8
私は毎日、先輩達の暮らす家の前にいました。雨の日も、晴れの日も、雪の日も。ただただ見ていました。
ファンの方にばれると面倒なので、変装をしました。
ずっと先輩を見ていました。
先輩の影がカーテン越しに見えるだけで、私は至福の時を感じられました。逆に、羽山さんの姿を視認するだけで、私は涙を流しました。
今気付いたことですが、もしかすると私はストーカーだったのかしら。その時は夢中だったので、気が付きませんでした。
家に帰ると、ふと先輩の声が恋しくなって、電話をかけました。その時、私は先輩達に新しい電話番号を教えていませんでした。今も教えていません。
家の黒電話を使い、毎日先輩に電話をかけました。何かを喋ろうと思っても、上手く言葉が出ませんでした。もう先輩は羽山さんのものだからです。
今更私が何かを言っても、それは空しく響くうわごとに過ぎません。無言電話をかけました。先輩の声が聞ける度、私は嬉しくなりました。
しばらくして、私はまた先輩達と出会いました。それは丁度先輩の新作ができた時です。出版社で噂があったので、正式に祝いに行こうと思ったのが失敗でした。
先輩は私を前にすると、とても嬉しそうに笑いました。それから、
「久し振りだね。そういえば、俺達の結婚が決まったよ」
そんなことを告げたのです。私の内心はぐちゃぐちゃになりました。表面上では冷静を貫いてはいますが、内面では阿鼻叫喚の地獄が生まれていました。
「結婚式のスピーチをやってくれないか? 俺が一番信用しているキミになら、任せられる」
私は首を横に振りました。
口を開けば泣きそうで、喋ることすらままなりません。先輩は若干残念そうにしつつも、式の日取りを教えてくれました。是非とも来てくれというのです。
先輩が言葉を発する中、私はそれを耳に入れていませんでした。呆然と立ち尽くすのみです。しばらくしてから、羽山さんがやってきました。彼女も人のよさそうな笑みを浮かべて、私に先輩と同様の事を尋ねました。
「私の友人代表のスピーチ、お願いできるかしら?」
「おいおい。俺の頼みを断ったばかりなのに、承諾してくれる筈がないだろう」
「あら、そうだったの。ならしかたないわね。別の人に――」
私は羽山さんの声を遮るように、受けますと叫びました。私の台詞を聞き、先輩がそりゃないよと呟きました。羽山さんは数度微笑んで、ありがとうという礼をくれました。
私は笑いました。引き攣るように、笑いました。最後に私は一矢報いることにしたのです。暗い喜びが、私の心を満たしました。
翌日から、私はこれを書いています。
この文章には私の全てが包まれています。この文字の一つ一つには、私の憎悪に満ちた思いが込められているのです。
一文字一文字が呪いであり、一文字一文字が恋文なのです。
貴方はもうすでに私の心を知りました。そして、この遺書は貴方の心に刻まれるものとなりましょう。
考えても見てください。先輩を構成する要素に、もはや私が完全に含まれているのです。表面上、貴方は羽山さんの物。ですが、内面はどうでしょうか。
先輩は言ったでしょう。文字の素晴らしさについて、語ってくださったでしょう。私は文字を使って、貴方の私になろうと思います。
どうして私が先輩の頼みを断り、羽山さんの話をお受けしたのか。もうお分かりでしょうが、私の言葉でお伝えしましょう。足を引っ張りたかったのです。
彼女は私に頼っています。ですが、いざ式当日になっても私は現れません。そうなれば、どうなるか。羽山さんの友人代表のスピーチがなくなります。
他の方に頼まれても、あらかじめ考えていない文章など高が知れます。羽山さんと先輩の式を台無しにするのです。
当日、私は式には行かず、死のうと思います。どこで死のうか、私は迷っていました。
しかし、この文章を慌ただしく書いていると、どこで死ぬべきかがはっきりと分かりました。……桜です。
私は桜で死のうと思います。
先輩が最も美しいと評した桜。
私はその桜の風景の一つとなることにいたします。桜で首を吊って、静かに息を引き取りましょう。
貴方を呪って、羽山さんを呪って、私は死にましょう。
読むに堪えない私ですが、それでいいのです。美麗な文章など、私には似合いません。
思い出の桜で死のうとは思いましたが、鳥取は遠すぎます。先輩の近くにいたいので、家の近くの木で、死ぬことにいたします。
先輩が私の物ではないことと、先輩の作品が読めなくなることだけが心残りです。
以上で、この作品は完結です。
ありがとうございました。