2‐(4).腐ったキノコに触る勇気はない
かれこれ……三時間になる。
何が、というと、歩き始めてからだ。ごっついツインテールを揺らしながらずんずん進むニーファさんの頼もしい背中を目標に、ただひたすら後をついて行くものの、進めど進めど森、森、森!! 桜林から針葉樹林へという変化はあったものの、それもピンクから緑へ色が変わっただけだ。
つくづく、ニーファさんが助けに来てくれてよかったと思う。
こんな広大な森林で道も分からず彷徨うとなれば、あの恐怖美少女に内臓を引きずり出されなくても、遭難死は確実だっただろう。
ちなみに会話はほぼゼロ。たまにニーファさんからついて来ているかどうか確認のための声をかけてくれるが、それ以外は無言だ。正直言って彼女の背中について行くだけでひーこら言っているので、逆にそれがありがたかったが。
ニーファさんの歩く速度は速い。私が追いつけないほどに。
体格からいったら、私の今の体のほうがあきらかに逞しいし、やたら顔がいいだけではなく手足も長いため彼女とはコンパスの差もある。しかも彼女は随分ヒールの高いブーツを履いている。……それでなぜ、私が追いつけないような速度でずんずん進めるのだろうか……。
甚だ謎だ。私が小股すぎるのかもしれない。少し大股を心がけよう。ちょこまか小走りする美青年なんて誰も見たくないし。
「……止まりなさい」
と、前を進む彼女が唐突に止まり、私に声を掛けた。
「……え、あ、どうしました」
「静かにして」
短く叱責し、ニーファさんが腰に帯びた短剣に手を伸ばす。
(あ、なんか、いやぁな予感……!)
思うが早いか、しんとした森林の空気を貫くような異音が耳に届いた。
――ギュルギュルギュルギュルギュルッッッ!!!
何か悪いものを食べたときに、腹部が発するような音を大きくした感じの音だ。それ以外に表現しようがなかった。語彙力が貧困な私を許してください。
「な、何ですか?!」
「……一応、今は傍から離れないで」
ニーファさんは私の疑問には答えてくれない。そのかわり、腕を掴まれて強くひき寄せられた。わー、いい匂いがするーなんて言っている場合ではない。異音はどんどん大きくなる。大きくなるにつれて、草木が揺れる音も近づいてくる。私が混乱しきりで、ほぼ半泣きになりかけたとき。
それは現れた。
――ギュルギュルギュルギュルッッッ!!!!!
劈く異音。
現れたその姿は、一言で言えば、腐ったキノコ。しかも、複数。胞子と粘液を撒き散らしながら迫ってくるその姿には、吐き気すら催される。
(グロい、グロすぎる……!)
そして、腐ったキノコが近づいてくるにつれて濃厚になるひどい臭いも、吐き気を催す原因として一役買っていた。
「くっさいわね……三匹か。他には……いないわね。んじゃあんた、下がってて」
犬か何かを追いやるような動作をされ、慌てて後方に下がる。……素直に下がってしまったが、彼女だけで大丈夫なのだろうか?! いや、私が何ができるというわけでもないが、こんな華奢な美少女1人の前にこの多勢だと心配になる。
おろおろする私を尻目に、彼女は短剣の柄からは手を離した。
剣を使わないのだろうか?
疑問に思ったのも束の間、彼女の白くて小さな手が、何かを掴むように握りこまれる。そして、次の瞬間、その手中に煌々と炎が灯った。
「!?」
今、私の目がおかしいのでなければ、これは――。
「まほ」
「おらぁっ!」
「う……」
私の感動の声色をかき消した掛け声は、たいそう男らしかった。
そして、その動作もまた然り。剛腕投手も真っ青の見事なスロー。一直線に飛んでいった火の玉の軌跡はキノコ軍団にぶち当たり、一瞬で炎上。焼きキノコ地獄を作りだしたのである。
呪文はなく、掛け声とともにぶん投げるだけと随分情緒のない魔法の使い方だったが、私はたいそう感動していた。
(魔法、魔法だ)
轟々と音を立てて燃えさかる炎が綺麗だった。ニーファさんが目の前で起こした奇跡を見上げ、口を開いたまま見惚れる。
恐怖美少女が使ったかき消える移動魔法みたいなもの、あれは一瞬だったからそんなに感動しなかったが、こう派手だと感動ものだ。ファンタジーに憧れるオタクとしては、今この瞬間に死んでもきっと悔いはないのではないか。
(あ、もう既に一回死んでたわ)
だが、ただひとつ難点があった。
「……くさい……」
「……そうね……」
さっきのキノコ、いるだけで臭いが、焼いたらもっと臭い。2人して鼻をつまむ羽目になったのだった。
その後、臭さに耐えられなくなったニーファさんが追撃で火の玉をぶつけキノコを炭化させ、風の魔法で臭いを流してくれたのでことなきをえた。
◇ ◇ ◇
腐れキノコをつつがなく倒し、また歩きだしてからしばらく経った。
相変わらず、ニーファさんは足が速い。
先程の戦闘での落ち着きっぷりやら、これだけ長時間歩いてもまったく歩みが乱れない姿を見ていて確信したのだが、彼女、チートレベルで強い。普通の女の子の体力・戦闘力ではない。それとも、これが普通なんだろうか。
異世界にいる人はみんなチートキャラだったり?
(どうしよう私、生きていけるかそんな世界で)
想像だけで半泣きになっていたら、前を歩くツインテが大きく揺れてニーファさんが振り返った。
「疲れてない?」
「あ、はいそんなには」
「そ」
確認だけ、だったようで、ニーファさんはまた前に向き直って歩きはじめた。慌ててついて行きながら、自分の発言に違和感。
(ん? なんで私……大丈夫なの)
確かに前の彼女がありえない速度で歩くのでひーこら言ってはいたが、息は乱れていないし、体力を消耗したという実感もない。
自慢じゃないが、私、運動神経だけ母のお腹に置き忘れてきたんじゃないかってくらい運動できない。体力もない。高校での体育の成績は、未欠席だったのに10段階評価で3だった。そんな私が、山道を数時間歩いて“たいしたことない”?
ありえないだろう。
もしかして、これもこの超美青年に身体が変わったせいだろうか。
(外見だけじゃなく能力まで変わるもんなのか……。頭もよくなってたりすんのかな)
なんか微妙に怖くなってきたが、強くてニューゲームのようなものだろうと思い、自分を納得させたのだった。