9‐(4).三次は惨事
ミサも終盤に差し掛かっていた。ピアノのようなオルガンのような楽器が伴奏を弾く中、広く荘厳な礼拝堂に聖歌が響きわたっている。
この聖歌、いまいちメロディラインがわからない。せっかく神聖な曲調なのに、うろ覚えで適当に歌うせいで気分的なものが台無しだ。
だが、この体この声で歌えば、うろ覚えのはっきりしない歌でも天上の音楽になってしまう。そういえば、この体になってから歌らしい歌を歌うのは初めてかもしれない。今更かという話だが、歌いながらむしゃくしゃしてきたくらいに清々しいほどの美声だ。声量も申し分ないうえ、高い声も楽に出せる。
この体、天に何物を与えられれば気が済むのだろうか。悔しいから帰ったらアニソンを絶叫してやろう。有名どころだけでなく、誰も知らないマイナーアニメの主題歌も歌ってやる。元の世界でなら笑顔の動画投稿サイトでスターになれそうだ。顔出しでBL小説音読とかしたら固定ファンつきそう。無理だけど。
神聖な行事中にどうしようもないことを考えている私は本当に俗物。さらに俗物で申し訳ないが、できもしないことを考えてニヤニヤするのは、授業中教室に悪い奴が乱入してきたのをかっこよく撃退し、人気者になっちゃう俺! を想像するのに通ずるものがある気がする。よく苦手な授業のときはそうやって現実逃避していた。数学とか……化学とかね。私はド文系だ。
ああでも、かっこよく撃退とか、今ならできるかもしれない。元の世界の不審者程度になら太刀打ちできるはずだ。まあできたところでもう関係ないけど。……なんてとりとめのないことを考えながら、歌が早く終わらないかと罰当たりなことを期待する。
私はこういう粛々とした行事に向いていないらしい。足の裏がむずむずしてきている。
礼拝堂を早く見学したいのだ。神像とか女神像、見事な壁画や天井画を、早く近くで見たいのだ。長椅子から移動できない現状は即刻過ぎ去るべき。
むずむずを通り越していらいらしそうになった次の瞬間、視界に見覚えのある姿が映った。
(あれ……あの人、裏庭で見かけた体調の悪そうな人だ)
そう特徴的な外見を持つ人物ではないが、あまりにも体調が悪そうだったのでしっかり覚えていた。私たちより数列前の長椅子に座ったその人は、頭をぐらぐらと揺らしている。
あれだけ体調が悪そうなのに、ミサに参加するなんて。教会の人が止めたりはしなかったのだろうか。意外と薄情なのか、教会関係者。
男の頭のぐらぐらは止まらない。むしろ止まるどころか、だんだんと振れ幅が大きくなっていっているようだった。
「あら、どうしました?」
「体調が悪いんですか?」
漸くというべきか、両隣りに座っていた人たちが男の異様な様相に気がついて声をかけた。
男が反応する様子はない。前を向いたまま、頭をぐらぐらと揺らすのみだ。声をかけた人々は訝しげな表情で前に向き直る。
(変な人だ……反応くらいすればいいのに)
私は、反応を返さない男に対して反感を覚えた。だって、親切にしてもらったのにその態度はないじゃないか。もしかしたら、教会関係者へも同じような反応を返したのかもしれない。
変な人もいるもんだ、と頭を切り替えた瞬間、聖歌が終わる。
そのタイミングを見計らったように、先ほどまで頭をぐらぐらと揺らしていた男が立ち上がった。
皆が座っている中立ち上がれば、自然と目立つ。
私も例に漏れずその男に視線をやった。その行動のせいで、ショッキングな瞬間を目にしてしまう羽目になるとは知らず。
立ち上がった男は、唐突すぎるほど唐突に、右隣に座っていた男性に向かって腕を薙いだ。
突然の攻撃を受けた男性はまるで重力が無いかのように吹っ飛んで宙に投げだされる。その軌跡には、赤い雫。
どさり、と鈍い音がした。長椅子と長椅子の間の通路に崩れ落ちた男性はぴくりとも動かない。
瞬間、時が止まる。場を包むのは静寂。
吹き飛ばされ悲鳴も上げなかったその男性の顔は、半分が無くなっていた。
「きゃあああああああああああっ!」
止まった時間を動かしたのは、甲高い女性の叫び声。
加害者たる男は、右腕を赤に染めて、頭を左右に揺らしている。その男の傍にいた人間たちが一斉に離れた。男を中心に、円が出来あがる。
大衆は“それ”をただただ呆然と見詰めた。短時間では何が起こっているのか把握できなかったのかもしれない。
ぶちぶちと体の組織がちぎれる音がした。続いて響くのは、何かが折れる音、軋む音、破裂する音。それが辺りに響く。
先ほどまで中肉中背の人間の男だった“それ”は、みるみるうちに姿を変えた。腕が捻じれて肉や骨が露出し、露出した部分が歪に膨れ上がる。出来あがったのは、おおまかな形だけが人に似ている、グロテスクな肉の塊だった。
「化け物……っ!!」
誰かが恐怖に満ちた声で呟く。
それをスイッチにしたかのように、あちこちから悲鳴が上がり、礼拝客が逃げ出し始めた。あっという間に、蜂の巣をつついたような大混乱が形成される。
(……意味、わかんないっ……なにこれどういう……!)
数分前まで平和だったこの場が、あっという間に地獄絵図だ。一体どういうことなんだ。
足が震えて動けない。呼吸がしづらい。どうすれば。
周囲の混乱に引き摺られて私までも取り乱しそうになったその時、唐突に腕を掴まれた。その手の主は、ソル。
厳しげな顔つきで、佇む化け物を睨んでいた彼は、こちらへ向き直って少しだけ表情を和らげた。
「落ち着いて」
低く言われた言葉に、ぐしゃぐしゃだった頭の中がすっと元に戻る。混乱に満ちた悲鳴が響き渡る中の短く落ち着いた声音は、冷静さを取り戻すための助けとなってくれた。
パーシヴァルさんが腰に帯びた剣を掴む。そして化け物からは視線を反らさず、言った。
「エナ、ヤマト、二人で逃げろ。ソルは援護しろ。あれは放っておいたらまずい」
二人が短く了解の意を述べ、指示をしたパーシヴァルさんと、それを受けたソルがいってしまう。去り際に、早く逃げて、と一言。
彼らはあの化け物と戦うようだ。心配で後ろ髪を引かれるような気持ちを覚えるも、逃げろと言われたのだから逃げなければならない。
「ヤマト、こっち!」
エナに腕を掴まれた。そのまま引っ張って導かれ、ついていく。
出入り口には人が密集していた。我が身を先に安全地帯へと移そうとする人々の波にのまれ、うまく進むことができない。
冷静さを保っている神父様やシスターさんが礼拝客の誘導にあたっているが、それも効果が薄いようだった。
そんな中、警備の騎士や兵士、そして少数の戦闘が可能な者達が化け物の周囲を囲む。多数の敵意に晒された異形の化け物は、金切り声で咆哮を上げながら、手当たり次第に暴れはじめた。
化け物が醜く長大に変形した腕を振り回したことにより、長椅子が軽々と吹き飛ばされる。バキッ、という音と共に真っ二つになった長椅子は、勢い余って吹き飛ばされた。
半分になった長椅子の行方を追えば、逃げている礼拝客の群れにまっすぐ飛んでいく。
「きゃあーっ!」
それが、避難をしようとしていた女の人に運悪く激突した。悲鳴を上げた女の人が倒れ伏す。
しかしそれだけではなかった。彼女を襲う凶事が、すぐそこまで迫っていた。
「えっ、なんで……?!」
思わず驚きが口をついて出る。
ずるずると変形した腕を引き摺りながら倒れ伏した女性の元へ向かう醜い化け物がいた。先ほどまで囲まれていたはずなのにと視線を巡らせれば、一体は変わらず奇声を上げながら腕を振り回している。いつの間にか化け物が二体に増えていたのだ。
目の前の一体に集中する戦っている人間たちは、化け物が増えたことに気が付いていない。自分の身を守ることで精いっぱいの礼拝客たちは、女の人を助け起こすこともせずに逃げていく。
このままではどうなるかなんてわかりきっていた。私は自分の腕を掴んでいた手を振り払った。
「あっ、ちょっとヤマト!?」
エナの制止の声が背後に聞こえたが、見捨てるわけにはいかない。
集中のために時間を要する魔法を使っていたのでは間に合わないと、私は走り出す。どうやって助け出すつもりかなんて考えている暇もない。
視界の中心で、化け物が腕を振り上げるのが見えた。
(駄目だ、待って……!)
思わず手を伸ばしても、祈りは届かない。
無情にも、その醜い腕の一撃によって、女性の頭がぐしゃりと潰れた。血片が飛び散る。
あと数メートルという地点での出来事だった。
「ああ……っ」
弱く悲鳴を上げる。なんで、そんな……! 言葉が見つからない。
だが、嘆いている暇もなく悲劇は起きる。
殺されたはずの女の人が、その体を変化させはじめたのだ。
潰された頭部から、生き物の断末魔をいくつも重ねたような異様な声が上がる。ぶるぶると絶命したはずの体が震えている。
間もなくして、醜い肉の塊のような姿を持つ化け物が三体に増えた。
「……どういう、ことなの……」
「ヤマト! 逃げなきゃ! ぼーっとしてないで!」
いつの間にか近くまで来ていたエナが、私の腕をとるなり化け物と反対方向へと走り出した。今起きた出来事を頭の中で処理できないまま、されるがままに引き摺られていく。
つん、と鼻に刺激臭が届いた。化け物の腐った肉のような匂いが礼拝堂に立ち込めている。吐き気がこみ上げてきて、掴まれていないほうの手で口元を覆った。
私たちは走った。エナはわき目も振らない。私もさっきそうすれば良かったのだ。そうすれば、あんなシーン見なくて済んだのに。
そうして礼拝堂から抜け出そうとした時、信じられない人物が私たちの目の前に現れた。




