8話:最高の報酬
「カズラ様、板の厚みはこれくらいでよろしいのでしょうか?」
「そうですね、それくらいあれば十分です。あと何で様付けなんですかね?」
水車の発注をした次の日。
木を切断するノコギリの音や、村人同士で声を掛け合いながら木を切り倒す音が響く中、一良は村人たちに指示しながら、揚水水車から水を通すために使う水路用の木板を製造していた。
ここは村はずれにある森の入り口で、作業をしている一良たちの傍には数本の切り倒された木が加工待ちで鎮座している。
「わかりました。そしたらこの厚みの長板をあと60枚ですね」
村の若い男は一良に板厚を確認してもらうと、再び真剣な表情で作業に没頭し始めた。
一良は「おおう、後半は完全にスルーか」とぼやきながらも、新たに質問にやってきた村人に指示を出す。
「カズラ様、支柱の太さと長さはこれでいいのでしょうか?」
「あーっと、太さはこれでいいんですがちょっと長すぎるのでこの線まで切ってください。あと様付けはやめて欲しいんですけど」
「なるほど、この長さですね。皆にも伝えてきます」
村人が持ってきた柱をメジャーで測り、油性マジックで線を引くと、その村人は再び柱を引きずって持ち場に戻っていった。
「え? 何これイジメ? イジメなの?」
「カズラさん、昼食の支度が出来たので持ってきました……どうかしましたか?」
一良が「ちくしょう、ちくしょう」と言いながらA4のノートに描いた水路の設計図を見直していると、バレッタと数名の村の若い娘が、粥を入れた数個の鍋や新たに一良が持ってきたおかず用の缶詰などをリアカーで運んできた。
「……村のみんなが私のことを様付けで呼ぶんです。何とかしてください」
「あー……皆カズラさんに感謝していますし尊敬しているんです。呼ばせてあげてください」
「ええ……」
普段呼ばれ慣れていない最上級の敬称に、一良はあからさまに嫌な顔をするが、バレッタに
「まあまあ、いいじゃないですか。それより、食事が出来たので休憩にしませんか?」
と流されてしまった。
まあ、尊敬されるのは慣れてはいないが悪いことではないので、様付けで呼ばれても極力気にしないことにした。
「そっか、もうそんな時間ですか。わかりました、休憩にしましょう……みなさーん、食事が出来たようなので集まって食事にしましょう! 続きは食後で!」
一良が村人に呼びかけると、あちこちから了解の返事が返ってくる。
きりのいいところまでやろうと作業を続けている村人も数名見られるが、問題はないだろう。
「これで手を洗って待っていてください。今お粥を持ってきますから」
バレッタは一良の前に水桶を置くと、リアカーに積んである鍋からお粥を椀に掬う。
他の女性達も、それぞれ手洗い用の水桶を持って回ったり、集まって来た村人達に、缶詰とお粥の入った椀、それに水の入った木のコップを乗せた木製トレーを手渡している。
「はい、お待たせしました。それでは、他の方にも配ってきますね」
「あ、バレッタ! こっちは私達でやるから、カズラ様とご飯食べてていいよ!」
食事を乗せたトレーを一良に渡し、他の村人達にも配ろうとリアカーに戻りかけたバレッタに、村人達に食事を配っていた娘の一人が声を掛ける。
「え、でも……」
一良の方をちらりと振り向きながらも戸惑っているバレッタに、「平気平気、後は任せて」と言って食事の乗ったトレーを渡すと、その娘はさっさと作業に戻っていってしまった。
「えっと、お隣いいですか?」
少し苦笑しながらも渡されたトレーを持って戻って来たバレッタに「どうぞどうぞ」と隣を薦める。
一良としても、バレッタと村長以外の村人とは気さくに会話をしたことが殆どないので、バレッタが来てくれると気が休まる。
一良が人見知りというわけではないのだが、どうも他の村人達は一良のことを極端に敬っているのか、どことなく遠慮がちに感じるのだ。
今回の水路製作作業で、一良から積極的に指示したり話しかけたりしたおかげで、幾らか改善したような気はしている。
「畑仕事に行った人たちはどうですか? 渡した道具は上手く使えてます?」
「はい、凄く使いやすいって大好評ですよ。私も少し使ってみたんですけど、簡単に土が掘り起こせてびっくりしました」
ホームセンターで大量に購入した農具は、今朝リアカーを使ってバレッタの屋敷に運び込んだのだが、一良は水路に使うパーツを製作しなければならなかったので、農具の配布は村長に一任してきていた。
村長はすぐに村人達に配ると言っていたのだが、早速農具を使って村人達と畑仕事を行っているようだ。
ちなみに、昨日の夜はあまりにも疲れていたので、町にあったビジネスホテルに泊まってレストランで夕食を食べた後は爆睡していた。
「うんうん、喜んでもらえたようでよかったです」
そう言いながら一良が「さんま蒲焼」と書かれた缶詰のプルトップ式のフタを開けると、中から食欲をそそるいい匂いが漂ってきた。
おかず缶詰の中では万人受けするものであるし、一良自身の好物という理由もあって、選んで買ってきたのだ。
お湯で温めておくといいと伝えておいたのだが、ちゃんと実践してくれたらしく、缶は程よく温まっている。
「わぁ、いい匂いですね。凄く美味しそうです」
隣ではバレッタも缶詰を開け、その匂いに顔を綻ばしている。
周囲からも、「いい匂いだなぁ」とか「こりゃ美味い!」といった声が聞こえてくる。
「これは秋刀魚っていう魚にタレをつけて焼いた料理です。結構美味しいんですよ」
「お魚ですか。たまに川で捕ってきた魚を食べることがありますけど、こんな風に調理したことはなかったです」
捕ってくる川というのは、昨日見に行った川のことだろうか。
この世界でも、やはり釣り針や網などで魚を捕るのか少し気になったので、聞いてみることにした。
「あの、川で魚を捕る時って、釣り竿で釣り上げたりするんですかね?」
「釣りあげることもありますけど、時間がかかるわりにあんまり釣れないですね。なので、洪水の後に出来た水溜りの中にいる魚とか、取り残されている魚を拾ってきて焼いたり煮込んだりして食べることが多いです」
「ああ、なるほど。そりゃ効率的だ」
二人がそんな話をしながらのんびり食事をしている間にも、お粥のおかわりをしに何人もの村人がリアカーの元にやってくる。
やってくる村人達は、リアカーの傍にいる一良に必ず礼を述べててから、お粥をおかわりして行くのだった。
「さて、今日のところはそろそろ終わりにしましょうか。続きはまた明日にしましょう」
頭上にあった太陽は遠目に見える山の山頂まで下り、空は夕焼け色に染まっている。
あと2時間もすれば日が完全に落ちそうなので、本日の作業は終えることにした。
一良が作業の終了を呼びかけると、すぐに村人達から了解の返事が返ってくる。
作業に使ったノコギリや、村に元々あった青銅のノミや木槌などの道具を一良とバレッタも一緒に片付けようと思ったのだが、
「片付けは私たちでやりますから、カズラ様とバレッタさんは先に帰って休んでください」
と言われてしまった。
ちょっと忍びない気もしたが、一良が働くとバレッタもセットで無制限に働きそうなので、ここはありがたく帰らせてもらうことにする。
「ここはお言葉に甘えておきますかね」
「あ、はい。それでは帰りましょうか」
一良たちは片付けをしている村人達に礼を言うと、バレッタと共に屋敷に帰ることにした。
帰り際、こちらに向かって祈るように手を合わせている数名の村人がちらりと視界に入った気がするが、目の錯覚ということにしておく。
屋敷への帰り道、村での魚料理についてや、今まで作っていた作物の話などをバレッタから聞きながらのんびり歩く。
村のことを楽しそうに話すバレッタの横顔を見ると、こけていた頬やガリガリだった体も少しふっくらとしてきており、ここ4日間で彼女の栄養状態は大分回復してきているようである。
何より、精神的に追い詰められていた状態から解放されたことが大きいのかもしれない。
「(しかし、普通こんな短期間でここまで回復するものなのか?)」
飢餓状態にある人間が、どれほどの速度で回復するものなのか一良は詳しくは知らないが、もしかしたらあまりにも過酷な飢餓状態に体が置かれていたため、体の細胞たちは入ってきた栄養を残らずキャッチして吸収しているのかもしれない。
リポDで何十人もの半死人が復活したのはよくわからないが、そこは幾ら考えても仕方のないことである。
そんなことを考えながらバレッタの横顔を見ていると、
「あ、あのカズラさん、どうかしましたか?」
とバレッタが立ち止まり、少し顔を赤くして軽く俯きつつ、一良を上目遣いで見上げてきた。
少しばかり見つめすぎたらしい。
「あ、いや……バレッタさんが元気になってよかったって思いまして」
バレッタは一良の言葉に一瞬きょとんとした表情をしたが、すぐに
「はい、カズラさんのおかげです」
と言って、花の咲くような満面の笑顔を一良に向けた。
その可憐な笑顔に、今度は一良が赤くなる番となってしまったが、照れよりも目の前の彼女が見せる幸せそうな微笑みを見れたことが、何よりも嬉しく一良の心に染み渡るのだった。