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真夜中の奇跡

作者: 松岡林檎

 それは、暖かな春の風がビルの隙間を柔らかに吹き抜ける、真夜中のことでした。

 いつまでも終わらない忙しさに追われ、毎日の残業でくたくたに疲れていた私は、窮屈なパンプスに痛む足を引きずりながら、重い鞄を抱えて帰宅の途に就いていたのです。


「幸せってどこにあるんだろう……」


 あまりに疲れていたからでしょうか、思わず泣き言がぽつりと漏れたその時です。

 ビルの隙間を吹いてきた風に、微かな笑い声が聞こえてきました。

 まるで子供たちが公園で遊んでいるかのような、小さな可愛い笑い声が、それはそれは楽しそうに沢山集まって、何か囁き合ってもいるようです。


 人影も少なくなったビル街に、子供たちだけが集まって遊んでいるなんてことがあるでしょうか。

 私は思わず声のする方へと足を向けていました。小さな声たちの楽しげな雰囲気に、疲れていた心が寄り添いたいと思ったのかもしれません。


 吹き抜ける風に導かれるように、幾つものビルの角を曲がり、ようやくたどり着いたのは、眩いほどに光り輝くバス停でした。


「銀河系はくちょう座経由、虹ヶ原ゆきバス、天竜号の乗り場はこちらになりまぁす」


 バスガイドの制服を着た女の人が道に立って案内をしています。その背中には、真っ白で大きな一対の羽があるのです。


「御乗客の皆様は一列にお並びくださぁい」


 女の人の声に誘導されているのは、様々な沢山の動物たちでした。

 犬や猫、鳥、うさぎ、ハムスター、クマやゾウ、イルカや金魚までいます。全員が仲良く囁き合い、笑い合いながら、楽しそうにバスに乗り込んでいきます。


「ママは元気になったみたい。安心したわ」

「あなたがこっちに来てから、ずっと泣いてたんでしょ? 本当に良かったわね」


 列に並んでいる猫たちが話をしています。


 先程の小さな声の主は、この動物たちでした。不思議なことに、人間の言葉を話しているのです。それとも私が、彼らの言葉を理解できているのでしょうか。


「あら、道に迷われたのですか?」


 女の人が私に気付き、呼び掛けてきました。明るい声と笑顔が、とても美しく優しげです。


「それとも風に導かれたのかしら。風の神様は、時々こういう悪戯をするのですよ」


 驚いて立ち竦んだままの私を安心させるように、女の人はにこっと笑います。


「……あの、ここは? このバスは……?」


 それだけ言うのがやっとの私に、女の人は白い手袋をはめた手でバスを指して、


「このバスは、天国へ行った動物たちが、時々この世へ遊びに来るためのツアーバス。ここは停留所なのです。私はツアーガイドです」


 女の人が、その役目に誇りと喜びを感じてやまない、というような朗らかな声で説明してくれた、その時でした。


「あっ! お姉ちゃんだ!」


 列の中から元気に飛び出してきたのは、茶色い犬でした。


「ポチ!」


 私は思わず駆け寄っていました。その犬は、私が子供の頃に家族で飼っていた、ポチという犬だったのです。


「嬉しいなぁ、お姉ちゃんとお話しできるよ」


 ポチは尻尾を千切れんばかりに振りながら、毬のように私にじゃれついてきます。

私が最後に見たポチは、病気で毛皮はパサつき、苦しそうに目を瞑った顔でした。しかし今のポチの毛並みはつやつやで、その表情には幸福感が漲っています。


「ポチ、ポチ、また会えるなんて……」


「ぼく、たまにこうして天国から遊びに来るんだよ。皆のことが心配で。元気にしてるかどうか、そっと確かめてから帰るの。お空をふわふわ飛んでいるから、皆には見えないけど、ぼくからは皆が見えるんだよ。お姉ちゃんのことも見てたよ。すごく頑張ってるよね」


 そうだったの。そうだったの。話したいことや聞きたいことは沢山あるのに、私は頷くだけで精一杯でした。


「ポチさん、そろそろ出発ですよ」


 女の人が促します。見ると、列を作っていた動物たちは全員バスに乗り込んで、此方に笑って手を振っています。皆、この世に残してきた人を気にして、時々ツアーに参加して様子を見に来ているのです。


 ポチがもう一度、私にぎゅっと抱き付きました。


「お姉ちゃん、幸せって案外身近にあるんだよ。いつかまた天国の虹の野原で会う時まで、宝探しみたいに、いっぱい見つけてみてね。大丈夫。ぼくがいつでも見守ってるんだから」


 ポチや沢山の動物たちを乗せた、光り輝くバスは空高く舞い上がり、消えていきました。



それは、甘く良い香りのする暖かな春の風が、ビルの隙間を柔らかに吹き抜ける、静かで幸福な、真夜中のことでした。

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