それにしても思っていることが言えないとは!
人形娘にされた沙羅は外見だけでなく行動や発言も制約を受けており「生きた人形」になっている。しかも操っているのは人形の外殻(というよりもこっちの方が本体かもしれないけど)にあるコントローラーシステムだ。いくらこのシステムが「ネヴァードリームランド」の意向を受けたものとはいえ、人形の方が沙羅の精神と身体を操っているともいえる。
それはさておき、目の前にいる人形娘たちは自由な意思を持っている。彼女らはわざわざ金銭を支払い人形娘になった「ゲスト」である。沙羅のような労働者階級の人形娘ではない。自らすすんで人形娘になっている、所謂有産階級の人形娘である。
沙羅はこうしてみるとどっちが幸せなのかを考えてしまった。受け身で人形娘になった自分と、進んで人形娘になっている彼女らと。少なくとも沙羅は人形娘の存在を知らずになってしまったが、彼女らはある程度理解したうえで人形娘になっている。その意味では事前に何をされるのかを知っていて好奇心と変身願望を満たすために受動的になった彼女らの方が幸せともいえた。
だが、彼女らにも問題があった。人形娘の姿でいられるのはせいぜい数日だからだ。彼女らの人形娘のシステムは簡素なもので、長く一体化することが出来なくなっている。いわば、彼女らは京都で観光客が舞妓体験をするのと同じで、一時の幸福感しか味会えなかった。
人形が好きな人間で、子供の時から人形になりたいという少女なら、沙羅がやっているような人形娘に閉じ込められるという職業はまさに天職なのかもしれない。そう考えると人形娘にされている今の自分の方が幸せなのかもしれないと思っていた。しかし沙羅にはそんな子供の時の夢はなかった。もしかすると”黒魔法少女ジョアンナ”のコントロールシステムに人形娘のままでいたいと洗脳する機能があったのかもしれないと、後に沙羅は考えてることになる。
ほかにもネヴァードリームランドで働いている着ぐるみが大勢集まってこれから人形娘オフ会が始まろうとしていた。考えてみれば少人数のために開くにしては大規模なオフ会だった。これも後で知ったことであるが、この時の参加者に運営会社のオーナー一族の孫娘がいたからということだった。
沙羅はこの時「それにしても思っていることが言えないとは! 」という強い不満を持っていた。勤務時間に関係なく、誰の道楽なのか判らないオフ会に強制的に参加させられている事に対して不平があった。この時、丁度沙羅が見たいテレビ番組があったからだ。
”黒魔法少女ジョアンナ”のバイザー越しになるけど、勤務時間外にテレビを視聴することが許されているのに、いまは仕事時間中で見れなかった。もし生身の契約社員時代の沙羅なら「今日は私用がありますので残業はできません」といって帰宅できたが、今は人形娘の操り人形の”内臓”の存在だ。”内臓”が”主人”の”人形娘”に逆らうことは出きるはずはなかった。
沙羅の強い不満を内部に溜め込んでいたことを誰も知るはずはなかった。”黒魔法少女ジョアンナ”の表情は笑顔のままで固定されているからだ。




