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首吊り桜  作者: 一崎
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 先輩は私と初めて会った日の事を覚えていますか? 私は鮮明に覚えています。


 あれは大学の文学サークルに入った日の事でした。私は生れてから小学校に入学するまで絵本をこよなく愛し、小学校から大学まで小説を愛していました。

 文字が何よりも好きでした。


 そんな私が文学サークルに入ることに躊躇いはありませんでした。サークルでよりよい作品を作り上げ、友人達と共に高め合おうと考えていました。


 そんな日に、先輩と出会ったのです。


 他のみなさんが笑顔で、あれやこれやと世話を焼いてくれるのに対して、先輩の態度は非常にそっけないものでしたね。


 貴方は柔和な笑みを浮かべて、ただ簡素な挨拶をするだけなのです。一言、よろしくというだけ。先輩への第一印象は無愛想な人、でした。

 この人とは仲良くなれないと、私は一人、確信していました。


 ですが、それは間違えでした。そんなことはありませんでした。


 我々のサークルのレベルはお世辞にも高いとは言えませんでした。ですが、私はひたすら書きました。それが何よりの娯楽だったのです。


 サークルに入って数日、無口な先輩はひたすら机に向かうばかりでした。その集中力には驚きましたが、それだけでした。熱心な人だなあとは思いましたが、それ以上の興味は湧きませんでした。


 ですが、ある日のことです。


 先輩の作品がとうとう完成し、サークルのみなさんに発表した日の事です。あの日の事は、今でも脳裏に刻まれております。


 先輩がお書きになった話。あれには感銘を受けました。思わず、涙を流してしまうほどの作品でした。


 サークルのみなさんは、ただ貴方を褒めました。


 口々に、素晴らしいだの傑作だの、具体性のない抽象的な感想ばかり述べていました。先輩は静かにありがとうと礼を述べていましたが、どこか不満そうでしたね。不満の原因は理解できました。

 先輩は文学に対して、高い向上心をお持ちでした。貴方がサークルのみなさんに作品を発表したのは、称賛される為ではなかったのでしょう。


 客観的な批判を求めていたのでしょう。それが私には理解できました。私にだけ、理解できていたのです。


 まず私は貴方を心の底から称賛しました。ただ他の人とは違うのは、具体的だったことでしょう。あそこの文が良い、どこそこの情景がありありと想像できる、登場人物の心情が深い。言葉の限り褒め尽くしました。


 すると先輩は愉快そうにして、どこそこはどうだったと訊きます。私は思ったままに答えました。作った感想ではありません。抱いた感想です。


 批判もしました。

 サークルのみなさんは失礼だと私を窘めましたが、先輩は興味深そうに聞いてくれました。やがてにっこりと笑い、

「素晴らしい感想をありがとう。参考にするよ」

 そう言ってくださりました。


 その時の私の心情は、とても筆舌に尽くしがたいものでした。認められたようで嬉しくもあり、また自分の作品のレベルの低さに呆れました。


 けれども、心中に渦巻いていたのはそんな物ではありませんでした。尊敬です。


 先輩は向上心に富んだ、孤高の男性でした。サークルでは、遊びもせずにひたすら創作活動に励んでいました。その結果生まれた作品は、とても素晴らしいものだったのです。

 この先輩はきっと大物になる。私はそう信じました。


 以来、私は頻繁に先輩に話しかけるようになりました。他愛のない世間話や創作について、全ての話が有意義な時間でした。


 先輩は無口でしたが、話しかけると返事をしてくださります。私がそれを意外だと言うと、先輩は心外そうに、


「話しかけられたら、返事をするくらいの愛想は俺にもあるよ」


 とぼやきます。


 先輩に尊敬の念を抱いてからという物、私の人生には光が灯りました。この光は何物にも代えがたいものに思えました。


 その幸せは、読書や執筆といった今までの幸せとはまた別の幸せでした。いえ、同種の幸せだったのかもしれません。ただ、その幸福は私が味わったこともないほど大きな物だったのです。毎日が満たされていました。


 また徐々に先輩も私に心を開いてくださり、そちらから話しかけてくださることも増えました。先輩は静かに私の隣にやってきて、ぼそりと話すのです。


 それは創作に対する批評を求めるものだったり、何気ない世間話だったり、学校の事だったり、またそれ以外の事だったりしました。


 私の幸せな日々が始まったのです。

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