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Trans Trip!  作者: 小紋
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2‐(1).サバイバル知識があればよかった

 まず最初、音。風の音。

 そして次、匂い。土の匂い。

 さらに次、湿っぽさ。おもに背中。どうやら、仰向けになっている。

 そして目を開いた先にあった視界いっぱいのピンクと青。青空に舞う、桜吹雪――。


 ……おかしい。


 私は今、どうなっているんだ――?






◇ ◇ ◇






 朝、急いで登校したせいで車にはねられ、死んだと思ったら全然知らない場所で目を覚ました。なんて。

 あまりにも非現実的だ。わけがわからない。

 周囲を見回しても、あるのは地面と空と桜の木々ばかりで――。こんな状況でもなければ見惚れてしまうほどの美しい光景なのだが、あいにく心に余裕が持てなかった。

 思考がまとまらない。

 何を考えていいのかわからない。


(私、死んだ? 夜更かしするんじゃなかった……とびだしなんかするんじゃなかった! ああ、トラックの運転手さん本当にごめんなさい。家族のみんなごめんなさい。っていうかここどこ? あ、でも……これは夢? いやでもそれにしてははっきりしてる)


 まとまらない。

 舗装もされていない地面に寝そべったまま、混乱するだけ混乱する。

 そんな中、ふと、動かなければいけないと思った。


(そうだ、動こう)


 いつまでも仰向けのままでいるわけにもいかない。私は立ち上がることにした。

 地面に手をついて立ち上がる。

 ……違和感。なんだか、視点が高い。

 手に土が付いたので打ち払う、ついでに背中とお尻も。

 ……違和感。体が硬いような。こんなに筋肉ついてたっけ? そもそも、打ち払うべき面積が若干広くなっていないだろうか。

 まじまじと、自分の体を見下ろした。


(………………なんだこれは)


 数回動作した結果、違和感の正体が判明した。

 視点がいつもよりだいぶ高い、手足が自分のものよりずいぶん長い、手のひらの形が全く違う。服が違う! 靴が違う!! 慎ましくも確かに存在していたはずの胸が、まっ平らに……!!! そして胸がないかわりに、下半身の中心に余分なものが……!!!


「なんぞ、これぇ……っ?!」


 発言した自分の喉を思わず抑えた。


(男の、声だ)


 どう考えても、これは明らかだろう。

 私は、男になっていた。






◇ ◇ ◇






 ひとしきり立ったまま混乱し、少しだけ落ち着いてきた。

 その間に、自ら頭を叩いたり頬を抓ったりなどの夢を覚ますための古典的な手法は実施済みだ。最近見た映画にならって、前のめりと背中からの2パターン、わざと落ちてみたりしたが、ただ痛いだけだった。

 はたから見たら、さぞかし痛々しい光景だったことだろう。


 どうやら――、本当に男になっているようだ。


 下半身も確認済みである。

 露出狂に遭遇したこともなかったので、生で男性器を見たのはこれがはじめてになったが、まあそう悪い経験でもない。

 それにしても、心の男性器がどーたらこーたらと言ったやりとりは、私が分類されている種族間ではよくするものであるが、本当に生えるとは。

 なんで? どうして? どうしよう! なんてことはもう百回は考えたので、もう考えない。

 何があろうと、今現在の事実は次の四点だ。

 ひとつ、死んだ。

 ふたつ、男になった。

 みっつ、知らない場所にいる。

 よっつ、夢じゃない。

 我ながら潔い。そして四つの事実の他に、一つわかったこともある。

 人間というものは、混乱が極まると思考が破裂して逆にすっきりする。今の私は、とても冷静だ。なんかもう、楽しくなってきた。


(あれ、冷静になってるんじゃなくてヤケになってるだけかも)


 しかしよくよく考えなくても、この状況は……もしかして、もしかしたら! おいしい状況かもしれない。

 そう思ってしまうあたり、まだ混乱しているのだろうか。

 今現在、紛れもなく、漫画的状況だ。死んだのに意識があるというだけでも相当漫画的なのに、その上性別が変わって知らない場所にいるのだ。

 何か物語が始まってもおかしくないのではないか?

 主人公がこの私という点が絶大な不安要素だが、1オタクとしては高鳴る胸を抑えきれない。

 しかし、こうも考えた。これらの妄想は全て妄想に過ぎず、物語ははじまらないまま私は遭難死するのでは?


(…………)


 思わず脳内で沈黙。

 嫌な想像を振り払うためにも。とりあえず、この場に立ち尽くしたままでいるのはやめよう。一度死んだ身であるのに、また死ぬのはごめんだ。

 私は移動を始めた。






◇ ◇ ◇






 移動して程なく、視界が開けた。

 今まで車一台通れるくらいの広さの桜並木の道を歩いてきたのだが、目の前に急に湖が現れたのだ。

 周囲を桜の木々に囲まれ、水面に桜色を映す透き通った湖は、ため息がでるほど美しかった。ただ、残念なことに、私の後ろにある道以外には、道らしい道は見当たらない。

 どうやらここは行き止まりのようだ。ゲームであればきっとなにかイベントが起こりそうな神秘的な場所だったが、今はとくになにもない。


 すぐに来た道を戻ろうとしかけて、逡巡する。この先、どうなるかわからないのだから、水の確保をしたほうがいいのではないか?

 水は大事だ。食べ物がないより、水がないほうが直接命に関わる。頭に、生水の危険性、とかよぎったりもしたのだが、面倒になってとりあえず水をとることに決めた。

 だがしかし、そうするとひとつ問題が浮上する。水を入れる容器がないのだ。まさか手にすくって持っていくわけにもいかない。そんなことしたらとんだ間抜けだ。そのあたりにペットボトルのゴミ(ないよりましだ!)でも落ちていないかと見回すが、そのようなものはとくにない。

 というか、人の手の入ったものは一切見当たらないように思えた。目に入るものと言ったら、湖、地面、木、木、木、草、草、草……の自然物一色。

 私が今地球のどのあたりにいるのかはわからないが、もしかして相当未開の地にいるんじゃないか、という不安だけが大きくなってペットボトル探しという試みは終わる。


 そして次の案を頭に思い浮かべた。

 容器が無くて持ち歩けないのならば、とりあえず今ここで水を摂取することが望ましいのではないか?

 その案に、またも生水の危険性という単語が頭をよぎる。

 果たしてろ過されていない自然水に耐えられるのか私の胃は。厳密に言うと、本当に自分だと認識していた“私”の胃袋は、肉体全体ごとどこかに忘れてきてしまったわけだが。


(でもこの湖、綺麗そうだし……大丈夫かな)


 根拠は何一つない。ただ、迷っていては時間を無駄にするだけだ。

 とりあえず舐めるなり匂いを嗅ぐなりしてみようと思い、水辺に近寄る。

 そして水面を覗き込んだ時、トラックにふっ飛ばされてから何度目のことかはわからないが、私の時が止まった。


 水面を覗き込む、ということは必然的に水面に映り込んだ自分を目にすることになる。周囲が真っ暗だったり水面が波打ったりしていたらそれはないが、頭上には眩い太陽が輝いていたし、少々の桜の花びらだけが浮かぶ水面は静かだ。

 結果、水面に映る“自分”の顔をバッチリ目にすることになるわけで――。

 感想から言えば、この一言だ。


「何このアニメキャラ」


 思わず口に出た。

 そして、今の私の脳内は全くお見せできるものではない。某巨大掲示板の某所で使われる特徴的な用語が飛び交い、wの字が散乱している、惨憺たる有様だ。

 ひとつふたつ例を上げるとするならば、“ktkr”、“ワロス”。


 顔。

 この顔。

 身体がずいぶん様変わりしたのだから、まあ顔も変わっていて当たり前だろう、と。

 そのくらいに思っていたのだが――。


(これはひどい)


 ひとしきり頭の中で大笑いした後、冷静になって考えてみる。


(ちょっとまずいことになっていないか?)


 正直、私が中身であるのにこの顔は、あまりにも……オーバースペックだった。

 この顔、美しすぎるのだ。

 オリーブ色のセミロングの髪、そして彫刻のように形が整ったそれぞれのパーツたち。髪と同色の瞳なんかは、少女マンガ顔負けの長い睫毛に縁取られ、まるで宝石のようだ。表情を引き締めて見ると、美しすぎての威圧感までが感じられた。

 “この世のものとは思えない美貌”、そんな言葉が良く似合う。現実にこんな人間と目があったら、きっと自分がみっともなくてその場にいられなくなるだろう。


 今の私は、いきなり大金を与えられてどうすればいいのかわからず呆然とする子どものようなものだった。

 ……そう、この“美貌”を“大金”に例えるくらいだから、嬉しいことは嬉しい。

 オタクなら誰だって一度は考え、憧れるだろう。もし自分が、アニメやゲームにでてくるキャラクターのようにハイスペックだったら。今、外見だけであろうともそれが現実となっている。

 だが、喜びよりも、気恥ずかしさと居心地悪さの方が多かった。

 なんだか自分の心の中を見透かされたようだったのだ。「ほら、お前これ嬉しいだろ?」と、誰とも知らぬ人に嘲笑されながら言われているような気分だった。

 単に私が卑屈で、気にしすぎなだけなのかもしれないが。


 消沈しかけた意気を取り戻すために、顔に驚く前にしようと思っていた行動に戻る。

 水を手ですくい、匂いを嗅ぐ。無臭だ。

 舐めてみる。普通の水の味だ。


(これは、だいじょぶかも。わかんないけど……)


 いざ、飲んでみようともう一度水をすくった次の瞬間、私はおおいに身体を震わせることになった。


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