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Trans Trip!  作者: 小紋
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幕間 7‐(12.5).アウトオブ眼中

 侍女たちに連れられ、祝勝会の会場へと向かうために連れ立って廊下を歩く中、ソーリスはあらためて隣を歩くヤマトに見惚れていた。


 先程までは彼の神々しさばかりに目を取られていたが、違った視点から眺めると、また違った魅力がある。

 例えば、桃色に染まった頬だとか、濡れたように光る唇だとか。パーツだけで見れば、神々しい、というよりは艶めかしい。

 特にヤマトが歩く度に揺れる胸などは、偽物だとわかっていてすら目の毒だと言えた。この神々しさに、この大きな胸。聖と性の共存によって生まれたギャップが、背徳感によるいやらしさを引き起こしている。ここまで考えてソーリスは、俗に塗れた自らの思考を悔いた。


(親父かっての)


「その……胸ってどうなってるの?」


 頭に生まれた妙な感覚を振り払うためが半分、好奇心が半分でヤマトに質問する。

 これまで生きてきて胸に脂肪などつけたことがないだろう彼が大して違和感もなさそうに動いているのが、ソーリスにとっては少し不思議でもあった。

 しかしその後ヤマトが取った行動が、ソーリスに自らした質問への後悔をさせることとなる。


「なんかね、水属性の魔法で……ううーん、うまく説明できない……触る?」


 両手で、胸元の柔らかそうな塊を持ち上げ、差し出してくるヤマト。

 その行動に、ソーリスは衝撃を受けた。

 触るか、なんて、そんな。


「……いい」


 あまつさえ近寄ってくる彼から遠ざかろうとソーリスが後ずさると、ヤマトはつまらなさそうに唇を尖らした。


「ええーなんで? おもしろくない?」


 唇を尖らすその仕草は可愛らしかったが、両掌でその二つの塊を抱える動作は可愛らしくない。

 ヤマトは時折、こちらが驚くような言動をすることがあるのだが……まさか乳を差し出されることになるとは、ソーリスも予想していなかった。

 ……言葉にすると全く意味がわからない。なんだ、乳を差し出すって。


「そういう問題じゃなく」

「えー? ……ん?」


 とりあえず、無理だ。平気な顔をして触ったりできる自信はソーリスにはない。そう思って拒否をすれば、不満そうな表情をされる。

 だが、すぐに話題は変わった。何かに気付いたような表情のヤマトが、すん、と鼻を鳴らす。


「いい匂いするね、ソル」

「ああ、香油のせいだと……それ言うんだったら、ヤマトのがすごいよ」


 いい匂いがする、なんて可愛らしいことを自覚なしに言ってくるヤマトに盛大に溜息を吐きたいのを我慢しつつ、いい香りの理由を教え、香りに関しての話であればむしろヤマトの方が言われるべき事柄なのであると指摘した。


 花の女神のようなヤマトからは、むせかえるような花々の香りがしている。ソーリスは香水に特別詳しいわけではないが、その匂いのセンスは悪くないのではないかと感じた。まあ、いささかつけすぎだとは思うが。

 大輪の美しい花を束ねたブーケのような甘さを持ち、それでいて清潔感を損なわないその香りが、ヤマトによく合っている。


 だがヤマトは気に入らないようだ。顔周りの空気を循環させるような手振りをしながら嫌な顔をする。


「いやもう、俺は香水風呂だったから。……そうか、香油かあ……そっちの方がよかったなあ……これ、多分花の香りなんだろうけど、臭くて……」


 ヤマトはそう言うが、こんな格好で男物の香りをつけたら似合わない。……他の男の移り香、というのであればわかるが……そんなことを考えたら照れが入ってしまったソーリスは、慌てて思考を変えた。

 未だ嫌そうな顔をするヤマトの首もとに顔を近づけ、匂いを確認する。香水はつけている者の体臭と混じるため、個人によって違う香りを発するというが……ソーリスにとって今鼻腔に届いている香りは、目の前の彼を思い切り抱きしめたいくらいにはいい香りだった。


(うん、やっぱり悪くない)


「そうかな。俺は嫌いじゃないけど」


 少し濁した正直な感想を口にすれば、ヤマトがするのは何故か微妙な顔。何かがお気に召さなかったようだ。


「……なんかソル、女たらしっぽい」

「え、なんで」

「そういう発言が自然にでてくるところが――うわっ」


 さらに文句を連ねようとしたところで、ヤマトがバランスを崩した。咄嗟に手を伸ばして受け止める。


「っと……大丈夫?」

「う、うんありがと……」


 見てみれば、ヤマトは明らかに歩きにくそうな細すぎるヒールの靴を履いていた。これではバランスも取りづらいだろう。

 ソーリスは自らの気の利かなさを嘆き、ひとつ提案をする。


「……歩きにくかったら、俺の腕とかに捕まって体重掛けてていいよ」


 いや、提案というより、ヤマトをエスコートしなければならないソーリスの立場からしたら当たり前の発言だ。本来ならばこういったことが起こる前にそうするよう促さなければならなかった。

 だが。


「え、大丈夫?」

「……それは、どういう意味で?」


 見るからに不安そうな表情になったヤマトに、心配のような言葉を掛けられる。

 ……意図は見えないが……悲しい想像が頭を過ぎった。自分はそんなに頼りないのだろうか? 体を預けることも出来ないほどに?


「いや、ソルさ……ただでさえここ来るの嫌だったのに、さらに疲れさせたら申し訳ないなって」


 理由を聞いてソーリスは脱力する。常に気を遣いすぎなヤマトの思いつきそうなことだ。


「……大丈夫だよ」

「……うーん、でもいいよ」

「……なんで?」

「なんで、って言われると……やっぱ、申し訳ないし」


 ソーリスの口から思わず溜息が漏れる。


(なんでこう、頼ってくれないのかなあ……)


 いつもこうだ。自分は彼の世話を焼きたいのに、断られたり、申し訳なさそうにされたり。

 そのことに対して、変なイラつきが生まれる。意地でも頼らせてやる、とソーリスは思った。

 がっと腰を抱き、細い体を自分の方向にぐいと引き寄せた。

 腰を抱いたソーリスの手に、慌てたようにヤマトの掌が重なる。剥がそうとしているのだろう、だがそうはいかない。


「俺はまともにエスコートも出来ない駄目男だと思われたくありません」

「……あ、そっか。ごめんね」


 少々強めの口調で言われたその言葉を聞いて、手はすぐに離れていった。


(きっと俺に恥をかかせちゃいけないとか、考えてんだろうな。的外れだ)


 多少不満だが、今は大人しく体を預けてきているのでそれでいい。


「謝らなくていいよ。……花飾り曲がってる」


 ヤマトの花飾りを直すために彼の頭上へと手を伸ばす。しかしそうして身動ぎをしたことでソーリスはあることに気付き、自らが墓穴を掘ったことを自覚した。


 密着した脇腹に、ヤマトの胸があたっているのだ。いや、正確には彼の胸ではないのだが。


 偽物だとわかってはいてもなんだかドキドキしてしまう自分は、本当にどうしようもない。そう思ったソーリスであった。






 その後会場に到着してすぐ、ソーリスにとっては天敵とも言える似非爽やか騎士とかイクサーとかと遭遇するという不幸はあったが、つつがなく撃退できた。


 ソーリスはヤマトの手を優しく握り、拙いステップをリードする。

 そしてリビルトやイクサーに心の中で高笑いを放った。ざまあみろ、だ。歯噛みして悔しがる二人の顔が脳裏に浮かぶ。


 今日のヤマトは、自分だけのものだ。


 なんといっても、神様公認のパートナー同士なのだから。


(光神の転生体様々だな)


 我ながら、都合が良いとは思う。祝勝会なんか参加するつもりもなかったうえに光神の転生体に男妾にされるんじゃないかとか疑っていた過去を考えると、その変わり身の早さに呆れてしまう。

 だが今は本当に感謝しているのだ。光神の転生体の思いつきだかなんだかわからない変な行動のおかげで、幸せを満喫できている。

 ダンスもパーティーも好きじゃないが、ヤマトを独占できるという権利を持てるのならば、心の天秤は圧倒的に幸せに傾く。


 ソーリスは周囲に遅れないよう必死でついてくるヤマトを見ていると、自分の中にある彼への好意の大きさをしみじみと実感する。

 真剣な瞳が例えようもなく美しい。


 ダンスに関しては本当に素人らしいヤマトに先程から足を踏まれ通しでも、ソーリスは幸せだった。

 まあ大して痛くもない。だが、ヤマトはいちいち謝ってくる。


「……う、ごめっ」


 謝るたびに手を離して止まろうとする彼の手を、ソーリスはそのつどぎゅっと握る。


「大丈夫。ほら、手ぇちゃんと握って」


 同じくらいの強さの力で手を握り返されるのが、ソーリスは嬉しかった。そういえば、こんなに長い間手をつなぐのなんて初めてではないだろうか。


「うん。……痛くない?」


 足のことをまだ気にしているヤマトに苦笑を返す。


「マヤは軽いから、踵で踏んでも大丈夫だよ」


 先程決めた偽名を使い、冗談めかして言うが、タイミングが悪かった。少し難しいステップのところに入ってしまい、ヤマトは話を聞く余裕がなかったようだ。

 こんな時は顔を見放題だから、それもまた良いのだが。


「う……あ、また」


 また二人の足が重なってしまうが、いい加減謝罪をさせるのもかわいそうで、ソーリスは謝られる前に先手を打った。


「でもステップ綺麗になってきた。うまくなってるよ」


 事実だ。踊っているうちにどんどん様になっていっている。もし今回が初めてなのであれば、ヤマトは飲み込みが早い方だろう。


「……ほ、ほんとに?」


 嬉しそうな顔をしたヤマトに微笑みかけ、佳境に入る曲に合わせて、大きな動きをすることを告げる。


「うん。……回るよ」

「わっ」


 ターンを繰り返すと、ヤマトのスカートが花弁のように広がった。


「ひゃー、ダンスっぽい」


 興奮に上気した笑顔で喜ぶヤマト。無邪気なその笑顔に、ソーリスの胸が暖かくなった。






 三曲目が終わったところで、演奏が一時止む。パートナーチェンジタイムだ。

 しかしソーリスは気が進まなかった。ヤマトを他の男と踊らせたくないし、自分も別に誰か他の人間と踊るつもりはない。


「マヤ、どうする?」


 別にダンスパーティーだからといって、無理に踊ることはない。闘技大会の優勝者だけでなく多くの貴族たちも参加するこの祝勝会なら、たった二人くらいいなくなったってどうってことはない。

 二人で静かなところに逃げてしまおうか、そう提案しようとしたときだった。


 勢い良くやってきた集団に、ソーリスは押しのけられた。


「姫君、一曲いかがですか?」

「プリンセス、そんな男の申し出より私の手をお取りください」

「おいおい、この姫さんは俺が目をつけてたんだぞ」

「こんな美しい方がお前らなんて相手にするはずないだろ、相応しいのはお金持ちの僕さ!」


 ヤマトに複数の男たちが群がる。

 押し退けられたことは腹が立つが、その男たちの気持ちは分からなくもない。何せヤマトは美しい。大多数の男にダンスの相手を求められて本気で困惑する顔すらも、とにかく美しい。

 この男たちは、どうにかしてヤマトとお近づきになろうと虎視眈眈と狙っていたのだろう。ヤマト以外眼中になかったせいでそれに気付くのが遅れたのはソーリスのミスだ。

 だが、しかし。自分のミスを棚上げする気はないが……気に食わない。


(お前ら全員お呼びじゃねーよ)


 心の中で暴言を吐きつつ、どうにかしてヤマトを攫おうと策を練る。だが、それも中断させられた。ソーリスの方にも複数の女子たちが群がってきたのだ。


「あなた、闘技大会の大剣部門で優勝してらした方でしょう? 誘われてあげてもよろしくてよ」

「ねえ、わたくしが一緒に踊ってあげますわ。おいでなさい」

「こんな身分の低い小娘たちより、私が一緒に踊ってあげるわ。ほら、いらっしゃい」

「あ、あんたなんかと踊りたくなんかないんだからねっ!」


 最後は誘い文句なのかどうかすらわからないのだが……どの女性も化粧が濃いし、ギラギラと獲物を狙う目で品がない。

 ヤマトのような穏やかな美しい瞳をした淑女はどこにもいない。私が、私がとどんどん突っ込んでくる者たちばかりだ。


(ダメだ、耐えられん)


 我慢できなかった。

 女の壁と男の壁を順に乗り越える。


「……ごめんマヤ」


 やっとのことでヤマトの傍らまでたどり着くと、彼の手を取って足早に逃げ出した。


 背後からブーイングが聞こえるが知ったこっちゃない。外の空気を求めて足を進める。


 広い大広間の壁際にあるガラス戸を抜ければ、白い石材で作られたバルコニーへとたどり着いた。


 まだダンスタイム中だけあって、夜の帳が下りたバルコニーはほとんど人がおらず、そこはしんと冷えた空気を湛えている。


「……はあ」


 やっとのことで静かなところに来れた、と溜め息。ソーリスは思う。やはり、こういう会は嫌いだ。手をつないでいるヤマトの存在が救いだった。


「あ、ソル……ごめん」


 ほっとしていると、何故か謝罪の言葉を掛けられる。

 また何か、自分が悪いとか、自分のせいで、とか考えているのだろうか。


「……いや、俺こそごめん。勝手なことした」


 であるならば、今のは自分のわがままだ。ヤマトが謝ることではない。

 あの女たちの中から一人選んで踊るのは嫌だったし、他の男の腕の中にいるヤマトを見るなんてもっと嫌だった。

 困惑した表情から言って、ヤマトも赤の他人と踊ることは気が進まないのだろうと思ったが……実は踊りたかった、とかだったらどうしよう。少しだけ絶望して、ソーリスはヤマトを窺う。


 しかし、ヤマトが浮かべていたのは、笑顔だった。月明かりに照らされたその表情はとても綺麗で、思わず見惚れる。


「いいよお、逆にありがたかった。どうせ俺ソル以外とじゃ踊れそうにないし」

「……え」

「ソル、リードうまいよね。俺ダンスなんか初めてだったけど、それっぽい感じになってた気がする」


 ……少し、期待してしまったではないか。

 ただダンスの技巧の話とわかり、ソーリスは落胆した。


「……そっちか」

「ん? そっちって?」

「なんでもない」


(ソルとじゃないと踊りたくない、って言ってくれないかなあ……無理だな)


 そんなことを言われてしまったら、もう離さないのに。


「ソルは良かったの? 女の子と踊らなくて」


 そんなのは愚問だった。目の前に、考え得る限度を超えて最高なパートナーがいるのに、他の女となんか踊っていられるわけがない。


「……あー、うん、いいの。俺こういう場に来るような女の子苦手だし」


 野心を持った貴族の子女や、若くていい男を捕まえて遊ぼうとか考えている女子は駄目だ。目が怖い。さっきの連中なんかもろにそれだった。

 その点、ヤマトはそういったことを全然考えておらず……もう比べるのも馬鹿らしいから止めよう。ヤマトにも失礼だ。


 相槌を返すパートナーを見つめながら、ああ、そうだ。とソーリスは気がついた。そういえば、広間のテーブルにあれだけ料理が並べられているというのに、自分たちは全く手をつけていない。夕食もまだだった。


「お腹減ってない?」

「あ、減ってる」

「俺料理取ってくるよ」

「じゃあ俺も一緒に……」


 提案すれば、ついてこようとするヤマト。

 だが彼は広間に戻ればまた群がられてしまう。しかもあの高くて細いヒールで踊ったりしたのだから、足もかなり痛いだろう。そうソーリスは予測する。


「いい加減、足痛いでしょ。座って待ってて」


 ここなら休憩用のベンチもある。それだけヤマトに言い、ソーリスは給仕をするために広間へと戻っていった。





「ね、あなた……大剣部門の優勝者でしょ? 名前はなんていうの?」


 ビュッフェテーブルに向かう道すがら、ソーリスは女に声を掛けられた。

 振り返って声の主を確認したところ、化粧の濃すぎる、まさしくソーリスの苦手とするタイプの女がそこに立っていた。表面に出しはしないが、心の中で顔が引き攣る。


「……何、お姉さん。なんか用?」


 思わず返答もレディに対する物ではなくなるが、女は余裕を見せるかのように笑った。


「まあ、ご挨拶ね。……でも気が強い子は嫌いじゃないわ」


 女がソーリスに接近し、腕を絡ませた。彼女が近づいたことで品のない香水の匂いが鼻腔を刺激し、気分が悪くなる。

 そして振り払う気も起きずただ無感情に立っているだけのソーリスをどう勘違いしたのか調子に乗ったらしい女が、耳元で囁いた。


「……ねえ、2人で抜け出さない?」


 どうやら、色目を使われているようだ。

 だがソーリスは靡くどころか鼻で笑いたいような気分になった。頭の中に今日のヤマトがいる限り、どんな女の色仕掛けも滑稽でしかなかった。


「ごめんね、俺今忙しいから」

「あ、あら、どうして? あなたパートナーをバルコニーに置いてきたじゃない。誰か他の人を探してるんでしょ? だったらあたくしがいいわ」


 軽く流して去ろうとしたソーリスを、女が引き留める。女の顔は少し引き攣っていた。恐らく自信過剰なこの女は、自らの誘いが断られるとは思っていなかったのだろう。

 そのためかなり驚いたのだろうが、ソーリスもまた大変驚いた。まさかこの女が自分のパートナーとしてのヤマトを見た後で声を掛けてきたとは思わなかったのだ。

 思わず、聞く。


「……お姉さん、俺のパートナー見てどう思った?」

「ええ? ……悪くはないけど……あんなちんちくりんを相手にしてるんじゃ、あなたの格が落ちてよ?」


 ……ちんちくりん? 言語センスの古さにも驚くが……。

 ソーリスは自分の頭が一瞬で冷え切ったのを感じた。

 ヤマトに、あの女神の化身に暴言を吐けるだけの身なのか? この女は。顔の造作は悪くないだろうに、一気に醜悪なモンスターか何かに見えてきてしまった。


「……それ、本気で言ってる?」

「……どういうこと?」


 まずい、止まらないかもしれない。頭が冷え切った反面、口がよく滑る自分を自覚しつつも、ソーリスは言葉を続けた。


「あんた、ヤマトを自分より下だと思ってんの? ……いっや、驚き。あんたみたいな自意識過剰の塊初めて見た」


 マヤという偽名を使うことも忘れて、目の前の女を扱き下ろす。すると女の顔は、みるみるうちに屈辱に歪んだ。


「なっ……!」

「どいてくれる? 俺のお姫様がお腹空かせて待ってんだわ」

「この……っ! あたくしにそんな口きいて、ただで済むとお思い?!」


 今度こそ醜悪に歪んだ顔で言う女。何か合図をしたのだろうか、ボディガードらしき男たちがどこからともなく現れて、ソーリスを取り囲む。

 どうやらそれなりの立場があるか金を持っている人間だったようだ。だが、それを自分の自尊心を守るためだけに振るってしまうというのはどうなのだろうか。


「……あーあー、皺が増えるよおばさん」


 流石に、乱闘はまずい。服も借り物だから汚せない。だが黙ってやられるわけにもいかない。

 だったら……。


「じゃーな!」


 逃げるのみだ。

 金切り声でヒステリーに叫ぶ女の声を聞きながら、追手を撒くために、ソーリスは走りだした。






(予想以上に、遅くなった……ヤマト怒ってるかな)


 あの後追手を撒くのにかなりかかってしまい、ソーリスは今、慌ててバルコニーへと向かっていた。料理は一応取ったが、ヤマトの好物を厳選できなかったことが惜しまれる。


 もうちょっとあの女とのやり取りを穏便に進めることが出来ればこんなことにならなかったかもしれない。ヤマトのことだとどうも平静を失いやすい自分を反省しながら、ソーリスは歩みを進める。

 しばらくしてバルコニーの付近まで行くと、何やら人の声のざわめきが大きくなるのを感じた。


(……ん? なんか、騒がしい?)


 嫌な予感だ。


 そしてたどり着いたバルコニーでは、先程ほとんど人がいなく静かだった時とは比べ物にならないほどの人だかりができていた。

 動揺が心を揺らす。もしや、ヤマトの身に何かあったんじゃないだろうか。後から後から湧いてくる嫌な想像を打ち消しながらヤマトを探すと、人だかりの中心地に純白のドレスを見つけた。


 一見は無事だ。少しほっとしながら、慌てて駆け寄る。


「……何があったの!?」


 声を掛けると、ヤマトがソーリスに気付いた。と、瞬く間に、ヤマトの瞳から宝石のような涙が、ほろほろと流れ出す。


(な、んで――。何があったんだ!?)


 ソーリスがぎょっとすると、ヤマトはぐしゃりと顔を歪めて口を開いた。


「うわあああソルぅぅぅどうしよおぉぉ人殺しちゃったかもおお」

「ええっ!?」


 そのあんまりな内容の告白に驚きつつも、とりあえず料理を平らな場所……石のベンチの上にでも置く。

 状況は全く理解できないのだが、ひとまず泣きじゃくるヤマトを落ち着かせるために頭を撫でた。


「……遅いですよエスコートの方。何をしていたんですか」


 すると横から、嫌味と棘が多分に盛り込まれた言葉が届く。

 ……いたのか、騎士。ヤマトばかりを見ていたせいで、気がつかなかった。ソーリスはリビルトと目を合わせて嫌な顔をしながらも、尋ねた。


「……何、何があったんだよ」


 ヤマト泣いているし、バルコニーは野次馬だらけだし……もうこの際こいつでもいいから、説明してほしいとソーリスは求める。

 リビルトは、壁際に倒れている一人の男を指さして答えた。


「あの男がヤマトさんに無理矢理迫ったんです」


 一瞬ソーリスは、理解が出来なかった。そしてさらに一瞬後、倒れてる男を踏みつけて殺したくなった。

 明らかに重さを増した場の空気を読み取ったのか、ヤマトが慌てる。


「あ、ち、違うの。あのね。無理矢理じゃなくてね、普通に迫られたんだけどね、俺びっくりしちゃってどうしようってなって、それで突き飛ばしたら力が入っちゃって……」


 しどろもどろになりながらも倒れる男をかばうヤマトに、腹が立ってしまった。


(なんでかばうんだよ……! ヤマトは馬鹿力だけど力加減はできてる。それを忘れるくらいには動揺させられたんだろ……?!)


 だがそれをヤマトにぶつけるのはお門違いだ。何をされたのかも全て聞きだしたいが、今のヤマトには酷だろう。ひとまず泣き止ませて……。


 そう考えてヤマトの頭を抱え込んでいると、騎士が一人リビルトの傍へとやってきた。何事か報告して去っていった騎士を見送り、ヤマトがリビルトへと縋りつく。


「し、死んでますか? 俺逮捕されますか?」


 不安そうに言葉を連ねるヤマトに、リビルトが微笑んだ。


「大丈夫です、少し調べた限りでは脈はあるし、呼吸も正常だそうですから。気絶しているのでしょう」

「よ、良かった……」


 優しいヤマトのことだ、無意識のうちにも力加減がきいてたのかもしれない。ソーリスはそう考えて、ほっとするヤマトの頭をもう一度撫でた。


「問題は別のところにもありますが」


 ひとつ問題が解決したというのに、まだあるのか。リビルトが、男の傍でもめている一団に視線を向ける。


 そこには。


「うちのギルド員が暴行を働かれたんだぞ!? どうして俺が黙っていられると思うんだ!?」

「ジェネラル殿、抑えてくだされーっ!」


(……なんでジェネラルさんいるんだよ)


 どうしてだかわからないが、コロナエ・ヴィテのギルドマスター、ジェネラルが怒り心頭といった感じで今にも暴れ出しそうにしていた。


「……ひどいことになってんな」


 あの人があそこまで怒っているところは初めて見たかもしれない。結構な衝撃を受けたソーリスは怒りをジェネラルに吸い取られたような気分になって呟いた。

 すると、リビルトがソーリスに忌々しそうに言葉を投げかける。


「ろくにエスコートもできない誰かさんの責任によるところが大きいと思いますが」


 ソーリスはそれに対して何も言い返せない。

 ヤマトに向き直る。涙腺が壊れたままなのか涙は止まっておらず、オリーブ色の翡翠の瞳が溶けて落ちそうだった。


「……ごめん、ヤマト」


 ヤマトの涙に胸を締め付けられるような心地になったソーリスは、謝罪の言葉を零す。


(ここまで泣かせたのは俺のようなもんか。情けな……、好きな相手にこんな思いさせるなんて)


 だが落ち込むソーリスのことを、ヤマトは泣きながらも気遣った。


「ソル悪くないよお、俺のせいだよ……」


 それを聞くだに、ソーリスの中の情けなさが増す。


「ヤマトさん、それは違う。全てはこの男が……」


(くそっ、ほんとにこいつ嫌いだ。わかってるっつーの……)


 だが自分の非を認めているソーリスはリビルトに噛みつく気にはなれない。そのため、リビルトを無視してヤマトに向き直り、循環するかのように同じやり取りを繰り返そうとした。


 その時だった。


「何の騒ぎだ……ヤマト!? どうしたんだ一体!」


 イクサーが騒ぎを聞きつけて現れたのだ。遅いうえに、先程終わった問答を蒸し返している。


(お前タイミング悪いんだよ!)


 ソーリスの旧来の天敵は泣いているヤマトに近づき、すごい勢いで詰問しだした。


「誰に泣かされた? リンドか?」

「ち、違いまひゅ……」

「だったらどうして泣いている! 泣くようなことがあったんだろう!」


(お前に怯えてんだよ! なんだその形相! 鬼か! ヤマト泣いてるんだからもっと気を使えよ!)


 突っ込みたかったが、この事態を引き起こしたと自覚があるソーリスは、それを声高に叫ぶことはできなかった。


 結局この後リビルトがイクサーに事態を説明し、イクサーが鬼から修羅に進化することとなった。

 殺人を犯しかねない勢いの奴を幇助しようかとも思ったが、ヤマトが滂沱の涙を流しながら止めに入ったのでお互い頭を冷やすことにしたのだった。

 しかしリビルトも止めようとしなかったところを見ると、あの瞬間だけは自分たちは思いを同じくしていたのだろうと、ソーリスは思う。


 そして、最後。

 一番クールダウンに手間がかかったのはジェネラルだった。

 ……どうしてあの場にジェネラルがいたのかを、ソーリスはしばらく経っても聞けていない。


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