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作品が嘘のように売れ始めたのです。テレビ出演のせいでしょうか。私の作品が更に売れていきました。この時の売り上げは、私、羽山さん、先輩の順でした。
作品が売れても、私の気持ちは黒色に染まっていくばかりでした。評価されたい訳じゃない。この作品は報われてはいけない作品だ。
自分の作品よりも先輩の作品を評価するべきである。私は常にそう思っていました。
テレビの影響力というモノは凄い物で、私の作品はどんどん売れていきました。話がスムーズに進んで行って、映画化が決定しました。
先輩は凄く褒めてくださいました。それが映画化で最も嬉しかった出来事です。映画化に伴い、私は再びテレビ局に呼び出されました。
美人作家で有名な、などという煽り文句をつけられたりもしました。今回は、私は意気揚々とテレビに出演することに決めていました。
これを機に先輩の小説を評価して貰おうと考えたのです。いくらあの下種な司会者とて、売れっ子作家の話を無下にはできないことでしょう。テレビで先輩の小説について、軽く触れるだけでいいのです。そうすれば多くの人が興味を持ち、先輩の本を読む筈。
一度読めば、それでその人は先輩の話のファンになることは明らかです。
私には絶対の確信がありました。それは先輩への高い信頼がなせる技だったのでしょう。ともかく、妄心的に貴方の作品を信じていました。
二度目のテレビ出演だというのに、私の心は冷静の極致でした。
さて、いよいよ番組の収録が始まります。番組は大体の構成は決められているものの、基本的には好きに喋っていいようです。司会者が上手くリードしてくれると、番組のスタッフさんは言いましたが、私は信用していませんでした。
案の定、司会は作家にするような質問はしませんでした。それは想定内の事でした。私はあらかじめ決めていた受け答えを機械のように言って、機会を待ち続けました。その機会は意外なことに、司会が持ってきてくれました。
「そういえばさ。前キミと出てきてくれた人たちはどうしてんの?」
これは好機でした。先輩の話を話題にするため、私は慌てて語りました。
「先輩は新作を書いていますよ。それはとても素晴らしいものでして――」
私はあくまで自分の話の一環として、貴方の事を話しました。そうしなければ、番組関係者の方に申し訳なかったのです。けれども、私は先輩の話をきちんとしました。
先輩の小説の良い部分、先輩の人柄、そういう物を必死に語りましたとも。すると、私の話を聞いていた司会の表情が少しずつ曇っていくのが分かりました。
彼は若干苛立った様子で、
「でもさあ。キミの先輩の話、一応読んだんだけどさ。あれ、全然面白くなかったよ? キミの話の方が数百倍面白いね!」
もしかすると司会にとって、それは褒め言葉のつもりだったのかもしれません。しかし、です。私にとって、その言葉ほどの侮辱はありませんでした。彼は言ってはいけない言葉を発してしまったのです。
一言で言ってしまえば、私は激怒しました。突発的な怒りでした。反射的な憤慨でした。憤怒の色を露骨に表わし、私は言葉の限り司会に反論しました。
それまで静かだったゲストが急に怒り出し、司会としては混乱したことでしょう。また、私の言葉が多かったせいで、彼はろくな返事もできないようでした。
茫然となる番組の中、私の怒りは収まる所を知りませんでした。司会が土下座する勢いで謝罪するまで、言葉の続く限り非難したのです。先輩を非難したのですから、当然の報いだと思われました。
それから司会は大人しくなりました。
私にとって都合のいい番組展開がなされるようになりました。よい宣伝ができたと、私は満足しました。満点の宣伝だったことでしょう。
やがてその番組が放送されました。先輩はそれを見て、苦笑していましたね。何もここまで俺の事で怒らなくていいのに、と。羽山さんは司会の鼻を明かせて喜んでいました。
今回に限り、先輩自身の感想はどうでもよかったのです。ただ先輩の作品が注目されればよいのですから。その結果は予想通りの物となりました。
視聴者の皆様が、ここまで必死に語るのだから一読してみようと思ったらしいのです。
そのお陰で、先輩の本が飛ぶように売れ始めました。最終的にはベストセラーの一つとして、数えられるものにまでなりました。ファンも増え、ドラマ化までとんとん拍子で決定してしまいました。その時の売り上げは先輩、私、羽山さんの順番でした。
私は幸せでした。先輩の本が売れたのは、貴方自身の能力の高さ故でしょう。ですが、売れるきっかけを作ったのはこの私なのです。
今の先輩というのは、私なしでは語れません。
そう思うと嬉しくて、嬉しくて。思わず喜びのあまり、顔が弛緩してしまうのです。それでも私の心は昔のようには満たされませんでした。
もはや先輩は羽山さんの物。私の介入する隙などなかったのです。私達三人が外を歩くと、いつもそれを思い知らされました。
テレビに二回出ている私は、外に出るとサインを求められる人となっていました。先輩も同様です。羽山さんのファンもいたのでしょう。私達の周りには人が集まりました。
なまじ容姿が良いだけに、羽山さんの所などには行列ができたことさえありました。まあ、それでも所詮は作家さん。数は知れていました。
私がいつものようにファンの方に絡まれていると、先輩と羽山さんだけが先を歩いていきました。もちろん、先輩は優しい方なので、すぐに気がついて待っていてくれます。
それが嫌だった。
その状況になると、私は一人ぼっち。先輩は羽山さんと二人きり。すると、周囲の人は先輩方をカップルとして認識します。それが嫌でした。
元々カップルなんだから、何をいまさらと思われるかもしれません。違うのです。改めて現実を見せつけられるのが苦しかったのです。
私達、元文学サークルの人間は、人気作家を名乗れるレベルに達していました。仕事も忙しくなり、会う暇が無くなっていきました。
羽山さんと先輩の会う頻度も減っているのならば、それでもいい。私はそう考えていました。現実は甘くはありませんでした。
何と、先輩達が同棲を開始したのです。
理由は多々ありましたね。編集の方に原稿を渡す手間が減るからだとか、家賃が半分になるだとか。
一番の理由は、やはり恋人だったからでしょう。
先輩達は出版社の近くへと引っ越してしまいました。そうなれば、私はどうすればよいか分かりませんでした。いつ先輩に会えばよいのでしょうか。
気づくと、私の頬には涙が伝っていました。視界もぼやけて、何もかもが見えなくなりました。
私はまた小説を書きました。普通、小説はそう簡単には創れません。それは実体験として知っています。
今回だけは例外だったようです。一か月もしないうちに、作品が完成しました。その作品の名前は――首吊り桜。
それは私の話でした。先輩に見られても良いように、大分脚色しましたが。その話もまた売れてしまいました。
私は名実ともに人気作家となりました。そんな称号、不要です。本当に欲しいのは、先輩だけでした。
得たお金で、私は引っ越しを決行しました。建前としては、先輩たち同様原稿を渡す手間を省くため。ここまで読んでくださったのならば、私の真意は見えているかと存じ上げます。
そうです。貴方の近くにいたくて、私は住処を変えたのです。
それは失敗でした。
近くにいると。近くにいると、もっと虚しくなりました。先輩達が和気藹藹と暮らしているのが事実として見えて、とても苦しいのです。
それでも先輩に会いたかった。