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首吊り桜  作者: 一崎
4/8

 女は突然現れました。彼女は羽山と名乗る女性でした。私の一つ上で、先輩と同期の女性です。


 彼女はどうやら私達と同じ文学サークルの人間だったようですが、私達とは違ってサークルのレベルの低さに嘆き、幽霊部員となっていたのです。


 そんな彼女ですが、文化祭でたまたま読んだ先輩の作品に魅了され、またサークルに戻ってきました。


 最初、私は彼女を警戒しました。彼女の文学への探究心は本物のようでしたから、何を言うか気が気でなかったのです。


 羽山さんは読み終えた本を持って、静かに感想を述べました。その台詞を聞いて、内心勝ち誇りました。だって、彼女の感想はありきたりだったのです。どこかで聞いたような言葉を次々と告げて、持論の欠片も感じない褒め文句ばかりだったのです。


 それでは作品は成長しないでしょう。もちろん、良い点を伸ばすことは重要です。けれども、それと同等に悪い点を把握することも大切なのです。


 この女は先輩の役に立つことはない。私は最高の気分でした。

 次の言葉を聞くまで。羽山さんはきっぱりと断定しました。


「でも、駄作よ」


 その言葉に激昂したのは、私でした。私は彼女に怒気を隠さず近寄って、抗議の声を上げました。先輩の作品には、悪い部分も多々ありました。けれども、私には到底駄作とは思えなかったのです。


 どう考えても、素晴らしい作品だったのです。


 彼女は言ってはいけないことを言ったのです。私の中で固く結ばれていた堪忍袋の緒が粉砕され、怒りの感情のみがふつふつと湧きあがりました。


 そんな姿を見かねたのか、先輩は片手で私を制しました。その手で冷静さを取り戻し、向こうの言葉を待つことにしました。


「この物語にはテーマがないわ。話の表面をなぞるだけで、小説としての本質が見えてこない。何も一から十まで説明しろとは言っていないわ。だけれども、それ以前の問題ね」

「言う通りだ。けれども、それだけでは――」


 それからの会話は覚えていません。目の前の光景が、まるで夢のように遠い物に見えたからです。夢といっても悪夢でした。


 ただ分かることは、先輩が私にしか見せないような笑顔を彼女にも見せているということだけです。


 先輩と羽山さんは、何やら難しい話を繰り広げていました。私にはそれが理解できませんでした。いえ、昔の私ならばきっと違っていたでしょう。


 意気揚々と話しに加わることができたでしょう。


 その時の私は壊れてしまっていたのです。


 私のアイデンティティは先輩にとって有意義な批評ができること。それは私だけに許された特権の筈でした。


 だというのに、目の前で繰り広げられているものは――。


 絶望というモノを生まれて初めて体感しました。先輩が私以外と行う討論は、私の心を抉っていきました。心が摩耗しきった頃、ようやく会話が終了したようです。


 その時にはもう何が何やら分からなくなって、息をすることすら難しく感じられました。言いようのない胸の苦しさに、私は悩まされることになりました。


 その日からというモノ、羽山さんは毎日やってきました。悔しいことに彼女もまた先輩と同様の努力家でした。また人格者でもありました。


 先輩が私を頼りにしていると訊くと、是非自分のことも助けて欲しいと意見を求めてきました。羽山さんの作品も素晴らしいものでした。


 次第に先輩が私に意見を求めることが少なくなっていきました。その代わり、先輩は羽山さんに頼ることが増えました。その時はまだ私に話しかけることの方が多かったのですが、他の人間――他の女に話しかけることが耐えきれませんでした。


 そもそも先輩には才能がありました。人に頼ることは滅多にないのです。ですから、その貴重なタイミングを奪われることは屈辱を極めました。


 先輩の作品のレベルは日に日に上達していき、私の及びもつかない所へ昇りつめました。それに伴って、羽山さんも上手くなっていくのです。


 私は焦りました。このままでは置いていかれてしまう。捨てられてしまう。


 そうなっては生きていけない。


 私は再び筆を取ることにしました。久し振りに机に向かってみると、筆がとても重く感じられました。スラスラと言葉が出ない。ストーリーが思いつかない。


 生まれてくるのは、先輩への甘い言葉だけなのです。


 けれども、それはただの戯言です。決して小説などではありませんでした。途方に暮れ、しばらく悩みました。悩んで悩んで悩み尽くしました。 


 頭が割れるほど考え切った時、妙案を思い付いたのです。


 私が先輩に頼るのです。

 先輩に小説についての悩みを話して、一緒に書き進めていくのです。それは素晴らしいことのように思われました。


 それを思い付いた時、私は神にお礼を述べ続けました。興奮のあまり、眠ることもできませんでした。何度も小躍りしたものです。

 翌日、私は喜び勇んで先輩へ相談しました。


 その結果は私の想像していたもの以上の成果を残しました。昔先輩は仰りました。このお礼は何時かしよう、と。


 先輩はそのお礼の時こそが今だとばかりに、私にたくさん構ってくださりました。それが嬉しくて嬉しくて、毎日先輩とお話ししました。


 先輩は真剣にお話を聞いてくださいました。先輩は私に期待してくださっているのでしょう。

 その期待に応えるため、私は日々努力を繰り返しました。


 切磋琢磨の報酬として、自分が納得できる作品を創り上げることができました。先輩と共に創ったお話は、今ですら先輩以外には見せたことがありません。


 私と先輩だけの物語ですから。

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