75話:金策会議
「……あ、ごめんなさい。ちょっと言ってみたかっただけです」
袋の口から覗くビー玉を見たまま固まっている一同に、一良は額に嫌な汗を浮かべて謝る。
「か、カズラさん、このバーゲンセールという黒曜石は……」
「ホントごめんなさい、バーゲンセールのくだりは忘れてください。それは神の国で作られたビー玉という名前の黒曜石です。ガラスとも呼びます」
バーゲンセールという単語自体が通用しないらしく、ジルコニアは袋の中のビー玉がバーゲンセールという名称の物だと勘違いしてしまっているらしかった。
これは一良が全面的に悪い。
「ガラス……透明な中に色んな色が混じっているのですね。神の国ではこのようなものも作ることが出来るのですか……以前見せていただいたプラスチックと似ていますね」
「手にとって見てもらって構いませんよ。で、それらはいくらくらいで売れそうですかね? それくらいあれば直近の財源は何とかなりそうですか?」
一良に勧められ、ジルコニアとナルソンはビー玉を手にとってしげしげと眺める。
色の付いた黒曜石が非常に高価ならば、ビー玉のようなガラス玉もかなりの価値を持つことになるだろう。
「そうですな……いくらになるのかはこの場でははっきりとは申せませんが、かなりの高額で売ることが出来るかと思います。ですが、これらはあまりにも珍しすぎて、鉱山で採掘したと言って売るのは少々厳しいですな……透明な中に色が混じっている上に完全な球体とあっては、かなりの注目を集めることになりかねません」
「そうね……一時的な財源を得るにはいいのだけれど、後々探りを入れてくる輩が現れそう」
「む、そうですか。というと、ビー玉よりも色ガラスの方がいいのかな」
なるほど、と頷いている一良に、隣でビー玉を見つめていたジルコニアが目を向ける。
「色の付いたガラスもあるのですか?」
「ありますよ。クリスタルガラスっていうんですけど、そのビー玉と違って透明な中に色が入っているものではなく、様々な色を持つ透き通ったガラスです。恐らくこの国で時折出回る黒曜石と同様のものかと」
一良の言っているクリスタルガラスとは、ガラス工芸などで使われている色ガラスのことだ。
日本のバーナーワーク商品を取り扱っている店に行けばいくらでも手に入るので、それを調達してこようと一良は考えていた。
「今度神の国に戻ったときに調達してくるんで、それを売って財源にしてください。色の希望はありますか?」
一良がそう言うと、ナルソンはビー玉を袋に戻して一良に向き直った。
「ありがとうございます。では、市場でも出回ったことのある黄緑色のものか薄い青色のものをお願いいたします。あと、このビー玉のような球体のものよりも、形が不揃いでごつごつしたような物のほうがよいかと思いますが」
「わかりました。適当にいくらか持ってくるんで、上手いこと売り払ってください。そのお金で、領内の事業に不足している財源は補いましょう。あと、そのお金を使って公共事業を斡旋して、市民にもお金が落ちるようにしなければなりません」
持ち込む予定のクリスタルガラスでどれほどのお金を手に入れることができるのかはわからないが、ナルソンの話を聞く限りかなりの金額を手に入れることができるだろう。鉱山でまとめて産出したということにしてしまえば、ある程度量があっても怪しまれないはずだ。
「直近の財源はこれでいいとして、問題は領内の食糧事情が安定した後の財源確保です。以前ナルソンさんから話を聞いたときに、領内は慢性的な資金不足といった説明を受けましたが、改善の見通しは全く立っていない状態ですか?」
「いえ、穀倉地帯が完全に復活して収穫高が以前よりも増えるのであれば、ある程度の財源は確保できます。ただし、領内には毎年数千人単位で他領からの移住者がやってきますので、その分の食料の無償援助が他領から続くということが前提となります。南のフライス領からの支援は問題ないのですが、西のグレゴルン領からの支援が心配ですな……」
「あー、そういえばそんな話もありましたね……戦争再開を見越して人員を集めているんでしたっけ」
以前、一良はバレッタたちと共に初めてイステリアを訪れた際、同行していたロズルーからイステール領の人口増加についての説明を受けたことがあった。
戦争再開を見越して人員を集めているとのことだったが、毎年数千人単位で人口が増えていくのでは、余程急いで農地を拡張しなければ食糧生産量が追いつかなくなるだろう。
他領から無償で食糧援助が行われているとの事だが、以前ナルソンとジルコニアから聞いた話では、西のグレゴルン領からの支援量が急速に落ち込んでいるとのことだったはずだ。
結果としてイステール領の食糧不足状態が加速されてしまっているので、食糧生産量は何とかして増やさなければならない。
「では、現在の穀倉地帯以外にも農地を拡大してしまいましょう。高所に水を汲み上げる手押しポンプという道具の作り方をお教えします。それを使えば農地を広げられるはずです」
「手押しポンプ……そちらも聞いたことのない道具ですが、今使っている水車ではダメなのですか? 部品精度に問題があるとはいえ、既に量産体制に入っているので、数をそろえるのならばこちらのほうが容易に思えますが」
「(あれ、すぐに食いついてくると思ったんだけどな。気を使ってるんだろうか)」
新しい道具の提供案にすぐに食いついてこなかったジルコニアに、一良は少し拍子抜けした。
もし一良がジルコニアの立場だったとしても、先進的な道具を提供すると提案されれば飛びついていただろう。
ここ数日における続けざまの道具や知識の提供に、恐縮でもしているのだろうかと一良は内心首を傾げた。
「……水車を使って済む場所ならそれでいいのですが、水車はその大きさと動作の性質上、設置できる場所が限られてしまいます。それに比べて手押しポンプは小型で設置場所もあまり気にしなくていい上に、水を汲み上げられる高さも5メートル以上……街の外の防壁よりも高いような場所にも、簡単に水を汲み上げることができるんですよ。ただし、汲み上げる時は水車と違って人の手が必要ですし、水車に比べると汲み上げられる水の量はかなり少なくなりますけどね」
以前日本に戻った際にインターネットを使って調べた内容を思い出しながら一良が説明すると、ナルソン以外の3人は「おお」と声を上げた。
川に設置されている水車は車輪の直径が約4メートルのものであり、水に接している部分を差し引いてもそれなりの高さに水を汲み上げることができる。
だが、今一良が説明した手押しポンプは、その水車よりもはるかに高い場所に水を汲み上げることができるのだ。
ちょっとした丘なら問題なく水を送ることができる上に、水を貯めておく中継地点を挟んで手押しポンプ何段にも組み合わせて使えば、さらに高所にも水を汲み上げることができるだろう。
従来ならば高所に溜め池を作っても、余程注意して作らなければ水が地面に抜けてしまっただろうが、この世界でも調達できる石灰を使ってモルタル製の溜め池を作ってしまえば、水が抜けてしまうということもないはずだ。
そこまで大掛かりにやる必要がない場合は、大きめの木箱のような簡易式の貯水箱でも作ってしまえばいいだろう。
「それは素晴らしい道具ですわ。人員も道具も、必要なものは最優先で手配させていただきます」
「はい。色々とお願いすることになると思いますけど、よろしくお願いしますね。見本の手押しポンプと作り方を記した紙を後ほど神の国から持ってくるので、製作はそれからってことで」
「……カズラ殿、一つお伺いしたいのですが」
一良の説明を聞き、納得した様子で嬉しそうに微笑むジルコニアに一良が微笑み返していると、何やら難しい表情をして考え込んでいたナルソンが口を開いた。
「その手押しポンプという道具は、坑道のような狭い場所にも設置できる物なのでしょうか?」
「広さにもよりますが、そこまで大きなものじゃないんで、できると思いますよ。大きさはこれくらいだったかな……下側に長い筒をつけて、それを水面に入れておいて水を汲み上げるんですよ」
一良はそう言って手押しポンプの大きさを手で「たぶんこれくらい」といいながら示してみせる。
「ふむ……カズラ殿、その手押しポンプがあれば、鉱山の生産力を飛躍的に向上させることができるかもしれません。完成した折には、鉱山でもいくつか使わせていただきたいのですが」
「鉱山でですか? 何に使うんです?」
さっぱり用途がわからないといったふうに尋ねる一良とは対照的に、他の面々ははっとした顔になった。
「地下水の排水です。北西の山岳地帯では、露天掘りの他に真横に坑道を掘り進めているのですが、採掘作業中に地下水が湧き出てしまうことが多々あります。多少の水ならば手桶で汲み出させているのですが、あまりにも地下水が多い場合はその場所の鉱石は諦めざるをえなかったのです。ですが、手押しポンプが使えるとなると……」
「なるほど、水没していて掘り出せなかった鉱石が全て採掘可能になるってわけですか」
ナルソンの説明に、一良は感心した様子で頷いた。
たった今手押しポンプの説明を受けたばかりだというのに、すぐに農業以外の使い道に頭が回るというのは、さすがは領主といったところだろうか。
「それに、手押しポンプを経由して大量の水を一箇所に貯めて、露天採掘ができそうな鉱床一帯を一気に洗い流すといったことも可能になるかと。流す水の量と勢いによっては地表近くにある鉱床を露出させることができるはずなので、今まで見つけることができなかった鉱床も発見することができるでしょう」
「(……何この人すごい頭切れるんだけど)」
一良はナルソンの話に頷きつつも、その発想力と頭の回転速度に内心戦慄した。
今まで一良はあまりナルソンと一緒に仕事をしたことがなかったため、ナルソンに対しては常に忙しく事務仕事に追われているといったイメージしか持っていなかった。
だが、さすがは30万人もの民が暮らすイステリアを治めている領主というべきか、1つ話を聞いただけでも多方に考えが及ぶようである。
「他にも、大量に水を貯めることができるのならば、既に放棄された坑道に一気に水を流し込んで崩落させるといったこともできるはずです。崩落後の坑道をあされば、まだ少しは鉱石が採れるかもしれませんし、新たな鉱脈が見つかるかもしれません。採れた鉱石はあらかじめ貯めておいた水を使い、洗って選別することもできますので、鉱石の採掘量は格段に増えるでしょう」
「そ、そうですね、それはいい考えです。是非やってみてください」
一良が背中に冷たいものを感じながらも笑顔で了承すると、ナルソンも笑顔で「ありがとうございます」と礼を述べた。
「カズラさん、以前穀倉地帯でご一緒させていただいたときに聞かせていただいたお話なのですが……」
ナルソンの話が一段落したところを見計らって、今度はジルコニアが話を持ちかけてきた。
「あの時、カズラさんは市民の食生活の改善とお金儲けを同時に行えるいい考えが思いついたとおっしゃっていましたが、今詳しくお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「食生活? ……ああ! そうでしたね、今話しておきましょう」
以前ジルコニアに話を匂わせたきり、日々の疲れのせいかあの時の話はすっかり頭から抜け落ちていた。
ジルコニアが話を切り出してくれなければ、恐らく長期にわたって忘れたままになっていただろう。
「ジルコニアさん、氷室っていう建物は聞いたことはありますか?」
「ひむろ? ……いえ、初めて聞きますわ。ナルソンは知ってる?」
「いや、私も聞いたことはないな……どのようなものなのですか?」
何のことだろうといった表情をしている2人に一良は頷くと、内容をざっと説明することにした。
元より、氷室について詳しく調べてあったわけではないので、今持っている乏しい知識の範囲でしか説明はできない。
「えっと、簡単に言えば氷の貯蔵庫です。冬の間に湖や池から切り出した氷を大量に保管しておいて、夏になったら取り出して使うといった目的の建物なんですけど」
「……冬の氷を夏まで保管するのですか?」
一良の説明に、ジルコニアは怪訝そうな表情をしている。
その顔には「溶けますよね?」と書いてった。
「夏までに全て溶けてしまうと思うかもしれませんが、やり方によっては溶かさずに氷を長期保存することができるんですよ。氷室の作り方はまた後ほどお教えしますね」
「氷が夏でも使えるということは、その氷室の中に肉や魚を保管して、冷やして保存してしまおうということですかな?」
興味深げに聞いてくるナルソンに、一良は頷く。
「まあ、考え方的にはそんな感じですね。私が思いついたやり方というのは、冬場に溜め込んだ氷を夏場に売り出してみようといったものなんですよ。冷蔵庫っていうタンスくらいの大きさの氷室も同時に製作して販売すれば、氷の需要は尽きることがなくなりますから」
「タンスくらいですか……その程度の大きさならば、一般市民の家庭にも置くことができますね。氷は冬場に切り出しておけば元はタダ同然で済むと……なるほどなるほど」
冷蔵庫がどんなものなのか何となく想像がついたのか、ナルソンは感心した様子で頷いている。
「で、問題はその氷を切り出す池が必要なんです。穀倉地帯にある溜め池を使って氷を作れないかなって考えたんですが、切り出せるくらいの氷は張りますかね?」
一良がジルコニアに話を振ると、ジルコニアは口に手を当てて考える素振りを見せた。
「……切り出すほどとなると少し厳しいかもしれないですね。山の上ならば冬場はかなり冷え込むので、新たに溜め池を作って水を張っておけば、真冬ごろには分厚い氷も取ることができるかと思います。今度、溜め池を作るのに適した場所がないか調べておきますわ」
「お願いします……あ、でも、今度私も一緒に調べますから、それまで場所の選定は待ってください。神の国に戻ってから、氷室についてもう一度調べなおしてきますから」
ジルコニアに溜め池の設置場所を丸投げしてしまおうかと一瞬考えたが、よく考えてみれば設置場所にも適する場所とそうでない場所があるはずだ。
どのような場所を選んで溜め池を作ればいいのかは今はわからないので、一旦日本に戻ってから専門業者に問い合わせをするなどして話を聞いてからにした方がいいだろう。
氷を作ればそれでいいと安直に考えてしまいそうになるが、何をするにも先人たちのノウハウは存在しているはずなので、それを利用しない手はない。
使うことのできる知識はしっかりと調べてから有効活用するべきなのだ。
「(……調べなおす?)」
「えっと、とりあえず氷室についてはそれくらいにしておいて、後はなんでしたっけ……あ、水車の工作精度の話もしておかないといけないですよね。工房を見に行ってみないと」
そう言いながら机の上に山積みになっている資料に手を伸ばす一良の隣で、ジルコニアは横目で一良の顔にちらりと視線を向けた。
だが、すぐに一良を手伝って資料を引っ張り出すと、イステリア内にある工房について一良に説明を始めるのだった。