車はレンガ造りに鉄の門扉がついた大きな門の前に辿りついた。
ここがレフィーナのお家、ウィリアムさんが執事を務めるお家、オルデンブルク伯爵家のお屋敷だ。
――レフィーナお嬢様のお帰りだ!
――門を開けぇーい!