5‐(8).空元気も元気のうち
氷の嵐が蹂躙しつくした森は、一面銀世界となっていた。青々と茂っていた草木も道端に生えている茸も、全てが真っ白な雪と氷に閉ざされている。暖かかった気温は一気に下がり、今は吐く息までが白い。あまりの寒さに肌を粟立てつつ、手の中の小さな生き物から体温が失われないように包み込んで胸元に寄せた。
雪風に晒された鼻や耳が疼くような痛みを発する。両手が塞がった状態で少しでも体を温めようと、軽く地団太を踏むように足を上下させると、雪と霜が入り混じった地面がサクサクと音を立てた。
この間、言葉を発することは出来なかった。なんとなく、憚られたのだ。それは皆同じだったかもしれない。消えていった青年のことが頭から離れなかった。
「……鼬の最後っ屁にしちゃ、上出来ね」
最初に沈黙を破ったのは、ニーファだった。独り言のように呟いた彼女の服には霜が降り、肩には雪が積もっている。私達4人の中では、一番被害が大きい。
それもそのはずだ。最前線であの白銀の嵐を浴びていたのだから。
「ニーファ! 大丈夫?」
「ええ」
エナが走り寄ったのに続いて、ニーファの傍へと小走りで向かう。短剣の刀身にまで降りた霜を振り払いながら鞘にしまうニーファを上から下まで検分したところ、大きな怪我はなかった。どうやら無事なようだ。
ほっとしたのも束の間、ニーファの表情が険しい。
「……防護魔法が全部剥がされてるわね。重ねがけの『防壁展開』がなかったら、無事じゃ済まなかった。ヤマト、感謝するわ」
「え、あ、う、うん……!」
言われてみれば、私の防護魔法も『防壁展開』を除いて剥がされていた。ニーファと違い、ひとつシールドが残っているのは嵐の中心に対して彼女よりも後方にいたからだろう。
ああ、あの時大慌てで思わずやっただけだけど、咄嗟に唱えておいて本当に良かった。
「あ、あの……ニヴルバードの人は……?」
言ってから思った。これは、愚問かもしれない。私は、青年が崩れて消えていくのを見た。……それを見てしまったのだから、どう考えたって答えは一つだ。
不愉快のような、憐憫のような、どちらとも取れるがどちらでもない複雑な顔をしたニーファが返答する。
「肉体崩壊よ。ほんっと、バカよね。満身創痍で『冥府死氷』なんてデカイ魔法使ったら、暴走するに決まってるのに」
私の考えていた通りで、間違いはなかった。やはり、魔力の暴走による肉体崩壊。あの凄まじい威力を誇った氷の嵐は、発動した魔法に暴走の分が上乗せされたのだろう。
『冥府死氷』……気まぐれに読んだ上級魔法の教本で目にしたことがあった。水属性ではトップクラスの攻撃力を持つ、小~中範囲の魔法だ。闇属性も同時に動かさなければいけないため、使い手は限られるとあったのだが……まさか、こんな場面で目にすることになるとは思わなかった。
『炎弾』や『風刃』、『大地盾壁』など、通常の魔法は、私の世界に存在した言語の単語を構成したものとしてイメージを取得できる。だがそれに対し、偶然目にとまった『冥府死氷』は固有名詞。北欧神話の、雪と氷に覆われた世界の名を持つ魔法だ。
なんだか知らないけどかっこいい、と思って難解な言葉で書き連ねられた上級教本を必死で読んだのだが……この魔法で人が1人死んでしまったとなっては、使う気にもなれなかった。そもそも工程が複雑すぎて出来る気もしていなかったから、今後は練習してみることもないだろう。
私が鬱々としている間にも、ニーファは難しげな顔をしていた。
「……いや、わざとか」
そして、忌々しげに呟いた一言。
「わざ、と」
「“一矢報いる”とか言ってた」
一矢報いる、それだけのことのために。
どうしてわざわざ壮絶な死に様を選ぶのか。本当に、まったく理解できない。いくら厨二病だって、死んでしまってはそれを発揮することもできないではないか。これが魔獣というもののスタンダードな考え方なのであれば、私はきっと彼らとわかり合うことはできない。
ちらりと手の中の小鳥に目をやった。……この子は大丈夫だろうか? もし、肉体崩壊して消えていった青年と同じような思想を持っていたら。……いや、大丈夫だ。きっと。一瞬逡巡してしまったが、この子は親しいものを殺すことを拒否し、生きようと思って逃げてきたのだと言うのだから。きっと大丈夫だ。
人の死を目の前で見てしまったことは、思ったよりも私にダメージを与えていたようだった。死体は残っておらず実感は薄いが、間違いない事実。普段ならば気にかけないことも、不安となって襲ってくる。それを打ち消そうと明るい考えを打ち出したとしても、その考えも後から後から不安に侵食されていくのだ。嫌なスパイラルにはまった。
知らず青ざめていたのか、エナが心配そうに私に声をかける。
「ヤマト、顔色悪いよ。大丈夫?」
「……う、ん。ありがとう、エナ」
お礼を言うと、私を安心させるように、にっと微笑み掛けてくれるエナ。肩をぽんと叩かれ横を振り向くと、ソルも心配そうな顔をしていた。
まずい、私のわがままで今こんな状況になったと言うのに、心配まで掛けている。慌てて大丈夫だと答え、笑顔を作った。
ソルは納得しなかったのか、なんだか複雑そうな笑顔を浮かべて、私の頭をくしゃりと撫でる。……なんだか寂しそうだ。ここは、「怖い! 大丈夫じゃない!」と言って大騒ぎした方が良かったのか? 一応私にも自尊心があるから、それは遠慮したい。
しかしながら、大丈夫だと言葉に出して無理矢理にでも笑顔を作ったら、なんだか大丈夫なような気がしてきた。空元気も元気のうちとはよく言ったものだ。
(そうだ、大丈夫だよ。みんながいるんだから)
心配してくれたソルとエナに、ありがとうともう一度言って笑顔を向けておいた。
「しっかし、あたしも久々に肝が冷えたわね。……そうだ、あんた、小鳥は?」
溜息混じりに言われた言葉で、抱え込んでいた小鳥を掲げてみんなに見せる。体温は下がっていないし、呼吸も正常にしているようだから、そこまで心配することはないだろう。
「大丈夫みたい、かな……」
「……そうね。幸いドクトルマッシュの群生地も近いから、依頼済ませたらさっさと帰って怪我の手当てしてやりなさい」
驚いて目を見張る。まさか、そんなこと言われると思わなかった。
「……え、あ……さっき、捨てろ、とか言ってたけど……大丈夫なの?」
せいぜい、「脅威もなくなったんだからさっさと逃がしなさい」とか言われると思っていたのだ。
だが、私の疑問を聞いたニーファは眦をきっと釣り上げて睨みつけてきた。
「あんた、あたしが何のために戦ったと思ってるのよ?」
「ご、ごめんなさい」
ごもっともだ。捨てさせるために戦ったわけがあるはずはない。「あたしも鬼じゃないんだから」とは彼女の言ではないか。鬼でなければ、小さな生き物が傷ついているのを手当てもせずに放りだしたりはしない。
なんとなく居心地の悪い思いをして小さくなっている私に向かって溜息を吐いた彼女は、幾分か口調を和らげて言う。
「……大丈夫よ。ニヴルバードは森の外には出ようとしない」
「それも掟?」
「そう。掟破りを罰するために掟を破ることはない。その小鳥もそれを知っていたから必死で逃げてたんでしょ」
「そう、なんだ。……ありがとう!」
これで、後顧の憂いなし、だ。嬉しくて会心の笑みを浮かべお礼を言ったところ、うざったそうな顔をされた。ひどい。
「それにしてもさ、ヤマトけっこう無謀だよぉ。ニーファが行ってくれなかったら、魔獣に飛びかかろうとしてたでしょぉ」
「あ……ばれてた、の」
あの時、刺し違えてもやったるわー! と思っていたのはしっかりばれていたようだ。多分、勇み足で前のめりにでもなっていたのだろう。私は考えていることが結構態度に出る。だが結局ニーファに頼ることになったのを考えると、すごくかっこ悪い。
「あ、大丈夫大丈夫。俺ヤマトが飛び出してかない様に服の端掴んでたから」
「えっ……ほんとに?」
更なる衝撃発言。結局、全員に筒抜けだったというわけか。
しかし……服を掴まれていたということは、あのまま飛び出して行ったらつんのめって転んでいたのか。というかそもそも、あの時は両手で小鳥を持っていたのだから万が一飛び出していけたとしてもそのまま後退しかできなかっただろう。
勇み足と先走りは良くない、本当に。良く考えて、冷静に行動するべきだ。あとで恥ずかしいから。
「さて……この寒気でドクトルマッシュが駄目になってないといいけど」
「えっ、ドクトルマッシュって寒いの駄目なの!?」
「さあ? ほら行くわよ」
任務失敗に対する一抹の不安を抱えつつも、賑やかに群生地へと向かったのであった。




