第三話「カレー」
@ @ @
「ただいまー」
夕方。友達と遊んでいたが帰宅。
玄関には、彼女のサンダルが二足そろって置かれていた。薄いピンク色のリボンが付いたサンダルは、俺が海にいく際に買ってあげたものだ。
「おかえり。彼女さんが作ってくれてるわよー!」
お母さんがやけに笑顔で迎えてくれる。まあ、彼女のこと気に入ってるからな……。
匂いを嗅ぐ限り、夕飯はカレーのようだ。お母さんと共にリビングに入り、ソファに鞄を放り投げてキッチンに向かう。
「あら。おかえりなさい」
気配でわかったのか、彼女が真珠のような顔をこちらに見せる。いつもは背中に流しているまっすぐなこげ茶色の髪を少し高め、耳よりも上で一つに纏めて、バレッタでとめてある。
彼女はたまにお母さんに髪で遊ばれるが、今日は大人しめだったようだ。
彼女が自分でしたのかもしれないけれど。
何となく、真っ白いうなじに視線がいく。
「ボーっとしてないで、何か持って行って。コップとか」
怒られた。
流れるような、しっかりとした喋り方をする彼女の言葉は、全てが正解のような気がしてくる。少なくても俺はそう感じていた。
と言うか、人が彼女に見惚れていたのに、それを怒るとは。ひどい。
エプロンが似合い過ぎて、つらい。
うっかり。うっかりさんだなあ。
今すぐ後ろのリボンをほどきたくなる衝動を抑えて、味見をしている彼女のおたまをとり、自分の口に入れる。
うん。美味しい。
「ちょっと、まだ味見――」
「美味しいよ」
「……そうね」
抱きつくと顔が近くなったため、頬にキスしてみる。
ウワー、ウッカリサンやべー!
「あら、ラブラブだわ! おとうさーん!」
「やめてえええ!!」
うっかりさん、やばい!
カレーは。
美味しくて、おかわりし過ぎたの吐きかけた。
八月三十日。
「なんっ、でっ……!」
口を開くと生ぬるい水が口に入ってきた。流石に八月も下旬の晴れの日は、冷たそうな透明の海水でもぬるいらしい。
彼女が無言で俺の頭を踏みつける。
目を必死に開けていてもぼやけた視界からは、彼女の乳白色の脚がきちんと見えない。
けれど、にこやかに笑っていることだけは何となくわかった。
「やめろ」
口を動かすが声には出せていないだろう。喉に海水が入り込み、それが鼻まで達して、ヒリヒリと痛む。
「……」
どんどん、瞼が下がってくる。
今、目を閉じたら――意識を手放したらもう戻れなくなるとわかっているのに、抗えない。
彼女の滑らかな足首に触れてみると、さらりとしていて気持ちが良かった。
彼女は、何も言わない。
@ @ @