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私が幸せの中にいる最中、羽山さんも精進していたようです。また、彼女も私と同じ方策を取っていたようで、先輩とたくさんお話ししていたようです。
先輩と羽山さんの仲が目に見えて進展して行くのです。私は毎晩、恐怖にうなされました。まだまだこちらの方が親しい。それだけが唯一の救いでした。
ですが、一歩一歩距離を確実に詰められて行って、泣きたくもなります。
羽山さんが現れてから、数カ月後。彼女が私と先輩を集めました。
場所は大学付近の喫茶店だったと記憶しております。先輩はケーキを頼み、私は水ばかり飲んでいたことだけは覚えております。
さて、その喫茶店に私達を集めたのには、訳があったようです。彼女は遅れてやってくると、鞄から数枚のプリントを出しました。
怪訝そうにそれを窺う私に苦笑して、羽山さんが説明しました。
「これは小説の新人賞の募集要項よ。将来小説家を目指すのならば、せめて大学のうちから一度は応募しないと。じゃないと、腐ってしまうわ」
「一理ある。が、急な話だね」
「別にいいじゃない。何個か作品は完成させているでしょう? その中から一つ出せばいいのよ。作品を完成させる癖をつけなきゃ」
羽山さんが言っていることは、正しいことでした。何故、それを思い付かなかったのか、私は自分で自分を責めました。
「この賞に小説を送りましょう。最優秀賞、優秀賞。どれかを取れば即出版という話よ」
即出版は言い過ぎだろう。けれども、彼女の眼には自信が宿っていました。それにつられたのか、先輩も大賛成していました。
そうなると、私だけ拒むことはできず、ほぼ強制的に参加することになりました。
それからの毎日は厳しい物となりました。三人で共に競い合い、時には助け合い、作品を仕上げていきました。一通りの推敲が終了してから、私は先輩と話したいと願うようになりました。
しかし、先輩の邪魔をするわけにはいきません。
ジレンマに悩まされつつ、私は耐え忍びました。先輩の為ならば、私はどんな拷問にでも耐えて見せましょう。そういう気持ちを常に持ち続けてきました。
応募する為の原稿は、羽山さん、私、先輩の順で出来上がっていきました。
羽山さんが書いた作品は、捨てられた人形が持ち主を求めて旅をするお話しでした。残念ながら、それは私の作品の数倍はよい作品でした。どこにでもありそうな設定から、ここまでの物を作ることは私には不可能です。
ホラーや恋愛、ちょっとしたアクション、深い心理描写。あらゆる要素を自在に操る手腕は、流石としか言いようがありませんでした。
先輩は捻くれた少年のお話でした。真面目な話だというのに、クスクスと笑える不思議な作品でした。
二つとも十分プロとして通用するレベルだと、そう認めざるをえませんでした。こんなに素晴らしい作品が評価されない筈がありません。
応募してから数週間の間。私達は何も手に付かなくなりました。先輩と羽山さんは自分の結果、私は先輩の結果が気になりました。
発表の日、私達は揃って結果を同時に確認しました。
結果は先輩が優秀賞を取るものとなりました。その結果に不服だったのは、私だけでしたね。私は先輩こそが最優秀に相応しいと信じて疑っていませんでしたから、もしかすると不正の可能性まで疑ってしまいました。
けれど、それは不正ではありませんでした。
最優秀賞を得たのが、羽山さんだったからです。彼女の作品は認めざるをえません。それはとても悔しい現実でした。
さて、二人は十分誇れる結果を残しましたが、どこか気分が悪そうでした。私はその時、その理由が分かりませんでした。あと後考えると、二人だけが入賞していたのですから、私に対する引け目のようなものがあったのでしょう。
盛大に祝っても良いものを二人はこじんまりと祝いました。
ですが、本来ならばそんな気遣い不要だったのです。応募する作品を決定して、全員でお互いの小説を読みあった時、二人は私に何度も尋ねたではありませんか。
本当にこれでいいのかい? キミならばもっと良い物ができるのに。
そうよ。貴女らしくないわ。それとも何か考えがあるのかしら。
二人はそう言いますが、私にとっては小説などどうでもよいことだったのです。私がどんなに頑張っても、先輩の足元にすがりつくので精一杯です。
それでも私は先輩の作品に傷をつけてしまう可能性があることが、とても怖かったのです。ですから、誰の目から見ても駄作だと思う作品を敢えて完成させました。
止める二人を無視して、私はあれを出したのです。
先輩は、私に深い考えがあるのだと納得してくれました。
あんな作品で入賞できる筈などなかったのです。だからこそ、先輩達が気まずくなる原因が不明だったのです。
先輩達は無事入賞して、大学生だというのにデビューに成功しました。お二人の本は大変好評を博しました。
特に羽山さんの作品の売れ行きは目を見張るものがありました。
先輩の作品を一人で五冊も買ったのは、私にとって深い思い出です。先輩の作品はもっと評価されるべきだったのです。正当な評価を得ていないことに、私は苛々が募りました。
二人はプロとして、執筆が仕事になりました。すると次第に、先輩はサークルに顔を見せなくなりました。
行けば先輩に会えるという理想郷は、そこから崩れていきました。先輩と顔を合わせられない日々が増えました。今まで満たされていた筈の心が、乾いていくのに気がつきました。
その時、私は素人。先輩はプロでした。
易々と意見を求められるような立場ではなかったのでしょう。また先輩はよく仰っていました。
「俺はキミに頼りっぱなしだなあ」
先輩には高いプライドがありました。プロとして書く最初の作品は、自分だけの力で完成させたかったのでしょう。
私にとっては、それはあまりにも寂しいことでした。けれども、先輩の意志ですから、私に文句が言える筈もありません。私は黙って、貴方の作品の完成を待ちました。