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窮屈剣 遠野遣り 下

「で、何で俺なんだよ」

 さほど間を空けずに善兵衛宅に呼び出された吾市郎は、不機嫌極まりないという様子を見せている。が、呼び出した当の本人はどこ吹く風だ。

「おとらさんは、首を絞められて死んでいたらしい。殺されたんだね。ということは、下手人がいるわけだ。まあ、恨みを買わないことのほうが少ないような人だったからね。大往生できるとは思っていなかったが」

「だったら別にいいじゃねえか。長屋も静かになって万々歳だろ」

「けどねえ。長屋の中に下手人がいるってのは、どうにもよくないねえ」

 何を言ってやがる、と心のうちで吐き捨てる。吾市郎を含め、裏の稼業に手を染めている人間が、長屋にどれほどいると思っているのか。しかもそのすべてが、この悪徳大家の手の内だ。

「あたしは彼女とはそこそこ長い付き合いだったんだが。あれでもね、昔はなかなかの器量よしだったんだよ。多少お高く留まったところはあったけどね。皆から恨まれるような、そんな娘じゃあなかったよ」

 そこそこの商家の娘であったらしい。が、嫁入りを前にして家が取引を大失敗し、没落。それから水商売やらを転々としつつ、苦界には堕ちないすれすれのところで、何とかやってきたらしい。そのうちに歳を取り、容色も衰えて、蓄えもなく先の暮らしに困っていたところを、昔の誼で善兵衛が品方長屋に住まわせたのだそうだ。

「私が知った頃には、もう気難しい質になってたけどね。あれほどじゃなかった。ああなったのは、この長屋に来てからさ。彼女にとってはここがもう、最後の生きてゆける場所だったんだろうねぇ」

「それを散々っぱら利用したのがあんただろうが」

「否定はしないよ。だがそれでも、彼女にとっては助けだったろうと、あたしゃお天とさんに顔を向けて言えるがね」

 縁側に腰掛けている善兵衛が、庭先の吾市郎へずい、と上半身を乗り出してくる。

「これだけは言っておくがね、吾市郎さんよ。あたしは決して、あのおとら婆さんが嫌いじゃあなかったよ。他のみなとは違ってね」

 吾市郎は微動だにしない。小柄な町人である善兵衛だが、身体が大柄でもと侍でもある吾市郎が気圧されるときが時折ある。今がそれで、それを顔に出さぬよう、吾市郎は耐えていた。

「だからこれは、あたし善兵衛から五一六ごいちろくへの依頼だよ。十四番部屋の住人、雨龍斎を斬っとくれ」

 最早受けるしか、五一六こと吾市郎には選択肢がなかった。



 深藍の装束を着込む。裏稼業、五一六の仕事着だ。装束には、様々な細々とした道具が隠せるようになっている。それらの一つ一つに、必要な道具を詰めてゆく。

 吾市郎は考える。住処をどこに構えるのか。それは大事なことだ。殊に町人は、どこに住むかを己たちで決める。役宅暮らしをする武士とは違う。

 住まいは快適な方がいい。雨漏りはしないほうが嬉しいし、隙間風だって吹き込んでこなければずっといい。畳敷きの部屋が一つは欲しいし、歩くたびに棘が足裏に刺さる床板は勘弁して欲しい。

 だがそんなものよりずっと大事なのは。隣人や近所に住まうものたちがいったいどういうものであるかだろう。

 隣人が親しみやすく、騒動を引き起こさないものたちばかりであるなら、それ以外の不便には耐えられる、と吾市郎は思う。だがその逆は、ありえない。

 長屋。人が集う場。隣人付き合い。近所付き合い。

 鮨詰め。薄い壁板。削られる個の空間。

 隣人は、選べない。住む場所だって、選べるとは限らない。

 ただ一箇所に集い集って。その結果引き起こされるのはいったい何か。

 人だけではない。どんな動物でも同じだ。引き起こされる事態など、決まっている。

 すべての人が手を取り合って。互いに仲良く。ラブ、アンド、ピイス。

 できるものならやってみろ。その隣人を愛してみやがれ。

 手ぬぐいを顎に巻きつけた。

 倉を出る。そのままするりと、影も残さず。吾市郎は西棟へと回る。

 戸板の前に立つ。眠っていてくれれば仕事が楽に済むのだが、そのざまでは武芸者は名乗れなかろう。戸が薄く引き開けられると、鞘をかぶせぬ大振りの穂先が突き出される。

 吾市郎はすでに、戸から大きく距離を取っている。手足の筋骨逞しい雨龍斎がぬうとばかりに姿を見せる。

 闇に慣れた目が相手の得物を捉える。槍だと思ったがちょいと違う。穂先は板のような広がりを持ち、柄の長い大鉞のようだ。

 それでいて、先端からは槍のごとき刃も突き出ている。いわば斧と槍を掛け合わせたかのような形で、斧頭の逆柄からはまた一本の刃が突き出ている。あれはおそらく十文字槍と同じ仕組みで、槍を手元に引き寄せるときにも切り裂けるようになっているのだろう。

 張刃刀はるばとう。確かそのように呼ばれる武器であったと記憶している。南蛮渡りの長柄武器だ。

 近頃は珍しい武器に縁があるなと思いつつ。鯨髭で編まれた線糸を繰る。暗器と飛び道具を扱う吾市郎にとって、長柄は対処がしやすい武器だ。取り回しの利く刀や小太刀の方が、相手をするのは難しい。

 だがそれもこれも。すべては相手の技量次第。

 線糸を飛ばす。糸の先には重量のある金具がついていて、いわば鎖分銅と同様の働きをする。吾市郎の技量でこれを撃てば、手首や肩骨を砕き、頭蓋を割る。

 男はこれを受けずに体をかわす。吾市郎は手元に引き寄せる。

 曲線を描き線糸が追う。張刃刀の柄。弾かれる。

 踏み出す雨龍斎。張刃刀の柄は立てたまま。悪寒と予感。範囲から対比する。

 暴風。斜めに巻きつけるような撃ち下ろし。通常、長柄は正中か頭上に構える。なのに男は柄を常に立てたまま。

 吾市郎の予測。穂先の重さは、いかばかりか。

 斧頭の連撃。重さを活かし、次へ繋ぐ。振り下ろしから、地を擦っての横薙ぎ。振り上げ。そしてもとの構えへ。

 だが隙は大きい。絶好の鴨。

 左袖から小柄が飛ぶ。必中の間合い。

 雨龍斎が手の中で柄をぐるりと回す。広幅の刃がそのまま盾となる。ただそれだけの絶対防御。

 穂先が擦り上がって来る。逆の鉤刃。足払い。横に跳んで避ける。

 過ちを正す。隙が多いなどととんでもない。とてつもなく完成された武器。そして技量。

 線糸を飛ばす。狙いは柄。絡め取る。吾市郎と雨龍斎の力比べ。

 雨龍斎が捻り、手元に引き戻す。柄を滑らされる糸。鉤刃が絡みついた糸を切断。なるほど。

 そのときには吾市郎は左腕に仕掛け弓を展開している。

 射撃。半身になり、すれすれでかわす雨龍斎。

 短矢の一本を宙に投げる。バツクステツプ。雨龍斎の突きが追ってくる。

 吾市郎の横回転。回し蹴りの要領で、斧頭を蹴りつける。広い刃の弱点。横からの強い打撃。

 体勢を崩す雨龍斎。短矢が落ちてくる。その先に左腕の仕掛け弓を差し出す。慣性と遠心力。弓弦は自動で引き絞られる。

 再装填リロオド

 放たれる二射目。射線上にある、見開かれた雨龍斎の右目。

 とすり、という軽やかな音。仕事が完了した合図。

 巨体が倒れる。一緒に倒れかかった張刃刀を、何とか寸前で受け止めた。

「もうちっと、軽く生きれりゃよかったのによ」

 ゆっくりとその得物を遺体に立てかけてやる。誰が悪かったのか。吾市郎にはわからない。

 わかっているのは。揉め事こそが己の仕事の種だということだ。



「もしかして、兄さまは水笠さまがお嫌いなのですか」

 半眼でお幸がそう問うて来るのは、吾市郎があまりに頻繁に、乃蔵との面会を避けるからだ。

 もちろんお幸とて、兄が気を回してそうしているということくらいわかっているのだが、あまりに露骨なのでもしや、と思ったということらしい。

「俺の知る限り、あれほど立派なやつもなかなかいねえ」

 そう言うと、したりとばかりにお幸が頷く。

「ええ、ええ。もちろんそうでしょうとも」

「だが、立派な人間の傍というのは、立派でない人間には息が詰まるものだ。わかるか、お幸」

「……」

 妹の半眼が四分の一眼くらいになる。かなり不味い兆候だ。吾市郎は腰を浮かした。

「人付き合いとはままならぬものだな。人と人とは、つかず離れず、適度な距離を保つのが最もよいのだ。だからまあ、乃蔵のやつとも、ほどほどがいい」

「兄さま」

「お幸はどこに出しても恥ずかしくない、立派な妹だからな。乃蔵とよろしくやってくれ。俺はあいつの土産の、酒だけ貰えりゃいい」

「兄さまっ!」

 この時点で吾市郎はすでに立ち上がり、表戸に手を掛けている。お幸が木刀を手に立ち上がった頃にはもう、表通りへと飛び出していた。

「兄さまっ! 今日という今日は、その腐った性根、叩きのめして差し上げます! そこに直られませ!」

 そんな怒声を背に、吾市郎は悠々と逃げを打つ。兄の心妹知らずとは、まさにこういうことだ。

 難しいねえ、人同士ってのは。そんなことをごちながら、びんぼう通りを歩く。

 長屋には今日も、人どもがひしめきあっている。



(完)


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