9‐(3).高くそびえるフラグ
裏庭は静かだった。小さな公園くらいの広さがあるそのスペースの中央には、そこそこ大きな噴水が鎮座している。あと、地を覆う色の濃い芝生と隅っこの常緑樹数本以外はほとんど何もなかった。噴水、芝生、樹、これのみ。遮るものの少ない広場で、木枯らしのような冷たい風が時折吹いている。
見学客でごみごみしてる聖堂の中と違って、裏庭にはほとんど人がいない。いや、ほとんどというか、男性が一人いるのみだった。その男も今出入り口であるこちらへ向かってきているということは、この裏庭から出て行こうと……って、すごく足元がおぼつかない人だ。大丈夫なのだろうか。
酔っ払いかと思ったが、その男が近づいてきても酒の匂いが強くなったりはしない。しかし、健康で平常な人間というには、動作が危うく表情も虚ろだ。顔面の話をするに至っては、頬はこけ、顔色も真っ青。その男と自分は一切関係のない赤の他人にも関わらず、思わず心配になる。
私とソルの横を抜けて、ふらふらと去っていく男。体調でも悪いのだろうか? だがまあ、子供ではないのだから自分で何とかするだろう。もしかしたら、大聖堂の神父さんやシスターさんが気付いて介抱したりするかもしれない。コミュニケーション障害の私がどうにかできるわけじゃないから、心配するだけにとどめた。
それきり体調の悪そうな男の人のことは忘れて、噴水に駆け寄る。何の変哲もない噴水だった。なるほど、これならば見どころもないから人が来ないはずだ。
噴水近くは水辺だけあって寒い。トレビの泉とかのように、コインが沈んでたりするんじゃないかと期待をして、水面を覗き込んだ。
そんな私の横、噴水の縁にソルが座る。何気なくといった感じに声を掛けられた。
「ねー、ヤマト」
「んー?」
コインは見つからない。本当に面白みのない噴水だ。裏庭に来なきゃよかったかもなんてうっかり思っていた私は、続いたソルの言葉に不意を突かれた。
「なんかあった?」
「へ」
間抜けた声を返す。なんかあった? とはなんぞや。意図が掴めない。
噴水の石縁に手をついた姿勢のまま横を向いてソルを見ると、彼はこちらを見ていなかった。私の方は見ずに前方を向いたまま、ソルが続ける。
「……最近、元気なかったから心配してんだけど」
ああ。
私は心の中で嘆息した。最近のうじうじ、一番直近では今朝方風呂で落ち込んでいたことを思い出す。
なんとまあ、キリッとした顔で「皆の前で弱音は吐けない」などと独白しておきながら、ソルにはバレバレだったようだ。
バツが悪くて、彼から視線を反らす。噴水の水面は風に打たれて少し揺れていた。
「今も、なんか無理してない?」
今、無理……してはいない。心の奥底が鬱ではあるけど……別に無理では。
「してないよう」
「嘘つかれると俺悲しー」
口調はふざけているが、声色は真剣だ。
心の中で呻く。
(そんなに言われるとさあ。弱音吐きたくなっちゃうじゃん)
「い、いやいや。本当にしてないから、無理とか」
でも吐かない。自分の荷は自分で背負う。これ鉄則。闘技大会の時は愚痴言ったけど、それはノーカンで。
面倒臭さが違ううえに、あれは酒の席での話だし。「ぎゃー運動会やだー!」っていう愚痴と、「最近辛いのよ」っていう相談じゃ全然違うし。
「言いたくない?」
沈黙が落ちる。これにどう返事をしたらいいのかわからなかった。でも沈黙嫌だ。
「……うん」
しーんとした間が長く続くことに耐えられなくて、思わず簡潔な二文字を返してから、気がつく。これ、すっげー失礼じゃないだろうか。折角気にしてくれた相手に、お前に言うことじゃねーんだよって言ったようなもんじゃないか。
慌てた私は、ばっと立ち上がってソルに向き合い、弁解しだす。
「あ、あ、ち、違くて。ほんとに些細なことで気分が落ち込んでるだけだからさ。ソルに気にしてもらうほどのことでもないの」
わたわたと手振りもつけての必死の弁明に、ソルがこちらを見上げる。思った以上に真剣な目に、怯んだ。
「俺は、話してほしいんだけど」
「……うっ」
二の句が告げられない。そんな私を見て、ソルがぽつりと呟いた。
「……俺って、そんなに頼りがい、ない?」
「そんなことない!」
自嘲含みに問う言葉に、即座に大声を返す。私がどれだけソルのこと頼りにしてるか。
だから申し訳ないんだ。普段お世話になってるから、些細なことで迷惑かけたくないんだ。
「俺、頼りにしてるよソルのこと」
「落ち込んでること、相談もしてくれないのに?」
責める様な言葉を投げかけられて、言葉に詰まった。頼りにしてるからこそどうでもいい気分の落ち込みなんて相談したくないんです、なんて言ったら泥沼化しそう。それに、ここまで言われたら、隠すのも、失礼かもしれない。
私はしばらく迷った後、ほんとに些細なことだからね、と前置きして喋り出した。
「あ、のね……いろいろ考えてたらさ、家が懐かしくなっちゃって。ホームシックみたいな」
「ホームシック?」
うん、とひとつ頷く。いろいろ要約したが……ホームシック、この一言で片が付く話だ。
言葉にしてみると、ぐっと郷愁の念が強くなった気がする。ああ、これもあるから、言いたくなかったのかもしれない。
「帰りたいの?」
「……というか、寂しいって感じ。家族に会いたいなって」
ソルは言葉を探しているようだった。
まあ、ホームシックなんて相談されても……家帰れよ、って話だろう。というか、ソルには家族とかの話をしたことはないので、彼が相談されて返答できるほどの情報を持っているとも思えない。
「ね? 些細すぎて言われても困るでしょ。それにどうせ、もう家族とは会えな、い、から」
語尾が震えた。まずい。先ほど言葉にすると寂しくなるのだと理解したばかりだというのに、よりにもよって直接的なことを口にだしてしまった。
(あーあ、バカだ。なんかすげー寂しくなってきちゃったよ)
自嘲しながらも、目がうっかり潤む。何かを喋ったらそれが零れてしまいそうで、喋れなくなる。迂闊な動きも危険だ。とりあえずソルから自分の情けない顔が見えないように後ろを向いた。
泣きそうだから顔が火照っているのだろう、噴水の飛沫がのった風がひんやりと頬を掠める。
(ほんとバカ……ソルを困らせたな。フォローしないと)
そもそも、話してと言われても黙秘するべきだったのだ。後悔の念が頭を占める。
私の背後で、ソルが立ち上がる気配がした。ああ、どうしよう、フォローしないと。
しかし次の瞬間、そんな考えは宇宙のどこかへ飛び去ってしまうこととなる。
身体の前に自分の物ではない腕が回る。背中にぴったりとくっつくのは他者の体温。
私は、背後からソルに抱え込まれていた。
「……はっ!?」
「ごめん、俺……聞きたいって言ったのに何もできないじゃんね」
素っ頓狂な声を上げた私の耳に聞こえてくるのは、どこか切なげなソルの声。
その時私に電流走る――。……いや電流どころじゃないかもしれない。雷落ちた。落ちっぱなし。過去史上最大級の落雷。
(うはぁーッ! 離してこのイケメンッ! お前は悲しそうな奴を見るとくっついちゃう癖をなんとかしろ! こんなこと前にもあった気がする、気がするよ!? 涙吹っ飛んだわちくしょおおおっ、いやあああ離してマジで! 萌えちゃう、萌えちゃうからああ!)
心の中で大絶叫。えっ、だって、これっ。抱き締められた瞬間に木枯らしでも吹いちゃったらどこの少女漫画だよだが、惜しむらくは男同士。いや惜しむらくっていうか望むべくしてっていうかああもう。おい、ソル、おい。
あ、もう駄目だ体がわなわな震えてきた。
「ヤマト?」
「ご、ごめん。離して」
そう言って彼の腕をやんわり外すと、そのまま体を離される。まずいまずい、今この顔のまま振り返れない。自分がどういう顔をしてるかも想像がつかないのだ。ものすごい顔はしてると思うけど。
(背後から抱き締められるとかね、乙女の夢ですね! それをナチュラルに男の子にやっちゃうイケメンお前マッジ爆発しろ!! あ、やっべーまじやっべー萌えすぎて泣けてきた。さっきの私の涙返して! もっとおセンチで純粋な涙だったはずなのにぃ!)
さっきとは別の意味の、主に俗な理由でじわりと涙がにじむ。
大絶叫のままの思考にぶるぶる震えながら必死でまともな顔を作ろうとしていると、ソルにぐりんとひっくり返された。あ、ちょっと待ってまだ準備が。
「あ」
振り返った衝撃で、ぼろり、と大粒の涙が落ちる。
「ごめん……っ」
口をついて出たのは謝罪の言葉。だって、今は真面目な話をしていた。なのに相手を振り返らせればシリアスとは言い難いすげえ顔になってただなんて、ぶち壊しにも程があるだろう。ごめん多分すげえ変な顔してるごめん。
ソルは呆然と、私を見ている。
(うわあ、そんなにびっくりするほど醜悪な顔してたか。超ごめん。しかし君が悪い。君が萌えさせたりするからだ畜生)
せめて、と手で顔を覆おうとしたら、その手を捕まえられた。
「ソ……」
やめてくれ。手を離してほしいと言おうとしたら、今度はがばりと正面から抱き締められもうこの……っ! この前から後ろからガンガンくるイケメンをどうにかしてほしい!
くそ、いい匂いするよソル。前ダンスパーティーでつけられた香油気に入ったの!? 買ったの!? ムスクが、イケメンの香りが、鼻孔に満ちる。クラクラしてきた、萌えすぎて。
(うわああっ! 友達同士の振る舞いにしちゃいきすぎてる! 萌える! 客観的に見たらだけど! あああ、なんで中身私なんだこの美青年!!)
ここが外で誰が来るかもわからない場所だというのも問題だった。だってこれ、うっかりこの現場に遭遇しちゃったら、もうね。「……ご、ごゆっくり」とか言って去るしかないだろ。そんで「噴水広場にホモがいたーっ!」とか叫ぶ。
そう考えたら今この裏庭に人っ子一人いなくて本当に良かったと思う。でもそのうち誰か来るかもしれないじゃないか。離してくれソル。
できるだけ心を鎮めつつ、腕でぐいと彼の胸板を押しかえして自分との間に空間をあける。やっと顔を上げられるくらいの隙間ができたところで、またも強い力で抱き締められた。
「うわぷっ」
(なんでだ! もう! うわあ!)
萌えも極まっているが、混乱も極まっている。どうしろというの。
そのまま抱き締められ続け、頭がぐつぐつと煮沸し始めた頃、やっとのことでソルが喋り出した。
「ヤマト、ごめん」
こっちがごめんなんだけど。
「何、が?」
「泣かせた」
そこで気がついた。もしかしたら、ソルは私の表情はあんまり目に入っておらず、涙を流していたという事実だけを追っていたのか。それか、この美青年の顔面は私が思い描いたような醜悪な面はしていなかったのかもしれない。どちらが正解かはわからないが、きっとそうだ。そうじゃなきゃ抱き締めたりしないはず。
なんにせよ好都合。良かった。
それはさておき、ソルは勘違いをしている。私は彼に泣かされたのではなく……いやまあ、それはそれで間違ってないかもしれないけれど。彼に泣かされたのではなく、強すぎる萌えに涙を流したのだ。言葉にしたらよりいっそうどうしようもない。
「あ、これ違う」
「……違う?」
「………………いや、違くない。ごめん。でもソルのせいじゃない。だから、とりあえず、離して」
そう言って腕を突っ張れば、ようやく離してもらえた。
いやあ……鳥肌がすごい。腕がざらざらだ。先ほどまでの私の興奮具合が窺い知れる。まったくソルは罪作りな男だ。友達同士の距離感が狭すぎるイケメンはこれだから。そんなんだから彼はイクサーさんとちゅーとかしちゃうんだと思う。
考えてみれば、以前泣いてくっつかれた時もほぼ無意識の行動だったようだし……彼は“泣いてるor悲しそうな奴がいる”というインプットがあったら“体を使って泣き止ます”というアウトプットが出力されるのだろう。……体を使って、ってちょっといやらしい。本当においしい男だ。
まあそれはいいとして、もしかしなくても慰めてもらったらしい。ソルくん、あなたの慰め行為は見事に成功です。頭が完璧に切り替わりました腐女子モードにね! ありがとうソルくん。
私は晴れやかな笑顔を浮かべながら、短い言葉に万感を詰め込む。
「ソル、ありがと。びっくりしたけど、元気でたよ」
なんかここまで台詞と本心の狭間に溝が生じていると、自分がぶりっこちゃんのような気分になってくるなあ。だがそれはもうしょうがない。本心を晒すよりはいい。私にとっても他にとっても。
「……ほんとに?」
「うん。っていうか、いつものことなんだよこういうの。気にしてもらうようなことでもないよ」
「泣いたのに?」
「あはは……お恥ずかしい」
涙の理由が途中からすり変わっていたことは言わないでおこう。
「情緒不安定ってやつかなあ……。たまに波が来るんだよね」
まだ多少水分の残る目を擦った。
「気、使ってもらってばっかりでごめんね。表面には出してないつもりだったんだけど、もしかしなくてもばっちりわかっちゃってた?」
「皆気づいてたよ。この前ギルド長室でこっそり会議とかあったけど、知ってた?」
「会議!?」
どういう状況だそれ、恥ずかしすぎる。
曰く――ヤマトが元気ありません。じゃあ、元気づけようか。なんかない? あ、次の闇曜日大聖堂でミサあるじゃん。気分転換にそこ行くとか。いいねそれ。ついでにさりげなく元気がない理由聞いちゃえよ仲良い奴えっとソルよろしく――みたいな作戦会議があったそうだ。
なんという。まさかこの行楽自体が仕組まれたものだったとは。ああ、エナとパーシヴァルさんが裏庭見学を拒否したのは、私とソルを二人にして話しやすくするためか。……ありがたいやら自分が情けないやら。
「マジでか……うひゃー恥ずかしい。迂闊に元気なくせないなあ」
「情緒不安定ねぇ……」
「うん、不定期だけどなんかがスイッチになって無駄にテンション下がる時があってさー。適当に気分転換してるうちに自然に治っちゃうから、気にしないで。そんなん誰にでもあるでしょ?」
苦笑と共に自分語り。けっこう罰ゲームだ。恥ずかしくなって、最後にこれは万人が当てはまることだろうと誤魔化した。
ソルはまだ探るように私を見つめている。
「本当にもう大丈夫なわけ?」
彼もけっこうな心配性だ。世話焼きだからかな。
彼を安心させるためにも、冗談めかして返した。
「うん、大丈夫。ソルが抱き締めてくれたし……えはは」
自分で言っといて恥ずかしかった。思わず顔を赤くして乾いた笑いを漏らす。
(これは寒かった! 言うんじゃなかった!)
しかし後悔した私の微妙な笑い声を聞いたソルが、爆発音が聞こえるくらいの勢いで顔を紅潮させた。
片手を頬に当てて隠しながら、大きな声でまくしたてる。
「わーっ!! 言うなよ! 流せよ! い、今更だけどなんか俺すげー恥ずかしいことした気がする!」
珍しい。私は意外なソルの反応に驚き、思わずニヤついた。こうやって言葉にされると恥ずかしいんだろうか。
からかう意図で盛大にニヤニヤしてやった。抱き締めるなんてことしてくれちゃった仕返しだ。
だが私の表情を見たソルが停止する。焦ったような顔をしていたはずの彼が、瞬時に無表情になった。あれ? カチン、とかいう音が聞こえた気がするんだけど。
「……じゃあさ、また落ち込んだら俺んとこ来てよ。気分上昇するまで抱き締めててあげるから。御希望なら添い寝も可。キスは一回5000ブランから」
不敵な笑みを浮かべての言葉に今度はこっちが赤面した。恥ずかし返しだと?
っていうか、値段設定。
「キス高いよ!」
「俺のテク甘く見んなよ?」
「テク披露するようなキスなの?! うわっ、ソルそれすげー破廉恥だよ。冗談だとしても男にそういうこと言わない方がいいよ」
私にネタにされたくなかったら金輪際言わないでくれ。別にネタにされてもいいならいいけど。むしろそれなら率先して言ってほしいけど。
「なんだよー」
「女の子に言ってあげなよそういうのは。ソルかっこいいから誰でも落とせるよ」
「友情を大切にする俺の心遣い無駄にすんなよー」
不貞腐れたように呟かれ、我慢しきれなくて笑った。ソルも笑う。心の底にあった鬱は、もう完璧に溶けてなくなっていた。
本当に良い友達を持ったものだと思う。異世界に飛ばされたせいで家族と会えないのは寂しいけど、心配してくれる人も慰めてくれる友達も揃っているのは本当に幸運なことだ。
現状では考え得る限りの最良の状況じゃないか。これで鬱になんか陥ってたらバチが当たる。
またひとつふたつ冗談を言って、二人して弾けるように笑ったのだった。
余談だが、イベント前に起こる友好を深める系の特殊会話では、恋愛フラグしかり、死亡フラグしかり、なんらかのフラグが立つ場合がある。
私はこの時それを失念していた。っていうか、現実にフラグなんか立つとは思っていなかった。
しかし忘れていてもしっかり立ってしまうのがフラグ。ご多分に漏れず、この会話でもあるフラグが立ったようだった。
裏庭から戻り、そろそろ時間も良いだろうということで礼拝堂へと向かう。
まさかさっきの会話で、鬱イベントフラグが屹立したなんて、この時の私は毛ほども気付いてはいなかったのであった。




