第12話 粛清のトイフェル(前編)
えっと えっと
アレクサンドラが言葉に詰まった。
「先生は仰いました。強大な力を持つ者がこの屋敷に居ては、国王や邪な考えを持つ者の耳に入った時によろしくないと。でもこの夜天の装備を身に着け、索敵阻害を付与しておけば問題が無いと思うんです。」
私はたたみかけるように言う。
「一見大丈夫だと思えるのに、それでも先生は危険だと思っていらっしゃるんですよね?」
ふうっ。
諦めたような表情を浮かべ、アレクサンドラが大きなため息をついた。
「ユメ、あなたはよくできた弟子だわ。可愛くて魔法の才能があって、そして聡い。」
そこまで真正面から褒めちぎられると恥ずかしい。
「だからこそ言っておかなくちゃね。この国一番の魔法使いの名前を。その前にいい?この魔法使い、絶対に名前を口にしちゃダメ。」
え?私は前世でそんな魔法使いが出てくる映画を観たことがある。しかし異世界とはいえ、実際にそういう名前を言ってはいけない魔法使いが存在するんだと驚いた。
「なぜ口にしちゃいけないか、それはね、彼がこの国全土にアブホルンの魔法をかけているからなの。」
「アブ…ホルン?」
「彼のオリジナル魔法でね、盗聴魔法とも言うわ。この国で彼の名前を言葉にすると、どこで誰が発言したか、詳細に記録が残されるの。もしそれが悪口や彼を貶めるための打ち合わせとかだったら問答無用で処分される。」
ごくり…。私は恐ろしくなった。
国全土に盗聴魔法を仕掛ける魔力も恐ろしいが、この発想そのものが私には恐ろしかった。
「紙に書くぶんには大丈夫のようなの。だからここに書くわね。」
そう言ってアレクサンドラは羊皮紙とペンを取り出した。そして…
――粛清のトイフェル
と書いた。
私は転生後すぐには文字が読めなかったのだが、今では普通に読める。これも知力最大値のおかげかな。
「えっと、しゅく・・・」
「ユメ!!」
アレクサンドラが大声で叫ぶ。
「わっ!?わ!ご、ごめんなさい、先生!」
「もう、心臓が飛び出るところだったわ。本当に気をつけてね。」
アレクサンドラは、本気で焦っていた。
それくらい危険な人物なのだろう。
「彼は人類史上、初めて魔力値が4桁に到達した魔法使いなの。今の魔力値は2千とも3千とも言われているわ。でも彼の恐ろしさは…そうね、幼少期の頃も話したほうがいいわね。ちょっと話が長くなるけどいいかしら?」
そう前置きして、アレクサンドラはトイフェルの生い立ちから話し始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
トイフェルはフンボルト男爵が治める田舎の村で平民の子として生まれた。幼少期から高い魔力値が認められ、親兄弟や村の皆から頼りにされて育った。
自分の能力にやや天狗になっているところもあったが、根は真面目で優しい少年だったという。
12歳になったトイフェルは、フンボルト男爵の推薦もあり、王都の王立魔法学院に入学した。
トイフェルの家は貧しかったが、その高い魔力値のおかげで授業料は特待生として全額免除、道中の路銀や生活費はフンボルト男爵が工面したのだそうだ。
この頃の彼は、見た目はお世辞にも美男子とは言えない風貌で、平民という事もあり上流階級のマナーや教養は身に着けていなかった。
しかし、そういう粗野なところが新鮮だったのだろう…貴族の女生徒達には大いにモテたのだそうだ。
一方で貴族の男子生徒達には大いに嫌われた。
風貌もマナーも気品もなっていないのに女生徒にはモテる、腹立たしい、だけれど面と向かって勝負しても魔力値の差がありすぎて歯が立たない。
そこで貴族の男子生徒達はトイフェルに対して陰湿な嫌がらせ…イジメを始めた。
嘘のうわさ話で悪口を言われたり、濡れ衣を着させられることなどは日常茶飯事。
王立魔法学院は国庫のほか、貴族の多額の出資で成り立っており、貴族派の意見には学院も逆らえない。
トイフェルへのイジメを学院側は見て見ぬふりだった。
15歳になる頃には貴族の女生徒も含めて誰からも相手にされず孤独になっていたという。ただ一人を除いて。
孤独な彼が熱心に学院に通い続けたのは、一人の先生のおかげだった。
名はロザリア。トイフェルと同じく平民出身だったので、彼の立場に共感するところもあったのだろう。
彼女はトイフェルを嫌悪するどころか、真綿が水を吸うかのごとく知識を吸収していくトイフェルに期待し、熱心に指導した。
トイフェルもロザリアに迷惑をかけるまいと、イジメに必死に耐え、魔法の才能を次々と開花させていった。
トイフェルをイジメていた生徒たちはこのことを耳にすると、トイフェルをさらに貶めるため一計を案じた。
ある日、魔力値上昇に伸び悩む生徒たちが、「ロザリアはトイフェルに依怙贔屓しており、自分たちの魔力値が伸びないのはそのせいだ。トイフェルの魔力値だけが上がっているのが動かぬ証拠だ」と訴えたのだ。
もともと貴族の生徒たちは、凡庸な才能しかなく、魔力値の伸びしろも大したことはなかった。それに対してトイフェルは伸びしろが大きく、飲み込みも早かったので、才能を伸ばしていっただけなのだ。
また、ロザリアはトイフェルだけを依怙贔屓していたのではない。ロザリアが自主的に行っていた補修授業は誰でも受けられるよう門戸は開かれていた。トイフェル以外の学生が皆、勉強嫌いで受講しなかっただけだったのだ。
しかしこれに貴族の親たちは同調した。
結果、ロザリアは指導力不足を問われ、トイフェルのクラスはおろか学院の先生も解任された。
生活の糧を失い不安と絶望に押しつぶされたロザリアを救ったのはトイフェルだった。
トイフェルは借家を追い出されたロザリアを自宅に誘い、そして慎ましやかながらも幸せな共同生活が始まった。
ロザリアは時には母のように時には姉のように、慈しむようにトイフェルに接した。
ロザリアとトイフェル、二人が先生と教え子の関係から男女の仲になるのにそう時間はかからなかった。
トイフェルをいじめていた生徒達は腑に落ちなかった。
ロザリアを解任したのに、一向にトイフェルの心が折れる気配がない。
いや、むしろ生き生きとしているではないか?
上流貴族には裏稼業専門の者を雇っている者も珍しくない。
ある日貴族の生徒の一人が、屋敷お抱えの暗部の者にトイフェルの身辺調査を依頼した。
その結果、トイフェルとロザリアの同棲が発覚した。
ただ、これを世に広めただけでは、トイフェルを貶めることはできない。
何か、もっと。
こう、トイフェルの心が完全に折れるなにか決定打を。
そうだ。トイフェルの心の支えはロザリアだ。
そこで貴族の生徒は暗部にある依頼をした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふう。」
ここまで話し終えるとアレクサンドラは一息つき、空になったカップにカフィーを注ぎ、口に含んだ。
「ユメもどう?」
「あ。頂きます!」
私もカフィーのご相伴に預かった。何度飲んでもコーヒーそっくりの飲み物なのだが、煎った豆が原料ではないらしい。
「どう?ここまでで聴いた彼の印象は。」
「そうですね。思ったより悪い人じゃないなって。全土に盗聴魔法を使う人なんてロクな人じゃないって思っていましたから。」
「そうなのよね。ここまでは不遇だったけど唯一の幸せにすがって生きる、純粋な男の子なのよね。でもね…」
「暗部への依頼ですか。いったい何を?」
「正直、言いたくないんだけどね。」
そう前置きしてアレクサンドラは続ける。
「そうね、暗部はロザリアに乱暴の限りを働いたわ。女性であること、そして人間であることの尊厳を砕かれて…そして彼女は亡くなったの…。それもトイフェルの家で。トイフェルの目の前でね。」
「!?」
アレクサンドラは明言こそしなかったが、女性として筆舌に尽くしがたい仕打ちを受けたことは容易に想像できた。
ロザリア、なんて可哀そうなの…
トイフェルも本当に可哀そう…愛する人が目の前で凌辱されて殺されるなんて…
どうしてこの二人がこんなにひどい仕打ちを受けなくちゃいけないの…。
――酷い…ひどすぎるわ!そんなの…!!




