88話:トラウマ
ジルコニアのお話。
活動報告にてジルコニアのラフイラストが公開中です。
そちらを見てからの方が場面をイメージしやすいかも。
「それで、さっきの続きなんですけど、イステリアで使われている薬について教えて欲しいんです。この世界では、薬はかなり高価なものだとバレッタさんから聞いたことがあるのですが……」
一良がこの世界に初めてやってきた時、リポDをこの世界の薬と勘違いしたバレッタは、「私一人が身売りした程度では、あの薬1つ分のお金にも満たないということは百も承知」と言っていた。
農村の女性が奴隷商に身売りした場合の相場がいくらのかは知らないが、50アルや100アルといった程度の金額ではないだろう。
一良の問いに、今まで黙ってハベルとのやり取りを聞いていたアイザックが口を開いた。
「確かに薬は高価なものが多いですが、種類にもよります。傷薬、うがい薬、便秘薬といったものは比較的安価で、食料品店などでも手に入ります。ですが、疾病の治療に用いる薬は薬草自体が非常に希少なために高価でして、呪術師組合がその製法を独占しています。薬の元になる薬草の栽培も、呪術師組合がイステリアの街中にある薬草園で行っていますね」
「呪術師? ……ええと、おまじないとかで病気を治したり呪いをかけたりする人たちのことですかね?」
呪術師という聞きなれない単語に、一良は以前日本で見た未開の部族を特集したテレビ番組を思い出した。
シャーマンや祈祷師といった名称も用いられていたように思うが、何やら怪しげな呪文を唱えたり煙を焚いたりしているイメージしか思い浮かばない。
薬草を煎じて薬を作るといった行為をしている場面も見た気がするが、記憶はあいまいだ。
「そうです。呪術師たちの役割は、祈祷と薬を使った病気の治療や占いですね。会戦の前などは、動物の内臓を使って勝敗を占うこともあります」
「占いですか……それって当たるんですか?」
「五分五分ですね。当てになりませんよ」
興味津々といった様子で質問する一良に、アイザックは苦笑して答える。
「ですが、士気高揚のためにあらかじめいい結果が出るように指示して占わせることもあります。どれほどの者が信じているのか分かりませんが、いい結果が出たと言われて嫌な気分になる者はいないので、多少は士気にいい影響があるかと。まあ、占いを聞かせている暇があるのなら、オルマシオール様に祈りを捧げる時間を寄越せと思っている兵士の方が多いと思いますけどね」
「ああ、そんなものなんですか……」
大々的に行われる占いとはどんなものなのかと一良は気になったのだが、やはり当たるも八卦当たらぬも八卦といったものらしい。
オルマシオールについても聞いてみたかったが、神が神について質問するというのも変に思われそうなのでやめておいた。
ちなみに、一良は知らないことであるが、オルマシオールとは戦いの神の呼称である。
信じる者に勇気と活力を与えると信じられている戦いの神だ。
信じていれば勝利を得られるというような力強い神ではないが、勇気と活力を与えてくれるという、ともすれば微妙にも思える加護が逆に親しみやすく、軍属以外の者にも幅広く愛されている。
「ですので、呪術師の主な役割は病気の治療ですね。薬剤や祈祷の種類をまとめた報告書を後ほどお渡ししますので、ご確認いただければと思います」
「わかりました。お願いしますね」
衛生問題については井戸水の問題の処理が先なので、薬剤に関して手を出すかどうかの判断はその後になる。
下手をすれば何ヶ月も後になってしまうかもしれないが、情報を集めておくに越したことはないだろう。
その後もしばらくの間、一良たちは焚き火を囲んで談笑を続けていた。
次の日の深夜。
ひっそりと静まり返ったナルソン邸の広場に、一良たち一行は到着した。
ボストンバッグ片手に一良が馬車を降りると、屋敷からジルコニアが出迎えに出てきてくれた。
ジルコニアの服装は、いつもどおりのゆったりとした薄紅色のチュニック姿だ。
すでに時刻は午前1時。
普段、ジルコニアや一良が執務室での仕事を切り上げるのは午後11時から12時の間なので、ジルコニアは一良が戻ってくるのを待っていてくれたのだろう。
とはいっても、それぞれ自分の部屋に戻ってからも持ち帰った仕事を続けたり、そのまま執務室に残って仕事を続けたりすることも多々あるので、仕事をしていて起きていただけなのかもしれないが。
「カズラさん、おかえりなさい。長旅お疲れ様でした」
腰を押さえて背伸びをしている一良に、ジルコニアが労いの言葉をかける。
一良の背後では、マリーがハベルに手を貸してもらいながら馬車から降りていた。
マリーは馬車から降りると、積荷を下ろすためにハベルと共に荷馬車へと駆けていった。
荷馬車では、すでにアイザックと使用人たちがせっせと積荷を降ろし始めている。
「ただいまです。なんとか予定どおりに戻ってこられました。ああ、疲れた……」
「ふふ、大変だったみたいですね。調べ物は上手くいきましたか?」
「ええ、必要な物は全て見つかりましたよ。道具も色々と調達してきたんで、きっと役に立つと思います」
そう答える一良に、ジルコニアは嬉しそうに微笑む。
「まあ、それはよかったですわ。でも、ずっと馬車に乗りっぱなしでお疲れでしょう? お風呂が沸いていますから、どうぞ入ってください」
「おお、それはありがたいです。ジルコニアさんはもう入ったんですか?」
「え? いえ、私はまだですが」
「なら、入るときにこれを使ってみてください。疲れがとれると思います」
一良はボストンバッグから入浴剤の入った紙袋を取り出すと、それを袋ごとジルコニアに手渡した。
中に入っているものは、入浴剤、シャンプー、コンディショナー、そしてグリセア村で使っているものと同じ種類の石鹸だ。
「これは?」
きょとんとした様子で、紙袋の中の品物を見ているジルコニア。
一良はジルコニアの持っている紙袋から、入浴剤のプラスチックケースを取り出した。
大容量タイプのケースのラベルには、『信州白骨温泉の素』と記載されている。
「えっとですね、これは温泉の素っていいまして、お風呂に入る前にお湯に混ぜて使うものです。いい香りがしますし、体が温まって疲れがとれるんですよ。入れる量はだいたい……」
ふむふむと頷くジルコニアに、一良は品物を取り出しては使い方を説明していく。
全ての品物の説明を終えると、ジルコニアは袋を胸に抱えて嬉しそうに微笑んだ。
「こんなに沢山、ありがとうございます。早速今晩から使わせていただきますわ」
「どういたしまして。気に入ってもらえるといいんですけど……あ、そうだ。お風呂から出た後、私の部屋に来てもらってもいいですかね? 他にも渡したいものがあって」
渡した紙袋の中には、保湿ゲルなどの美容品は入っていなかった。
ジルコニアは日本語が全く読めないので、一良が実際に使ってみせながら説明しなければいけないと思い、あえて渡した紙袋には入れていなかったのだ。
入浴後に部屋に来てもらえば、それらの美容品の使い方を説明するのにもちょうどいいタイミングだろう。
使い方に関しては、グリセア村でバレッタと共に一良も説明書を読んだので、なんとかなるはずだ。
ジルコニアが部屋に来るまでの間に、ある程度復習しておいたほうがいいかもしれないが。
「……私がですか?」
一良の申し出に、なぜか驚いたような表情で問い返すジルコニア。
「ん? そうですけど?」
ジルコニアの反応の意味が分からず、一良は小首を傾げて返事をする。
「わ、わかり……ました……」
胸に紙袋を抱えたまま少し表情を強張らせて頷くジルコニアを不思議に思いながらも、一良は風呂に入るために屋敷へと入っていった。
入浴後、一良は自室に戻ると、部屋に運び込まれていた大型冷凍庫を発電機に接続して電源を入れ、クーラーボックス内の冷凍食品を手早く移し変えた。
今はベッドに腰をかけ、美容品の説明書を読んでいるところだ。
一良から見て正面にあるテーブルの上には、先ほど調理場で作った熱湯の入った水筒、ハーブが入れられたガラスポット、そして美容品の入った木箱が置かれている。
木箱の中に入っている美容品は、包装されていた箱から取り出された状態だ。
一良がしばらくの間説明書を熟読していると、部屋の扉がノックされた。
「ジルコニアです」
「どうぞー」
一良が声をかけると扉が開き、ジルコニアが入ってきた。
ジルコニアは普段着ているようなチュニックではなく、脛ほどまでの長さのベージュのワンピースを着ている。
恐らく、これが寝間着なのだろう。
なぜか表情が少し暗いような気がするが、何かあったのだろうか。
「お待たせしました……」
「あ、座ってください。今お茶を淹れますね」
一良は部屋の入り口に棒立ちになっているジルコニアに声をかけると、ベッドから立ち上がってテーブルへと向かい、水筒を手に取った。
ジルコニアは頷くと、なぜかテーブルではなくベッドの方へ歩いていき、そのままベッドに腰かけた。
「(……なんでベッドに座ったんだ?)」
ジルコニアから感じられる、いつもとは全く違う雰囲気に、一良は妙な胸騒ぎを覚えた。
だが、自分の気のせいだろうと考え直し、ジルコニアに背を向けたままガラスポットにお湯を入れる。
「先ほど渡した入浴剤はどうでした? 身体が温まったでしょう?」
「はい、すごく身体が温まって、疲れがとれました」
「そうですか、それはよかった」
「はい」
「……」
「……」
「しゃ、シャンプーとかはどうでした?」
「はい、髪が今までにないくらいサラサラになって、とても洗いやすかったです。石鹸も、いい香りでした」
「そうですか」
「はい」
「……」
「……」
会話が続かず、沈黙が部屋を支配する。
ベッド脇の小テーブルに置かれているアナログ時計の針の音だけが、コチコチと部屋に響く。
「はい、お茶ができました。熱いので火傷しないよう……に……」
一良はそう言いながら、ハーブティーの入ったコップを持って振り返った。
そして、ベッドに座っているジルコニアの表情を見て固まった。
ジルコニアは、極度の緊張から身体を縮こまらせ、今にも泣き出しそうな表情で一良を見上げていた。
「……か、カズラさん、わ、私……その……」
「は、はいっ?」
思わず上ずった声で返事を返す一良。
ジルコニアは一良から目をそらし、膝の上でぎゅっと握り締めている自身のこぶしに目を落とした。
「ち、ちゃんとするの、初めて……だから……」
「……え?」
「やさしく……してくださ……い……」
「ちょっ!?」
細かく震えながらぽたぽたと涙を零し始めたジルコニアに、一良は慌ててコップをテーブルに置くと駆け寄った。
駆け寄ってきた一良に、ジルコニアは思わずびくっと身体を震わせる。
一良はその場に膝をつくと、ジルコニアの肩に手をかけようかと手を伸ばしかけたが、怯えた様子のジルコニアを見てすぐさま手を引っ込めた。
「何でいきなり泣いてるんですか! だいたい、そういう意味で呼んだんじゃありませんから!!」
「え? でも……え?」
なおも怯えた様子で、ジルコニアは目に涙を溢れさせたまま、自分の前で膝をついている一良を見る。
「ああ……そうか、そうだよな、俺が悪いよな……」
一良は広場でのジルコニアとのやり取りを思い出し、自分の発言の浅はかさを後悔した。
夜中に、しかも入浴後に女性に部屋に来るように申し付けるなど、普通に考えてありえない発言だったのだ。
最近はジルコニアと深夜から明け方まで一緒になって仕事をすることが何度もあったので、その辺の感覚が麻痺してしまっていたのだろう。
ジルコニアの勘違いも度が過ぎているようにも思えるが、状況を考えてみれば一良に非があると言える。
第一、すでにジルコニアは怯えて泣いてしまっているので、謝り倒す以外の選択肢はとりようがない。
「勘違いさせてごめんなさい。さっき部屋に呼んだのは、別に夜の相手をしろといったような意味じゃないんです。そのまんま、本当に渡したいものがあっただけで」
「え、あ……そ、そうで……すか……」
「うん……」
「……」
「……」
再度、気まずい沈黙が部屋に訪れた。
どちらも言葉を発しないまま、永遠とも思えるような時間が流れる。
再び、コチコチという時計の針の音だけが部屋に響き始める。
気まずいなんてものじゃなかった。
先に沈黙に耐えられなくなったのは、ジルコニアだった。
「ご、ごめんなさい。私なんかにそんなこと、申し付けるわけがありませんよね。屋敷の中には、綺麗な娘も沢山いますし……勘違いして、バカみたい……」
「あ、いや、ジルコニアさんも綺麗だと思いますよ! 雰囲気も暖かくて、こう、癒されるっていうか!」
「え?」
「え?」
「……」
「……」
再度、沈黙。
「……えっと……しま……す?」
一良のフォローをどう受け取ってしまったのか、ジルコニアからこれまたすごい発言が飛び出した。
「い、いえ、大丈夫ですから、もう戻っていただいて結構です」
「そ、そうですか……」
一良の言葉に、ジルコニアはベッドからよろよろと立ち上がる。
「あ、あの、本当にごめんなさい。申し訳ございませんでした」
「いや、悪いのは完全に俺のほうなんで、謝らないでください。本当に申し訳ありませんでした」
2人そろって頭をつき合わせるように深々と腰を折る。
ジルコニアはそっと顔を上げると、「失礼いたします」と言って、そっと部屋を出て行った。
残された一良はジルコニアを見送ると、その場にしゃがみ込んで頭を抱えた。
「……おい、明日からどんな顔してジルコニアさんに会えばいいんだよ。ふざけんなよ俺」
色々と気になる発言をジルコニアから耳にした気もするが、今の一良はそれどころではなかった。
勘違いとはいえ、相手をすることを泣くほど嫌がられたという事実も、ジルコニアが人妻だということを差し引いても、地味にダメージが大きかった。
「……寝よう」
一良は虚ろな表情で立ち上がり、ベッドに向かう。
そして、そのままベッドに倒れ込むと、腹の底から大きな溜め息をつくのだった。
活動報告にて、87話時点での一良の所持金の残り額が公開中です。
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