幕間 10‐(14.5).保護者同伴恋愛
白い廊下の隅っこに、虎柄の特徴を持った何かが小さく蹲っている。先ほど全力疾走から唐突にその体勢となったそれは、ソーリスという名前の塊である。
蹲る後姿には、へにょりと力を無くした虎尻尾と、ぺったり畳まれた虎耳。暗雲でも背負っていそうな雰囲気を発しながら、ソーリスは自己嫌悪に陥っていた。
(何やってんの、俺……)
あれだけ好き好き言っておいてこれだ。いざとなった時の自らのへたれっぷりに嫌気がさす。
そう、まず、あのキスの話題がいけなかった。
魔人にキスをされた、なんていうヤマトの衝撃の告白を聞いた瞬間は頭の血管が切れる音すら聞こえたのに(とりあえずあの魔人野郎は殺す、とソーリスは決意した)、それ以外に考えることが出来てしまった今は激怒すらできないのだ。いや魔人のことを思い出せばいつでもムカムカできるけれど、それ以上に重要なことがある。
飲み会で、ヤマトの唇を何度も奪っておいて、覚えてもいないだなんて。
激震の事実に悶々とする心を押さえきれない。
なんで俺ヤマトの唇奪ってんの、とか。どうせならしっかり覚えとけよ勿体ない、とか。考えることが多すぎる。
そして問題もある。とりあえず一番の大きな問題は、つい今しがた自分がヤマトにとった態度である。
(あーやべーめちゃくちゃてんぱったかっこわりいいいい)
あそこは誠意を見せるか余裕を見せるかどちらかだったであろう場所なのに、あろうことか焦った挙句に逆ギレだ。余裕さ、誠実さ共に微塵も存在しない。
これが仮に女性との間に起きた事件だったならば口説き文句ぐらい言えたろうに、と。ソーリスは意味のない例え話を頭に思い浮かべる。女の前でいくらうまく振る舞えても、肝心のヤマトの前ではどうにもうまくいかないことに、自分が情けない。
あまりの情けなさに脱力し、ぐだりと壁に肩をよりかからせた時だった。突如として背後に気配が生まれる。
「ソールーだーんーごー」
「ぐえっ」
次の瞬間、エナが背中から圧し掛かってきた。彼女が器用に気配を殺していたせいで接近に気付くのが遅れたソーリスは思い切りよく潰され、大きな呻き声を上げる。
圧し掛かったまま機嫌良く尻尾を左右に振るエナは、ニヤリと笑ってソーリスに絡みだした。
「ねーソルはいつの間にキス魔になったのかなぁ? エナ知らなかったなぁ」
「……お前」
まずい、いじられる。そう危機感を覚えたソーリスだったが、逃げられない。
「エナ全然知らなかったなぁ。もしかして特殊な条件が満たされてないとキス魔なソルは見れないのかなぁ。例えば好きな子の隣にいる時とかかなぁ。名前がヤで始まってトで終わる子とかかなぁ」
下品な音でゲラゲラ笑うエナ。
ソーリスの顔が薄ら紅潮する。それが怒りからくるものか照れからくるものか、自分でもよくわからない。
「死ねばか!」
腹立ち紛れに怒鳴れば、エナは大笑いしながらぴゅーっという効果音でもつきそうな速さで逃げて行った。
意識が朦朧としているヤマトをさんざ甘やかしている時から、ヤマトのことが好きなのだと周囲にバレてもいいと思っていたソーリスだが、こうして実際からかわれると腹が立つものだ。これでは、パーシヴァルなどにはなんと言われるか……とそう思うと、ちょうどよくパーシヴァルが通りがかる。
思ったより普通の表情をしているパーシヴァルと目が合ったソーリスはとりあえず安堵し、先ほどの話について確認をしてみることにした。
「……ねえ、マジのマジ?」
「大マジだ。全部」
主語もくそもないが通じたようだ。
パーシヴァルは人間関係を崩す類の冗談は言わない。ということは、先ほどのヤマトの病室での大暴露は事実。
ソーリスは顔を紅潮させて俯く。
「う、わ……」
呻きだか感嘆だかなんだか分からない声が口から洩れた。
それを聞いたパーシヴァルが、呆れかえったような顔つきでソーリスを見下す。
「お前のその純情、今までゴミのように捨ててきた女にちょっとでも分けてやれなかったのかね」
まるで人でなしを罵るようなこの言い草には、ソーリスも一言ある。
「ゴミのように、って! 言っとくけど俺、毎回ちゃんと清算してんだからな! 変に付き纏う奴が多いだけで……っておまパースそれヤマトの前で言いやがったな!!」
「今更か」
「今更だよ! あー、もうやだ印象最悪じゃん……マジやめてほしい……!!」
憤懣やるかたないといった様子の悲嘆が叫ばれる。俯き、自らの髪と虎耳をぐしゃぐしゃに掻き混ぜるソーリスを、一転して心配そうな顔でパーシヴァルが見た。
うずくまるソル団子を膝で軽く蹴って気付けにする。
「お前、キスごときでそんなんでこの先大丈夫かよ……。お兄さん心配」
「ごときって言うけどなぁー! ……ガチで大事件だろ……!」
興奮しすぎたソーリスの顔はこれ以上赤くなりようがない様子だった。
自ら気が昂り過ぎていると気付いたソーリスは、意識して深呼吸をし、気を鎮める。そしてとりあえずパーシヴァルの顔を見上げると、口から文句が零れた。
「みんな、なんで黙ってたんだよ」
目の前の意地の悪い人物やおもしろがっている幼なじみはともかく、他の人がこっそり教えてくれそうなものだが、と、そう考えての発言だ。パーシヴァルがしれっと答える。
「お前らに指摘できる奴らが全員俺の賭けにのったからだな」
「賭けって」
「指摘しないでいたらいつ気付くかっていう内容。で、結果は……エデルの一人勝ちだな。どうもあいつには賭けで勝てた試しがない」
「……もう皆嫌いだ」
パーシヴァルはしゃがみ込んで動かなくなったソーリスに向けてひとつ笑い、そしてふと気付いた。その疑問をそのまま尋ねる。
「あと、お前最近ちょっとでも飲みすぎると翌日やたら目覚めいいだろ」
言われてソーリスは飲み会の翌日の記憶を漁る。確かに、よく眠れたいい気分で目を覚ますことが多かったように感じる。
「……え、そんなん……あるけど。でもそれが何か関係あんの」
「兄貴が毎回落としてんだよ。うまいんだ兄貴、気絶させんの。夢も見ずに翌朝までぐっすり。……ぐったりか?」
「えっ」
「放っとくとキス以上までいこうとするからお前」
「……マジ?」
衝撃的な言葉が続いている。まさかそんな事態になっていようとは、想像もしていなかった。
「ヤマトは落とすまでもなく既に落ちかけてるから毎回お前だけ落とされてな……。相手のタイミング図ったかのようにお前が暴走し出すのが姑息だなといつも思ってた」
「なっ、お、俺もそこまで強くないんだしそんな狙ってやってるわけねーだろ!」
真っ赤になって怒るソーリスを笑い飛ばすパーシヴァル。
最初は尻尾を膨らませて怒っていたソーリスだったが、ある時気付いた。気付いてしまった。
(ジェネラルさんに、気絶させられてる、だと?)
ということは、ジェネラルはソーリスの行為を見咎めたということで。そもそも考えないようにしていたが、そうなのだ、今ソーリスを悩ませている大事件は、ジェネラルの目の届く範囲で行われたのだ。
その一点の事実に、ソーリスの顔から血の気が失せる。
「……俺よく生きてるな」
ソーリスは事態の重さを理解した。混乱のせいもあり、こうして一点特化した情報として伝えられるまで思い当らなかったが、ジェネラルの目の前でヤマトに手を出したという事実は……計り知れなく、まずい。
ヤマトを大切に思う心は誰にも負けないと自負しているソーリスも、唯一勝利を高らかに宣言できない人物がいる。それがジェネラルだ。父が娘を想うような、しかも過保護気味なその可愛がり方を見れば、ジェネラルの前でヤマトに手を出すのは危険だとわかる。
だが、ソーリスが考えているほど状況は切迫していないようだった。パーシヴァルがしみじみと口を切る。
「まあお前も兄貴にとっちゃ息子のようなもんだからな」
その言葉に、ソーリスは一転してほっとしながらも沈黙を返す。
息子のようなもの、それはありがたい。ソーリスの身を心配する内容である親でもしないくらい真剣な説教をされた時にも、うわー……とうんざりする反面ありがたく思ったのだが、それに関して今となっては申し訳なさしか覚えられない。これは罪悪感だ。
パーシヴァルの言いぶりを全面的に信じればのことだが……ジェネラルからしてみれば、息子が娘に手を出していたということになるのだ。複雑なこと極まりないだろう。今まで受けた様々な恩を仇で返しているような、そんな気持ちになっているソーリスを知らずに、パーシヴァルが続ける。
「良かったな身内で。姉貴に聞いた話だが……闘技大会のダンスパーティでヤマトに無理矢理迫ったポリオン家の三男坊、どうなったか知ってるか」
懐かしい名前がでた、とソーリスは思った。その名前の人物の詳細は今パーシヴァルが言った通りだ。
実はソーリスもしばらく身辺を調査してみた人物である。動機は、ヤマトへの許し難い蛮行にどうにかして制裁を与えてやろうとしたというものだ。しかし、ポリオン家の三男坊に関しては、いくら探ってもろくに情報が得られなかった。その名前が何故今になって。
とりあえず、質問に答える。
「……い、いや」
「調べても何も出てこないそうだ」
「へ? お咎めなしだったってことかよ!?」
思わず納得いかないと怒りだしそうになったソーリスだが、パーシヴァルの神妙な顔つきで、自分の想像は事実と違うところにあるのだということに気付いた。
「……いや、何も出てこないってのは、消息も含めての話だ」
「え」
「殺しちゃいねえだろうけど……こええなー、権力って」
沈黙が流れる。ソーリスは自らの顔面がすごい勢いで青褪めるのを感じた。
「……俺、大丈夫なの」
「兄貴は身内に甘い。甘過ぎるくらいにな。間違ってもお前に害なんて与えられねえ」
「いやでも」
ヤマトに手ぇ出したってところは変わらないどころか、三男坊より重罪じゃん、と。そう言おうとして気付く。パーシヴァルは笑っている。
「っぶ、くく……」
「え、な、何!?」
「大丈夫だよ……ポリオン家の三男坊が消されたのは、あいつに余罪があったからだ」
「余罪?」
ソーリスは訝しげに顔を歪めた。パーシヴァルが嫌悪感を滲ませながら話し出す。
「貴族やら何やらじゃない後ろ盾のない女を狙って手篭めにして、薬で壊して売ってた……とかだったか? 趣味兼小遣い稼ぎだとよ。最初はお灸で済ませるつもりだった兄貴もそれでキレた。だから、お前の場合と違い過ぎるんだよ」
気分の悪い話だ。話だが……ソーリスは少し安心してしまった。なるほど、自分とはだいぶ立場が違う。
「それに、ヤマトも嫌がってなかったしな」
「へっ」
ソーリスの声が思わず裏返る。
「い、嫌がってなかったの」
「嬉しがってたわけでもねえぞ。ただ面白がってただけだ。されながら寝た時もある」
「……あ、そう」
期待した分、落胆は大きかった。嫌がられなかったというのは朗報だが、面白がっていた、とか、されながら寝た、というのは……脈ゼロではないか。
ソーリスは自らの前途多難な道程に一瞬項垂れたが、まあ完全になしというわけでもなさそうだ、と自らを奮い立たせた。がっかりを誤魔化しがてらパーシヴァルに質問する。
「参考までに聞きたいんだけど、今までに何回くらい起きてるわけ? その事件……」
パーシヴァルが指折り数え出す。
「がっつりいったのが二回、じゃれ合いみたいなので済んだのが一回、最近慣れてきた兄貴による未遂での阻止が二回」
「聞いといてあれだけど、なんでそんな細かく覚えてんだよ……」
「おもしれーから。だが、正直引くわー」
「どっちだよ!」
がなるソーリスをパーシヴァルが笑う。そうしてひとしきり笑った後、少しだけ表情をただした。
「まあお前らもっと俺らに感謝するべきだぞ。目撃者への誤魔化し作業的な意味で。俺らがフォローしなきゃお前らとっくに有名ホモカップルだ」
「……マジでか」
「大マジだ間抜け」
「ありがとうございます……」
お礼を言ってから、ソーリスはふと考える。
特別ヤマトに懐いているヴィーフニルがそんなものを見たらどうなるか、だ。呪刻はだいぶ前から刻まれていたというから、呪われている最中にそんな光景を見てショックを受け、呪刻が進行したのではないだろうか、そう心配した。思わずパーシヴァルに尋ねる。
「……ヴィーフニルの呪いが進行したの俺のせいとかってありえる?」
「あ? 慕ってる人間が目の前で唇奪われたからだって?」
はっきり言葉にしてしまうとなんだか微妙だが、間違ってはいない。
「……まあ、うん、そんな感じ」
「それはないな。お前らがいちゃつきだすたびに情操教育に悪いとか言ってキルケが目隠ししてたし。わかってなかっただろ、ガキだし」
ありがとうキルケ。ソーリスは今度キルケに何か奢ろうと決めた。
感謝しつつ、感心する。
「……キルケって、ほんとに外見からは考えつかない常識人だよな」
「全くだな」
こうして会話は終了する。パーシヴァルが去り、ソーリスは立ち上がった。廊下の隅で団子状態になるほどだった自己嫌悪もまあまあ解消されている。
とりあえず憂いが晴れたので、何度も考えた決意をまた新たに固めた。
(さっさと助けないとな。……待ってろよヴィーフニル)
そして足をヤマトの病室へと向ける。
決意の後に湧いてきた都合の良さそうな言い訳を、もっともらしく言うためにだ。
衝撃暴露ついでに告白でもしてしまうとかいう選択肢は、ソーリスにはなかった。それができれば今まで悩み続けていないのである。




