10‐(1).大人の癇癪
世界最大の宗教国家であるアスタリア神聖国の首都、リグ。三百万以上の膨大な市民を育む広大な市街のその最奥部には、リグ白城という名の巨大な城が聳え立っている。
その名にも“白”の文字が存在する通り、外壁は純白。霊峰シュカ・エランドを背に負い、天に寄り添うように威風堂々と屹立するその姿は白き剣にも例えられ、過去世に名を馳せた数々の画家たちがそれをモチーフに名画を残してきた。
創造神カエルムを主神と仰ぐカエルム教、その信徒たちの畏敬の念を集める聖地であり、政教一体主義を掲げるアスタリア神聖国の国政を担う者たちが政を行う場所でもあるリグ白城。ここには、神王サフィールをはじめとしたカエルム教の要人たちが、国民、信徒たちのために、良い治世を行うべくして集っている。
リグ白城は、普段であれば神聖国の国力や威信を体現するような穏やかで厳粛な空気に満ちているのだが、今日は違った。
城内には不穏な空気が立ち込めている。兵士や騎士たちが、血相を変えて走り回っていた。下男や下女、侍女たちは、普段通りの仕事をこなしながらも不安な表情を隠せずにいる。
神聖国の立国者でありカエルム教の教皇である神王サフィールの生誕日である今日。めでたいはずであるその日に、よりにもよってある国との国境に位置する砦三箇所への侵攻と、神王生誕ミサが行われる聖堂十八箇所を標的とした多発的襲撃が同時に行われたのだ。
神聖国にとって、国境に砦を三つも作らなければならない隣国はひとつだけである。そして、襲撃の実行犯はそのほぼ全てが不死者。首都リグ内の聖堂二箇所では魔人までもが目撃されている。
神聖国とは冷戦状態にあったともいえた魔国からの、わかりやすい、かつ、罪なき民衆を巻き込む形となった卑劣極まりない宣戦布告で間違いない。
襲撃から一刻も経たず、城には神聖国諜報部隊によっていちはやくその報がもたらされた。まだ一般民衆が被害の全貌を把握せず、城下に騒ぎが広がる前から、軍部や上層部は対策会議に阿鼻叫喚の様相を呈している。
砦三箇所に聖堂十八箇所である。砦は三箇所とも守ったとはいえ、聖堂は被害が大きい箇所も少なくない。尋常な数ではないのだ。
これだけの数をしてやられたということも大きな問題だが、それを為すだけの軍力を魔国が持ち合わせていたということが更に問題であった。今まで砦ひとつばかりを攻めてみては敗走するのが常であった魔国が、急激に力をつけたことになるのだ。
軍議が行われているリグ白城の大会議室では、それだけ力を増やした魔国にどう対策を取るかが主だって議論されていた。
神王サフィールの執務室。国内上層部でも限られた人間しか足を踏み入れることができないここも例に漏れず、不穏で陰鬱な空気に満ちていた。
その原因が執務机に向かう部屋の主の真っ白な少年であることは間違いない。
机上に山と積まれた書類のうち一枚を手に持ち、仇敵と対峙するかのごとく凄まじい形相でそれを睨みつけるサフィールが、空いているもう片方の手で顔半分を覆った。そのまま長い長い溜息を吐く。溜息を吐くことで状況が好転するはずはないが、吐かずにはいられなかった。
数秒後、ノックも無しに執務室の扉が開く。開いた扉から、黄金色の髪をした偉丈夫、ジェネラルが挨拶もなしにずかずかと入ってきた。勝手知ったる、といった雰囲気で執務机の前方に配置されているビロード張りのソファに座ったジェネラルに、サフィールがちらりと視線を寄越して尋ねる。
「どうでした」
「ひどい有様だった。あそこまで大騒ぎの大会議室は久々だな。お前が行かなくていいのか」
「僕が顔を出したらそれこそ混乱を煽ってしまいます。ディーナに防壁展開を筆頭とした指示を持たせて向かわせましたから、問題ないでしょう。トロイにファネル、ダンシェリオンもいます」
神王が顔を出すとなれば、それはもう相当の緊急時だ。今現在、有事と言っていい差し迫った事態ではあるが、状況を切羽詰まらせるにはまだ時期が早い。
王佐にして司教長であるディーナ=オクス=テラトーチや、諜報部長官トロイ=エイ=アルジェンタス、神聖騎士団団長ファネル=トゥーリ=クロックロイド、神聖兵団団長ダンシェリオン=ラガフォートなどの、他国にも名を響かす英傑たちが顔をそろえているのであれば、現状を収めるには少し指示を与えるだけで十分だった。
しかし、現状を収めるだけでは足りない。溜息をもうひとつ、サフィールが重ねる。
「赤……ルイカと、魔国の動きですが……読んでいた情報が偽装されていたようで」
この少年にしては珍しい、取り乱した色合いを若干含んだ声色だ。旧来から敵対する少女であるのに嫌いになりきれないルイカのことを赤と呼ぶのも、そういった時だけだった。赤が司るのは戦乱と革命。青が司るのは平和と保守。青を冠するサフィールと赤を冠するルイカは、絶対的に交わらない敵対者同士である。
読んでいた。その言葉にジェネラルが反応する。
「例の……道を外れた者を狩る狩人の力か?」
「そうです。“鷹の目”のほう」
道を外れた者。ルールを破った者とも言える。
ルールを破ればペナルティが与えられる。ルイカへのペナルティとして、ルイカは獣へと落とされ、サフィールには力が与えられた。
与えられた力は、獣を“監視”し“狩る”力。
狩人の“鷹の目”と“弓”だ。
「……読んでいた情報からすれば、赤に変わった動きはなかった。こんな大規模な多発的襲撃を僕に気取らせずにするなんて不可能なはずでした。情報が偽装されていたものだったので、実際には起こってしまいましたが」
サフィールにとっての唯一の救いは、赤の最近のあまりの音沙汰のなさに、きっと何か企んでいるのだろうと特に注意して国軍に警戒させていたことだった。それが幸いして、三箇所の砦の損害はどれも軽微だ。
それでも自国の民に傷がついた事実は消えない。しかも、自らの迂闊さによって。サフィールが忌々しげに眉を顰める。ジェネラルはそんなサフィールを見て、浮かない面持ちのまま尋ねた。
「偽装というのは?」
サフィールは少しの沈黙を返した後ぽつりと呟く。
「隠れ蓑」
「隠れ蓑?」
「ほとんど推測なうえ、短い時間で大雑把に考えただけなので、確証はありませんが」
サフィールはそう前置きして、語り出した。
「狩人の“鷹の目”が見通すのは、ある基準から判定される赤の周囲のみです。その基準を別の物に移してしまえば、“鷹の目”はそこしか見ない。ルールを破る以前……“鷹の目”が発動する以前に、基準を移す何かしらの器を作っておけば……一瞬の作業のみでそれ以降“鷹の目”を晦ますことができます」
基準を移したタイミングの予測としては、初回の魔人による襲撃の直後あたりだろうと、サフィールは考えていた。今考えてみれば、目に見えて赤側の動きが鎮静化したのは、そのあたりだ。
「魔国の軍力の急激な増加に関しては、恐らく赤が女王に魔力貸与を行ったのかと。そして隠れ蓑でこちらの目を誤魔化しながら駒を集めて回っていたのでしょう。確証を得るには調査が必要ですが」
どうして今まで思い当らなかったのか、とサフィールは後悔する。与えられた力に胡坐をかいていただけの自らの間抜けさ加減に嫌気がさしていた。
「油断などしないと言った口でこの体たらくか……ッ」
やるせなさに、机を拳で叩く。俯きかけたのをなんとか留め、顔を上げてジェネラルを見た。
「……お前、思ったより落ち着いていますね。僕を責めないんですか」
サフィールのもとには、襲撃を受けた聖堂のうちのひとつであるリグ・デューバー大聖堂にコロナエ・ヴィテが保護しているヤマトが居合わせ、魔人により害されたという報告も上がっていた。
ジェネラルの内心は荒れ狂っているだろうと、サフィールは予測していた。何しろ、ひたすら可愛がって、大切にして、その幸せを何より願っている子どもが害されたのだ。外面的には、努めて無感情を装っているようだったが、随分無理をしているのだろう。
サフィールに問われて、やっとのことでジェネラルの眉間に皺が寄る。今回の事象は自らの落ち度であるところが大きい故に、サフィールはジェネラルに責められる気でいた。
だが、その目論見はどうやら達成しない。
「落ち着いてはいない。それに、託されたヤマトを俺たちは守り切れなかった。責められることはあれど……お前を責める資格はない」
ジェネラルが苦々しく零した言葉は、まるで独り言のようで、自らに言い聞かせている風でもあった。
しばらくの沈黙が降りる。
数分ほどの無言の時間が過ぎた後、二人は後悔と自己嫌悪を頭の隅に追いやった。そして、気分を切り替える。いつまでも反省会だけをしているわけにはいかない。
「ギルドハウスの防壁は?」
「破られていない。エデルが守っている。補佐にジェーニアも入っているから、外から破ることは不可能だろう」
サフィールはひとつ頷いた。
「では、態勢を整えるまで籠城してください。“鷹の目”に頼れないとなると迂闊に動くのは危険です。……そろそろヤマトさんにも説明が必要かもしれませんね」
「まだ待ってくれ。今は駄目だ」
ジェネラルが制止する。ヤマトも周囲も、説明を聞ける状況ではない。
「お前に貸している二人から報告が上がっていますから、わかっていますよ。それに、込み入った話になりますから、場をしっかり整えなければなりませんしね」
サフィールは、机上に積んである書類のうち一枚を手にとる。ヤマトに関する報告が記してある資料だ。
「しかし呪いを受けたとはまた厄介ですね。運び込まれたのは、エニマ療施院……。解呪担当医師は、リュミエレンナ女史か」
情報を確認するようにひとつひとつ読み上げる。
医師が常駐し、怪我や病気を治療する施設である療施院。エニマ療施院というのは、リグに存在する唯一の国立療施院である。そしてエニマ療施院のリュミエレンナ医師と言えば、人里を嫌うことで有名なライトエルフだというのに、リグで一番人が集まる治療施設であるエニマ療施院で医師を務める変わり者の女性だった。
しかし実力は折り紙つき。治療のうちでも特に繊細な分野である解呪を専門でこなし、平均的な解呪医の解呪成功率が七十パーセントそこそこであるのに対して、リュミエレンナ医師の解呪成功率は九十五パーセントを誇った。
任せるのにこれ以上ないほど適任である人物の名を見てとり、とりあえずは、と安心してサフィールが資料に処理済みの印を押す。
「ジェネラル。これからは隠れ蓑があると仮定して動きます」
この場でどうにかできる残りの懸念事項は、隠れ蓑をどうするかだった。
もし実際に隠れ蓑が存在するとすれば、今回の襲撃で隠れ蓑の存在が露呈することは赤もわかっているだろう。赤はどうするか。隠れ蓑を捨てるか、それともさらに巧妙に隠そうとするか。前者ならばよいが、後者であれば“鷹の目”が正常に機能しないことになる。それは痛すぎた。
「隠れ蓑の調査、探索と、出来るのであれば、破壊を」
言葉少なに指示を出したサフィールに、帰ってきたのは沈黙。嫌な予感を覚えながら、サフィールはジェネラルを窺う。
やがてジェネラルが言い辛そうに口を開いた。
「……サフィール、出来れば俺はヤマトの傍にいたい」
サフィールの嫌な予感は当たった。
言うと思った、と小さく呟いて、思い切り溜息を吐いた後、小さな子どもを諭すような口調で説得を開始する。
「気持ちはわかりますが、お前以外の者では不可能です。やるべきことはやらねばならない、これはお前の役目でしょう」
「……せめて、ヤマトが全快するまで傍にいては駄目か」
食い下がるジェネラルを張り倒したいのを我慢しつつ、説得を続ける。
「今、ヤマトさんの傍には、パーシヴァルやお前のギルドの子どもたちがいます。少し目を離したからといって、以前のようなことにはなりません」
「俺のギルドを信じていないわけではない! ……だが」
「ならば信じ切りなさい。一度失敗した直後だ、彼らも轍は踏まないでしょう」
ジェネラルが致命的な何かを言う前に、サフィールは遮った。ここまで食い下がるのも予想の範疇内だったが、実際そうなってみると苛つきを覚えざるをえない。
遮られて黙ったジェネラルは、何とも言い難い表情をして沈黙している。
「言いたいことがあるなら、言いなさい」
「……何故俺は肝心な時に傍にいてやれないんだ、サフィール」
促したサフィールに返ってきたのは、絞り出すように、悔しさや苦しみを滲ませ、掠れて消え入りそうな声だった。
それを口に出して感情が昂ったのか、ジェネラルの声が大きくなる。
「天だって……いや、そもそも夜見だって、あの時、俺が離れなければ!」
そこまで言って、ジェネラルはサフィールの視線の冷たさに気付いた。
「お前は過去の後悔で、役目を放棄しようというんですか」
「違う。違うんだ。それをしてはいけないのはわかっている……!」
ジェネラルにも取り繕う様に言い募る自らを情けなく思う心はある。しかし、現在の心境で見栄を張るには、サフィールとの間柄は気心が知れすぎていた。
「恐怖を捨て去れないと?」
沈黙が返される。
言い訳すらもしない相手に向かって、大げさに溜息を吐いたサフィールは、わざと、ジェネラルが一番激昂するであろう言葉を言い放った。
「……やはりお前は子供など作るべきではなかったかもしれませんね」
狙い通りにジェネラルの顔が引き攣る。思わず立ち上がった勢いのまま執務机の前までやってきたジェネラルは、両掌を机の表面に叩きつけた。
分厚く、ちょっとやそっとの衝撃では揺らぎもしないであろう執務机が凄まじい轟音を立てたかと思うと、ジェネラルが手を叩きつけたそこから派手な亀裂が入る。書類の山が崩れ落ちた。
怒りに頬を上気させながら、ジェネラルが声を荒げた。
「俺だってわかってはいるんだ!!」
「ならばつまらない駄々をこねない!」
間髪入れず、厳しい叱責が返される。そもそもこれが自らの我儘であると自覚していたジェネラルは、グッと詰まったきり何も言えなくなった。
やりどころのない思いを持て余しているだろうジェネラルに、サフィールが口調を諭すものに戻して声を掛ける。
「お前がしっかりしなくてどうするんですか。親が泰然とした態度を取れずにいて、子供たちが安心できると思いますか」
「……ああ……ああ、そうだな」
もやもやとしていたところから一度激昂したことで、ジェネラルに冷静さが戻る。弱々しい声を出しながらもどうにか自らを納得させたらしく、顔つきも、不服そうな感は拭いきれないが多少なりともしっかりとしたものに戻った。
「じゃ、行ってください。指示は随時出します。……大丈夫ですよ、ヤマトさんはか弱そうに見えて意外とやるタイプだと思いますから」
これはジェネラルを安心させるための虚言ではなく、実際にサフィールが思ったことだ。ヤマトには、どこか光神の転生体と似通ったところを感じる。か弱そう、純朴そうに見えて、とんでもない隠し玉を持っているタイプだ。
ジェネラルが立ち上がって扉へと向かう。二、三歩歩いたところで振り返った。
「……この非常時だからいつも通りキルケとレイをつけろとは言わない。だが諜報官何人かには必ず見張らせてくれ」
「わかりましたよ」
サフィールが苦笑して頷く。
そしてまたジェネラルが歩みを進め、扉の取っ手に手を掛けた時、サフィールは言わなければいけないことを思い出した。
「あ、ジェネラル」
「……なんだ」
「お前が壊した机の修繕費、毎月渡してる経費から差っ引いときますから」
「まったく、普段は見栄っ張りのくせに、あの子のこととなるとほんとに弱虫ですね」
ジェネラルがいなくなってから、サフィールは昔を思い出していた。あの子、天を失った時のジェネラルからすると、今はよく立ち直ったものだと思う。
しかし、ジェネラルの要求したことは言われずともするつもりだった。ヤマトの解呪が成立するまでに何かがあるだろうと確信があった。
ただ呪いを植え付けるだけでは、治療環境も整っているこの国においては嫌がらせ程度にしかならない。
「ジェネラルがストを起こすような事態にならないといいですけど」
ひとりごちたサフィールは、ジェネラルの癇癪によって床に落とされた書類を拾うべく、椅子から立ち上がった。




