92話:深夜のティーパーティー②
その日の夜。
一良は自室で酸素バーナーを使い、透き通った緑色のガラスロッドを溶かしていた。
酸素バーナーから噴出す青色の炎は、2000度近い超高温だ。
ガラスに当たる炎の色が目にはよくないので、専用のメガネを着けての作業である。
左手に持ったガラスロッドの先端を炎に当て、くるくると手前に回しながら少しずつ溶かしていく。
溶かした先端がある程度の大きさの玉になってから炎から出し、机の上に置いておいたカーボンの板の上に押し付けて、形をいびつに変形させる。
変形させたガラスの端を専用ピンセットでつまみ、玉になった部分とガラスロッドを炎で焼いて切り離し、切断面を焼いて形を整えれば完成だ。
「結構作ったな……それにしても、いったいいくらで売れるんだろうか」
出来上がったいびつなガラス玉をクッキーの空き缶に入っている徐冷材に放り込み、バーナーの炎を止めて背伸びをする。
徐冷材の中には、すでに30個以上の大小さまざまな大きさのガラス玉が入れられている。
かれこれ4時間ほどガラスを焼き続けているのだが、材料のガラスはまだ大量に余っていた。
「まとめて産出ってことにするとなると、これ全部焼いたほうがいいのかな……意外と時間がかかるもんだ」
今回一良が用意したガラスロッドは、全部で6.5キロほどもある。
これらを全て焼くにはかなり時間がかかりそうだが、毎日少しずつ焼いていくしかないだろう。
後で一度、ナルソンにガラス玉を見せてどれくらいの数が必要なのか聞いたほうがよさそうだ。
一良はそこまで考えて、ふと以前街の雑貨屋で売った紅水晶のことを思い出した。
あの時売った紅水晶は、この間ナルソンに見せたような透明度の低いものではなく、薄っすらと透き通った半透明のものだ。
しかも、機械でカットされた完全な球体なので、その価値はすさまじいものになるだろう。
「あの婆さん、今ごろ左団扇なんだろうか……今度様子を見に行ってみるか」
透明度の低い宝石でも、真円にカットされたものは1万アル近い価値があるのではないかとナルソンは言っていた。
あの時はかなりの安値で買い叩かれてしまったことになるが、あの雑貨屋の老婦人がそれをいくらで売り払ったのかはわからない。
先日ナルソンに宝石を見せた時、ナルソンたちはそれらの宝石が完全な球体であることに、とても驚いていたように見えた。
あの反応からすると、今まで彼らはあのような宝石を見たことも聞いたこともないと考えて間違いないだろう。
高価な宝石は羽振りのいい大貴族や王族がこぞって手に入れようとしているとの話だったので、もしあの時売った紅水晶がイステリアの市場に出回っている場合、少なからず噂にはなっているはずだ。
だが、その噂がナルソンやジルコニアの耳に入っていないということは、雑貨屋の老婦人はどこか別の地域か国に売り払ったということになる。
その場合、あの老婦人はすさまじい価値の宝石を、出所不詳の状態で売買できるパイプを持っている人物ということになる。
今回売り払おうとしているガラス玉の売買に、そのパイプを使うことができればかなりありがたい。
とはいえ、平気で詐欺のようなことをして儲ける人物には変わりないので、また騙されるようなことのないように慎重に接触を図らなければならないが。
とりあえず、あの老婦人のパイプを使うかどうかは置いておくにしても、一度様子を見に行ってみてもいいだろう。
今度リーゼと出かける時に文無しでは困るので、何か適当な品物を換金するついでに訪問してもよさそうだ。
一良は考えをまとめて一息つくと、テーブルの端に置かれている紙袋へと目を向けた。
紙袋の中身は、昨晩ジルコニアに渡すことのできなかったクリームや保湿ゲルなどの化粧品、それらに加えてリポDも1本入っている。
「エイラさん、いるかな」
一良は椅子から立ち上がり、ハーブティーの材料が入ったカゴと紙袋を手に取った。
「あ、エイラさん。こんばんは」
一良が調理場にやってくると、そこには椅子に座るエイラの姿があった。
エイラは一良の姿を見るとほっとした様子で立ち上がり、深々と腰を折る。
エイラの服装は前回のような寝間着姿ではなく、昼間と同じ侍女服だ。
どうやら、一良が来ることをずっと待っていたらしい。
「カズラ様、夜分遅く失礼いたします。以前お話したお菓子を作ってみたのですが……その、ご迷惑ではなかったでしょうか」
エイラの傍にあるテーブルの上には、リンゴのような果物のコンポートが載せられた銀の皿が置かれていた。
コンポートとは、果物をシロップや果実酒で煮こんで作った菓子の総称だ。
「いえいえ、迷惑だなんてとんでもないです! すごく美味しそうなお菓子ですね!」
一良はエイラの立っているテーブルに歩み寄ると、不安げな表情をしているエイラに笑顔を向けた。
それを受けて、エイラも安心したように笑顔を見せる。
「ありがとうございます。このお菓子、家で弟や妹に時々作るんですが、好評なんですよ。リーゼ様にも何度かお出ししましたが、すごく美味しいって褒めていただきました」
「へえ、そりゃ楽しみだ。お茶を淹れて、早速いただきましょうか」
「あ、お湯は先ほど沸かしておきました。今お淹れいたします」
エイラは竈に向かうと、青銅の鍋に入れられていたお湯を銅のピッチャーに移した。
そのままピッチャーを持ってテーブルに戻り、あらかじめ一良がハーブを移しておいたガラスポットにお湯を注ぐ。
お湯を注がれたハーブたちはふわりと広がり、すぐに薄い赤色にお湯が染まった。
ガラスポットに入れられているハーブは、ハイビスカスとローズヒップを中心とした疲労回復をメインにしたブレンドだ。
エイラはテーブルに用意されていた小皿にコンポートを移し、フォークを添えて一良と自分の前に並べた。
2人は席に着くと、「いただきます」と断りを入れてからフォークを手に取る。
「ん、これは甘くて美味しいですね!」
口に入れたコンポートの味に、一良は頬を緩ませた。
果実酒でよく煮詰められた果物は、とてもさっぱりとした甘さで口当たりがいい。
砂糖を使っていないために甘さは控えめだが、これくらいのほうが食後のデザートとして出す場合は向いているだろう。
冷蔵庫でしっかりと冷やせば、もっと美味しく食べられそうだ。
「ありがとうございます! ……よかった」
一良がコンポートを食べるさまをじっと見つめていたエイラは、その様子にほっとしたように微笑んだ。
「あ、エイラさんも食べてください。別に気を使う必要はないですから、気楽にいきましょう」
「はい、いただきます」
一良の勧めに応じ、エイラもコンポートに手をつける。
これまで、一良の食事中にエイラが傍で控えているということは何度もあったが、こうして2人一緒に何かを食べるということは初めてだった。
「侍女さんたちって、普段はいつ食事をとっているんですか? いつも忙しく動き回っているイメージがありますけど」
「朝と昼はカズラ様たちの食事の後に、当番の者がまとめて作っておいたものをぱぱっと食べる感じですね。夜はこの食堂が開放されているので、手の空いた時間にやってきて、好きなものを注文して食べています。結構美味しいんですよ」
「え、好きなものって、メニューは固定じゃないんですか」
「その日ある食材にもよりますけど、結構融通がききますね。前もって料理人に希望を出しておけば、大抵のものは用意しておいてくれますよ。夜は夜勤者くらいしか食べに来る者がいないので、そこまで沢山食材を用意しなくてもいいからかもしれないですけど」
「なるほど……今度私も食べにきてみようかな」
「か、カズラ様がですか? 料理人がびっくりしてしまいそうです」
「むう、それもそうか。なら、警備兵とかに変装してくればなんとかなりませんかね?」
「あ、それならもしかしたら……いえ、バレます。絶対バレます」
「だ、ダメか……くそう、何とかして一度食べてみたいな……」
初めは遠慮がちにしていたエイラだったが、一良が気さくにペラペラと雑談を振るうちに少しずつ緊張が和らいでいったように見えた。
そのままコンポートを食べながらしばらく雑談していたのだが、ふと話が途切れたところで一良は本題を切り出すことにした。
「エイラさんって、普段ジルコニアさんに会う機会ってありますか?」
「はい。毎日夕方になると、リーゼ様の次の日の予定の調整と、私の業務の報告のために面談をしております」
「そうなんですね……あの、実は1つ頼まれて欲しいことがありまして」
一良は自分の足元に置いておいた紙袋を取ると、テーブルの上に置いた。
「これなんですけど、ジルコニアさんに渡しておいてもらいたいんです」
「かしこまりました。このままお渡ししておけばよろしいでしょうか?」
「んー……いえ、今から中身を説明するので、ジルコニアさんにも同じように伝えておいてください」
一良はそう言うと、紙袋の中から化粧品とリポDを取り出してエイラの前に並べた。
目の前に出された化粧品の美しい容器に、エイラは目が釘付けになる。
「これ、私の国の化粧品なんです。肌のお手入れに使うもので、使い方は……エイラさん?」
「は、はいっ!」
化粧品を見て固まっているエイラに一良が声をかけると、エイラは緊張した様子で跳ねるように返事をした。
いきなりこのような品物を見せられては、驚くのも無理はないだろう。
一良はそのまま説明を続けようと口を開きかけて、ふと別のことを思い立ってエイラに聞いてみることにした。
「エイラさんは、ナルソンさんやジルコニアさんから、私について何か聞いていますか?」
「え……」
一良の問いかけに、エイラは一気に表情を強張らせる。
「な、何か……ですか?」
「ええ、色々と申し付けられているとは思いますが、何て聞かされてます?」
以前、ナルソンは『カズラ殿はかなり高貴な家柄であり、無用な詮索はしないように』と配下の者に伝えておくと言っていた。
だが、高貴な家柄とはいっても、どのような立場にある人物の設定にするのかは聞いていなかった。
色々と珍しい道具を持ち込んでいるので、他国の人間ということにされているだろうことは何となく想像がつく。
後で詳しい設定を直接ナルソンに聞いてしまえば話は早いのだろうが、さわり程度ならばこの場でそれとなくエイラに聞いてしまってもいいだろうと一良は思ったのだ。
「えっと……」
エイラはやたらと緊張した様子で、どう答えたものかと少し悩んだ様子だったが、観念したかのように口を開いた。
「カズラ様がグレイシオール様で、イステール領に多大なるご支援をしてくださっているということと……」
「……え?」
どんな設定なのだろうかと気軽に構えていた一良は、エイラの口から出た予想外の台詞にきょとんとした表情になった。
そんな一良の反応に、エイラはびくっと肩をすくめる。
「あ、いえ、続けてください。支援をしているということと、何ですか?」
まさかエイラがそのようなことを聞かされているとは思っておらず、一良は内心困惑した。
だが、自分の専属従者になった時に説明を受けていたのだろうととりあえず納得しておき、続きを促す。
「……私たちに、祝福の力を授けてくださるということです」
そして、続けて出たエイラの台詞を聞き、一良はぎょっとした。
今までナルソンやジルコニアたちには、長期間にわたって一良が持ってきた食べ物を摂取することで得られる剛力についての説明はしていない。
しばらく前にアイザックとハベルにリポDを飲ませたことはあったが、そのことは口外しないようにと2人には伝えてある。
第一、リポDを1度飲んだくらいでは体力全快の効果しか出ないはずなので、2人は食べ物の長期摂取によって得られる剛力については気づいていないはずだ。
「その祝福の力についてですが、具体的にはどんなものだと聞いてますか?」
「その……まるで怪物のような力とだけ聞いています。そこまで詳しくは聞いていないので……」
「それについて、他には誰が知っていますか?」
「そ、そこまでは私には分かりません。ジルコニア様からカズラ様の専属従者になるように申し付けられた時に、合わせて簡単に説明を受けただけですので……」
「そう……ですか」
一良は腕を組むと、いったいどういうことだろうかと考え込んだ。
エイラがジルコニアから色々と説明を受けていたことは、専属従者になるにあたっての説明とみれば不自然ではない。
せめて一言連絡が欲しかったが、ジルコニアも忙しい身なので、うっかり伝え忘れたということもあるだろう。
だが、剛力の話が出てきたことは予想外だった。
今のところ、一良の持ち込んだ食べ物によって得られる剛力については、グリセア村の住民以外は知らないはずだ。
村の誰かが話を漏らしたのかとも一瞬考えたが、村人たちの一良に対する崇拝ぶりと、アイザックとハベルの今までの態度を考えると、その線は薄いだろう。
「(となると、前に野盗に村が襲撃された時の痕跡から……あ、そうか、そういうことか)」
一良はそこまで考えて、1つの見落としに気がついた。
村を襲った野盗は全員がバリンたちによって殺されたわけではなく、何人かの生き残りが捕らえられているはずなのだ。
捕らえられた野盗は当然ながらバリンたちの戦いぶりを見ているはずなので、そこから話が漏れたと考えて間違いない。
野盗たちから話が漏れたということならば、食べ物の効能については漏れていないとみていいだろう。
今まで一良は一度も野盗と顔を合わせたことがなかったので、彼らの存在をすっかり忘れていた。
一良が考えをまとめていると、エイラがものすごく不安そうな表情で一良の様子を窺っていることに気がついた。
「あ、すみません。エイラさんがそのことを聞いていたとは知らなかったもので……そんな顔しないでください、別に怒ったりしませんから」
「は、はい。ですが、その……申し訳ございませんでした」
「いえ、いいんですよ。ただの連絡漏れでしょう。エイラさんに非はありませんよ」
一良が笑顔でそう言うと、エイラは少しだけほっとしたように表情を緩めた。
色々と予想外の話が出たが、エイラが一良のことをグレイシオールだと認識しているのならば、美容品やリポDについても説明がしやすくなる。
エイラには今後も世話になるはずなので、むしろグレイシオールだと知っていてもらっておいたほうが、何かと都合がいいだろう。
「えっと、それではさっきの続きを。まずはこれ、保湿ゲルっていうんですが、きちんと洗顔した後にこのくらいの分量を……」
一良は化粧品の中から容器を1つ手に取ると、使い方をエイラに説明し始めた。