2‐(2).修羅場はなるべく避けたい
「おにいさん、そこの水飲まない方がいいよ」
跳び上がるほど驚く、とはこういうことをいうのだろう。完全に油断していたせいで、あやうく頭から湖に落ちそうになった。
背後から掛けられたのは、年若い少女の声だった。しかも、これはもしかしなくても私に対する呼びかけじゃないだろうか。
助かった、その一念で振り返る。そして驚いた。
振り返った先に立っていたのは、またもまるでアニメキャラ。髪から肌から瞳から、服に到るまで真っ白な、危うく儚い雰囲気を持つ美少女だった。
彼女は、目を丸くして彼女を凝視する私のことなんかまったく目に入っていないように、ふらふらとこちらへ向かって歩いてくる。
一歩を踏み出すたびに、ふんわりとした純白の長髪が揺れ、風に流れる。彼女の、世界の常識全てから逸脱したような真っ白な瞳に目を奪われた。
美少女は語りだす。
「その湖」
独特の間を持つ喋り方で少女は続ける。
この美少女、どうみても外国人風の顔つきなのだが、問題なく日本語で喋っているようだ。
(…………なんだかとってもファンタジー)
私の頭には、あるひとつの“言葉”が浮かび始めていた。
「竜の湖だからさ。勝手に飲んじゃだめなの」
くひくひ、と美少女が美少女らしからぬ笑い声で笑う。
今この美少女は、竜、と言っただろうか。
(ファンタジー用語来ました)
頭に浮かんだ“言葉”が輝きを増して迫ってくるようだった。
思考に走る私をよそに、美少女はくるくるとその場で回り始める。私はそのいきなりの行動に驚いて、一歩下がった。
「悪い竜が、いてね。この湖はその竜のものなの。自分の知らないところで勝手に湖を使われないように、呪いをかけてあるんだよ」
美少女は語る。これ以上ないくらいファンタジーだ。
いつの間にかくるくる回ることを止めていた少女は、感情の伺えない瞳でこちらを見ている。
しかしこの美少女、軸が定まらないような立ち姿と、不審な挙動、そしてその美しさが相まってなんだかとても不気味だ。
「あ、でも」
不気味だ、なんて思ったのがいけなかったのだろうか。
ずいっ、と。いきなり距離を詰められ、腕を取られた。
思わず鳥肌をたてた私はきっと悪くない。やはり、この美少女……変だ!
(うっ、そ。すごい力)
捕まれた腕がぎりぎりと音を立てるのが聞こえるような気がするくらい、美少女の力は強い。
「おにいさん……」
距離が近い。俯く美少女の瞳は見えない。
「湖、触っちゃったね。呪われちゃったかな……呪われちゃったよね!!!」
バッと顔を上げ、激昂したように声を高らかに。
「助けてあげるよ……おにいさん」
にやぁという擬音、そのままに美少女の顔に笑みが広がる。
おかしい、ファンタジーな話の流れだったはずなのに。いつの間にかホラーストーリーに迷い込んだような状況になっていた。
あいにくホラーは大の苦手だ。今すぐ美少女が「うっそぴょーん」とか言ってくれることを切に願う。
しかし、そうはいかなかった。
捕まれた腕が痛い。ぐいぐいと引っ張ってくる力は、目の前の少女のものだとは到底思えないほど強い。
(こ、怖ぁぁぁ!!)
硬直した体は自由に動かず、美少女を振り払うこともできない。それまで掴まれていた腕を離され、顔を両手で挟み込まれた。ゆっくり、ゆっくりと近づいて行く。この美少女が何をしようとしているのかはわかった。
だが。
(うえぇぇ、何この超展開! でも、嬉しくない!)
嬉しくない! 怖い!
なんとか抵抗しようと、ぐぐ、と美少女の身体を押し返す。だがまったくうまくいかない。頑張っても頑張っても、少女の笑い声が近くなるばかりだ。
(あ、これはまさかバッドエンドの流れか……)
短いファンタジーイケメン生活だった。
ほぼこの生を諦め、コンティニューができますように……と鍛え抜かれたゲーム脳で考えた次の瞬間、鋭い声が響いた。
「離れなさい!」
と、同時に突き飛ばされる衝撃。
恐怖美少女の猛攻から逃れた私だが、代償として地を転がることになった。痛い。
目を白黒させながらも顔を上げて状況を把握すると、美少女が2人に増えていた。
増えた方の美少女。立派なツインテールを揺らして恐怖美少女と私との間に立つ彼女は、インパクト満載。
このファンタジックな森林に似つかわしくない服装をしていたのだ。
(……なんていうか、ゴス系)
ビジュアル系のライブ会場にいそうだ。下品ではないが、十分目を引くほどの派手さはある格好だった。
(おわ、きつそー……)
そしてその彼女、間違ってもおっとり系の顔立ちではない。形の良い新緑色の瞳を吊り上げて恐怖美少女と対峙している今は険悪なオーラをまとい、さらに怖い雰囲気になっている。
美少女同士が対峙する今の状況、贔屓目に見ればハーレムアニメの一幕に見えなくもない。
(Nice Boatな展開は勘弁してもらいたいけど)
私が見当違いなことを想像していることも知らずに、場の緊迫感が高まる。
まず恐怖美少女が口を開いた。
「邪魔しないでくれないかなぁ」
「言われて聞くと思う? 思ってるならとんだ間抜けね」
心底忌々しげに吐き出された言葉に対し、さらに辛辣な言葉が返る。そこから先は、聞いている方が恐怖を覚えるような、ほとんど殺気のぶつけあいだ。
恐怖美少女の顔は、笑顔をかたどってはいるが目が非常に怖い。
「……むかつくなぁ。お前ら、ほんと邪魔。いなくなればいいのに」
“お前ら”と複数形であったり、“いなくなればいい”といった言葉からは、この恐怖美少女ときつそうな美少女が面識を持っていることがうかがえる。お世辞にも仲が良さそうとは言えないが。
「あんたこそ、さっさといなくなって頂戴」
「え……何ぃ? 横取りする気ぃ? ……あいつもほんと、汚いよねぇ……。……何で、お前らはあいつに味方するのかなぁ」
“あいつ”とは誰なのだろう。話の流れからだと、私は何やら上司的存在の黒幕を想像してしまったが。
一瞬どこかに行きかけた思考が、きつそうな美少女の言動で引き戻された。
「あんたが胸糞悪いからよ」
今にも唾棄しそうな表情で彼女は言う。その表情たるや、漫画であればページが数段ぶち抜かれていてもおかしくない。
……私は今、猛烈にショックを受けている。
こんなにもかわいらしい女の子から、ここまで罵詈雑言が飛び出し、ここまでひどい表情がでてくるなんて……さっきから、本当に耳を塞いで目をそむけたい気持ちでいっぱいなのだ。
きつそうな美少女は、外見に違わず、相当きつかった。
そして恐怖美少女も、先程私が感じた恐怖とは違うベクトルの怖さも持っているようだ。
この2人の醸し出す雰囲気が怖すぎて身動きが取れずにいた私は、いくら耳を塞ぎたくても、目をそむけたくても、とりあえず展開を理解しなければいけないとそれだけを考えて話を聞いていたのだが……。
きつそうな美少女の胸糞悪い発言から後、2人とも沈黙したままだ。痛いほどの静かさの中、1人座り込んでいる私。
居た堪れない。
どうしよう、何か自分が言うべきか。いやでもどうやっても私が口をはさめる雰囲気ではない。冷汗がじんわりと浮き出始めたときに、やっと恐怖美少女の方が発言した。
「……しょうがないな、引いてあげるよ。今日は分が悪いし。また今度、ゆっくりお話ししに来るね」
「来なくていいわ。さっさと帰んなさい」
「……くそばかっ、死ねッ!」
稚拙な捨て台詞に、場違いなかわいらしさを感じてしまった。
そして捨て台詞を言うが早いか、恐怖美少女の姿がかき消えた。
(……かき消えた!?)
まるで魔法だ。いや、魔法なんだろうきっと。
先程からわけがわからなかったり怖かったりと散々だが、恐怖美少女の話を聞いているときから浮かびはじめたあの“言葉”が正解に一番近いのだろうと、確信を持てた。
自分の推理に1人でうむうむ頷く。
そんなことをしていたら、恐怖美少女がかき消えた空間を睨みつけていたきつそうな美少女の矛先がこちらに向いた。
ギロッ。擬音をつけるとしたらこれだろう。思い切りこちらを睨みつけてきつそうな美少女が吠えた。
「あんた、あんな怪しい奴に絡まれたんだから逃げるなりなんなりしなさいよ! なんで黙って話聞いてんのよ!!」
……突然だが、私は小心者だ。怖いものがたくさんある。
ホラーが怖い。絶叫マシンが怖い。怒る人が怖い。こんなすごい剣幕で捲し立てられると、ひとたまりもなかった。
「ご、ごめんなさい!」
すぐに言い訳もせずに謝った。するとあまりに素直に謝られて毒気が抜けたのか、きつそうな美少女はバツの悪そうな顔をする。
「……いきなり怒鳴って悪かったわ。そうね……あんた、異世界人だもんね。この世界の常識とは、違うところにいるわけだから……」
(ん!?)
常識知らず呼ばわりされたほかに、何か聞き捨てならない台詞を聞いた気がする。これは、もう一度聞かねばなるまい。
「あ、あの。すいませんもう一度お願いします」
「は? だから、怒鳴って悪かったって」
「あ、すいませんもう少し後です」
このやり取りも随分ベタだ。
「あんた、異世界人だもんね?」
それだ。
そう、先程から私の頭の中で煌々と光を放っていた“言葉”。それは、“異世界トリップ”。平凡な俺が、いきなり異世界に召喚されて勇者様に!? マジで?! って展開のやつだ。
どうしてそう考えていたか、理由を上げるとすれば……いきなり知らない場所、アニメキャラっぽい人たち、魔法っぽいもの、ファンタジーな雰囲気。そうとしか思えなかった。
さらに、きつそうな美少女の発言で裏は取れた。これは決定だ。しかし、何故この突然現れたきつそうな美少女がそんなこと裏づけてくれるのか。
「私……異世界人ですか」
そのまま聞いてしまった。これはあんまりかもと思ったが、きつそうな美少女は、一瞬当たり前といった顔をした後、意外そうな顔をした。
「……ん? そういえば、あんたはそのこと理解してんの?」
「だって、そう言ったじゃないですか、今しがた」
「ああ、そうね確かに」
でしょう!? と相槌。そこに返ってきたのは、さも当たり前だと言わんばかりの顔と発言だった。
「そりゃ、あたしはそう聞いてるから」
またも新情報だ。
「そう聞いてる!? 誰に?!」
「あたしに、あんたを助けるように頼んだ奴によ」
「た、すける……って、何から」
「今の今までやっかいなのが居たでしょ」
「あの、女の子から?!」
あの恐怖美少女はやはり怖い人だったらしい。確かにホラーだったし納得である。
だが、それにしてもわけがわからない。いきなり死んだと思ったら、知らない場所で、イケメンで、ホラーな目にあって、怒られて、私を助けるつもりの人がいるらしい。←イマココ
とりあえず、頼るつてはあるようだが、やはりわけがわからないことはわけがわからない。
目を白黒させて黙っている私を見かねたのか、きつそうな美少女がありがたい提案をしてくれた。
「……あー。なんだか、埒が明かないわ。とりあえず、あんたの把握してる今の状況全部話して聞かせなさい。違ってることとわかってないことは説明してあげるから」