7‐(13).夢と現実
「……朝か……」
太陽が黄色い。珍しくニルがいない自室のベッドの上にて、私は呆然とした口調で呟いた。
今は、明け7の刻だ。寝た気がしないが、それもそのはずだった。昨日の祝勝会からギルドハウスに帰ってこれたのは、今日の明け2の刻。寝ることができたのは明け3の刻なんだから。
祭明けだし、アーラ・アウラの皆さんが帰る日でもある今日は休み。それが救いだった。見送りをしたらすぐ寝る。絶対寝る。
昨日の帰り際のカオス具合ときたら、大変なんてものではなかった。泣きに泣いて疲れ切ったその状態に襲い来る試練としてはきつすぎた。
まず、周囲の人たちの状態が正常ではなかった。ソルはなんだか知らないけどすごい勢いで落ち込んでいたし、イクサーさんはナンパ男に対する苛々とした態度を隠そうともしないし、リビルトさんは職務放棄してまで私と一緒にいようとするし。
一番正常ではなかったのが、ジェネラルさんだ。
そもそも怒るあの人なんて初めて見た。いつもおおらかで優しい彼があんなに激怒するなんて……彼はよほど性犯罪が許せないのだろう。
だが、私が引き起こした事態のせいでジェネラルさんが周囲の人を困らせるのはすごくよくない。あの場には彼に逆らえる人がいなかったようだったし、怖かったが必死に宥めにいった。
しかし彼は聞く耳持たなかった。「ヤマトは心配しなくていいから」と、見たこともないような怖い笑顔でひたすら繰り返していたのが今思い出しても怖い。頭を撫でられても心配しか浮かんでこなかったのも初めてだ。
そして、ナンパ男が目を覚ましたと騎士に伝えられた時のあの目と威圧感といったら……。あんな顔できるなんて想定外だ。なんだか、今後彼を見る目が変わってしまいそう。
その後止めたのにもかかわらず、彼はナンパ男と話をすると言っていってしまった。少しして帰って来た後の言葉が「大丈夫だ、もう怖くないぞ。この先うっかり顔を見ることもないようにきちんと処理するから安心しなさい」って何も大丈夫じゃないです全く安心できません。ちらりと目にしたナンパ男は体の微振動が止まらないようでした。
私は、体は振動しなかったものの、心の微振動が止まらなかった。心の聖域のダークサイド的側面というものは、あそこまでの精神的ショックを引き起こすものであるのかと衝撃を受ける。
やっとのことで、さあ帰るか、となった時も一筋縄ではいかず。
イクサーさんがカルーアさんを送るためにいなくなり、リビルトさんが職務のためにいなくなって争いの種が減ったのはよかったのだけど。待合室に戻る際にソルだけじゃなくジェネラルさんまでくっついてきたため、侍女さんたちが大騒ぎに。……もちろん、喜色満面的な意味で。
しかも、涎を垂らしそうな顔で「元より差し上げるために作られたものですので、着て帰ってください」とか言われてしまい着替えさせてもらえず、元着ていた服を渡されてソル共々そのまま帰ることになった。
さらにさらに、うっかり痛い足を庇ってひょこひょこと歩いていたらそれを見咎められ、出してもらった馬車に乗る以外の道程は全てジェネラルさんにお姫様抱っこで抱き上げられて移動することにまで。
何度降ろしてくださいと懇願しても、ジェネラルさんはおろかソルまで味方をしてくれず……めちゃくちゃ恥ずかしかった。あれでお姫様抱っこは三回目だ。しかも全部違う人相手。乙女ゲームの主人公かと、セルフで突っ込みを入れた記憶が鮮明に残っている。
で、ギルドハウスにたどり着いた後はジェーニアさんとニーファを起こして脱ぐのを手伝ってもらった。今考えても申し訳ない。
しかしあの時は本当にニーファがいてくれてよかった。
脱ぎ方もうろ覚えだったうえに、ドレスの保管方法なんてさっぱりわからなかったし……もうドレスなんて着る機会もないだろうとは思ったのだが、あそこまで上等な衣類をおざなりにするのは心臓に悪い。
服飾に詳しい彼女のおかげで処理が迅速に進み、後は化粧を落とすついでに風呂に入るだけで比較的さっさと寝ることができたのだ。
まあそれでも、睡眠時間がいつもよりだいぶ少なくなってしまったのだが。
回想をしている間も、気を抜くとベッドに倒れ込みそうになる。これから着替えて朝食に向かわなければならないというのに。
奮起して、力の入らない足に鞭打って立ち上がれば、昨日の靴のせいで足の裏が非常に痛かった。肉刺ができている。
(痛い……。散々だ、もう)
情けない気分になって、せっかく立ったというのにまたベッドに座りこみ、足の裏を擦った。
ああ、昨日、なんか途中まで楽しかった気がするのにな。正装したソルとかイクサーさんはかっこよかったしダンスはそれなりに楽しかったし、イベント自体はおいしいものだったんだ。それなのに、どうしてああやってドタバタと終わることになってしまったのだろう。
いや、原因は私か。私が悪いのか。私があそこでナンパ男を思い切り突き飛ばしたりしなければああはならなかっただろうか。
だったらもう、今度から誰かに迫られてもそのまま受け入れてしまおうか。長い人生、一度や二度くらい場の雰囲気に流されることがあっても悪くない。愛の伴わない勢いだけの肉体関係なんてね、どこ見たっていくらだってあるんだから。BLならばそれにすら滾ることがある。
……そこまで考えてみて、いやしかし、と反論が湧く。今考えたことが自分の身に降りかかると思うと……つくづく……。
(ないわー……。……実際昨日気持ち悪かったもんな……イケメンならなんでもいいってわけじゃないのか……)
人間の心は複雑だ。常日頃からただしイケメンに限るとか、イケメンになら強引に扱われたいとか言っていても、案外それは上辺だけのものなのかもしれない。
と、そんなことを考えていたら、もう明け7の刻から半刻ほど経ってしまっていた。
まずいまずい、昨日の昼食以降何も食べていないのだから、朝食を食いっぱぐれたら本当に死ぬ。
私は急いで、着替えだしたのであった。
◇ ◇ ◇
「じゃあなヤマト! 俺はもっと強くなるんだから、お前も強くなっとけ!」
「う……うん、頑張る……」
私の返事を聞いて、ルプスくんがふんと鼻を鳴らした。最初に比べれば、だいぶ仲良くなれているだろうか、もしかして。
朝食も終わった今の時間に、ロビーに集まるアーラ・アウラの皆さん。
皆旅装で、荷物を持っている。これから、ギルド本拠のある獣人の国イェルビートに帰るのだ。
けっこうな長旅になるらしい。来る時も通った道とは言え、無事な道程を祈るばかりだ。
私たちコロナエ・ヴィテの面々は見送りのためここにいた。知り合った人たちに声を掛けたり掛けられたり、視界の端ではエナが仲の良さそうな女の子集団と涙のお別れを交わしている。
「ご迷惑おかけしましたぁ……」
「またお会いすることがあれば、その時はよろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
ルプスくんの挨拶が終わると、ミセリアちゃんとノエムくんにぺこりと頭を下げられた。この子らはほんと、私よりもずっと大人びているように感じる。
なんだか彼らに関しては、ルプスくんを諌めている姿しか印象にないのが残念だ。もう少し、色々な姿を見てみたかった気がしなくもない。
「今度はイェルビートにも遊びに来てくれ。歓迎するよ」
「そうね、コロナエ・ヴィテの皆さんもたまにはいらしてくださらなきゃ」
「おう! そうだな! イェルビートはいいところだぞ! どんどん来い!」
ガドさん、レティシアさん、グラムグランさんが、快活に言う。
イェルビート、いつか行けると良いな。
他愛もない話をしながら、別れを惜しむ。今日限りでこの賑やかさが失われるかと思うと少し寂しい。
あまり遊んだりできなかったな。……人見知りってほんとに損だ。来年は頑張ろう。
「それでは……お世話になりました」
「来年の引率は私たちではありませんが、またよろしくお願いします」
ついに、出発の時間が来てしまった。
頭を下げる幹部陣の皆さんに、別れの言葉を掛ける。
ジェネラルさんが一歩進み出て、微笑んだ。
「それでは、道中気をつけてな」
「はい。……それでは、我々アーラ・アウラはこれで失礼します。コロナエ・ヴィテの皆さまも、ご健勝で」
別れの挨拶は済んだ。次々とギルドハウスを出ていく、アーラ・アウラの面々。
どんどん人が減っていくのが、やっぱり寂しい。
ほどなくして、コロナエ・ヴィテのメンバー以外はいなくなった。
「……いっちゃいましたねぇ」
「毎年思うが、この瞬間だけはギルドハウスが特別広く感じるな」
私の言葉に、ジェネラルさんが答える。この瞬間以外も広すぎるとは思うのだが、そこを突っ込むのは野暮だ。
「……さあ、明日からはまた仕事があるぞ。みんな、今日はゆっくり体を休めてくれ」
彼の号令で、集まっていたメンバーが散る。
私も部屋に帰って寝ようかと思い、その場を去ろうとしたのだが。
「ヤマトは少し残りなさい」
……なんでしょうか、怖い。昨日の今日だぞ。今朝会って普通すぎるくらい普通なジェネラルさんにせっかくほっとしていたのに。
びくびくしながら彼の傍で待機していると、去り際のソルがちらりと視線を寄越した。気になるなら助けてくれ。
そしてみんながいなくなり、ジェネラルさんが口を開く。表情は真剣だ。
「……ヤマト」
「は、はい」
「……大丈夫か?」
「……え?」
大丈夫か、とは。……真剣な顔で何を言われるかと思えば。
「大丈夫、って?」
「いいんだぞ、気を遣わなくて。昨日の今日だから、ショックが抜けきらなくても当然だ。見送りの時も、それを態度に出さずによく頑張ったな」
「え?」
「明日からの仕事だが、しばらく休みなさい。無理をすることはない。心の傷が癒えるまで、ゆっくり……」
「え、あ、あのジェネラルさん!」
一体何の話だ。彼は何を話しているのだ。心の傷?
「こ、心の傷って?」
「……昨日は、辛かっただろう。あんな男に、無理矢理、押し倒されて……ッ」
それを言う貴方の方が辛そうです。
なんてことだ。ジェネラルさんの中ではそんなにおおごとになっていたのか。
「だ、大丈夫です俺全然! あんなのよくあることですし、全然気にしてませんから!」
「……よく、ある、こと?」
冷え切った声。それに呼応したように空気が凍りついた。
もしかしなくても、過去最大級の失言をした気が。
「どこの、どいつだ? ……名前を教えなさい。わからなければ特徴だけでもいい」
「ち、違う、違います! 言葉のあやです! 過去にそういうことがあったって意味じゃなく、そういう話はよく聞くっていう……!」
漫画とかだと定番じゃないかああいうナンパ男。だから、違う。ジェネラルさんが考えているようなことではない。なんなんだ本当に。ジェネラルさんは性犯罪に厳しすぎる。
「……隠すことはないんだぞ。ヤマトは優しすぎる」
「だ、だから本当に違うんです。信じてください」
「……そうか」
必死の懇願に、ジェネラルさんがやっと納得したような表情になって溜息を吐く。溜息をつきたいのはこっちなのだが。
「なんにせよ、せめて明日だけでも休みなさい。昨日は本当に大変だったから、今日一日では疲れが抜けないだろう」
「あ、でも」
「いいから」
「……はい」
ああ、結局押し切られてしまった。
申し訳ない気持ちになって俯く。すかさず、頭の上に掌がのってきた。……撫でられてこの申し訳ない気持ちを有耶無耶にされそうだ。
「……すまないな、俺はこういうとき駄目だ。なんて言えばいいのか……」
(……)
心底から、かわいそうに、と思っているような口調からして……まだ私は心に傷を負ったことになっているらしい。
愕然とする。
私はどれだけか弱い女子だと思われているんだ? 一度ジェネラルさんの頭の中の私と会ってみたい。深窓の令嬢みたいなのが出てきたらどうしよう。どうもできない。
誤解は解きたいが……ジェネラルさん、昨日に引き続き聞く耳持たないモードだし。
いっそのこと、昨日みたいな展開むしろ歓迎ですとか言ってみる? いや、それでは人格を疑われてしまう。よし、ここは、少しえぐい言葉を使って彼の中の深窓の令嬢を打ち崩してみるか。
「……あの」
「どうした?」
「本当に、大丈夫ですから。レイプされたわけでもありませんし」
まずは軽すぎるほどのジャブだ。ジェネラルさんの反応は。
「……」
驚愕されているようだが、こっちが驚愕だ。……まさか固まるとは。
自分的にはジャブだと思っていたものが、彼的にはアッパーカットだったらしい。
しかしこの反応を見るに、深窓の令嬢は間違いなく存在した。今は多分殴り倒されただろうが。
「……ジェネラル、さん?」
「ヤマ、ト」
絶句した表情、絶望の声色。ちょっと、そんな顔されると、罪悪感が。
両手を肩にかけられる。……ジェネラルさん、手、震えてないか?
「……女の子が、そんな言葉を使ったら、だめだ」
「……は、はい」
それだけ言った彼は、ふらふらと行ってしまった。
(あれ……もしかしなくても、心に傷を負わせてしまった?)
後で謝ったほうがいいだろうか。……なんて思いつつも、一人になったことで今まで忘れていた眠気が蘇ってくる。
私は一つ欠伸をした。
(今日はもう、いいや。一回寝て、起きてから考えよう)
そう思った私は、自室へ帰るため、階段へと向かったのであった。




