80話:一番良いのを頼む
後頭部に当たる硬い盾の感触に、アイザックは自分が敗北したことを察した。
今しがた起こった全ての出来事が唐突過ぎて、頭が混乱して何がどうなっているのかさっぱりわからない。
「……あの、大丈夫ですか? 起きられます?」
後頭部から盾の感触が消え、心配そうなバレッタの声が降りかかる。
アイザックは未だに握り続けていた木剣を手放すと、地面に右手をついて身体を起こした。
バレッタが差し出した手を礼を言ってから取り、ぐい、と引っ張られるような形で立ち上がる。
華奢なバレッタの見た目とは相反するその力強さに、アイザックは「むう」と立ち上がりながら唸った。
身体についた土や落ち葉を手で払い、自分を落ち着かせるように一度深呼吸をする。
そして、若干しかめた表情でバレッタに目を向けた。
「カズラ様から与えられた、祝福の力ですか」
「えっと……はい」
バレッタはどう答えたらいいのかと少し悩んだが、大筋では間違っていないだろうと素直に頷いた。
その様子に、アイザックは頭をかくと深く溜め息をついた。
「酷いじゃないですか。これほどまでに強いのなら、戦う前に一言言ってください。殺す気でかかってこいとは言いましたが、初撃を食らった時は正直生きた心地がしませんでしたよ」
「ご、ごめんなさい。どうしてもアイザックさんに勝ちたくて……何も言わずにいきなり全力で戦えば、虚を突けると思ったんです」
戦闘開始直後にバレッタがアイザックに向かって正面から全力で突進したのは、アイザックに動揺を与えて戦いの主導権を自分が握るためだった。
一良が持ち込んだ食べ物を継続的に摂取した結果として、いくら身体能力が驚異的に向上しているとはいっても、相手は実戦を経験してきたプロの軍人である。
戦いが長引けば長引くほど、バレッタは戦い慣れていない自分の動きは簡単に読まれ、勝ち目は薄くなってくはずだと考えていた。
だからこそ、一度目の奇襲を防がれた後にあえてもう一度同じような攻撃を繰り返し、アイザックに素人ゆえの単調な攻撃と思い込ませたのだ。
結果、アイザックはバレッタがあらかじめ数通り予想していた動きの中の1つを取ってくれた。
その後のバレッタの行動も、あらかじめ「こう来たらこうする」と、洗濯物を干している最中に頭の中でシミュレーションをして決めていたものなのだ。
もしあの攻撃すら防がれてしまっていたら、正直なところバレッタはアイザックに勝てたかどうか分からなかった。
「確かに虚を突かれましたね……私の負けです。約束は守りましょう」
アイザックがそう言うと、バレッタはほっとしたように微笑んだ。
いくらアイザックとはいえ、このような負け方をしては機嫌を損ねてしまうだろうかと少し心配していたのだが、それは無用な心配だったようだ。
「ありがとうございます。あと、このことはカズラさんには内緒にしておいて欲しいんです。心配、すると思うから……」
少し寂しそうに言うバレッタに、アイザックはすぐに頷いた。
「わかりました。カズラ様には黙っておきます。バレッタさんが胸を張ってカズラ様の前に立てるようになったら、その時に全てお話することにしましょう。もちろん祝福の力についても他言はしませんから、安心してください」
バレッタはそれを聞くと、嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「はい、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるバレッタを見て、アイザックは内心嬉しい気持ちで一杯だった。
この娘は、自分と同じように一良に対して強い敬意と献身の心を持っているのだ。
戦闘に関してどれほどの才能があるのかはまだ分からないが、祝福によってあれほどの身体能力を発揮できるのならば、きちんと訓練すればすさまじい強さを持った戦士へと成長するはずだ。
一良はバレッタのことをとても気に入っている様子なので、しっかりと訓練を施した後ならば、身辺警護の側近として傍に置いてもらえるように、一良とナルソンに進言してもいいだろう。
「(そうすればきっと……馬鹿、何を考えているんだ俺は)」
2日前のリーゼと一良のやり取りが一瞬頭に浮かび、アイザックは慌てて自分を律した。
バレッタを一良の傍に置くことができれば、一良の目はリーゼよりもバレッタに向くはずだと、ほんの僅かにだが考えてしまったのだ。
一良にもリーゼにも誠意の欠片も無い愚かな思考だと、アイザックは自分の心の浅ましさを恥じた。
「では、早速始めましょう。まずは剣を持った時の基本的な構えから。焦らずゆっくりと、1つ1つ確実に身につけていってください」
「はい!」
こうして、アイザックとバレッタの秘密の特訓が始まった。
アイザックとバレッタが特訓を始めた頃、一良は日本の屋敷の玄関に腰をかけ、携帯電話で父親の真治と話していた。
「銅と錫を500キロずつって、お前いったい何に使うんだよ。寺の鐘でも作るつもりか?」
「いや、今すぐ何かに使うってわけじゃないんだけど、手元に置いておきたいんだ。屋敷に送ってもらえるように材料屋さんに手配して欲しいんだけど」
困惑したような声色で問い返す真治に構わず、一良は資材の都合をつけるようにごり押しする。
真治は町工場を経営しており、業種は金属引き物業なので、こういった金属材料の手配はお手の物なのだ。
当初、一良は自分で材料の手配をしてしまおうかとも考えたのだが、業者を探すのも交渉をするのも非常に手間がかかるので、全て真治に丸投げすることにした。
それなりの金額にはなるはずだが、以前一良は真治の口座に5億円もぶち込んでおいたので、お金が足りなくなるということはないだろう。
「できれば明後日までに届くようにして欲しいんだ。頼めるかな?」
「……ああ、いいよ。届く日時が決まったら連絡するから、任せておけ。あと、もし青銅を作るつもりなら、錫の割合は1割くらいだぞ。とんとんで突っ込んじゃだめだからな」
「うお、そうなのか。知らなかった」
「おいおい、大丈夫か? 出鱈目なことやるんじゃないぞ。分からないことがあったら俺に聞け。何でも教えてやるから」
「じゃあ屋敷の奥の部屋のことなんだけど……」
「だからそれは知らん」
ぴしゃりと言い放つ真治に、一良は大げさに溜め息をつく。
「わかったよ。じゃあ、材料のことは任せたよ。また何かあったら連絡するから」
「おう。あんまり無茶はするなよ」
一良は通話を切ると、携帯電話をズボンのポケットにしまった。
「無茶はするなよって何だよ……」
やれやれと頭をかきながら、庭に停めてある車へと向かう。
キーを回してエンジンをかけ、カーナビを起動して目的地を検索する。
最初の目的地は市街にあるバーナーワークショップだ。
日本にいる間にやらねばならないことは山ほどあるので、あまりのんびりしているわけにはいかない。
水力発電機を発注している工務店には既に連絡済で、発電機は明日の午前中に屋敷に届けてもらうように手配してある。
まずはバレッタに頼まれた品物やイステリアへ持っていく予定の品物の調達と手配を先に行い、調べ物はその後にするつもりだった。
「できれば明後日までに全部終わるといいんだけど、どうなることやら」
カーナビのルート案内が始まったことを確認し、一良はアクセルを踏み込んだ。
それから約1時間後。
目的のバーナーワークショップに到着した一良は、店内のガラスロッドが陳列されている棚の前で品定めをしていた。
棚に並んでいる色とりどりのガラスロッドは、ガラスの材質ごとに置かれている棚が分けられている。
店内に置かれているガラスロッドは、酸素バーナー用の硬質ガラスと、エアーバーナー用のソフトガラスの2種類だ。
それらの中でさらに色が透き通ったクリスタルガラスと、透明度のないソーダガラスとに分かれている。
店自体の造りは3階建てで、現在一良がいるのは店の2階部分だ。
1階にはとんぼ球などの加工済み商品が陳列されており、ガラスロッドや加工用の道具が置かれているのは2階部分だった。
階段に張られていた張り紙には、3階にてバーナーワークの体験教室を開いているとも書いてあった。
「はて、これはどっちを買っていくべきか」
硬質ガラスとソフトガラスの棚を見比べながら、どちらを買っていくべきなのかと一良は少し悩む。
ぱっと見たところ、硬質ガラスの方がソフトガラスよりも光沢があって美しく見える。
この硬質ガラスを溶かしてある程度の大きさの塊にした後に、地面に叩きつけるなどして不ぞろいな形に砕いてしまえば、ナルソンも市場に回しやすくなるだろう。
ガラスの置かれている棚の隣には、少し特殊なガラスも置かれているようだった。
ダイクロガラスという虹色や玉虫色に光るとても美しいガラスの板や、金太郎飴のように様々な模様が入っているガラスロッドなども置かれていた。
「まてよ、これを溶かすって、専用のバーナーが必要だよな……道具を一式買って行って、あっちで好みの形と大きさに加工すればいいか」
店に置かれているガラスロッドは、太さが1センチから2センチの間のものばかりだ。
このままだと少々小さい上に形も同じようなものばかりになってしまうので、一旦自分で溶かして塊にする必要がある。
一良は店の隅にあるレジの前に座っている女性店員に声をかけて呼び寄せると、道具について質問することにした。
「すみません、この硬質ガラスを加工する道具が欲しいんですけど、どんなものがいいのか一式見繕ってもらえませんか? 今回初めて挑戦するんで、何が必要なのかわからないんですよ」
「わかりました。酸素バーナー用の道具だと結構お金がかかりますが、大丈夫ですか?」
「どれくらいですかね? それなりに用意はしてきたんですけど」
「バーナーと酸素を精製する酸素ジェネレーターが結構高いんで、細かい道具も合わせると30万円近くになってしまうと思います。ソフトガラス用の道具なら4万円もあればいいのが揃いますよ」
硬質ガラス用の道具とソフトガラス用の道具では、値段にかなりの差があるらしい。
もちろん選ぶ道具にもよるだろうが、ソフトガラスに比べて硬質ガラス用の道具は手を出すのにかなり勇気がいる金額だ。
スーパー成金である一良にとっては関係の無い話なのだが。
「あ、いや、酸素用のでいいです。道具の説明をしてもらってもいいですか?」
「わかりました。こちらへどうぞ」
一良がそう言うと、女性店員は一良をつれてバーナーなどの道具が置かれている奥の部屋に入った。
部屋の中には色々な種類のバーナーと、酸素ジェネレーターと呼ばれている酸素精製装置が数台置かれている。
どれも結構な高額商品のようで、20万円を超えるものも数多くあった。
「まずバーナーなんですけど、物によって火の出方が違うんです。手元のノズルで火の大きさはある程度調節できるんで、どれくらいの大きさの作品を作りたいかってことと、使いたい火の質を何処まで追求するかにもよりますね」
「うーん……店員さんのお勧めってどれですかね? 出来れば故障しにくくて頑丈なやつがいいんですけど」
「頑丈なやつならこれですね。25万円もしますけど、いい火が出る上に作りがしっかりしていて故障しにくいんです」
女性店員はそう言うと、棚の上に置かれていたバーナーの1つを指差した。
「そうなんですか。じゃあそれください」
「ありがとうございます。あと、酸素ジェネレーターなのですが、安いものだと10万円ほどですが、日本製のいいものだと25万円ほどかかってしまいます。性能については……」
つらつらと酸素ジェネレーターについて説明する女性店員の話を聞き、概要を把握する。
噛み砕いて言えば、高いほうが性能はいいとのことだった。
「じゃあ、その一番高いやつでいいです」
「ありがとうございます。電気炉についてはどうなさいますか? 一番良いものですと35万円ほどになりますが」
こいつは金を持っていると判断されたのか、女性店員は新たに電気炉についても説明を始めた。
電気炉の使い道は、「冷まし」といわれる工程で使われるものらしい。
複数の種類のガラスを混ぜて作ったガラス製品は、焼いた後にそのままの状態で置いておくと膨張係数の違いからガラス同士でゆがみが生じてしまう。
その速度があまりにも速いと、ガラスの耐久力が限界を迎え、ガラスが割れてしまうというのだ。
専門用語で「はねる」というらしい。
「んー、電気炉っていうからには、電気をすごく使いますよね? あまり大きな電力が必要な物はちょっと……」
「そうですね……大きいものだと20アンペアを超えてきますね。電気炉を使わなくても、徐冷材というものの中に作品を入れておけば、大抵は大丈夫ですよ」
女性店員は近くの棚に置かれていた袋を取り、一良に手渡した。
透明な袋の中には、米粒大の大きさの白い玉が沢山入れられている。
色ガラスを混合して何かを作るというわけでもないので、この徐冷材があれば十分事足りるだろう。
「じゃあ、その徐冷材もください」
「ありがとうございます。徐冷材を入れる容器には空き缶がいいと思います。クッキーの空き缶なんてちょうどいいと思いますよ。もしなければ専用の缶もお店で扱ってますけど」
「クッキーの空き缶……ああ、ちょうどいい空き缶があるから大丈夫です。他の道具も全部見繕ってもらっていいですか? 多少高くなっても構わないので、一番使いやすいものがいいです」
「わかりました。では、まずは専用メガネとピンセットと……」
こうして、女性店員に言われるがままに一良はどんどん品物を購入していった。
小型のガスボンベも勧められたが、もしイステリアでガスが足りなくなっても、一良はすぐには日本に戻ってくることはできない。
さすがにそこまでの量のガスは使わないだろうとも思ったが、量があるに越したことはないということで、再度父親の真治に連絡をとって大型のプロパンガスのボンベを用意してもらうことにした。
結局、最終的な購入金額は60万円近くにもなってしまった。