7‐(9).プレッシャーに打ち勝て
闇と星月をモチーフにしたシックな旗が街中に飾られる今日は、闇神祭。センス良く飾り付けられた闘技場内の石の舞台を囲む客席は、熱気と興奮と歓声に溢れていた。
拳闘士が拳を打ち合わせ、ひとつクリーンヒットが出るたびに観客が声を上げる。そこにいるほぼ全ての人が楽しげだ。パンチが当たるたびに痛そうな顔をしている人もいるが、それでも試合の運びを恐る恐る見守っていた。
客席は石の舞台の四方を囲む形で存在しており、一般席、優待席、貴賓席、本部席と分かれている。
一般席は通常チケットで入場する一般客のための席であり、席同士の間隔はあまり開いておらずごみごみしていた。それに比べて優待席は足を伸ばして座れる程度の余裕があり、そこに席をとる人々は身形のいい人物が多い。そして貴賓席は国幹部や国賓など身分の高い人間が座る席で、騎士団に警備されたそこはある種別世界のようだった。実は、一般席の中でもこの貴賓席の真向かいにある席はだいぶ値が張るらしい。
本部席はいわずもがな、闘技大会の運営者が使用する席だ。私が知っている中ではカヴァリエを含む、主催ギルド陣の幹部がそこに詰めているらしい。
今私たちがいるのは、優待席。普通の客席よりは幾分か静かで、舞台が良く見えるそこに、私は座っていた。
……俯いて肩を落としながら。
実は既に今日の分の片手剣部門の試合は終了しているのだ。結果はどうだったか、なんて。
……負けた。完膚なきまでに。手も足も出せなかった。
片手剣部門の初戦、戦った相手の名前も顔も覚えちゃいないが、全く動けずに私は負けた。その敗北の一番大きな要因は……。
「まさか、あそこまでとは思ってなかったわ」
「……うん……俺もあそこまで緊張したの生まれて初めて」
そう、緊張、だった。舞台を取り囲む大観衆の重圧に私は負けた。
首を上げるのも億劫で、のろのろと客席に視線を巡らせる。
一体、なんなんだこの人数は。まったくもってあり得ない。舞台に上がる前から歓声の大きさで嫌な予感はしていたのだが、実際目にしてみたら客の多さに圧倒された。悪い意味で。
何百何千というレベルではない人の視線が自分に集まるのに、一瞬にして思考が純白に染まった。そんなの、学校の全校集会で前に出るのにも緊張するレベルの私が太刀打ちできるわけなかった。
まず手が震えだす。次に膝だ。手足から発生した震えは体全体に伝わり、しまいには視界まで揺らした。あともうちょっとで吐いていたと思う。
そんな生まれたての小鹿状態だった私に、残酷にも試合開始の合図はくだされてしまったのだ。
……で、現在の状態になっているというわけ。
力を発揮できなかったことが情けないやら指導してくれた人や見てくれていた人に申し訳ないやら。暗雲オーラを背負ってギルドのみんなのところに戻ってきた私は、すいませんと謝る前にものすごい勢いで慰められてしまった。……客席から見ていても、どれだけ緊張していたかわかるくらいだったらしい。
ニーファですら怒らなかった。絶対怒られると思っていたのに。それがなんだか余計なダメージとなっている。
「……ちょっと、元気出しなさいよ」
ほら、こんなこと言ってくる始末だ。
らしくない、らしくないよニーファさん。もっと私を怒ってください。「なんであのくらいで緊張してんのバカじゃないの?!」とか言ってくれた方が、まだ救われるんだ。
「……怒らないの?」
俯いたまま尋ねる。っていうか、怒ってほしいんだけど。
だが、望み通りにはいかなかった。むしろかなり声を抑えて和らげたニーファが、諭すように言う。
「もともと、勝つことが目的じゃないでしょ」
「……そうなの?」
……ああ、でも、そんなこと彼女は言っていたような気がする。
「あんたに自分の実力を知っておいてほしかったの。……だけど、闘技大会はそれに適切な場じゃなかったみたいね」
「うん、そうみたい」
まさしくその通りです。
だが昨日は楽しかった。あれは、人がいなくて緊張せずにのびのびと戦えたからなのだ。得意のゲームだって、後ろに見ている人がいると下手になる私のガラスハートに死角はない。人の目さえ気にならなくなれば、多分もっと楽しい人生を送れたはず。……前の時も、今の時も。
「まさか、あんたがここまであがり症とは……」
「すいません」
ニーファの呟きを聞き申し訳なくなって謝った私の言葉に、何謝ってんのよ。と言葉が被せられた。彼女の顔を見ると、なんだか神妙な顔をしている。
「……まあ、あたしも次からちゃんと聞くようにするわ。今回のであがり症だってのはわかったから、人の多いところは極力避けるようにもする」
「あ、それはほんとにお願い。もう俺やだよーこんなの出るの」
切実にお願いしたかったことを、会話の流れでやっと伝えることが出来た。ついでに、冗談めかして苦笑しながら本心を言ってみる。
すると、ニーファはなんだかひどく驚いたような顔つきになった。
「……もしかして……嫌、だったの? 今回出場するの」
「……へ?」
……なんだか、こっちこそが驚くべき言葉を聞かされた気がするのだが。驚愕の表情を隠さない目の前の彼女の瞳をまっすぐ見つめる。新緑色の瞳は驚きに見開かれ、そこに嘘はない。
彼女の問いに答えられないまま固まっている私の背後から、エナがにょきっと顔を出した。
「ヤマトォ、あれしたいとかそれしたいとかほんとは出たくないとかそういうの、ちゃんっと言わなきゃニーファ絶対気付かないよ! 言葉そのまんまで受け取るからね、ニーファは!」
「……ほんとに?」
ニーファの反応をみるだにエナが言っていることに間違いはないのだろうが、思わず聞き返してしまった。
「……そう、他人の心情を察するのは得意ではないわね。……悪かったわ。あと、今度から嫌ならちゃんと言って頂戴」
「……あ、はい……わかりました」
ああ、そういえば、闘技大会に出るなんて聞いてない、とか出るのは心配なんだけど……、とかなら言った気はするが、ストレートに出たくないとは一度も言ってない。もとい、言えていないことに気付いた。
考えてみれば、今までの彼女とのやり取りはそういうパターンばかりではないだろうか。なんという……私ははっきりと自分の意思を伝えなければいけなかったんだ。
……彼女は、てっきりあえて空気を読まないタイプの人だと思ってたから……まさかやろうと思っても空気を読めないタイプの人だったとは。空気を読むスキル完備の日本人からしたらかなり信じられないことだが、人間いろんな人がいるってことだろうか。
神妙な顔で黙り込み、膝に肘をのせて頬杖をついたニーファ。
なんとなく喋りづらくなって私も黙ると、エナがぽそりと耳打ちをしてきた。
「意外とね、落ち込んでる。今」
顎でしゃくられ、ニーファを示された。
(……落ち込んでるって……ニーファが!?)
「……ま、まじで?」
小声で驚きを返すと、エナが苦笑しながら頷いた。
「うん、今みたいなことがあると結構落ち込むよ。実は気にしてるらしいから」
その言葉を信じられなくてニーファを凝視していると、キルケさんが彼女に近づいて肩を組んだ。セクハラだ。しかし。
(……殴らない、だと?)
いつもならば鉄拳制裁。だが、今日は嫌そうに腕を外しただけだった。キルケさんも何かを察したらしく、それ以上何もせずに黙って横に座っている。
その後も彼女は何も言わない。
「すぐ復活するから、ヤマトが気にしなくても大丈夫だよぉ」
ニーファの方向をちらちらと窺う私に、エナが言う。それに歯切れ悪く頷いて、前に向き直った。
今舞台上では拳闘部門の5試合目が行われている。これが終わって、さらにあと一試合終わればソルの出場する大剣部門の試合が始まるのだ。
さっきまで落ち込んでいたらしいニーファはもう復活している。少し調子に乗って抱きついたキルケさんにアイアンクローを繰り出していた。あまりの見事なその技に歓声を上げる。メキメキと音がするが、彼の頭蓋骨は大丈夫だろうか。というかニーファ、少し腹いせも上乗せされていませんか?
びっくりしたり歓声を上げたりで、だいぶ気分も上向いてきた。もう少ししたらソルの応援しなければいけないんだから、それまでに完全に気分を入れ替えよう。そう思った時だった。
「ヤマトー!!!」
背後から絶叫。名前を呼ばれて跳び上がらんばかりに驚いた私は振り返る。
立っていたのは、鬼のような形相をしたルプスくんだ。そういえば、昨日の試合以降、顔を合わせるのは初めてだった。
「な、なにっ!?」
「お前ぇ、なんで俺に勝ったのに初戦で負けてんだよバカー!!!」
鬼の形相で詰め寄られる。それについてはもうごめんとしか言いようがない。
「しかも対戦相手、あんな奴なら俺でも勝てたし!!! なんで本気出さないんだよ、嫌味か!?」
「い、いやそんなことは……緊張しちゃって」
「緊張!??! なんでそんなことで……ああもう!!!」
ルプスくんは堪りかねたように自分の髪をグシャグシャとかき乱し、声にならない怒りを消化させようとしているようだった。
ああ……申し訳ない。今日のような体たらくになるんだったら、ほんとに昨日彼が勝っていてくれればよかったのに。
しかしそんなことを言っても彼の怒りを煽るばかりだろう。二の句を告げずに黙っていると、顔を上げた彼が私をギッと睨んだ。
「この優男! 次戦う時は絶対負かしてやるんだからな!」
「……は、はい」
ルプスくんの勢いに圧倒され思わず頷く。ふんと鼻を鳴らした彼は踵を返してさっさと行ってしまった。
彼……どうやって優待席に入ってきたんだろう。警備がいるはずなのに。大笑いするエナの声を聞きながら、不思議に思ったのだった。
ルプスくんが走り去ってから少しだけして、ソルを激励するために席を外していたジェネラルさんたちが帰ってきた。
「おかえりなさい。ソルどうでした?」
「ただいま。ちゃんと集中できてたわよぉ」
エデルさんの言葉を聞いて安堵する。実は、自分の落ち込みでいっぱいいっぱいだった精神状態から立ち直ってからは、少し彼のことを心配していたのだ。あの素敵な事件以降精彩を欠いていたソルがいつも通りの力を出せないとかかわいそうだし。
ほっとした私の頭上に、大きな掌がのせられ、そのままぐしゃぐしゃと掻き混ぜられた。
「そういうヤマトは元気が出たか?」
「あ……はい。お騒がせしました」
ソルの激励に向かう前まで、落ち込む私を一番心配してくれたのはジェネラルさんだった。ニーファの意外な弱点とルプスくんの襲撃ですっかり気分がそれどころではなくなった私が苦笑して謝ると、彼は手に持った袋を差しだす。
「あがり症はそう簡単に治せるものではないからな。……ほら、努力賞」
受け取って中を見てみれば、魚介焼きが入っていた。
魚介焼き、とは何かと言うと。名前から連想されるのはただ魚介類を焼いただけのものだが……元の世界で言う、たこ焼きのたこの部分が様々な魚介になっている感じだ。貝類ならまだしも魚なんか入れてうまいのかと思うが、意外といける。
予想外に手に入れたおやつにほくほくしながらお礼を言うと、もう一度頭を撫でられた。
(ほんっとジェネラルさんに撫でられると安心するなあ……さっきまで敵だった世界が一気に味方になったみたいな……)
そんな感覚すら覚える。緊張のせいで大恥かいて敵だった周囲が、一気にいつもの世界に早変わり。まるで魔法の掌だ。
にへ、と締まりなく笑って、がさがさと袋を漁りだす私であった。
もらったおやつをエナと奪い合いながら食べていると、トイレに行っていたヴィーフニルも戻ってくる。すとん、と私の横の席に座った彼に声をかけた。
「ニルおかえり、遅かったね。トイレ混んでた?」
トイレに行ってくる、と言って席を外した割には、だいぶ遅いなと思っていたのだ。
「………………うん」
おや、なんだろう。彼の様子に違和感を感じる。
トイレに行く前、私を慰めていた時と比べて、元気が無いような……。様子を窺おうと思ったら、横から手がにゅっと伸びてきた。
「あっエナそれ最後の一個……! あああ~!」
「ぼーっとしてるからだよぉ~」
魚介焼きのラスいちを食べられてしまった。なんということだ。悪戯っぽい笑みで笑ったエナが口に少し冷めた魚介焼きを放り込むのを絶望の眼差しで見つめる。
「俺がジェネラルさんに貰ったのに……俺の努力賞なのに……」
「甘い甘い、おやつは常に奪われる覚悟で挑まないと! 常識だよ!」
どこの世界の常識だ。兄弟二桁クラスの大家族じゃあるまいし。
私にも兄と妹がいたが、兄はあまり食に興味が無かったし妹は美容体重だったしでそんな食争奪戦に参加したことがないのだ。
くそう、遅ればせながら食べ物の恨みは恐ろしいってことを理解した。今度エナの好物を奪ってやる。
「あ、大剣部門の試合始まるわぁ」
恨みの炎を燃やした私だったが、エデルさんのその言葉に一瞬で鎮火した。石の舞台に意識を集中させる。
……ヴィーフニルのおかしな様子は、それきり忘れてしまったのだった。
石の舞台の脇にある出入り口から、闘技大会第剣部門の参加者……各ブロックを勝ち抜いた7人が入場してきた。
これからこの7人でまたトーナメント戦が行われ、明日行う準決勝戦の出場者を決める。昨日圧倒的強さを発揮したソルはシード選手らしく、今日は一度勝ってしまえばもう準決勝進出だという。素敵な事件のせいで不調だったのに、ソルすごい。
並んだ選手たちは皆一様に筋骨隆々で、あんなものを振り回すのかと驚くような大きさの剣を軽々と持ち上げていた。ソルはその中ではひと回り以上小さいのだが……うん、かっこいい。イケメン度合いではぶっちぎりだ。場内からも黄色い歓声が飛んでいるが、それのほぼ全てがソルに向いたものじゃないかと思う。
不敵な笑みを浮かべていたソルが、ある一点に視線を向けた途端ものすごい勢いで顔を反らす。
(……?)
不思議に思って彼の元向けていた視線を辿ってみると……そこは本部席。いたのは……。
(イクサーさん?)
主催ギルド陣に名を連ねるカヴァリエのギルド長である彼は闘技大会に出場せず、本部席に詰めている。
イクサーさんもまた誰もいない壁側に不自然に顔を反らし……ってまさか。
(もしかしなくても……!)
間違いない、あれだ。いつもなら無視するか睨み合うはずの2人が不自然に目線を反らす理由なんて、あれしかなかった。胸が高鳴る。
(間違いないよーあれだよー素敵過ぎる事件だよーイクサーさん間違いなく覚えてるよーしかもなんでそんな遠い位置にいるのに通じ合ってるんだよー)
頭の中に一気にお花畑が咲いた。色とりどりだが、ピンクが多い。
彼ら二人の間にはだいぶ距離があるはずなのに、その通じ合い具合ときたら……ああ、素晴らしきかな色事の後のイケメン2人。
おもしろすぎる。偶然ばったり廊下で会ってしまったりしたらどうなってしまうのか。会わせたい、すごく会わせたい、本気で会わせたい。腐女子的ミラクルを起こした2人なら、きっとさらなるミラクルを起こしてくれるだろう。
試合でのソルの勝利を祈りつつ、ミラクル発生のほうにも期待を掛ける。……いや、こっちの方が比重が上かもしれない。……私ってホント、友達甲斐のない奴だ。
大剣部門の試合が終了し、控室までソルを迎えに行くために廊下を歩く。試合結果は、圧倒的強さを見せたソルが余裕で勝利。自分よりひと回り以上小さな相手に倒された巨漢が、すごく悔しそうにしていた。
控室に到着すると、ソルはもう身支度を整えていた。
「お疲れーソル! 準決勝進出おめでとう!」
「あんがと! ……ヤマトは、残念だったな」
試合前の素敵な通じ合いと彼の試合でテンションが上がっていた私は、元気良く声を掛けてソルとハイタッチを交わす。
最初は嬉しそうにしていたが、その後少し言いにくそうに私の試合結果についても触れたソルに、笑顔で言った。
「もう気にしてないから大丈夫!」
そっか、とほっとしたような顔で言うソル。ああ、良い奴だ。良い奴だけど、私は多分君の不幸を願っている。
多少の罪悪感に苛まれながら、他の皆から労いの言葉を掛けられるソルを眺める。
控室にいつまでも留まっているわけにはいかず、少ししてさあ帰るかという段になった。
さあここからが勝負だ。どうにかして本部席の近くに……と頭を回転させはじめた私の目論見は無駄に終わった。……良い方向に。
控室の扉を開けて外に出たソルの動きが止まる。どうかしたのかと思ってひょいと彼の脇から前方を見ると……。
(……み、ミラクルッすごい……やっぱりこの2人すごいッ)
ソルの視線の先にイクサーさん。彼も同じように硬直している。
奇跡を驚く半面、やっぱりね! と思った。やはりこの2人何かある。お約束の神に愛されている。
世界が終わりそうな形相で固まった2人が、ゆっくりゆっくりと目を反らした。顔面蒼白だ。にやにやを通り越して笑い出したい私は必死で我慢。
そこには罵り合いも、険悪な雰囲気もない。ただただ、気まずい無言。
やがて一言も言葉を交わさずにイクサーさんは行ってしまった。コロナエ・ヴィテがほぼ全員集まっていたというのに、挨拶する余裕すらもなかったらしい。
後には、まだ血色が戻らないソル、何がなんだかわからないギルドメンバーと笑いを堪えるばかりの私が残された。
(わ、笑っちゃだめだ。怒られる。……し、しかしつつきたい、つつきたいぞ!)
ここは本能の通りに行くべきだろうか。
「……ね、ねえソル」
「……な、何」
声が震えていますよ。
「今、イクサーさ」
「うわー!!! その名前は聞きたくない! 聞きたくないから止めて!!!」
よく私は噴き出すのを我慢できたと思う。頭の中では到底誰にもお見せできない顔面で大爆笑していたが。




