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71話:リーゼさんといっしょ

 朝食を終えてから約2時間後。

 一良は穀倉地帯の入り口で、300人の使用人を前に作業内容の再確認を行っていた。


 一良の隣にはリーゼがおり、使用人たちに目を向けたまま一良の話を真剣な表情で聞いている。

 リーゼの傍らには布張りの大きな日傘を差した従者が控え、彼女に降り注ぐ太陽の光を遮っていた。

 日傘は傘の部分が正方形の平らなもので、傘を差している従者は腰に付けた固定具で傘の柄を支えている。


 エイラは本日は引越し作業を行うとの事でこの場にはいないため、リーゼの傍に控えているのは別の侍女である。

 エイラは今朝いきなりジルコニアから屋敷への住み込みを命じられていたので、今頃は引越し作業に大忙しだろう。

 マリーは一良に同伴しており、少し離れた所で他の従者や護衛の兵士と共に待機している。


 リーゼはいつものようなドレス姿ではなく、長袖の薄手の上着の上に青銅で補強された皮の軽鎧を身に着け、腰には長剣が挿されている。

 ジルコニアのような完全な青銅製の金属鎧ではなく、比較的軽そうな複合鎧を装備しているのは、彼女の体力的な問題からだろう。

 軍事訓練でもないのに何故鎧姿なのだろうかと一良は思ったが、彼女たちにとって屋敷の外でこういった仕事をする際は鎧を身に着けるのが当たり前なのだ。

 動きやすいという理由に加え、武器を帯びた鎧姿は私服に比べて威圧感があるので、ともすれば甘く見られがちな女性であっても威厳を持って振舞うことが出来るからである。

 

 近くに停めてある荷馬車の前にはアイザックとハベルの姿もある。

 2人は従えている従者と共に、一良が話をしている間も荷馬車から肥料の詰まった布袋を運び出し、荷馬車の周囲に停めてある60台の荷車に布袋を数個ずつ積んでいた。

 アイザックはリーゼの姿があるためか、いつも以上に張り切って作業に臨んでいるように見える。

 一良はそんなアイザックの姿を見て、


「(やっぱり可愛い娘が見てると張り切っちゃうよなー)」


 と、若干見当違いな感想を持ちながら、アイザックに親近感を覚えていた。


 リーゼは素材自体が非常にいいためか、いつものようなドレス姿はもちろんのこと、早朝訓練時のラフな格好や今のような鎧姿など、何を着ていても様になる。

 鎧に身を包んで表情を引き締めているリーゼは、凛とした雰囲気がその可憐さを更に引き立て、思わず見惚れてしまうほどに美しく見えた。

 こんな美少女に見ていられては、大抵の男ならばいいところを見せようと張り切ってしまうだろう。


「昨日の作業の進み具合から見て、半月もあれば全ての布袋の中身を畑に撒き終えることが出来ると思います。何か質問はありますか?」


 作業手順の再説明を終えて一良がそう言うと、少し間を置いてから集められている使用人たちが少しざわついた。

 別におかしな事は言っていないのだが、使用人たちの雰囲気が少し騒然としたものになっている。

 何をそんなにざわついているのだろうかと、リーゼやアイザックたちも不思議そうな視線を使用人たちに向けていた。


 そうして少し間を置いてから、1人の若い男が手を挙げた。


「昼食の時間になったら、一旦家に戻ってもよいのでしょうか?」


「いえ、食事はこちらで用意してあります。時間になったら号令を掛けるので、集まって食事休憩を取ってください」


「食事の代金は給金から差し引かれるのでしょうか?」


「食事の代金は全てイステール家で負担します。その他の作業に関係した費用についても、給金から差し引くといったことはないので安心してください。食事は十分な量を用意しているつもりですが、もし足りないようでしたら増やすことも出来るので、その時は言ってください」


 質問に一良が答えると、使用人たちから「おお」と喜びの声が上がった。


 彼らに提供する食事内容は、昨日の内にジルコニアと相談しておいてある。

 炎天下の中で長時間働かせることになるので、しっかり食べさせねば作業効率も落ちてしまうだろう。

 そのため、一般的な1人辺りの食事量よりも多めに用意させてあるのだ。

 沢山汗をかくことになるので、塩分も多少多めにするように指示してある。


「ずっと働きづめというわけにもいかないので、半刻ごとに小休憩を挟んでください。休憩の指示は作業を監督するアイザックさんが出します。水桶を持った使用人がグループを巡回しますから、彼らがやってきたら喉が渇いていなくても水を飲むようにしてください。他に質問は?」


 一良の説明を聞き、質問してきた男も他の使用人たちも納得したような表情をしている。

 数秒待っても新たな質問が出ないことに一良は頷くと、作業開始の号令を掛けた。




「えっと、昨日水車を設置したのがこの場所だから、次はこの辺りにするか。今日中に何とか5つか6つくらい設置できないかな……」


 作業を始めた使用人たちをアイザックとハベルに任せ、一良は持参した地図を眺めながら川へ向かって穀倉地帯を歩く。

 日傘に一良も入れるためか、隣にはリーゼがぴたりと寄り添って歩きながら、肥料散布を行っている使用人たちを眺めていた。


「すごく大掛かりな作業を行うのですね。あの袋の中のものを畑に撒くと、作物が復活するのですか?」


「すでに枯れてしまっている作物は無理ですけど、まだ生きているものは復活すると思いますよ。撒いている物は肥料といって、畑の土を元気にする薬みたいなものですね」


「土を元気に……ですか?」


 興味深げに作業を見つめるリーゼに一良が説明をすると、リーゼは一良に視線を戻して不思議そうに問い返した。

 以前グリセア村でバレッタたちに初めて肥料について説明した時と全く同じリアクションである。

 やはり、肥料を撒くという概念自体がこの世界の農業には存在していないようだ。

 作物とは神様の恵みや祝福などのおかげで成長するという考え方が、この世界の常識なのだろう。


「そうです。そのために、本来ならば森で落ち葉が腐って土みたいになった腐葉土というものを畑の土に混ぜたりします。現状だとそれだけでは追いつきそうにもないので、私が用意した特別な肥料を畑に撒いているんです。こいつは強力ですよ」


「(ふーん、じゃあ、肥料っていうのが入ってる布袋の山はカズラ様が用意したんだ……あれ?)」


 自身ありげにそう答える一良に、リーゼは相槌を打ちながらも内心首を傾げていた。


「(カズラ様がイステリアを離れたのが確か8日前で、戻ってきたのが2日前だから、最短でも片道3日だよね……クレイラッツの街まで片道3日じゃ絶対に無理だから……え、何処に行ってたんだろ)」


 そう、一良がイステリアを離れていた間、何処へ行っていたのかがリーゼにはさっぱりわからないのだ。


 これほど広大な穀倉地帯に撒く肥料となると、その量はかなりのものになるはずである。

 それほどの量の肥料を用意するにはそれ相応の時間が必要だろうし、たとえあらかじめ予定を立てておいて荷物を用意させていたとしても、それを保管する場所だって必要なのだ。

 前もって何処かで肥料の受け渡しを行うような手はずだったのかもしれないとリーゼは考えつつも、その興味は肥料よりも一良の出身国が何処なのかということに向いていた。


「(片道3日で荷物を受け渡し出来る距離の国のお金持ちで大貴族出身。お母様と一緒に荷物を受け渡ししてる時点でバルベールの線は消えるから、残るのはクレイラッツ……でもクレイラッツにそこまでお金持ちの大貴族がいるなんて聞いたことないし……)」


「あ、そうだ、昨日ジルコニアさんと話してるときに少し話題に出たのですが」


 歩きながらリーゼが考えをめぐらせていると、一良が手に持った地図から顔を上げた。


「例年ならもうすぐ種まきの時期になるって聞いたのですが、どんな作物の種をまくのかを聞き忘れたんですよ。リーゼさんは何をまくか知ってますか?」


「え、種ですか?」


「ええ、このあたりの地域での農業についてはあまり詳しくないもので、もし知っていたら教えていただけると」


 突然そんな話を振られ、リーゼは以前文官からの講義で学んだ内容を思い返した。

 農業についてはあまり興味が無かったので、一応真面目に話は聞いていたのだが、記憶に留まっている内容は曖昧である。

 特に豊作祈願の儀式の種類や作法などについてはかなり記憶が危ういのだが、種まきの時期と種類といった内容ならば何とか記憶に残っていた。


「ええと……例年通りだともうすぐ気温が下がってくるので、冬イモと豆をまきますよ。収穫は雪が降る直前です」


「イモと豆ですか。他には何かありますか?」


「え、えっと……丸ネギと葉物野菜が何種類か……あと、秋口になったらパン麦やラタ麦の種まきも始まります」


 まさか農業について質問されるとは夢にも思っていなかったので、リーゼは慌てて記憶を掘り出しながら、もっと真剣に講義を受けておけばよかったと今さらながらに後悔した。

 もしこれ以上色々と質問をされてしまうと、正直言って全て正しく答えられる自信がない。


「なるほど……あの、その豆って何に使われているかってわかりますかね? 何かに加工して使っていたりとか」


「豆は何種類かあるのですが、確か冬マメは乾燥させて保存用にとっておいたり、油をとったりすると聞いたことがあります」


「油ですか……どんな方法でとるんですか?」


「た、確か木箱に入れて押し付けて搾るといった方法だったような……あ、あの、ごめんなさい。以前文官から講義を受けて勉強したはずなのですが、内容を忘れてしまっていて、詳しい方法はわかりません……」


「あ、別に気にしないでください。というか、それだけ色々と知っていれば大したものですよ。」


 申し訳なさそうに言うリーゼに、一良は笑顔で礼を述べる。

 普段から政務や農業などの仕事にリーゼが関わっているとは一良も思っていないので、それほど詳しく話が聞けるとは元々考えてはいない。

 リーゼは昨日も面会で忙しかったようだし、それらの仕事の合間に勉強もしているのだろう。

 貴族令嬢という身分もなかなか苦労が多そうだ。


「(日本でいうところの大豆油みたいなのをしぼり取ったりはしてるのか。確か圧搾あっさくっていったっけ)」


 一良も詳しい手法は知らないが、大豆や菜種から油を搾り取ることができるといった程度の知識ならば持っている。

 この世界での圧搾手法を詳しく調べれば、抽出量や作業時間についても効率化を図ることが出来るだろう。


「(でも、圧搾って確かえらく時間が掛かるんだっけ。しぼるんなら遠心分離機を使えばかなり効率よく出来そうだな……)」


 遠心分離機とは、回転によって得られる遠心力を用いて物をしぼったり、液体内の成分を分離させたりする時に使う機械のことである。

 一良は父親の真治が遠心分離機を使い、油に浸かった金属材料の油を切っているのを見たことがあったので、豆から油をしぼる事にも使えるのではと思いついたのだ。

 実際、大豆油やオリーブオイルなどを生産している工場では遠心分離機を用いた油の抽出も行っているので、一良の考えは間違いではない。


 歩きながら真剣な表情で一良が考え込んでいると、ふと隣のリーゼが不安そうな顔で一良の表情をちらちらとうかがっていることに気がついた。

 油の抽出手法を詳しく答えることが出来なかったことを気に病んでいるのだろう。

 リーゼは農業や食品の加工技術については苦手としているようなので、話題を変えたほうがよさそうだ。


「そういえば、前に初めて会った時も街中でしたけど、リーゼさんって普段から街中をよく出歩くんですか?」


「はい、気分転換に街中をよく散歩するんです」


 話題が変わって安心したのか、リーゼは少しほっとした様子を見せた。


「いつも屋敷の中だと気が滅入ってしまうので……それに、街に出かけると色んな人たちと話すことが出来ますから、とても楽しいんです。街の様子を直接観察することも出来ますから、市民生活を知る勉強にもなります」


「おお、リーゼさんは勉強熱心なんですね。普段からあちこち行っているなら、街のお店や市民の食べ物とかにも詳しいんですか?」


「街の中心街にはよく出かけるので、そのあたりのお店の人とは結構仲良しですよ。エイラと一緒に外食をしたりもするので、美味しい食べ物屋さんにも詳しいんです。よろしければ、今度一緒にお出かけしてみませんか? 色々とご案内しますよ」


「お、いいですねぇ。都合が合えば是非」


 よくある社交辞令だと受け取った一良がそう答えると、リーゼが実に嬉しそうに表情を輝かせた。


「わ、嬉しいです! お出かけ出来る時間が作れるように、これからもお手伝い頑張りますね!」


「えっ? あ、はい。よろしくお願いします」


 予想外に積極的な発言を受け、一良は若干面食らいながらも頷いた。

 どこまでが本気なのか図りかねるが、仕事を手伝う気は満々のようだ。


 とはいえ、現状では早急にやらねばならないことが多すぎて、とてもではないが出掛ける暇など取れない。

 もし本当に出掛けるのだとしても、穀倉地帯の件が一段落してからになりそうだ。


 一良はやたらと嬉しそうにしているリーゼに、


「(随分と社交的な人なんだな。市民の間で人気があるもの納得できるわ)」


 と彼女の人気の秘密を垣間見たような気分になっていた。

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