ある青年の話…
この小説に登場する人物や団体は、
すべて架空のものです。
似ている団体がある場合は
それは一般論的に、世界中
どの国でもあることですし、
いわゆる似ていると言う位置づけで
とらえる事は個人的には自由ですが、
そもそも、それ自体と関係はありません。
僕は思った…
こう何というか、街の雰囲気が何だか沸いているのも
多分この嵐も…
なんだかこう…ふいに目に飛び込む街の人の笑顔も…
すべては何だろう?まぁいいや…
僕はこういうありきたりの雰囲気と言うものが
どうも日本人と言うものが流されやすく…
またかわいらしいと言うか…世間と言うものが
いかに単純なのか?と言うものに関してよくもわるくも
理解した気がした。
まつりごとと言う言葉…この言葉は二つの漢字がある…
と言うよりも感じがある。
政…
これはいわゆる、政治の事。
もう一つは、
祭り事…
この二つしか、変換したときに、出てはこない。
ようは、政治とは、祭りのような事である。
政治家とは、祭り事を取り計らうもの…
すなわち、祭りとは雰囲気…が大事…で
いわゆる、簡単その場の雰囲気が沸いている事が
政治には必要な要素でもあるということ…
何にせよ、単純にヤンヤヤンヤ!活気がイイネ!威勢がイイネ!
と言うのが結局雰囲気として、経済的に元気であるということらしい。
僕は最近そう分析している…
何にせよ。嘘でもよいから政治家とは、活気を取り戻して
国民の雰囲気を明るく、持っていかなくてはならないらしい…
そう言う単純なものなのか…と飽きれてしまうほど、
祭り事の本当の意味と言うか政治の本来の役割と言うものが
結果として、そんなものでしかないということに、いわゆる納得を
している。
すなわち、聴衆の中に漂う雰囲気をいかに明るく…
いかに、単純に考えさせ、働いてくれるように持っていくか?
いかに、役割に徹して生き生きとさせていくのか?
いかに、疑問を持たせずに、気持ちを一つにさせていくのか?
いかに、祭りに参加させるのか?
いわゆる、そう言う類の意志をまとめる、全体マインドコントロール
的なことを出来る能力と言うものが、政治家には一つの…
と言うよりも、大きな資質のような気がする…
とにもかくにも、聴衆は明るい雰囲気にどんどん飲まれていくのだし
全体と言うものが集団心理と言うものでまとまってしまいやすいということでもあり
また、集団心理と言うものの恐ろしさと言うか…集団心理の強さ…?
または集団心理と言うものを利用すると言うことが
そもそもの政治の役割であるということに関して言えば…
それはそれで、正しい使い方さえするのであれば良いのだろう…と
ぼくは最近思うのでもある…
だから…という分けではないが、それはそれ、
これはこれ…
ただそう言うものだということを言ってしまっただけの話である…
なんだろう…集団を率いるということは、とても時に汚い手を使うかもしれない…
しかし集団の利益と言うものが、個人の犠牲に伴う事が、集団の心理を
操るものが意図してしても良いのか?悪いのか?
それは果たして、後世の判断に委ねるとして、
それはある意味、能力として政治家が有するもので、特権として
与えられた政治的なものである。
しかし、これは、いわゆる行使するための特権である。
それを使う能力を有するものも居て、それを持っていないものも中には居る。
とにかく、政治家と言うものの資質を持って居るものとは…
この集団心理を察する事が出来、さらに集団心理を操る事が出来る能力を
有するものが適職だと言うことは、この時点で大きな意味で言える事と
理が通ったところで、この話をしたいと思う。
これは、ある青年の話である…