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私がサークルに入って、一年の月日が流れました。
先輩はその頃、三つ目の作品を執筆され始めていましたね。その作品は悲しいお話でした。先輩はその作品を書くに辺り、よく私の意見を求めました。
私は思った通り、ありのままを告げました。
先輩はそれに同意してくださったり、反論をなさったり。お互いに意見を出し合い、よりよい作品が出来上がっていきました。
それは私にとって、至福の時だったのです。
先輩と話しあって作る小説は、何よりの宝でした。無地の紙に黒いインクが足されていって、それがやがて小説となる。それだけのことなのに、当たり前のことなのに、私には新鮮なものに見えました。
その時からでしょうか。
私が小説を書かなくなったのは。
書く必要がなかったのです。執筆は何よりの娯楽でした。だけれども、その時はそうでもなかった。
先輩と話すことに勝るものなど、存在しなくなったのです。
初めは苦悩致しました。これは自分の趣味ではなかったのかと、小説家になることは自分の夢ではなかったのかと、悩みました。
それは杞憂でした。
先輩の第三作が半分まで完成して、私の悩みは吹き飛びました。貴方の作品の中に、確かな私を見たからです。
私は執筆もせずに、貴方だけを考えました。
先輩に唯一アドバイスができるということが、どんな素晴らしい作品を創り上げることよりも重要に感じました。
どんな質問にも対応できるよう、本をたくさん読みました。たくさん勉強をしました。
先輩は私を熱心だね、と褒めてくださります。それが嬉しくて、どんどん頑張りました。
もはや、私にとって文学は二の次でした。
苦しいなどと思ったことはございません。本来ならば苦しい筈の事も、先輩の為と考えれば喜びと同じでした。
先輩の作品は完成に近づいていました。しかし、私の作品は白紙のままです。けれども、もはやそれは塵芥同然でした。
三月も終わりにさしかかった頃の事でした。爽やかな季節だというのに、先輩の表情がだんだん暗くなっていったのです。
それから先輩の執筆の手が止まるのには、そこまでの時間を要しませんでした。
ひたすらに執筆されていた手が止まり、頬杖を付く回数が増えました。そして、貴方は窓の外を遠い眼で眺めるのです。
もちろん、心配しましたとも。
何があったのかしらと、そう疑問に思うのも当然のことです。先輩に近づいていき、どうしたのですかと尋ねました。
「スランプというやつかな? どうしても風景が分からない。この話のこの場所には、情景を交えた描写が必要だと思う」
先輩が迷っているのは、作品の見せどころ――クライマックスでした。
そのシーンは桜の花が散っていく中、主人公が苦しみを叫ぶというものでした。
先輩はどうしても、その風景が想像できなかったのですよね。それを悟った私は、すぐさま作戦を立案しました。
貴方の為だけの作戦を。
作戦といっても、そこまで大層なものではないのです。それはただの旅行でした。季節は丁度春でしたから、桜見をしようと誘ったのです。
私は初心でしたから先輩をお食事に誘うことはあれど、旅行にお誘いするのは初めてでした。旅行へ行きましょう。それだけの言葉を発するのに、多大な勇気を振り絞りました。
断られたらどうしよう。私の心中はホラー映画を見ている時のような、恐怖からやってくる激しい心臓の呻き声に満たされました。
先輩はしばらく顎に手を当てて、熟考の素振りを見せました。
その直後、先輩は優しい笑みを湛えて、旅行の件を快諾してくださいました。それにほっと胸を撫で下ろして、旅行先を決めました。
少しだけ遠出して、鳥取県へ出向くこととなりました。私達が出向いた、その場所は日本でも有名な桜の名所でした。先輩が見るに相応しい桜なのです。
夜には大小五百本のぼんぼりが点灯して、夜桜が幻想的に演出されるようです。先輩の作品の参考になるのですから、千思万考の末決定した場所です。
そうして、私達の旅行は始まりました。電車に揺られて、道中は文学についての話に花が咲いたものです。
夢中でお話する先輩のお顔は、とても可愛らしかったです。何て言うと、貴方はお怒りになるでしょうか。