11‐(5).山小屋の無人率は異常
寒さと、瞼を貫くちらつく木漏れ日で目が覚める。
仰向けの状態から上半身を起こした私は小さく呻いた。頭が痛くて、車酔いみたいな気持ち悪さがある。
吐き気を堪えながらきょろきょろと辺りを見回すが……ちょっとだけ開けた山道しか見えない。しかも頭痛に視界が揺らされてぼやけている。
なんだっけ、私直前まで何して……あっ、魔方陣!
ヤバイ、発動させちゃった。完全にランダム転移発動させちゃった。だって全然知らない山道にいるし。
「……ここ、どこ」
呆然とそう呟くなり、何かが草木を掻きわけて近づいてくるがさがさという音。思わずびくっと体を震わす。
ちょっと待て、そういや一人だ。なんでソルとパーシヴァルさん二人と手を繋いでたのに一人なんだ。いや今は文句を言ってもしょうがない。
うっかり魔人に会っちゃったりしたら……大変なことに……。いやこのコンディションじゃただのモンスターと会うのも遠慮したい。超気持ち悪い。
逃げよう。立って逃げなきゃ。
しかし、よろよろ立ち上がってる間にも、音はどんどん近付いてくる。
やばい、どうしよう、間に合わない、気持ち悪い、頭痛い。大混乱だ。
覚束ない足元で踵を返しつつも、音の到着から逃げ出すのが間に合わないことが明確に分かった。
半泣きになったその時、ついに音の主が姿を現す。がさりと、一際大きく茂みが揺れる音が聞こえ、背後に何かの気配が。
「……ヤマト。何故君がここに」
次いで、驚いたような声が聞こえた。
(この、声)
声を聞いて思い浮かんだのは、スレンダーな長身に、黒コートの。振り返ればその通りの人がいた。
「……イクサー、さん」
目の前の人の名前と一緒に、安堵のため息を零す。
思わずへなへなと座り込み、気が抜けた頭でイクサーさんを見上げた。
イクサーさんは淀みない足取りで近づいてくる。すぐ近くまで来ると膝をついて座り、視線を合わせてくれた。
「そうか、君も魔方陣の近くにいたのか。合流できて良かった」
ほっとしたような様子が声から感じとれる。
私も近くに知り合いがいたことを喜びたかったが、頭がくらくらしてうまいこと言葉を紡げない。
「顔色が悪い。大丈夫か?」
まごまごしている私に、イクサーさんが心配そうに尋ねてくれた。
「……はい」
それに対する返答は二文字。……ごめんなさい。
しかもつい「はい」と答えてしまったが、正直大丈夫じゃない。でも、大丈夫じゃないですとは……答えられない……ああ対人スキル底辺と人見知り上級の悲しさよ。
私が心の中で嘆いていると、ふとイクサーさんの視線がずれる。
やおら立ち上がった彼は、何かを見つけたようで、それに向かって歩いて行っていた。
私ものそのそと視線を巡らせれば、イクサーさんの進路上には木の道標が。辿り着いたイクサーさんがその内容を読む。
「……だいぶ飛ばされたな。ここからレボカタス砦までは徒歩で二日ほど掛かるぞ」
「……ふつか……あっ」
それ、すっごい飛ばされたんじゃ……と思いつつ、やっと思い出した。
まずい、謝らないと。原因は私だ。
今大変な時なのに、なんてこと引き起こしてるんだ私は。イクサーさんなんて一秒でも時間が惜しいだろうに、二日も浪費させてしまう。
血の気が下がる音が聞こえた気がしたが、それが表情に如実に表れていたようで、私を見たイクサーさんが心配そうな顔をする。
「どうした」
「おっ、俺のせいで、今こんなことに。ご、ごめんなさい」
「君のせい?」
怪訝な顔をされる。そうか、イクサーさんは発動の瞬間を見てないのか。
っていうか、私とイクサーさんが飛ばされてるなら他の人も飛ばされてるじゃないか。もしとんでもないところに飛ばされていたりしたら……あああああ、どうしようどうしようどうしよう。
「ま、魔方陣、発動させちゃったの俺で……う、ぅ」
申し訳なさが吐き気にダイレクトした。り、リバースはまずい。必死で堪える。
口元を押さえた私の肩を、イクサーさんが支えてくれる。
「……大丈夫か」
「あ、う……なん、か頭がぐらぐらするっていうか、気持ち悪くて。すみませ……」
もう、ダメすぎる、私……。自己嫌悪に俯く。
この事態の元凶で、しかも体調不良で、なんて。イクサーさんに呆れられることを覚悟したのだが。
「だろうと思った。しばらく休むといい」
「え、でも」
掛けられたのは優しい言葉。なんで許してくれるんだ。
内心怒っているのかとも思ったが、そんな雰囲気には見えない。正直怒ってほしいが、イクサーさんは怒らない。
「俺も起きてから少しは気分が悪くて休んでいた。長距離の空間転移はそうなるらしい。……気にするな、というのは難しいかもしれないが、とりあえず起こってしまったことは覆らないし、仕方がない。現状そうするしかないのだから、今は休め」
イクサーさんはそう言って、すとんと私の横に腰をおろした。
本当に、申し訳ない。しかし今は体調的にお言葉に甘えるしか道はなさそうだ。
「……すみません、ありがとう、ございます……」
一言謝りぐったり俯こうとしたら、イクサーさんが無言で抱き寄せてきた。えっ、と思う間もなく、彼に凭れかかる体勢になる。
一番最初に頭に浮かんできたのは、お前どこのラブロマンスゲームの登場人物だよという恩知らずなツッコミだったのだが、勿論それを表に出すことはしない。申し訳なさと感謝の心の方が勝っていたからだ。
紳士だなあ。異性に対してならともかく、同性にこの行動はなかなかできないぞ。……そうだ同性じゃないかホモくせぇ。どうせならソルに……いや、うん。止めよう。今この状況でそっちに思考をやるなんて、いくらなんでも無責任すぎる。
申し訳ない。申し訳なさ過ぎて、他のことなんて考えられないくらいだ。ましてやホモのことなんて絶対に考えられない。うん。
体感で十分ほどじっとしていたところ、気持ち悪さも頭痛もだいぶ収まってきた。これなら大丈夫そうだと、今まで凭れかかっていたイクサーさんの肩から頭を離す。
「すみません、そろそろ大丈夫そうです」
「そうか」
イクサーさんが立ち上がった。そして私に手を差し伸べてくれる。
手を借りて立ち上がると、顔色もよくなったな、とささやかな微笑みがひとつ落とされる。なんかもう優しくされるたびに申し訳なくしか思わないのが我ながらすごく勿体ない。
私の心の中の悶絶を知らず、イクサーさんが喋り出した。
「ではこれからレボカタス砦に帰りたいのだが……ヤマト、君は魔法が得意だったな」
「はい」
「空間転移魔法は使えないか」
うっ。
空間転移魔法は数ある魔法の中でもすごく難しくて、全然習得できていない。もっと頑張って勉強しておけばよかった。
「ご、ごめんなさい。使えないです」
「ならばここからは徒歩一択か。途中に馬車でも走っていればいいのだが……」
イクサーさんはあまり期待していなかったようで、大して残念そうな様子を見せずに思案に耽る。
それがまた、なんか落ち込む。やたら優しいのも、私に期待の一かけらも持っていないが故の諦めだったりしないだろうか。
「……俺のせいなのに、役に立てなくて、すみません」
そう考えると、謝罪の言葉しか出てこなかった。土下座したい。
「もうあまり気にするな。それに、空間転移魔法を使えないのは俺も同じだ」
あああ、この発言で気を使わせてるじゃないか。もう駄目だ、ネガティブループだ。申し訳なさ過ぎて俯く。そのまま何も言えずに沈黙。
すると、イクサーさんが私の頭にぽんと手を置いた。
「失敗についてだが、口に出すことはせずに何が悪かったか考えて行動を是正するといい」
努めて優しいものを、と心がけているような声色に、私は顔を上げる。
「言葉というのは口から出した瞬間に力を持つ。君のような魔術をたしなむ人間なら理解しやすい考え方だろう?」
「……はい」
「否定的な言葉はそれを発した者を駄目にしていく。だから、それはぐっと堪えて、誠実に行動すればいいと俺は思っている」
苦笑するイクサーさん。
「まあ偉そうに言ったが、俺も徹底できているわけではない。父の受け売りだし、そうしたいと思っているというだけの話だからな」
励ましてもらえた、みたいだ。……優しいなあ。
今までの申し訳なさから一転、嬉しさで視界が滲み掛けると、イクサーさんの表情に苦みが走る。
「……すまないな、俺はあまり言葉が得意ではないんだ」
「へ?」
謝られてしまった。どうしてだ。
「言葉が少なすぎたり、君が聞いていて不愉快に思うようなことを言ったとしたら、教えてほしい」
「え」
「俺の口下手は不調法の気が強くて人の反感を買う類のものらしいから。出来れば、君を不快にさせたくない」
「……え、そ、あ、ぜ、全然大丈夫です!」
「そうか。……それなら良かった」
微笑むイクサーさん。もしかして、涙目が誤解されたかな。ああ申し訳ない。
またも申し訳ないが出てきてしまった私の心などつゆ知らず、イクサーさんはさあ行こうと歩き出そうとしている。
彼についていこうとして、ふと思い出すことがあった。
パーシヴァルさんの言葉だ。
(「万が一俺とはぐれるような展開になったら、迷わず近くの味方の手ぇ握っとけ」って言ってたよなあ……。まさにその展開だなあ、今)
どうしよう、パーシヴァルさんに言いつけられたことを守らなかったら、後で怒られそうな気がする。私がイクサーさんと二人で砦に戻ったら……多分あの人、聞くと思う。「手ぇ繋いだか?」って。……どうしよう、繋いでないってことになったら、何されるかわからない。
「あ、の」
「どうした」
言うか、言うか、言ってしまうか。ええい、ままよ。
「手、繋いでもいいですか」
とてもびっくりした顔をされた。言わなきゃよかったと思った。
っていうか考えてみたら、手を繋いでくださいってことは、魔人が来たら守ってくださいねえへへってことになるじゃないか!
イクサーさんが手を繋ぐ意味を知らなくて良かった。どれだけ図々しいんだ、私。よく考えて判断してからものを言えよ、私。ほんと駄目だ。
「ぅ、あ、ご、ごめんなさい。やっぱりいいです」
後悔で言葉を打ち消したものの、イクサーさんは既に思案顔だ。あ、やばい。検討してくれてる?
少しの沈黙の後、意外そうな声で言われる。
「……あの二人から無理矢理、というわけではなかったのか」
……どういうふうに思われていたんだろう。
「……ちょっと、事情がありまして……。あ、あの、すみません、ほんとに忘れてください。あ、でもパーシヴァルさんに聞かれたら話を合わせていただけるとありがたいです」
「話を?」
「はい。あの、手、繋いだか聞かれたら繋いだって言ってください。じゃ、行きま……」
「いや」
無理矢理話を中断させて歩き出そうとしたところ、遮られた。
「繋ごう。事情があるんだろう」
「……は、い。ありがとうございます……」
そうきたか。まさか拒否るわけにもいかず、握手のように手を差し出されて、恐る恐る握る。あ、良かった恋人繋ぎじゃない。
変な観点で安心している私の手を引き、イクサーさんが歩き出した。
手が熱い。イクサーさん、体温高めなのかな。
私が転送された地点で手をつないで歩きだしてから、しばらく経った夕方頃。
今、私たちは、濡れそぼった状態で山小屋の中にいる。
現状の原因を俳句調で説明するならば、「雨降られ、山小屋発見、雨宿り」だ。全くそのままである。季語とかは知らん。しかもベタ。
実は暢気に俳句を呼んでいる場合でもないのだ。寒い。めちゃくちゃ寒い。冬の雨に濡れるのヤバい。歯の根が合わない状態でなんとか『温暖』を唱える。これで少しはましなはず。
「……暖かい、な。ありがとう」
イクサーさんが力ない声でお礼を言った。
山小屋に人はいない。生活感がないし、誰かが住んでいるけど留守、という線もなさそう。荒れてはいるが時折使われていたようで、生活できそうなギリギリのラインを保っている。囲炉裏みたいなのが中央にあり、毛布などの多少の生活用品と、寝台は大きめのが一つ。
と、そこまで見渡したところで、鼻がむずむずと。
「……っくし」
「大丈夫か? ……山小屋があって、よかった」
くしゃみをしたら心配された。
言葉が覚束ないイクサーさんこそ大丈夫そうじゃないんだが。それに、手もめちゃくちゃ熱い。……イクサーさんの手、時間が経つにつれてどんどん熱くなってったんだけど、もしかして熱出てないかな。
これはもう、私は絶対寝台を使わないぞ。そう決めたところ、イクサーさんがガラスの入っていない木枠の窓から外を眺めて言う。
「雨が、やまないことには……移動できないな。……雨宿りがてら、一晩、明かすか」
今晩はここにお泊まり決定となりました。
とりあえず、現在の最優先事項は……服を乾かすこと、です。囲炉裏っぽいのに火をつけたら乾かせるかな。
密室で男二人裸か……なんか BLでありがちな展開になってきてしまった。
あ、イクサーさん脱ぎ始めてるし。ちょっと待っていくら『温暖』があるからって火をつけなきゃ寒過ぎて死にますって。やっぱりこの人熱出てる。判断能力なくなってきてるじゃないか。ああもう!
とりあえず私は、都合よくそこらへんにあった薪をひっつかんで囲炉裏っぽいのに放り投げ、『炎弾』の詠唱を開始した。




