旅立ち
翌朝、エリーサは体を揺さぶられる感覚で目を覚ました。
「おはようございます……」
未だにハッキリとしない意識で目を開くと素体人形が所在なさげに佇んでいる。声を出す事ができない人形がエリーサを起こす為に揺さぶったようだ。
「身だしなみを整えたら夕食を食べた食堂に向かいます。それでよろしいですか?」
エリーサの質問に素体人形は一礼すると去っていく。どうやら正解らしいとエリーサは考えながらもベッドから起き上がり窓の外を眺める。昨夜の嵐が嘘だったように外は晴れ渡っていた。
「良い天気ね。これなら無事に帰れそう」
呟きながら蛇口から水をだして顔を洗うと、昨日までは何もなかったテーブルの上に歯を磨くためのブラシと塩が置いてある事に気が付いた。まるで王都にある最高級の宿を連想するほどの待遇に、エリーサは改めてエアハルトの居城に居る事を意識してしまう。
「狂王エアハルト・ライヒェンベルガー……。『触れらざる者』でありながら、まるで貴族のよう優雅な立ち振る舞い。いえ、王族というべきかしら? どちらにしても噂通りではなかったわね」
準備ができたエリーサは食堂へと歩みを進める、廊下に出るとすぐにコーヒーのいい香りが漂っていること気づいた。どうやらエアハルトはエリーサが迷わないようにと食堂の扉を開けているようだ。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
扉の前でエアハルトに挨拶をすると相変わらず上機嫌そうな声が返ってきた、それに微笑んだエリーサは食卓に着くと静かに神に祈りをささげた後で食事に手を付ける。
「食べながらで良いのだが聞いて欲しい」
エリーサが頷く。
「まずは、これが約束した月の雪のインゴットだ。二つもあれば十分だろう」
エアハルトは懐から二つの大きな塊をテーブルに置いた。その大きさはどう考えても彼が着用している法衣のような服装の内側に収まる大きさではないのだが、エリーサはエアハルトが収納魔法のようなモノを使用したのだろうと判断した。もちろん、当たり前というべきなのか魔法が発動した気配はないのだが……。
「そして、こっちが吸血族の事を記録してある本だ。著者は当時のソシュール正教会に所属していた高位神官だ。私の知る限りもっとも信頼のおける本だな」
再びかなり厚みがある本を懐から取り出すエアハルトにエリーサも思わず苦笑をもらす。その表情を見たエアハルトは一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに自分の行動に思い至ったらしく意味ありげに微笑む。
「いつでも物を取り出せる便利な魔法だよ。ところでエリーサ、実は頼みがあるのだが」
「なんでしょうか?」
「王都まで同行したい。どうやら王城にはフェルモがいるようだし、そろそろこの国の王にも再び挨拶が必要だろう」
「城からでるのですか!?」
思わず大声を上げたエリーサをエアハルトは不思議そうな顔で眺め、まるで『そこまで驚くような事か?』という表情をしている。だが、エリーサの方はあまりの衝撃に戸惑っていた。300年もの長きに渡り一切動きのなかった『触れらざる者』が自分と行動を共にする。つまり見かたをかえればエリーサが原因で『自然現象』がハルストーン国内をうろつくのだ。
「迷惑はかけない」
一緒に行動されるだけで迷惑だという事を理解していない狂王にエリーサは溜息をつきそうになるが堪える。実際の所自分には拒否権が無いのだ、一介の冒険者ごときが彼を止める事などできない。むしろ昨夜はエアハルトと共に旅をしたいと思ったではないか。
それに『触れらざる者』と短期間でも行動を共にしたという事は箔にもなる……、よくよく考えれば利点しかない。
「わかりました、では王都までご一緒しましょう」
「感謝する」
エアハルトは許可が出たことに内心で喜んでいた、仮に拒否された時の為に用意していたエリーサを冒険者として雇う為の古い金貨も現在では使えるかわからないからだ。そしてそこまで考え思わず不安になる。もしや今の自分には現在の世界で使える資産がないのではないかと。
「エリーサ、質問なのだがこの金貨はまだ使えるかね?」
エアハルトは用意していた金貨をエリーサに見えるように差し出した。
「見たことない金貨ですね。ちょっと失礼します……、金槌の刻印? まさかドワーフ金貨ですか?」
「あぁ、そうだ。私の手持ちの金貨はそれしかない」
「使えることは使えますが……、今の貨幣価値だとこれ1枚で王国金貨60枚です。通常の取引でお使いになるのは相手が困ると思いますが」
「ふむ、換金が必要というわけか」
「そうですね、ドワーフ金貨は美術価値としても高いですからコレクターに人気でほぼ流通していません。王都に行く前に一旦、私の依頼達成報告で北部辺境領の城塞都市に向かいます。ですからそこで換金なさっては?」
「そうしよう」
心配事が杞憂で終わったエアハルトは安心したように金貨を手に取り、自然な動作でそれを握ると次に手を開いたときには金貨はどこにもなかった。そんな不思議な光景を眺めつつエリーサは彼に質問する。
「素体人形はどうするおつもりですか?」
「ふむ、お前はどうしたい?」
食後のコーヒーを淹れていた素体人形にエアハルトは問いかける。人形はコーヒーカップを置くとなにやら身振りで意思表示を始めた。
「ふむ……」
「わかるのですか?」
「いや、まったく」
エアハルトの答えに素体人形は悲しそうに肩を落とす。しばらくそのままで固まっていたが突然再び動きだすと2人に一礼してから食堂から出て行ってしまった。エリーサは人形が出て行った扉を見ていたが気をとりなおしてエアハルトに話しかけた。
「私は部屋から荷物を取ってくればすぐに出れますが、エアハルトの準備は?」
「私もすぐ出れる。必要なものは全てここにあるからな」
エアハルトは微笑みながら自分の懐に手をいれると、その仕草についに耐え切れなくなったエリーサは思わず笑みをもらした。
「それならもう行きましょうか? なるべく天候のいいうちに出発したいです。素体人形も一緒に来るならいつの間にか隣にいそうですしね」
「そうだな、では行こうか」
同時に立ち上がり2人で扉へとむかうと、背後の食卓からカチャンという食器が擦れる音が聞こえて振り返る。
「どうやら一緒に来るようです」
「そのようだ」
エアハルトとエリーサの目線の先には腰につけたベルトに短剣を差した素体人形が静かに佇んでいた。そして先ほどまで確かにあった朝食の食器はすべて綺麗に消えていた───。
次回から旅!(`・ω・´)