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旧市街の死神 7

 ナイフが静かに転がる。

 カバネは何が起こったのか分からないといった様子で立ち尽くしている。

 はっきりと見えるカバネの纏う霧は、痛みにもがく様に激しく動いていた。


「もう一度言おう。君に私は殺せない」


 これが死神の力というやつなのだろう。

 カバネと会話を始めた頃から薄っすらと見えていた霧は、カバネが殺意を明確に示した時にははっきりと見えるようになっていた。


「殺す」


 それは、初めてカバネの顔から余裕が消えた瞬間だった。

 私を鋭くにらんだカバネは懐からナイフを取り出す。

 そのナイフを握る力の強さから、殺意の強さが伺える。

 実際、ナイフは黒々とした霧を纏って狂気を宿している。


「終わりよ」


 強く踏み込んだ足は地面から離れ、その身体は私を殺さんと跳びかかってくる。

 この様を目の当たりにすると、人は狂気ではなく殺意に殺されるのではないかとさえ思えてくる。

 それほどに、カバネの殺意は鋭くナイフに纏わりつき、私の首を切り落とさんとしていた。


「でも、無理だ」


 ナイフを黒く塗りつぶしていた霧が消える。

 それと同時にカバネの身体は動きを止め、顔には驚きの色が浮かんでいた。

 振り上げた手からナイフが滑り落ちる。

 からん、と音が響くと、カバネは目の前で起きていることが信じられないというように茫然とナイフを目で追った。


「くっ」


 その顔に宿るのは怒りだろうか。

 カバネの足元から無数の霧が湧き上がり、身体を包み込む。


「ああああああ!」


 黒い渦となってカバネを飲み込んだ霧の隙間から白い肌が現れる。

 激情と狂気で塗り固められたナイフは私の腕を抉り、動きを止めた。


「なんで」


「腕を切られるくらい、たいしたことはない」


 ナイフに込められた力が弱まっていく。カバネは虚ろな目で私を見ていた。

 戸惑いの方が多いのだろう。

 今目の前に広がっているのは、彼女が望んだものとは違うだろうから。


「私は代償も払わずに人を救おうなんて思ってはいないさ」


 私の左腕からナイフが離れる。痛みは感じるがそれほど苦しくはない。ただ、手首から先の感覚がなくなり力が入らなくなっていた。

 カバネは一見感情が宿っていない表情をしている。

 しかし、私には薄っすらと今までとは違う感情が浮き出ているように見えた。

 私はゆっくりとカバネの方へと歩く。

 カバネは動かない。その瞳だけが揺らいでいた。


「カバネ、私は君を救おうと思っていた。でも、それは間違いだ」


 まだカバネの手にはナイフが握られている。だらりと下がった細い腕は血の付いた太いナイフを確かに掴んでいる。


「私は君と一緒に生きたい。もしかしたら救えないかもしれない。君は再び私を刺し殺そうとするかも知れない。そのときは、私は本当に死んでしまうのかもしれない」


 私はカバネの唇を見る。白い雪の中に咲く赤い花のような唇。私はそれに初めての感情を抱いた。

 もしかしたら、私がこの唇を見たのは今が初めてなのかも知れない。

 歪むことなくただそこにいるカバネは美しく、怖いほどに繊細だ。


「いつか一緒に笑える日が来るといいね。心から笑える日が」


 ナイフがカバネの手から滑り落ちる。ナイフは石床に当たり、音を立てて転がった。

 カバネが目を閉じる。細い身体から力が抜ける。

 カバネの黒い髪が私の頬を撫でた。倒れ込むカバネを胸で支え、右腕で身体を包み込む。

 カバネの息遣いが耳を掠める。

 安らかな吐息に合わせて、ゆっくりとカバネの背中を擦った。

 その背中は薄く、今にも軋んでしまいそうだ。


「どうしたものかな」


 カバネを片手に抱えたまま苦笑する。

 今日は疲れた。早く寝たい。

 そんなことをボヤいていると、私たちを包み込んでいた氷が次第に溶けていくのが見えた。

 工房の隙間から金色の髪が現れる。

 髪はふわりと揺れると、私の姿を見つけ、駆け寄ってくる。


「ヒソラ、腕」


「たいしたことはないさ。それより、早く帰って何か食べよう。今日は疲れた」


「それもそうだね」


 コサメはハンカチと取り出すと私の腕に巻きつけて止血する。

 もはや左腕は自分のものではないかのようで、放っておけば凍ってしまいそうだ。


「家に着くまで頑張ってね」


「ああ、大丈夫。死にはしないさ」


「死神だもんね」


「そうだな」


 コサメがカバネの身体を担ぐ。

 カバネは細いが、コサメは小さい。黒ずくめを担ぐ小さな身体は悪霊に憑りつかれた小人のようだ。


「大丈夫?」


「大丈夫に見える?」


「ご苦労様です」


「後でライラに代わってもらうよ」


 重たい身体を引きずりながら歩く。

 力を使った反動だろうか。私の身体は酷く重く、腕を上げるのもままならない。

 正確にはその気力が沸かないと言うべきだろうか。

 私は今すぐここで寝てしまいたい衝動に駆られながら、無理やり足を動かして工房の外へと出た。


「おめでとう、ヒソラ」


「ありがとう。何とか生きてるよ」


 工房を出ると、そこにはセーハたちがいた。

 私は祝福のようなものを受けると、ふらふらと見晴らしのいい通りに出た。

 そこからはリベルの中心街が見え、相変わらず奇妙な建物たちも一望できた。


「ああ、この街は上るために下らないといけないのか」


 小言が冷えた空気に溶けて消える。

 はらりと白いかけらが私のまぶたを掠めた。


「雪だ」


 空を見上げると、無数の雪が舞い降りていた。ひとつ、ふたつと雪が私に当たっては消える。


「寒いわけだ」


 雪はリベルの積み木のような建物にも舞い降りていく。

 ゆらりゆらりと落ちていく粒はどこまでも白い。

 私はその落ちていく様を見て、白とはこんな色だったのだと思った。

 そして、この街は随分と灰色だったのだと気付いた。

 私は再び道を下り始める。雪の日の街は静かで、耳が冴える。


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