3‐(7).下調べは念入りに
「いひゃい……」
感覚が遠くなっている気さえする痛む頬を擦る私は、目の前で湯気を立てる肉料理を頬張ることもできずにただ見詰めていた。
あの後、静かに静かに青筋を立てるニーファが竜に向かって「戻れ」と言うと、雲散霧消するかのように竜の姿がかき消えた。がたがた震えながら沙汰を待つ私に背を向けていた状態の彼女が、ゆっくりゆっくりと振り返るときの恐怖感は計り知れないものだったと言えよう。
案の定私はしこたま怒られ、お仕置きに体罰を食らった。いや体罰というか、頬っぺたを思い切りつねられながら至近距離で説教されたというだけだが。美少女に詰め寄られて説教されるなんてその手の人からしたらご褒美にすらなるかもしれない。だが、その気のない私にとって強気系美少女の怒り顔どアップはただひたすら怖いだけのものだ。故意にやったものではないと、一応は主張してみたのだが……頬っぺたをつねられた状態ではまともな言葉を発することもできず、一言二言も言わないうちに半泣きでごめんなさいを連呼する羽目になった。勿論そんなことで手を緩めてくれるニーファではなく、懇々と人の話を最後まで聞くことの大事さを言い聞かせられたのである。頬をぎゅうぎゅうと引っ張られた状態のままで。
ちなみにソルは事態を完璧に理解するまでいかなくともニーファの青筋を見て何か察したらしく、テキパキと野次馬を散らしていた。エナも半笑いになりつつも、「見せもんじゃないよぉーほらほら立ち止まらないで行って行ってぇー」と手慣れた様子で交通整理をしていた。
そして今私の目の前に肉料理があるのは、散らしきれなかった野次馬の目から逃れがてら昼食をとるために飲食店に入ったからである。
だが頼んだ料理がでてきたというのに未だに頬が痛くて物を噛む気になれない。フォーク片手に、涙目で頬を擦り続ける。エナがニヤニヤしながら「痛い? ねえ痛い?」と言って頬を触ってくる……勘弁してほしい。ソルは真っ赤になった私の頬を見ながら、無表情で震えていた。
(ちくしょー笑いたければ笑えこのイケメン&美少女めが。お前らの頬も真っ赤にしてやろうか)
彼らは2人してパスタなんてオシャレフードを食べている。注文していたときに聞く限り、名前はパスタではなかった。だがそんなことはどうでもいい。2人ともいくら細くて今風でも肉食獣なんだから肉を食べて欲しい。私だけガッツリ肉を頼んじゃって、なんだか恥ずかしいじゃないか。じゃあ頬の痛みの原因の彼女はというと、色とりどりの生野菜で満たされたでっかいサラダボールを抱え込み、何食わぬ顔でそれをつついていた。
(この草食系パーティめがっ)
私がどうでもいいことで不貞腐れていると、ニーファが脚を組み直して頬杖をつき、私に視線を投げかけながら先ほどの出来事について言及し始めた。
「反省してるかしら?」
「はい、人の話は最後まで聞きますごめんなさい」
不貞腐れもどこへやら。しかしながらこの台詞を何度言ったことか。彼女も、何度目かわからない溜息をついた。
「ほんとにそうしてよね……今回は何事もなかったから良かったけど、モノによっては危険なこともあるんだから。常識知らずは自分の判断で勝手に行動しないこと。……ま、でもいきなりアレを召喚したのには驚いたわね」
ニーファの言っていることが尤もすぎて、返す言葉もないのだが……正直先ほどのことは、自分で判断して行動、なんてものではなかった。ただ想像しただけだ。しかしそれであの腕輪が動作してしまったのだから、結果は同じ。ニーファが驚いているということは、もしかしたら強くてニューゲーム特典追加かもしれない。大魔力付加、ってところだろうか。さっきのようなことさえなかったら諸手を上げて歓迎したが、どうやらこの特典はかなり扱いが難しそうだ。筋力上昇や体力上昇などと違い、元の世界では全く関わりのなかったものであるし……これから先自分にどういった影響を与えてくるか全くわからないということもある。まあでも少なくともさっきのような事態を引き起こさないためにも、これからは想像を働かせるのにも気をつけなければなるまい。
「そうそう、俺マジでびっくりしたよ。アレ何なわけ?」
「エナも聞きたぁい! ヤマトが呼んだの?」
野次馬根性丸出しの二人。流石、噂好きなだけはあって好奇心旺盛だ。
「傀儡獣よ。あんたらの想像通り、こいつがうっかり呼び出したの」
「傀儡獣? エナそれ聞いたことないー」
「命を持たない形だけの存在……魔力で動かす人形のようなものよ。魔石に術式が刻み込んであれば、魔力をチャージするだけでその場に出現するわ。属性は魔石依存、呼びだされる獣のランクは使用する魔力の量依存で、この魔石で召喚できるのはランク順に竜、狼、鼬ね。普通、竜なんてものを召喚するとなるとそれ相応の魔力操作をするための時間が必要なはずなんだけど……あそこまで短時間で呼び出したのを見たのは初めてよ。正直引くわ」
どうやら引かれているらしい。傷つくから目を合わせながらそういうことを言わないでほしいのだが。しかし属性が魔石依存ということは、先ほどの木製竜を見るに、深いエメラルド色が美しいこの魔石は木属性なのだろうか。魔法をまだ所々でしか目にしていないため、属性とかさっぱりわからない。
「ニーファ、この腕輪の魔石は何属性?」
「ああ、これは木属性」
「へぇー! 木属性……」
木属性、正解。天井の照明に腕輪をかざしてみると、エメラルド色がざわざわと蠢いた様にみえてちょっとビビって腕を下げた。再び覗き込んだら、今度は静かに深い色を湛えていた……不思議な石だ。
「……ん? あんた、魔法はどの程度わかるの?」
「なにひとつさっぱり。昨日ニーファが見せてくれたやつが初魔法」
私の魔法に関する認知度を突然聞かれたので、見栄張っても仕方がないから正直に答えた。すると彼女は、まさにあちゃー……と表現するのが相応しいかのような表情で俯いたのだった。横からは、「えっマジ?」とか「すごーい魔法知らない人間なんていたんだー」とか聞こえてくる。エナが心底感心したように言うのが逆に馬鹿にされてるような気分。この世界では、魔法イズ常識? これで常識知らずランクがまた上がってしまった。
「なるほど、それでああなったわけ……」
ニーファが独りごちる声は、どこか茫然としているようにも聞こえた。
「ニーファ?」
「悪いわね、今回のことはあんたみたいなイレギュラーな存在にいきなり魔石突っ込んだ腕輪を渡したあたしのミスだわ」




