狂王エアハルト・ライヒェンベルガー
吹雪の中、1人の女が歩いている。すでに日は沈み、彼女がいる山の谷間はただでさえ低い気温をさらに下げ始めていた。
「マズイわね。完全に方向が分からなくなった」
地図を取り出しながらぼやくが状況は何も変わらない。だが、何かに気づいたように顔を上げるとその眼には驚愕とわずかな動揺が揺らいでいた。
「冗談でしょ……、狂王の城が見えるってことは予定のルートより50キロも北にずれてたの?」
女は後ろを振り返り自分の足跡を探すが、すでに雪に埋もれてわからなくなっている。日も沈み、吹雪の勢いが強まっていくこの状況で来た道を引き返すのは確実な死を意味する。
「引き返して死ぬよりは、少しでも可能性がある方に賭けたほうがよさそうね」
意を決して前に足を進める。黙々と前を見て進みながら彼女は城に住む者の名前を思い出していた。『エアハルト・ライヒェンベルガー』、推定年齢1200歳。推定種族、吸血鬼。300年前の大崩壊の際に配下の吸血鬼軍を率いてハルストーン王国防衛戦に参加。
たった120名で防衛ラインに押し寄せた30万近い魔物を殲滅、だが突如として乱心し配下の吸血鬼を皆殺しにした。その後、大陸連合から『触れらざる者』に指定される。指定前に提示されていた討伐依頼の合計金額は白金貨30万枚。
「だが不思議な事に、なぜライヒェンベルガーが討伐対象だったのかを示す書類は大崩壊の際にすべて紛失している……。結局なぜ配下を殺したのかも、なぜ討伐対象だったのかも、それどころかそもそも本当に吸血鬼なのかもわからないなんてどうかしてるわね。まぁ、そんな所に一晩とめて欲しいなんていう私もどうかしてるか」
城の扉前で自らの愚行を嘆くように溜息をついた後、心を決めて扉を叩く。
「私は冒険者のエリーサ・リンタネンと申します! 収集依頼中にガルム山脈で遭難しました、どうか一晩の宿をお願いします!」
エリーサが言い終わるとの同時に扉が開く。一瞬身構える彼女だったが、直ぐに自分程度の腕には厄災級といわれる『触れらざる者』の相手をできない事を思い出し、掴んでいた剣から手を放した。城の内部は真っ暗だったが、エリーサが中に足を入れると壁にあるランプ灯り一部の通路だけを照らす。
「明かりがある方に行けばいいのよね?」
足音を響かせながら明かりを辿って歩く。吐く息は白いが外と比べると暖かい。エリーサはこの程度なら死ぬことはないとぼんやりと考えていたが、ふといい香りがしてくることに気が付いた。
「ワイン?」
疑問に思いながらも足を進めると明かりが漏れている部屋の前につく。先にも通路が続いているが壁のランプはここで途切れている。つまりここがゴールで良いのだろうと彼女は判断した。控えめにノックをする───。
「どうぞ」
男性の声が返ってくる。
「失礼します……」
エリーサが室内にはいると1人の男が背中を向けて立っていた。どうやら暖炉の上で赤い何かをかき混ぜているようだ、エリーサはほんの少しだけその赤い液体について嫌な想像をしたが、部屋に漂っている上質な赤ワインの匂いを嗅いでその不安から解放された。
「適当に掛けたまえ、ちょうどホットワインができた所だ。この吹雪だ人間の君には辛かっただろう、まずは体を温めるといい」
振り返った男は陶器にいれたホットワインを差し出す。ワインを受け取りつつもエリーサは生きて帰れた時にギルドへと報告するために男をつぶさに観察する。身長は180㎝程度、髪は肩口までくらいだが後ろに撫でつけている。顔はギルド支給の『触れらざる者』の冊子に書かれている通りに、色白でエルフの女性のような美しい顔をしている。だがこれは吸血種特有の退廃的な美しさというべきだろう。
「フッ、君のように美しい女性に熱のこもった目で見られるのは嬉しいが、先にそれを飲むといい。色々と聞きたいことや観察したいことがあるだろうがね」
「も、申し訳ありません。頂きます」
受け取ったワインを口に含んだエリーサは思わず目を見開いた。その味は彼女が今まで飲んだどのワインよりも美味しかったのだ。男の方はイタズラが成功したのが嬉しかったのか微笑みながら手渡したワインの説明をする。
「それはシュワールツ公国のワインだ、人間的に言えば649年物の赤ワインだよ。恐らく世界で現存しているのは私の持っている分だけだろう」
「シュワールツ公国!? あのドラゴンの襲来で滅んだ国ですか?」
「ドラゴン? いや、あの国が滅んだのは継承権が絡んだ暗殺とそれが元で起きた内紛だ。ふむ……、たしか公国の紋章はドラゴンを使っていたと記憶している、それと混同しているのではないかな」
「そんな……、王都の歴史書には……」
「君たちの文明は大崩壊が起きると極端に混乱するからな、どこかで真実が消えてしまったのだろう。歴史とは意外とそんなモノだよ。そもそもドラゴン達は気の長い種族だ、余程の理由がないかぎり彼らから攻撃するなんてことはしない」
「そうですか……」
思わぬ歴史の真実を垣間見て呆然としていたエリーサだったが、ここに来た目的を思い出し慌てて目の前の男に頭を下げる。
「あの、私は冒険者ギルド所属、S級冒険者のエリーサ・リンタネンと言います。どうか一晩の宿をお願いできませんでしょうか?」
「構わない。なにもない城だがゆっくりしていくといい。そうだ、自己紹介がまだだったようだ。私はエアハルト・ライヒェンベルガー、君たちからは『狂王エアハルト・ライヒェンベルガー』と呼ばれている。『触れらざる者』の一人だ」
わかっていたとはいえ、目の前にいる男が『触れらざる者』の一人だと本人から伝えられたエリーサは思わず緊張で息をのむ。だが、どういうわけか不思議と恐怖は湧いてこなかった────。
新連載がはじまったよ!(`・ω・´)