夜Ⅱ。
171018改変
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通る商人とも交渉をするため街道沿いの村は村長の家が大きいがテッペツの家もその例に漏れず珍しい二階建て建築の大きい家だった。
部屋を出てからここまで誰も口を開くことがないなか、二階へと続く階段を前にしてテッペツが足を止めた。
「先ほどはありがとうございました」
「なんのことですか?金貨が落ちてしまったのは私がしっかりしまわなかっただけですよ」
レイモンドの返答にテッペツが笑い声を上げた。
「そうですか」
「そうですよ」
「ならばもう聞きますまい。さてお部屋は二階になりますので――」
階段を上がろうとしたテッペツを見て、レイモンドは肩を掴みとめた。
「ここまででいいですよ。その足でここは大変でしょ。あとは部屋さえ教えてくれればいいですよ」
「すみません」テッペツが階段からずれた。「でしたら、二階は奥の扉が物置でしてそこ以外でしたらどの部屋でもお使いいただいてかまいません。それで夕食のほうは――」
「ああ、食事も結構。こんなときですし眠れるところがあるだけで十分ですから、明日の朝も特に準備していただかなくてもいいですよ」
「そ、そうですか、わかりました。しかし何か入用になりましたらいつでも仰ってください。できる限り用意させていただきます」
「そのお心遣いだけで十分ですから。それじゃあ」
おやすみなさい、と続けるはずだったレイモンドの言葉をテッペツが遮った。
「あの少々お待ちを」すでに三段ほど上っていたレイモンドは降りることなく振り返るだけだ。
「レイモンド殿、最後に一つだけ」声色が変わった。血を吐き出すような、苦しそうな口調だ。「息子の最後がどうだったか知りませんか?」
「息子さん?」
「ライナーの父と一緒にレイモンド殿が森から連れ帰ってきてくださった――」
「ああ、あの男性ですか」
もう一人遺体としてだが連れ帰ったのは小屋の近くで木材で胸を貫かれた男性のことだけ。簡単に想像がついた。
「・・・・・・はい」
「そうですか、あの人息子さんでしたか」
俯いているため顔は見えないが、目に見えてテッペツが落ち込むのがわかった。
「すみません、テッペツさん。申し訳ないが私も詳しくはわからないんですよ。着いた時にはすでに争ったあとだったようで、もう息子さんは事切れてしまっていた」
「そ、そうでしたか、申し訳ない。こんなことを――」
「――ただ」
レイモンドが言葉を区切るように言うとテッペツの顔が上がった。その顔は威厳のある村長の顔ではなく、一人の父親の顔だった。
「これは私の主観ではありますが、息子さんは逃げて死んだわけではないと思いますよ。私が着いた時点で事切れてはいましたが、たぶんライナー君を逃がすために果敢に立ち向かったんだと思います。私が言うのはあれですが、彼の犠牲の上であの子は助かったことは確かであり、決して無駄な死ではなかったと断言しますよ」
現に斧を持っていましたからね、と付け加えるレイモンドの声など耳には入っていないのだろう。
「そうか、お前は最後までわしの言いつけを・・・・・・。護ってくれたのだな・・・・・・あの子を・・・・・・」
「それじゃあテッペツさん、お休みなさい」
テッペツにとっては少しばかりは救いになっただろうか。返事はない。
今日一度も流さなかったテッペツの涙を見なかったことにして、レイモンドは改めて階段を登り二階へと向かった。
※※※※
パンッと何かが弾けた感覚と共にライナーが覚醒したのは家の扉に手を掛けたときだった。若干の混乱と共に周りを見れば見慣れた風景にライナーは自分が家に帰って来たのだと察した。同時にどうやって自分がここまで来たのかも薄っすらと思い出した。
呆然としていた自分が――無意識に――ここまで歩いてきたことを。考えるまでもなく帰路は体が覚えていた。
ライナーの家は村で二番目に大きい。流石に村長宅より大きくはできないので二階建てではないが、それでもキッチンを除いて八つも部屋のある大きなログハウスだ。きこりの家は皆大きいが、ライナーの家だけが他よりほんの少しだけ大きかった。生前母がキッチンは別にほしいと父にねだったせいで無駄に大きくなった、といつだか父がぼやいたとテッペツに聞いたことがある。
それでも自慢の家に違いはない。しかしこの家ともさよならするのか。今は色々な思い出がこみ上がる。しかし大事なはずのそれを今は考えたくなかった。現実逃避とわかっていても酷く疲れた体が、頭痛の形で拒否し出し、ライナーは考えるのをやめた。
考えをかき消すように頭を振ると、未だ眠っているであろう義母を思い、細心の注意と共に扉を開けた。家の廊下は右の部屋からもれる光りで明るかった。
「・・・・・・ただいま」
返事がないことを確認するように一旦待ってからライナーは、家に入り静かに扉を閉めると、玄関に置かれたロウソク立てを持って右の部屋を目指した。
足音に注意をして光りがもれる部屋に入れば、部屋には誰一人としていなかった。長方形のテーブルに椅子が四つと食器棚に本棚。ライナーから見て正面左にキッチンの入り口があり、右側の窓際奥の暖炉で煌々と薪が燃え、窓とは反対の壁のもう一つの入り口で布がゆらりと揺れていた。部屋はテッペツの家に行く前と何ら変化はなかった。
改めて、まだ義母さんは起きていないんだな、とライナーが思うと床が軋む音が響いた。咄嗟に、身を屈め壁に張りついて中を覗くともう一つの入り口から人が入ってくるのが見えた。暗く何が起きたのかハッキリしないため隠れたが、ライナーにとってはよく見知った女性だ。しかし暖炉の炎が女性の顔を照らしたとき、「義母さん」と口から出そうだった言葉を寸前のところで止めた。
猫のように曲がった背中に、だらんと力なく揺れる腕。髪はぐちゃぐちゃに乱れ盛り上がり、暖炉の炎を映した目はどこか虚ろだ。
義母はそのまま感情も抑揚もない低い声で何かを呟きながらキッチンへと姿を消した。
キッチンから物音が響く中、ライナーは人の知られたくない一面を見たような気がして申し訳なく思ったが、出てきた義母がナイフを握っているのを見てその考えをやめた。
怖い、とライナーは素直にそう思った。義母は出てすぐに立ち止まると、ギョロリと目を開いてナイフの刃を見つめた。
「きょ・・・・・・・さま、・たし・ごか・・」
義母がまた低い声で何かを呟いたのが聞こえた。何を言っているのかわからないはずなのに、ライナーの知識からけたたましく警告を上がり始める。
次の瞬間、義母はにこりと、三日月のような笑みを浮かべた。ライナーは何故か義母と目があった気がした。
「あの黒き髪の化け物に死を」
今度ははっきりと聞こえたその声はいつもと同じ義母の、艶やかで綺麗な声だった。のはずだった。しかし笑顔を見てライナーに浮かんだのは嫌悪感と、危機感だけ。だからライナーは動かなかった。不自然で不安定な体制で、吐く息に注意して体重移動もせずにいると、すぐに汗が床に垂れただした。今動いたら――いや、もうばれているかも知れないが――気づかれる、その一心がライナーを不動の石へと変えた。
義母が再び動き出したのはそれからすぐ。笑みを浮かべたまま入って来たほうから出て行くと左へ曲がった。行き先は予想がつく、一番奥の物置部屋だ。母が使っていた寝室ではなくそこを私室にしたいと言ったとき、どことなく安堵したのを覚えている。
ライナーには全てが長く感じた。のそりと静か移動する義母の足音に聞き耳を立てるとまた汗が顎から落ちた。ぺたんとライナーが座り込んだのは物置の扉が閉まる音が聞こえたから。
落ち着いて初めてライナーの体が震え出した。
ライナーはあの笑みには見覚えがあった。忘れようとしても忘れられないほど痛烈な記憶。木の上で見たオークの笑顔と同じ、受け入れがたい笑顔だ。レイモンドの話を聞いてあの顔は殺すのを楽しみにしている顔だとも知った。そして義母さんは黒髪に死をと言ってナイフを見た。義母さんは、あの人を殺す気だ。
汗が止まらなかった。同時に次第に荒くなる呼吸を、ライナーは無理やり抑えこむと、目を閉じて一度大きく息をした。
これは父の教えだ。慌てるな。大事なときほど落ち着け、と自分に言い聞かせるように呟く。
恩返しなんて思わない。そして事実もそうだ。これは秘密にしなくちゃいけない身内の不祥事だ。それでも誰かを助けるためと思えばやる気も出る。母とオークが重なり、ライナーはレイモンドと自分も重なったような気がした。だから今度は自分があの人のようにあの人を助ける。一呼吸置くと震えは止まっていた。目を開いて見た世界は一変して見えた。
ライナーは賢い子だ。真相はわからないが事実はすぐに導き出した。そしてそれに対する対抗策もすぐに出せる。誰も傷つかなくていい策を。
ライナーは静かにその場で立ち上がると父の寝室へと向かった。
※※※※
コンコンコンと扉を叩く音が家に響く。壁に掛けられたロウソクが廊下を照らす中、ライナーは扉の前で小さなお盆を持って立っていた。お盆にのった木のカップからは湯気が立ち上る。
「か、義母さん、起きていますか?」
声が強張り口の中が粘つく。ここ数年、というより義母が家に来てから、出入りした記憶が一切ない物置部屋の前は少し埃っぽく、カビ臭い気がした。
「・・・だぁれー・・・らぁいなぁーさぁんなのぉー・・・・・・」と、すぐに返事が返って来た。声は低くなかったがノロノロと人を呪うよう垂れる言い方の声にライナーは出てもいない唾を飲み込んだ。
「はい、そうです。ただいま戻りました」
「ちょっと・・・・・・まぁってねぇー」
直後、先ほどまでの静けさが嘘だったように部屋の中が騒がしくなった。物を動かす音に倒れる音。続けざまに何かが落ちる音が聞こえたと思ったら皿が割れる音が響いた。
「だ、大丈夫ですか義母さん?!」
「・・・・・・大丈夫、何でもありませんよ」
今度はしっかりとした声で義母から返事が来ると、パタリと部屋の中の音が止み、足音が近づいてきた。足音が扉の前で止まると、扉が音を立てて開いた。そういえばこの扉は引き戸だったな、とどうでもいいことをライナーが思っている間に扉は頭一つ分開き、中から顔を出したのはいつも通りの義母だった。義母さんは村一番の美人だ。可愛いではなく美しいと表現したほうがいい。美人だからだろう。先ほどの姿を見たせいで、ライナーは尚更綺麗な姿に言い知れぬ恐怖を感じた。
「お帰りなさい、ライナーさん」と、義母がどこか落ち着かない様子で言った。最低限の幅しか扉をあけない辺り部屋を見られたくはないらしい。「今日はずいぶんと遅いんですね」
「は、はい」緊張から上ずった声が出た。「ただいま戻りました。義母さんも起きられたんですね。体の方は大丈夫ですか?」
「え、ええ。心配してくれてありがとうございますライナーさん。ライナーさんの声で丁度起きたところで、先ほどまで眠っていましたからもう痛みもないですし、大丈夫みたいです。ライナーさんの方こそ怪我はありませんか?」
「は、はい。森にいたので、怪我らしい怪我はしていません」
他人行儀な距離のある会話だがいつものことだ。上手い具合に距離を詰められなかった二人の間は未だほとんどの会話が敬語だった。
「そうですか。それはよかったです。それで村の方はどうなったかわかりますか?ライナーさんが居るってことはあの人も帰ってきているのでしょう」
ライナーは最初誰のことだかわからなかった。しかしふと何も知らないのではと思うと、迷うように重い口を開けた。
「は、はい」ライナーがぎこちない笑みを浮かべた。「・・・・・・父さんは、まだ家に帰って来ていません。・・・・・・たぶんまだ集会場に居るんじゃないかと。みんな一緒に居るみたいだから」
ロウソクの火の影になって顔が見えなかったためか、はたまた興味がなかったのか義母が気づくことはなかったがその声は震えていた。嘘は言ってはいない。村の集会場は現在死体安置所として使われており今回の件で亡くなった人間は全員安置されている。しかし父の死について語れば目の前の女性は今すぐにレイモンドを殺しに行くのではないかと頭を過ぎった推測にライナーは自然と口から言っていた。
「そうなんですか?まあ、あんなことがあった後ですからね。それも仕方ありませんか」
「そ、そうですね。今日は色々とありましたからね」
「そうですね。だからライナーさん」口調が変わった。諭すような言い方だ。「あなたの方が問題ですよ。こんな遅くまで出歩いて一体どういうつもりですか?あんなことが起きたんですから、まだ村は危険なようなものですよ。それなのにこんな遅くに帰って来て」
「そのことについては・・・・・・はい、ごめんなさい」
自分に非があることを認め謝罪すればそれ以上の叱咤は来なかった。
「はあ。分かっているならもういいませんけど、次からは気おつけてくださいね」
「はい」
ライナーは顔を下に向け答えたあと、手に持ったお盆を思い出して再び顔を上げた。
「あ、それでこれテッペツ先生が義母さんにって」ライナーは木のカップを見えるように持ち上げた。「今日は色々あって疲れただろうから、疲れがとれるものと痛みを和らげる薬草を混ぜた特製ハーブティーだそうです。少し匂いはキツイかもしれにけどよく効くと言ってました」
「あら、そうなんですか。丁度喉も渇いてきたところだったからありがたくいただくわね」お盆ごと渡すと、義母が片腕だけ出して受け取った。その間も覆うように隙間に立っていたため部屋の中は見えなかった。「それでライナーさん何度も言うようで申し訳ないのだけど」
「分かってます」ライナーは部屋から一歩離れた。「言われたとおりこの部屋には近づかないようにするので。でも父さんが戻ってきたときには寝てるようでしたら一応起こしに来ますね」
「・・・・・・そうね。ならお願いしますね。あと今日はいつもみたいに遅くまで本を読むのはだめですよ」
「分かりました。そうしますね。じゃあお休みなさい義母さん」
「ええ。ライナーさんもお休みなさい」
ライナーは一礼するとその場から離れた。廊下を一度曲がった辺りで背後から扉の閉まる音が聞こえた。途端にライナーの体からゆらりと揺れ壁に体をぶつけると、ダッと頭から汗が吹き出た。
座り込むことはなかったが荒い息を繰り返すと、辛そうにため息をついた。
「こんな強い薬よく父さんは服用してたな」ライナーの顔が苦痛で歪んだ。「少し湯気を浴びただけでこんなに眠くなるなんて。通りで用量を守れって言うわけだ」
一つは動物の罠用の遅効性のもの。これが疲れに効く毒草で。もう一つが対人用の即効性のもの。こっちが疲れを和らげる毒草だ。それぞれここでは加工してもただの毒だが、二つ合わさると強力な睡眠薬となる。あとはこれを今夜中に飲んでもらえばいい。
「テッペツ先生に迷惑がかかるかもしれないけど仕方ない、あとで謝りに行こう。でもこれで義母さんが寝るはず。ふう。・・・・・・あとはレイモンドさんが村を出るまでそのままぐっすりと眠ってもらえば何事もなくすむ」
苦しさを抜くようにもう一度ため息をつくと、今度こそライナーは完全に腰を降ろした。あとは待つだけだった。
レイモンドさんか――壁に立てられたロウソクの火を見ながらライナーは思った。今日色々なことを教えてくれた。オークのことも、その対処も、きっと世界を旅して多くのことを知ってるんだろう。来年村を出て行くことは理解していた。しかし決心はしていなかった。今の状況でも知識は十分に手に入れられると思ったから。だが勘違いだと改めて突きつけられた。全てを知った風でいたがそんなのただの勘違いだった。そう考えた時点で、僕の決心は決まってた。あとは切っ掛けさえあればよかった。そうだ・・・・・・これはきっかけだ。そうなんだ・・・・・・。
ライナーはうつらうつらと頭を振り、物思いに耽っていると強制的に覚まされた。廊下に扉一枚隔てた向こうから人が倒れる音がした。思惑通り義母が睡眠薬入りのハーブティーを飲んだとライナーは理解したが、思惑以上の結果も同時に呼んだ。
次々と何かが倒れ、落ちる音がした。連鎖的に続いたそれは最後にガラスが割れる音がして止まった。誰が聞いてもまずい音だった。
ライナーはすぐに立ち上がると物置まで行き扉を叩いたが返事はなかった。ライナーの顔が青くなった。すぐに取っ手を掴んで扉を押すと鍵はかかっていなかった。すんなりと扉は開いたものの、頭一つ分程度ですぐに止まった。
慌てて中に顔をねじ込むと部屋は散乱しきっていた。それよりも義母さんと部屋を見渡せば義母が扉に突っかかり床に倒れていた。一気に血の気が引いた気がして顔は真っ白になったが、耳を澄ませば寝息が聞こえ、近くには木のカップが裏返りまわりにお茶がこぼれていた。
ホッと息を零し部屋をあとにしようとしたとき、部屋の奥、黒い何かのマークが縫われたタペストリーの前、火の灯ったロウソクが置かれた台の上にナイフが置かれているのが見えた。それだけじゃない。壁に打ち付けられた棚には瓶が置かれ、床の上にも瓶が幾つも転がり中身が出ていた。光源が小さく目が慣れるまではっきりとは見えていなかったが、壁の瓶には液体付けにされた植物や昆虫、果ては毛すら生えていない動物の赤子まで色々なものが瓶詰めで置かれ、床の瓶からは何かの生き物の眼球が、近くに置かれた収納箱からは何かの骨が見えていた。
しかしそれすらも生ぬるいと思えるものをライナーは見つけた。台の上、ナイフの横に置かれた紅い色をした毒草だ。円形の分厚い実のような葉をした毒草の、本来の効果としては下痢や嘔吐、軽い発熱程度の、それもある程度食べなくてはいけない弱いものだ。しかし一旦茹でて火を通し緑から紅へと色が変われば毒性は跳ね上がる上に致死量も爪の先程度で済む。それが紅い状態で置いてあった。
ライナーは震える奥歯をかみ締めた。
あれは恐怖の対象だった。実際に一度だけ見たことがあった。思い出すだけでも怖い。熊はあれに触れただけで苦しみもがき、血を噴出して死んだ。義母さんは本気で殺す気だ。あれは触っただけでも人が死ぬ。だから根絶やしにしたはず“だった”。
あれ一つで身内の不祥事と言える状態を一気に飛び越えた。父さんがいない今、村長に言わなければいけない。
ライナーは扉を静かに閉めた。じっと閉まる最後まで紅い草から目を離すことはなかった。