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青山晴太と定期券

作者: 穂高独歩

「ああ、もうこんな時期か」

 青山晴太は定期券を眺めるとある種の感傷に浸る。無機質なプラスチックカードの上に印刷された文字がすっかりかすれている。何とか読めるその文字は1週間後の未来を書き記していた。

 この定期券を作った時、自分は何を考えていただろうか。定期券内でお気に入りの店を見つけて通おうとでも思っていたのだろうか。それとも、定期券内に可愛い彼女を作って家に足しげく通おうと思っていただろうか。あるいは…。

 実際は、定期券内で途中下車することなんて滅多にない。したとしても、それは行きつけの店でも可愛い彼女でもなく古本屋に行く程度の用事しかない。

 「○○大学の最寄り駅から特急で一本」一人暮らしをしたことがある人なら価値のわかる一文。これが今の家のキャッチコピーだった。一人で住むには広くて、二人で住むには狭い。今の時代にそぐわない木造2階建てのアパート。

 毎日毎朝、いつもの電車のいつもの車両でに身体を押し込むように乗車して、いつもの景色を見ながら、代わり映えしない雑多としたホームに、押し出されるように下車する。最初の頃はうんざりしたものの、一度目の定期更新の頃にはすっかり慣れた。

 定期を更新するということはつまり、未来の自分にこんな雑多な半年間の朝を約束するということだ。毎朝、いつもの同じ時間のいつもの電車のいつもの風景を半年間。漫画なら可愛い女子高生か何かが、いつもみてました、と連絡先を渡してきてもおかしくないころなのだが、青山晴太は自分が主人公の器じゃないことを一番よく知っている。春の綺麗な青空の下を歩いて、一年中空調と人で温度の変わらない室内に押し込められる。劇団四季も驚きの四季のなさ。

 もったいない。とある日青山晴太は思った。こんな風に半年間の朝を消費するのはもったいない。だから、定期更新の前日、いつもの時間にいつもとは反対側のホームに立っている。

 今まで自分と同じ朝を過ごしていた人がこんなにいるのか、と向かいホームからいつものホームを端から端までしげしげと見つめる。別に何の感動もないし、ちょっと悪ぶった中学生のように、授業をさぼることに優越も感じない。しかし不思議とワクワクはしていた。遠足当日の幼稚園児のようなワクワク。

 高鳴る胸を必死に抑えて乗車する。くだりの電車なだけあって朝にも関わらず空いている。電車の窓から向かいのホームを眺めると、皆悔しそうな顔をしている気がした。一瞬吹き出しそうになってぐっとこらえる。青山晴太は数少ない校則を破る小学生のような気持ちになっていた。

 さあ今からどこに行こう。どこで降りよう。路線図には聞いたこともない駅名が並んでいる。いつもの駅から少し離れただけでこんなにも知らない街がある、それだけで、青山晴太の満員電車に押し込められて固まっていた気持ちはふっとほどけるようだった。

 これが定期券外。約束されていない朝のすばらしさ。空は透き通るように青い。窓際が大きくあいているためか、朝日が車内にすっと差し込んでいた。やさしさを感じさせるような暖かな春の日差し。満員電車に乗るだけではきっと気付けなかっただろう電車内への四季の訪れ。

 青山晴太は一時間ほどでついた聞いたこともない名前の駅に降りた。普段利用している駅とは大違いの少しさびれた静かな駅。みんな足早に歩いてもいないし、きっとここなら、改札に引っ掛かっても舌打ちされることはないのだろう。

 なんだか空気まで綺麗な気がしてスーッと大きく深呼吸をした。

「あの。」

大きく伸びあがったところで声をかけられたせいで妙な声が出た。

「これ落としましたよ」

振り返ると、少し背の低い小柄な女の子がすらりと伸びる白い手で見覚えのある定期券を持っていた。制服を着ているところを見る限り女子高生だろうか。朝日を受けるつやつやとした黒い髪は清潔感を出す程度に切られ、今風とはお世辞にも言えないが、目鼻立ちのくっきりとした可愛らしい顔をしている。

 「…学生?」

青山晴太は、頭の中に浮かんだ単語をそのまま疑問形にして女子高生にぶつけた。

 「あ、えっと、はい。高校生です」

 女子高生が伏し目がちに答える。右手に持たれた青山晴太の定期券が気まずそうに揺れている。

 そうなんだ、ありがとう。と一言いって定期券を受け取った。定期券を渡すと少し安心したような笑顔を見せて女子高生は改札へと歩いて行った。

 青山晴太は、定期と女子高生の後ろ姿を交互に眺める。

 「…次は3か月にしてみようかな」

 期限に明日を書き記した定期をまじまじと見つめて小さくつぶやいた。

 3か月なら約束してもいいかもしれない。

 

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