10‐(11).匹夫の勇
死が目前に迫っていた。
私に向けられた真っ白な少女の掌には、混沌とした闇が集束しつつある。怖いもの以外をあまり見せてくれない、もやが掛かったような視界の中で、そこが一番はっきりと見えるのだ。そのことからも、あれは怖いものだと。多分、命を奪うくらいのものだとよくわかった。
怖い。死ななければならないとは思っていたが、痛いのは怖い。闇属性の攻撃魔法を受けるとすごく痛いと聞いたことがある。途方もない苦しみに蝕まれるのだという。あの闇が私にぶち当たれば、きっと、すごく痛い思いをして死んでいくんだ。
でも……みんなは喜ぶだろう。
嫌いな私が、痛がって、苦しんで死ねば。きっと喜ぶ。
(嫌だ……怖い。痛いのは……苦しいのは)
逃げだせば。一瞬はそう思ったが、第一に腰が抜けたように脱力していて立つことができない。それに、もし逃げ出した場合、私が死ぬべきだと望んでいる人たちがどう思うか。そう考えたら、このまま恐怖に敗北しみっともない体勢で死ぬのも悪くないのかもしれない。
少女の掌からは、今にも闇が放たれそうだ。
怖い、痛い思いをして死にたくない。でも私は死ななければならない。でもやはり、怖い。二律背反を抱え震える。縋るように掴んだ先は床で、指先は空しく滑った。
そのうち私を殺す闇を見ているのが怖くなって、ぎゅっと目を瞑る。目尻に溜まっていた涙がぼろりと零れ落ちた。
突如、背後から何かが飛びついてきたのは、その時のことだった。
(え)
腰を抜かしている状態のまま、一本の腕が私の腹に回り、ぎゅっと拘束される。背中が暖かい。私より背の高い、人間? ……多分、誰かに抱き込まれた? そして軽々と掬い上げられ、そのまま方向転換。
状況が把握できないまま、どん、と音が鳴るような凄まじい衝撃を、誰か越しに背中に受ける。痛くはなかったが、一瞬息が出来なくなるような圧力を受けた。掬い上げられた中途半端な体勢だったこともあり、私にしがみつく誰かごと、前のめりに投げ出される。
どさりと腹から床に落ち、私の背を追って覆いかぶさるように倒れる誰か。
背中が重い。一連の出来事にあまりにも驚いたせいで、黒いもやに覆われていた視界が少しだけ晴れていた。幾分かすっきりとした視界に、床のモザイクタイルが映る。
「……あれ?」
驚いたような疑問の声を上げたのは、白い少女だろうか。年若い少女の声だったから多分そうなのだろう。
と、私の顔の横に手をついて、私の上に覆いかぶさっていた誰かが体を起こす。
「ヤマト」
名前を呼ばれた。聴き慣れた声。最近ではいい思い出がない声。ついびくりと体を揺らした。でも、何か、違う気がする。だから、私は、私の上に覆いかぶさっている誰かの顔を見るために、腹を地につけたまま振り返った。
金色が目に入る。今、私の一番近くにいる誰か、それは。
「無事……?」
(ソル、だ)
ソルに無事かと問われて、呆然と頷く。もやがかかっていて表情はよく見えないが、彼が「よかった」と優しげな声で小さく息を吐いたことだけがわかる。
それよりも、起こった事実が私を驚かせた。思わず呆けてしまうほどに。だって。
(助けて、もらった?)
多分さっきの衝撃は、白い少女の手から魔法が放たれたんだ。それが直撃した。でも、今、痛くない。ソルが庇ってくれたんじゃないのか? しかもソルは私の事を心配してくれた。ソル、どうして。混乱する頭を整理できない。
(なんで助けてくれたの? あんなに責めたじゃん。死ねって言ったじゃん。ソル、なんで、なんで)
ミシミシと、体内で何かが軋む音が聞こえる。何の音だ、これは。
「そ、る」
口から名が零れ落ちる。死ねと言った彼と、今私を心配してくれた彼がまったく繋がらない。
私はとんでもない間違いを犯していたのでは? いや、何を間違うっていうんだ。
だけど、ソルの雰囲気がまったく違うんだ。怖いだけだった療施院でのソルはどこにもいない。今、上にいるのは、いつも優しい、いつもの。
じっと見上げる。表情が見えない。見たい。
(ソル、顔、見せて)
そう願った瞬間、もやがあともう少しだけ晴れた。
目に映るのは、優しい笑顔。
「ヤマト、大好き、だよ」
パキン、という高い音が、体の中で響いた。
音の源が何かに作用したのだろうか、もやがかっていた視界が一気にクリアになる。目の前にいるソルがはっきりと見え、そして、私は息を呑んだ。
右半身、そこにあるはずのものが、ない。
(ソルの、右腕が)
彼の利き手が存在していたはずの、右半身、肘から先が消失し、夥しい量の血液が流れ出している。
「ソル……ッ!!」
私は掠れた声で叫んだ。療施院での記憶が蘇ってくる。
全部わかった。私、なんでみんながあんなこと言ってるって思ったんだろう。ソル、みんな。みんながいきなりあんなこと言うわけがない。おかしかった、私がおかしかったんだ。
勝手に被害妄想をして、なんであんなこと。
しかも何がなんだかわからない今の状況は私に起因しているはずだ。そのせいで。
(腕が、ソルの腕が……)
それでも、ソルは残った左腕を床について起き上がり、振り返る。ルイカから私を守るように立ちはだかった。
その背中を見て思わず引きつった悲鳴が漏れてしまう。だって、背中の一面に、焼け爛れて腐食したような傷が。
(さっき、攻撃されたときの……!)
私を庇ってついた傷だ。満身創痍なんて言葉が生易しいくらいの負傷じゃないか! 先が存在しない腕からはぼたぼたと血が流れ続けている。
「ソル、やめっ、やめ! 死んじゃう!!」
逃げて。今すぐ逃げて欲しい。
でないとソルが死ぬ。死んでしまう。ソル、血がそんなにでてるのに。腕がなくなってしまったのに。痛くないはずないのに。なんでそうまで。
「……ムカつくなあ。そうまでする?」
ルイカが魔法を唱え出す。闇属性の魔法だ。きっと攻撃魔法で、魔力の集まり方からして威力も高い。
恐らく、あれを食らったら、ソルは耐えきれない。
(そしたら、死……)
嫌な想像をするのを遮った。駄目だ。絶対駄目だ。絶対、嫌だ。
冷静になれ。冷静にできることをしろ。ソルは私を助けてくれたんだ、次は私がソルを助ける。だから、ソルを。
「……死なせてたまるかぁっ!!」
私は叫んだ。頭では覚悟しても、腰が引けていて、涙は止まっていない。泣きながら『完全防壁』を発動する。
それと同じタイミングで発動したルイカの魔法が、『完全防壁』にぶち当たって断続的な炸裂音を立てた。凶暴で容赦のない強い力だ。それでも、渾身の力を注ぎこんだ盾は、削られはしたものの闇の強襲に耐えてみせた。魔力の盾を修復すべく惜しまずに魔力を流し込んだ私は、この先の事を考える。
今攻撃を防げたのはいいが、ここでずっと『完全防壁』を保たせているわけにもいかないのだ。ソルがもたない。
ソルの手当てをするために、はやくここから逃げなければ。
「う、わ」
私は立ち上がる。屈み込んでソルの腿を抱え込み、背中や腕を触ってしまわないよう注意しながら右肩に担ぎ上げた。そして『完全防壁』の形を変え、自分たちの周囲を守るように囲う。
そのまま踵を返すと、走り出した。
「ヤマト、呪いは……?」
背中側からソルの呆然としたような声が聞こえたが、返事をしている暇はない。はやくソルの手当てをしなければならない。急がなければならない。
私は走る。身につけているものは病衣と包帯のみ。靴はない。裸足で走れば、尖った石のいくつかが足を傷つけた。だが、そんなことどうしてかまってられる?
一直線にここから出られる扉へと向かう。しかし、そう簡単にいくはずはなく、邪魔が入った。
「逃がさん」
立ちはだかられ、私の足が止まる。誰だこの宝塚っぽい人は。尖った耳と左頬の紋章から察するに魔人のようだけど、私の邪魔をするな。私は、ソルを助けなければいけないんだ。
「どけ宝塚ぁー!!」
泣きながら叫んだが、宝塚は変な顔をするだけだった。
「たから、づか? ……ふん、その虎男の忠義は見上げたものだが、それで貴様を逃がすわけには」
宝塚の発言が不自然に途切れる。私の行動が原因だった。彼女が喋っている途中で、私は思ったのだ。「こうなったら、魔法で攻撃してどいてもらう」と。
だから、切先を宝塚へと向けた『光槍』を頭上あたりにかつてないほどのスピードで集束した。硬質な光の集まりが、高く濁った金属音を響かせている。
私の感情を受けたかのように、『光槍』は巨大化し、鋭く尖っていた。室内で発現できる限界の大きさ、私をすっぽり覆ってしまうほどの影を落とす大きさになった、白く輝く三つ又の豪奢な槍を見て、宝塚が呟いた。
「これは無理だ」
冷静なんだか呆然なんだかわからないテンションの呟きと共に、宝塚が横跳びに退く。宝塚の背後は扉だったから、私は扉を開けがてら、ちょうどいいとばかりに『光槍』をぶち落した。
轟音と共に発生した土煙が辺りを覆う。
「ヤマト、かっこいいな……はは、俺は、かっこ、わる……」
途切れ途切れに呟くソルの声が聞こえた。最後まで言わないうちに完全に途切れ、それきり静かになってしまう。
「ソル!?」
名前を呼んでも反応がない。まずい。
さっさと土煙を晴らすべく、風属性の魔力を使って風を起こす。ただ風を起こすだけの魔法というのを知らなかったから、何も考えずに魔力を集束させ破裂させただけだ。なるべくならば形式の整っていない魔法を使わないようにしていることも、この時ばかりは意識の内にはなかった。いや、ソルを迅速に助けるためならば、例え魔法を使い過ぎて肉体崩壊したっていいと思っていた。
とにかく、ソルを助けたいと、それだけを考えていた私には、風が土煙を運び去る間すら惜しかった。『光槍』を乱暴に落としたことを後悔し始めたところで、やっと目前から土煙が消え去る。
しかし、願い望んだはずの土煙が晴れたその光景は、私を愕然とさせた。
扉が壊れていなかったのだ。周囲の壁に至るまで、傷一つない。
「なん、で」
ありえない。私の渾身の『光槍』だぞ。数と大きさは違えど、建物ほどの巨大なボアを一撃で仕留めたこともあるのに。
「逃がさないよ。壁に結界を張らせてもらったの。呪いが負けてしまったようだから、目の前で仲間が死ぬのを見るといい」
疑問にはすぐさま答えが返された。だがそれは私を絶望させただけだった。
一瞬の絶望の後、またも『光槍』を顕現させ、扉へとぶちあてる。びくともしない。属性を変えて『氷弾』を無数、思い切りぶつけても、欠片すら崩れることがなかった。
ならば、と考える。言いぶりからして結界を張ったのはルイカだ。
(彼女を……ころせば)
覚悟は一瞬でついた。
「いけぇッ!!」
今日一番力を込めて『光槍』を打ち出す。音を立てながら空気を貫いてルイカのところへと駆けたそれは、到達する前に何かに阻まれて落ちた。あちらも、シールドを張っているのだ。だったら一撃で諦めない。シールドを削りきれば、届くはずだ。
威力と発動のバランスが一番良い『光矢』に魔法を切り替え、この空間を覆うほどの数の矢を出現させる。
「こわーい。攻撃的だなあ、ふふ」
それを見ても、ルイカは笑みを崩さない。
一斉掃射を始めてもその余裕はなくならなかった。どれだけ攻撃を重ねても、矢幕の隙間から見えるその表情に堪えた様子が混じることはない。それどころか楽しそうなその顔を見て、心がくじけていく。刻一刻を争う状況で、時間ばかりが浪費されている。
たっぷり五分ほど、数にして数百は『光矢』を撃ったあと、私はずるずると力が抜けたように座り込んだ。担いでいたソルの体を注意深く降ろし、支えて座らせる体勢で顔を見る。先ほどよりも顔色は悪くなり、血の気を失って真っ白だった。浅く細い息で、辛うじて生きていることが分かるくらいだ。
ぼろりと、さらに大粒の涙が零れる。
私は何もできないのか。ソルが、こんな姿になってまで私を助けてくれたソルが、今まさに死んでいってるっていうのに、何も。
「そのお仲間が死んでしまってお兄さんが絶望するのを、ゆっくり待たせてもらうよ」
耳障りな笑い声。殺してやりたい。
(ソル、ソル……どうしよう)
ぼたぼたと涙を落としながら、死んでいくソルを見ている。無力だった。
絶望に心を支配されかけたその時、ガシャン、とガラスの割れる音。
「何!?」
音のした方向は、上だ。驚くルイカの声を聞きながら見上げれば、ステンドグラスの欠片と一緒に、エナとパーシヴァルさんが降ってくるところだった。




