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首吊り桜  作者: 一崎
3/8

 さて、長い電車旅が終わり、少し歩いた先に桜の名所はありました。


 まず見えるのは桜です。桜が人々の頭上を覆い隠すように生い茂り、風景を美しい桜色に染めていました。その更に上空では、雲ひとつない青空が広がっていました。


 空は遠く、いくら手を伸ばしてみてもまだ足りません。


 桜の迫力と相まって、見たこともない景色になり変っていたのです。


 自然が生み出した景色に、我々は呆然とするしかありませんでした。

 ですが、止まっていても仕方がありません。私は両側を覆い隠すほどの桜並木を歩きだしました。ふと隣を見据えると、貴方はいませんでした。


 軽い焦燥感を覚えながら辺りを見回すと、先輩は最初の場所で口をぽかんと開けて立ち尽くしているのです。その間抜けな様子がとてもかわいらしく、私は無意識のうちに微笑んでしまったものです。


 ちょこちょこと先輩の隣に移動して、私はゆっくりと口を開きました。


「どうでしょうか、先輩」

「俺が今までに見てきたものの中で、最も美しいかもしれないね」


 先輩の目は桜の桃色に釘付けでした。桜に見入る先輩は、しきりに感嘆のため息を漏らしていました。


「この風景を残したいのならば、写真を取ればいい。けれども、この美しさを人に伝えたい時、写真では足りないとは思わないかい?」


 先輩は私に問うたのです。静かに肯定の頷きを返すと、先輩は納得した様子で、


「この風も、この音も、この本来ない筈の香りも、この雰囲気すらも全てを統合したからこそ、この美しさがあるんだろうね。それを伝えるのに、文字は最適だよ」


 先輩は桜に見惚れていたのでしょうが、私は違っていました。


 私の視線は一直線に、貴方の横顔へと向いていたのです。微風が吹き、髪が揺れる姿。桜に見とれる無邪気な横顔。穏やかな表情。


 そのどれもが桜よりも価値のあるものでした。貴方の隣は、どんな場所よりも落ち着くことができました。優しい言葉に溶かされていくように、どんどん私は貴方に魅了されたのです。


 しばらくして、先輩はようやく歩を進めることにしたようです。名残惜しそうに、うしろをチラチラ見つつも、ゆっくりと歩きました。


 桜並木は美しかったのでしょうが、私の記憶にはあまり残っておりません。私は貴方だけを見ていたから。他のことに構っている暇はなかったのです。


 青い空も桜さえ、私にとっては先輩を引き立てる部品に過ぎません。それから結構な時間歩いたようですが、私にとっては一瞬のできごとでした。


「今日は来てよかった。そろそろ帰ろうか」

「いえ。この公園は夜桜も素晴らしいという噂ですから、もう少し長居するべきではないでしょうか。泊まる場所も用意してありますし」

「すまないね、何から何まで準備をさせてしまって。このお礼はいつか必ずしよう。だけど、外泊するとは想像していなかったな」

「勝手に決めてしまってすいません」


 いや、ありがとう、貴方は確かにそう仰いました。


 先輩はあらゆるものに無頓着で、生活能力が僅かに欠如していました。旅行の話も、全て私に任せてくださいと言うと、全てを任せてくれましたね。


 その後、夜桜を堪能してから、一泊して地元に帰りました。


 その旅行は私の中で、最も記憶に残った出来事です。なにせ、私と先輩の最初で最後の旅行でしたから。


 地元に帰ってからすぐに先輩は机に向かいました。写真や噂だけでは書けない、素晴らしい桜を書き始めました。


 一方私は、先輩のスランプを解決して有頂天でした。この世で一番、私が先輩のお役に立っているのですから、この心境は分かっていただけるものでしょう。先輩の作品は、私なしでは完成しなかったのです。先輩にとって、私は唯一無二の存在だったのです。


 やがて桜のシーンを書き終わり、先輩が私の所へやってきました。


「そういえばキミの作品をきちんと見たことがないな。いや、昔の物は読んだのだけれど、最近の作品は読んでいない」


 先輩は私の作品を求めていました。けれども、執筆する気になれなかったので、やんわりとお断りしてしまいました。あれは私の最大の失敗でした。


 先輩が望むものを与えられなかったのですから、悔やんでも悔やみきれません。

 けれども、先輩は温柔な態度で接してくれました。温かい声で、


「ならば仕方がないね。と……そういえば、もう少しで文化祭だね。キミは何か作品を出すのかな?」

「いいえ。先輩はどうなさるんですか?」

「ああ、俺か。俺は今回完成した物を出そうと思う。たくさん刷って、道行く人に配ろうと考えているよ」

「素晴らしいアイデアですね。是非お手伝いさせてください!」

「ありがたい。けれども、キミには頼りきりだな」


 先輩として恥ずかしい、貴方はそう仰いました。ですけれど、私にとってその言葉は何よりの侮辱の言葉でした。先輩の役に立つこと、それが私の生きがいだというのに。


 私はそれからも先輩の為、必死に頑張りました。先輩と話しあって、アドバイスをして、できることは全て行い切りました。


 先輩は文化祭をとても重く考えていましたね。自分の作品が試される、一世一代の場と考えていたふしがあります。けれども、そんな馬鹿なことはありません。


 先輩はもっと素晴らしいのですから、文化祭程度で緊張することはなかったのです。現に文化祭は大成功を喫しました。


 大学内で、先輩の名は一躍有名となりました。素晴らしい作品を書く、文学サークルの男。その評価に一番喜びを感じていたのは、誰でもない、私なのです。


 もっと先輩は喜んでも良かった筈です。勝って兜の緒を締めよとは言いますが、先輩は気味の悪いほど慢心しませんでした。


 そこに更に憧れました。 


 途方のない向上心に、感服したのです。

 何処までも付いていこうと決めました。そして、その決意さえあればいつでも隣にいられると考えていました。

 あの女が現れるまでのことですが。

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