2‐(12).一気コールはダメ絶対
お母さん、あなたの娘は今、男子トイレで困っています。
さっきまで、多分酔っていたのだと思う。
お酒も、名前も知らない食べ物たちも、たいそう口にあったものだった。身体的にはそうでもないにせよ、気分的には飢えていたのだ……異世界に来てからはじめて食事にありつけたということもあり、どんどん飲み、どんどん食べた。そうしたら半ば眠たいような気持ちいいような気分になったので、テーブルに突っ伏してじーっとしていたのだ。エデルさんに起こされた時は思考がふわふわと宙を漂い、自分がどこに座っているのかも把握できていなかったように思う。
しかし生理現象は訪れるのである。急に催したので、トイレに行く旨を伝えたら、なぜかソルまで一緒に立ちあがった。廊下を歩く最中、彼が腕をグイグイ引っ張るものだから何回か転びそうになったのだが、それも耐えた。そこまでは良かったのだ。
問題は、そこから。有無を言わさずに引っ張って行かれた……男子トイレに。だがしかし、この瞬間までは何か違和感を感じつつも、されるがままだった。
完全に覚醒してしまったのは、ソルに腕を離されてトイレの個室に入り、下着ごとズボンを下ろした瞬間。
(あれ……なにこれ? ……ああそういえばそうだった違った。……え、どうしよう。っていうか、ここ男子トイレ?)
血の気が下がったおかげというか所為というか……酔いは完璧に醒めたのだ。今となっては、少し気分が優れないだけ。
自らの股間にぶら下がるものを見下ろし、どう処理したものかと一瞬考えたが……“見様見真似で”やるしかなかった。もちろんその行為を見たことがあるわけではない。漫画知識だ、漫画知識。
(まあでも……なんとなくわかるよねぇ)
触るのには勇気が必要だった。見るだけならまだしも、流石に抵抗を感じる。
ズボンの中を覗き込んで見てみた時とは違い、暖かい色を灯す電飾のもとにものを晒すことになったため、よりいっそう羞恥が強かった。
なんとか用を足して、手を洗うために個室を出る。だが、目に飛び込んできた光景にギョッとした。
男子トイレの手洗い場は、ずいぶん混んでいた。いや、混んでいた、だけならよかった。
こんな風に、4、5人はいるであろうむくつけき男衆の視線が私1人に注がれていなければ……何も問題なかった。
口元に嫌な感じの笑みを浮かべている男衆は、全員武器を携帯している。スタイリッシュな主人公であれば「どうしたのかな、みなさんお揃いで」くらいのかっこいい台詞を……かっこいいだろうかこれ。まあいい。何かスタイリッシュな文句を言ったって良かったのだろうが、生憎と半ば酔っぱらい気味な小心の私の口からでたのは……「すいません」だけだった。何故謝る私。
しかし、私が何を言うかなんてこの場では全く関係なかったようで、情けない一言は綺麗にスルーされた。男衆のリーダー格っぽい人物がニヤニヤと下衆っぽい笑いを浮かべながら、話しかけてくる。
「へへへ、あんた、ずいぶん美人だよなぁ……」
「あ、べつに、そんなこと……すいません」
語尾にすいませんが標準装備ですいません。私がおどおどと反応を返すと、どうやら調子に乗ったらしいリーダー格が距離を詰めてきた。酒気を帯びた息が吹きかけられ、吐き気を催す。幸いここはトイレなので、いつでも吐きにいけるのが救いだろうか。
(怖いわー怖い酔っぱらい怖い)
「最初は女かと思ったが……あの虎の坊主が男子便所に連れ込んだから驚いたぜ。どうだ兄ちゃん、俺らの席に来て酌でもしてくれねぇか」
「そのついでに、尺八も頼むわ。なんつってなぁ!」
「兄ちゃん別嬪だから、俺は下の口でもいいぜ」
どっ、と沸く男衆。私は、というと。
(酌と、尺八で、シャレのつもりなんだろうか……あんまおもんない)
そっちのほうが気になった。というかあるのか、この世界に尺八。
かよわい女子であれば、きゃあと悲鳴を上げて泣きだしてもいいのだろうが、ここは腐り具合の見せ所。下ネタには滅法強いのが私だ。だが、彼らは男でもいいのだろうか。顔と体が良ければいいのだろうか。BL的にはどんとこいなのだが、自分がそういう対象にされるのはちょっと薄気味悪い。どうせなら外から見ていたい。まあでも、モブがカップリングの左側にまわるのが好きというわけでもないが。やっぱり、愛が必要だよね。
こんな大ピンチなのに私は何を考えているというのか。やっぱりまだ酔っているのだろうか。考えを口に出す度胸は、相変わらずないけど。
黙って返事をしない私に焦れたらしいリーダー格が脅しをかける。
「おい……何黙ってんだ兄ちゃん? いいんだぜ、まだ席にいる女どもにやってもらっても」
なぜ女子がいるのを知っているのに男子に声をかける貴様ら。そう思っても口にはだせない。
そして、脅しが脅しになっていなかった。どう考えても、ここにいる男たちよりもニーファ1人のほうが強い気がする。さっきの下ネタをまだ席にいるニーファたちに言おうもんなら鉄拳制裁だろう。厳罰だ。お仕置きだ。怖いだろう、それは。
「止めたほうが……」
「ああ?!」
つい、口に出してしまった。ドスをきかせた声で凄まれる。至近距離だとけっこう怖い。だから、私は小心者だと言っているのに。
「ほら、さっさと来いよ!!」
ほぼ怒号に近い声。しびれをきらしたリーダー格が私の腕を掴み引っ張った。思わず、「あっ」と声が出る。
(げっ、どうしよう!)
振り払ってもよいものか、振り払ったら火に油じゃなかろうか。
――ザー……
心底困り果てたその瞬間、私が出てきた個室の隣から水を流す音。ドアを開けてでてきたのは、ソルだった。
「何やってんのあんたら。いいおっさんどもが若者1人囲んじゃってさぁ……」
むくつけき男衆と対峙し、ふーやれやれ、といった感じでため息をつくソル。
そんな呆れたような仕草や声色とは裏腹に、目は怒っているように見えた。尻尾も不機嫌そうに揺れている。
「ごめん、ヤマト。寝ちゃってて出るのが遅くなった。大丈夫?」
私の方を向くときだけ怒りを収めて、照れ笑いのような笑顔で彼が言う。
(寝てたのか……)
今思えば、ソルもずいぶん酔っていたのかもしれない。個室で眠り込んでいたと言うソルに「大丈夫」と返す。出てきてくれただけでありがたい。
「おいおい虎の兄ちゃん、俺らこの兄ちゃんとお話してるんだぜ。いきなり出てきて舐めた口きいてくれんじゃねえよ」
「あのさぁおっさんたち、コロナエ・ヴィテ知ってる?」
「……はぁ? 何言ってんだ、てめぇ。知らねぇよ」
ソルが脈絡なしにギルドの名前を出す。その問いを撥ね退けるリーダー格。リーダー格は、未だ私の腕を掴んだままだ。握られた場所が痛い。
「あーあ、知らないのか。おっさんたち流れ者かなんか? 名前出してそれで済むならその方が良かったのに……」
「ああ?! 何ぶつぶつ言ってんだ、やんのか!?」
男衆がにわかに気色ばむ。既に得物に手を伸ばしかけている男もいた。対するソルは、丸腰だ。しかも、先程まで酔っぱらって眠り込んでいた。いくらなんでも、不利なのではないか。
「ソル……!」
心配になって声を上げる私に、ソルは微笑んで見せた。
◇ ◇ ◇
周囲の状況、死屍累累。さっきまで元気でぴんしゃんしていた男衆が、白目をむいたりうつ伏せに倒れたり……全員が目を回して気絶している。
「あーいってて……。やっぱ久々に素手だとダメだわ……手ぇ痛めた……」
この状況を作り出した張本人であるソルは、複数人を殴り飛ばしたせいで赤くなった拳を涙目になりながらさすっている。さっきまでの嵐のようなバトルの中で彼は、このスレンダーな今時の青年のどこにこんな力があるのかと驚かせる戦いを見せた。
丸腰1人対武器持ち数人。あきらかに不利。だが彼は、武器を持ち襲いかかる男衆を無駄のない動きで避けながら、1人1人丁寧に捌いていった。鳩尾に拳を入れて悶絶させたり、きゅっと締めてみたり。場所が狭いのも有効に働いたかもしれない。そのおかげで、男衆は一気に襲いかかることができなかったのだ。
最初は余裕の表情でなりゆきを見ていたリーダー格も、1人また1人と仲間が地面に倒れ伏していくうちに顔面が青くなっていき、残りが自分1人だけになるとさっさと私の腕を離して逃げ出してしまった。
私は、ソルの戦いぶりに見惚れてばかりで、何もしていない。
彼は戦いの上では野生動物のようだった。虎だからそれも当たり前なのかもしれないが、しなやかで力強く、スマートだ。チャラ男っぽいが理性的なイケメン、そうとしか認識していなかった彼のそんなところを見てしまうと、ぐっと来るものがある。
(ギャップ萌えってやつか)
しかし……絡まれる原因となった人間がのんきな顔をしてぼーっとしていたのだと、いまさら気付いて申し訳なくなった。
「ソル、ごめん……俺のせいで迷惑かけて……」
「なんでヤマトが謝んの。あいつらが悪いんだから、気にしないでよ。俺ら荒事は慣れてるし」
「あ、うん……ありがとう、ごめん」
「だから、謝らなくていいってば」
頭を下げて謝ったものの、ソルは苦笑しながら気にするなと言ってくれた。荒事は慣れてる……やはり、冒険者なんて職業だからだろうか。あの戦いの後にこの言葉を聞くと、すごく説得力があってかっこいい。
私が目をキラつかせていたら、急にソルが神妙な顔をして言った。
「……ところで、さ……俺うっすら聞こえちゃったんだけど……あのオヤジども、めちゃくちゃ気持ち悪いこと言ってたよね……」
「ん?」
一瞬、なんのことだか本当にわからなかったが、すぐに気付く。
(あの、酌と尺八のシャレと、下の口発言のことか)
何度も言うが私は下ネタは平気だ。というより好きだ。まああのシャレは寒かったが……、私の方がもっとえげつない下ネタを言える自信がある。しかしながらこんな自信はどこかに投げ捨ててしまいたい。
「あ、ああ……大丈夫。俺も男だから、ああいう下ネタは問題ない」
「そ、そうなの? ……なんか、イメージ変わったかも」
理由は詐称したが、問題ないだろう。ソルはショックを受けたような顔をしていた。
(何を夢見ていたんだ、君は)
そうして手を洗い損ねていたことに気付いて、手を洗う。私は転がる男衆を踏まないように気を付けていたのだが、ソルはガンガン踏みつけていた。
◇ ◇ ◇
来た時と同じく、連れ立って席に戻る。
だが、戻ったその場所は、席を立った時と同じ状況ではなかった。なんだか、人だかりができている。あがるのは歓声、そして怒号。そして中心にある机に座って浴びるように酒を飲んでいるのは、エナと見知らぬ男だった。
「あら、あんたたちやっと戻ってきたの?」
ニーファが私たちを迎える。大ジョッキを傾けながら状況を見守る彼女に、ソルが思わず問いかけた。
「どーしたのよ、これ」
「ああ……なんか、無謀なやつらが来たのよ。多分、あんたらがさっき便所で逃がした奴の一派ね。ここで乱闘するわけにはいかないじゃない? ……だからエデルが」
飲み比べなんてどうです? って。
「んで今、エナが相手してるってわけ。もう、1人潰したわ。女だからって甘く見すぎね」
無表情でため息。よく見れば、人ごみから離れたところで、さっき逃げたリーダー格が手下っぽい人間に介抱されていた。
(コロナエ・ヴィテの女性陣、こえー……)
ソルは別段驚いた顔をしていないところをみると、いつものことなのだろう。
ドサッ、その音の後に、歓声。どうやら、さらに1人潰れたようだ。もちろん潰れたのはエナではない。迂闊にも絡んできてしまった、かわいそうな男衆の一味だった。
目を回しながら運び出される男を横目に見ていたら、中心部でエナが吠えた。
「あーっ、つまんないっ! 勝負になんないじゃん!」
どうやら、ご立腹のようだ。テーブルが壊れそうな勢いでバンバン叩く。彼女の目は完璧に座り、尻尾がぶんぶん振られていた。
「……あ、そうだっ! エナはもういーから、……ヤマト! ヤマトやんなよ! 見たい!」
「!?」
突然、ターゲットがまわってきただと。いや、無理だ。さっきカクテルをちょっと飲んだだけでぐでぐでになった私が、飲み比べなんてできるはずがない。
幸い、彼女の視線はまだ私を見つけてはいない。エナは、ヤマトどこぉ!? なんて、呂律のまわっていない口で叫んでいる。この間にとんずらしようと思ったのだが。
「あ、ヤマトさんここにいますよぉ♪」
「!?」
いつの間にか背後にいたジェーニアに、居場所をちくられた。割れる人波。エナの視線の一直線上に私の姿がさらされて、彼女がニヤリと笑う。
酔っているとは思えない身のこなしで距離を詰められた。腕を取られる。あんまりな展開に、助けを求めるようにソルを見た私だが。
「頑張れ」
見事に裏切られた。
(さっきは助けてくれたのに!!)
エナの魔の手からは逃れられなかった。あっという間に人だかりの中心に位置するテーブルまで引きずって行かれ、着席させられる。
「さー! 次はこのイケメンさんがやるよぉ!」
あがる歓声。盛り上がりは最高潮だ。もう、逃げられない……!
目の前に運ばれるのは大ジョッキを通り越したサイズの特大ジョッキ。運んで来てくれたウランカちゃんも、苦笑気味だ。私はもう乾いた笑いしか出てこない。
そのあとは、もう、地獄だった。
◇ ◇ ◇
「……ええ?! なんでヤマトくんが?」
先程まで席をはずしていたようだったエデルが、戻ってくるなり驚愕の声をあげる。それもそのはずだ。なりゆきですることになった飲み比べ対決。エナが相手をするから安心だと思って席を外したのに、戻ってきたらどうやら酒に弱そうなヤマトがその席に座らされていたのだから。
ヤマトの顔色はすでに悪い。顔面蒼白とまではいかないが、もう既に倒れそうだった。
「おかえりエデル、長かったわね。でかいほう?」
「そういうこと、聞かないでほしいわニーファ。……って、ヤマトくん……大丈夫なのかしら?」
「さあね」
あっけらかんと女子が口にだすものではないことを言うニーファを嗜めつつ、ヤマトの安否を気遣う。だが、少し遅かった。
わっ、とあがる歓声。ヤマトは、テーブルにうつ伏せになってのびてしまった。
「ヤマト、情けないよぉ! 次、ソル!!!」
女王様から指示が飛ぶ。ヤマト同様名指しで指名されたソルは、やはり自分もか、と少し諦めたような表情で死地へと向かって行った。
倒れたヤマトが、ジェーニアに担がれて運び出される。
「駄目ですねぇ最近の男の人は!」
言いつつも楽しそうなジェーニア。床にヤマトを転がし、飲み比べの中心部へと舞い戻った。
エデルは、慌ててヤマトに近寄る。
「ヤマトくん、ヤマトくん! ……ああ、駄目だわ全然起きない」
「息してるし、大丈夫でしょ」
ニーファはどこまでも冷淡だ。エデルは、その言葉に「もう!」と憤慨しながら、ヤマトの衣服を緩め、横向きに寝転がらせた。あとは、水かお茶でも飲ませたいところなのだが、本人の意識が戻らないことにはどうしようもない。
飲み比べ中心部では、まだまだ熱い戦いが繰り広げられていた。
◇ ◇ ◇
特大ジョッキを半分くらい開けたところで飛んだ意識が、少しだけ浮上してきた。
頭が痛い。がんがんと鈍痛が走る。目蓋も体も動きそうになく、気分はしこたま悪い。お酒って、怖いものだ。
(はじめての飲酒経験が苦い思い出になってしまった……)
そういえば、飲み比べの結果はどうなっただろうか。あの女性陣がいたので負ける気はまったくしていなかったが、一応自分が黒星をつけてしまっただけに勝負の行方が気になる。
だが、起き上がってその結果を確認するだけの気力は残っていなかった。
意識を取り戻さなければよかった。また気絶してしまいたい。
頭が痛いし気持ちも悪い。これは、吐いてしまった方が楽なのだろうか? だが起き上がれない。
どうするべきか、と思っていたら、誰かの大きな手が、おでこにのせられた。
その手からは、暖かな波動っぽいものが伝わってくる。その波動っぽいものにより、気持ち悪さも頭痛も、少しずつやわらいでいく。
(なんだろう、これ……)
手の持ち主が気になる。だが、目は開かない。それどころか、どんどん眠くなっていく。
(ああ、知りたいのに。……でもありがたいな……これで寝られる……)
誰だかわからない手の持ち主に感謝しながら、意識を降下させていく。
眠りに落ちる直前に感じたのは、優しく頭を撫でてくれる、暖かな手の感触だった。




