4‐(6).見て見ぬ振りはしない
通りからの喧騒が耳に届く。目の前に広がる袋小路の情景は静寂。
先程までの騒ぎが嘘のようだ。
レヴィたちが去って行った場所をじっと睨みつけていたニーファが溜息をつき、その一動作で呪縛が解かれたかのように、みんなが動き出す。
座り込んだままだった私も、ソルに手を貸してもらって立ち上がった。今頃になって足が震え出した自分に対して乾いた笑いが漏れる。
「あいつらに何かされた?」
「あ……う、ううんされてない。助けに来てくれてありがとう」
言いながら、ぽろりと涙がでた。安心したら、零れてしまったようだ。あとからあとから落ちてくる涙に、ニーファがギョッとした顔をしている。
「何、泣いてるのよ」
「うわ、あれ、ご、ごめん……止まんね…………あはは」
零れだしたのは安心による緊張感の緩みからだったが、涙が落ちるうちに先程までの出来事がなんだかものすごく怖い状況だったような気がしてきた。
異世界に呼び出されてすぐに彼女に向かって言った自らの言葉が蘇ってくる。自分が不当に殺されたのだということを教えられても、大した反応を見せない私を訝しむニーファに、実感の有無のせいで湧くべき感情が湧いてこないのだ、とあの時は言った気がする。
(実感、今湧きました)
ここは私が元いた世界より危険な異世界で、その中でも自分は結構危険な立場にいるのだという実感。
命や自らの安全性が危険に晒されないと……危機に直面してみないと気付けないなんてどれだけの間抜けなんだという話だが、現代日本で保護者の庇護下ぬくぬくと独立心もなく生活していた私は、危機管理能力に欠けすぎていたのだ。
そのことには、ベテランが傍についているという安全な状況でモンスターと戦ったりするくらいでは気付けなかった。頼れる者が傍にいない状況で危機に陥ってはじめて、自分の置かれた危うい状況に気付けた。
今さっきまで起きていた出来事が非常に怖い。やつらがいた最中は冷静に考えられなかったけど、今考えたら途轍もなく怖いじゃないか。立ち位置が少し違っただけでも、死んでいたかもしれない。私が今存在しているのは退屈に思うほど安全な日本じゃないのだ。何が起こっても1人で騒いでいるだけでいい安全地帯なモニターの前でもない。
モンスター、魔法、武器……自分の命に関わってくる事象が身近に山ほどある。憧れだったそれらは、力を持っていない者には途端に牙を剥く。
しかも、力を持っていない自分を、力を持っている者たちが狙っているのだという。すぐに命の危険がどうということは無かったとしても、用が済んだらどうなる? 私が反抗したら? 殺されなくても、一生苦痛を受け続けたりとかはあるかもしれない。初日に遭遇したルイカの雰囲気から考えて、お客様待遇でふかふかベッドというのはあり得ないだろう。むしろそれは今の状況だ。
そう考えてみると、さっきの出来事は怖すぎた。
「あはは……あー……はあ、怖かった……」
テンションがおかしなことになる。ぐず、と鼻を啜りながらわけわかんなくて笑うと、ソルが無言でぐいと私の頭を撫でた。
(うひ……イケメンこえー)
さすが気の付くイケメン。慰めどころも心得ている。この手で何人もの女子を落としてきたに違いない。いつもの僻み根性が発露しそうになるも、今はそれより何より自身を慰めてくれるその手がありがたかった。
その後やっとこさ泣きやんだ私は路地裏に直に座り込んでいた。他のみんなが現状確認の話を進めるのを聞き、私も、レヴィたちに路地裏に引っ張り込まれるまでと引っ張り込まれてからの話をした。
隣には同じく地べたに座り込んだソル。
私の頭を撫でていた彼は今、私の肩を抱き、私と密着していた。強い力で抱かれているので、自然彼の肩に頭を凭れかける体勢になっている。
……この体勢について、先程から疑問が頭に浮かびっぱなしだ。
(何故…………こんな体勢に?)
甚だ疑問だった。私が動いたわけではない。いつの間にかこうなっていた。
「んでさニーファ、さっきの魔人って一体何なわけ? 逃がしちゃってよかったの?」
ソルが尋ねる。平然とした顔で。体勢を崩すこともなく。
それに反して、すごい勢いで“?”マークを頭上に浮かべているだろう私。
男、しかも立派な成人男性が、泣いていたとはいえ同じ男を慰めるのに通常ここまでするものだろうか。いや別に、頭を撫でるとか肩を抱くとかそのぐらいじゃ親愛レベルだろう。だけどこの密着具合はおかしいんじゃないか? 普通の男子同士ってこんなにくっつくものなのか?
エナが先程からなんか言いたげな顔でこちらを見ている気もする。
「素性はだいたいわかってる。深追いはしないほうがいいわ。……ヤマト、あんたは魔人っていう種族を知ってる?」
ニーファが顔色一つ変えずに話を続けているのには心底びっくりだ。えっこれって普通のことなんだろうか。そんなわけはない、エナはすごく困った顔をしている。そりゃ、目の前で仲間がなんかホモくせー(言ってしまった)状態になってれば困りもするだろう。私は通りの方から人がやってきたらどう言い訳すればいいのか冷や冷やしている。オルドラによって再度張られた結界はニーファが既に崩してしまっていたから、通行は可能になっているのだ。
というか、そんなに気になるのなら早く振り払いでも何でもすればいいという話だが、平然と会話を続けられてしまっているのでなんだか行動が起こしづらい。
私の肩に添えられたソルの手がむず痒かった。泣いた後だからとかいう問題じゃないくらい、顔も赤くなってきているんじゃないだろうか。勘弁してくれ。
こういうのは私じゃなくて、彼女かそうするのを見ていて目が楽しい他の人にやって欲しい。いやこの状況を外から見ることが出来ればすごく楽しいだろうけども。幽体離脱したい。
「……ちょっと、聞いてるの?」
「あ、う、うん聞いてる……魔人、知らない」
しどろもどろに返事をする。ちょっと今、それどころじゃないんですけど、なんとかしてくれませんかニーファさん。
しかしそんな願いも空しく、ニーファは大してこちらに興味を持たずに話を続けた。
「魔人っていうのは、さっきのやつらみたいに青白い肌で尖った耳したやつらのこというの。体に紋章があるのも特徴ね。迂闊に関わると後悔する羽目になるから気をつけなさい」
私は迂闊にソルの前で泣いたりしたことを後悔しています。
こんなことになっているのは、ソルがスキンシップ過多な生物であることが原因だろうか? いやしかし同じくスキンシップ過多な生物であるエナはドン引きしてるじゃないか。
そのエナが私に困惑した目線を送ってきた。とりあえず同じく困惑した目線で返しておく。
「やつらは基本的に危険種族よ。人間と同じ形をしてるけど、まったく別の生き物。理解できる範疇にいる生物じゃないから、なるべく近付かないようにしなさい」
一応話は聞いてる。聞いてはいるが、息遣いも聞こえてきそうな程にソルと密着しているせいで7割くらい右から左へ流れていっている気がする。
「そ、そうなんだ……魔人、か……」
そのせいで無難すぎる返ししかできない。くそう、カオスサイドの住人とかすごく気になるのにどうしてこんなことに。ほんとにどうして。もういい後で本屋さんに行く。
「今回は完璧に後れを取ったわ……ほんとに、遅くなって悪かったわね」
「い、いやそんな……」
謝罪されるも、返答がしどろもどろになる。そんなことはいいので、本当にこの状態をなんとかしてください。
「あのさ、素性がわかってるってことは、ヤマトがそいつらに狙われてるのもわかってたってことだよね? 俺らがそれについて知らされてなかったのも含めて、話、聞きたいんだけど」
諸悪の根源が私の耳元で険のある声を出した。
「……そうね、長くなりそうだから、場所変えましょ。ギルドハウスでいいわね」
ニーファがそう言ったことで、私もソルも立ち上がる。やっとあの体勢から解放された。エナが若干ホッとした顔をしている。目があったら、曖昧な笑顔を返された。こちらも曖昧な笑顔を返しておく。
帰り道、なんだか体勢ひとつでシリアスな気分を台無しにされたなぁ……と思っていたら、ニーファがソルと私に向かって言った。
「っていうか、あんたらなんであんなに密着してたわけ?」
「えっ、何が?」
一応、気になってはいたらしい。だがもっと早く言って欲しかった。
しかしそれに対するソルの反応は、まるでなんのことだかわからないとでもいうような表情。ニーファが変な顔をして私の方を見る。勢い良く横に首を振って返答とさせていただく。私に聞かれても困りますという意の。
「……あー、いいわ、なんでもない」
しばらく考えたニーファは、どうやらこのことを、つつかないほうがいい藪だと判断したらしかった。蛇どころじゃないものが出てきそうだからだろうか。
「? ……なんだよ、変なの」
ソルが憮然とした表情でつぶやく。演技ではなさそうだ。この顔を見る限り、彼にとって、あれは。
(無意識……!)
末恐ろしい。愕然とした気分になったら、同じくエナも愕然とした表情をしていた。




